第九話 余計な事
さて、リリーにあれだけ言われた手前、俺が鬼をぶちのめすのは流石にまずい。
別にリリーの意見を無視してもいいんだが、それをするとリリーが本気で怒ってくる。
あいつとガチの喧嘩になった場合、俺はともかく周辺一帯が更地になる覚悟が必要であり、更にはあいつの機嫌を治すのに数週間はかかる。正直なところ割に合わない。
というわけで、偵察を兼ねてリリーに言われた地点までやってきたが、ここは街の外壁の外だった。現在の時刻は夜、街の出入り口にあたる正門は閉じている時間帯であり普通なら町の外へとでられない時間だ。
門が閉じていて街の外にでられないというのなら、じゃあ俺はどうやって街の外へ出たのかというと主に身体能力で壁を超えてきた。まあ人間、冒険者長く続けていると壁を垂直に走るくらいはできるようになるものだ。
さーて問題の鬼でも探すかーと周囲を見回す。ここは街道沿い近くであるから周りは主に平地ばかりだ。森などの視界を遮るものも特に無い。少なくとも、鬼が隠れられるような場所は見当たらなかった。
念のためにもう一度だけぐるりと見渡してみる。俺はかなり目がいいし夜目も効く。視界範囲で考えて夜でも二キロメートル以内なら目立つ人物や隠れ家になりそうな建造物なら見つけられる自信はある。だが、ここからよく探してみても、そんなものはとんと見当たらなかった。
虫の泣く声が聞こえてくる。街の明かりは届かず、月明かりだけが唯一の光源として周囲を照らしている。熱帯夜と言って良い気温のせいで汗がじわりと浮き出てきた。そして思う……やっぱ誰もいなくね?
ガセネタ掴まれたかー? リリーちゃんまさかの失敗かなー? などの帰宅時の煽り台詞を考えていると、ふと、夜風に紛れて血の匂いがしてきた。
匂いのする方向に歩いて行くと、草むらの影に冒険者達の死体があった。男三人、女一人、総勢四人の死体だ。どれも状況は酷いもので体はあちこちに折れ曲がり、内臓もいくつかはみ出ている。装備品の類も破損していて、武器や防具も原型を留めていない。それらの死体が無造作に地面に打ち捨てられていた。
「んー、魔物に食べられたにしては噛み傷のたぐいもねえな」
冒険者の死体なんてのは珍しくない。魔物にやられるか、物取りの類にでも襲われるか、仲間内で同士討ちでもしたか。ただこれらは物取りのせいにしては売り物になる装備品は残されている上に破壊されすぎている、かといって魔物にしては傷跡がきれいすぎた。ということは残る可能性は一つしか無い。
「さっきまでここらへんに鬼がいて、それに襲われたって事か」
一度だけ死体に手を合わせて黙祷してから、その犯人である鬼族の奴らを探す。確かリリーは鬼の反応が二つあると言ってたから二匹ほど鬼がいるはずだ。
そうして、周囲の気配を慎重に探っていると右手の方から集団がこちらへと真っ直ぐやってくる事に気がついた。人数は……10人前後か、それらの集団が松明の火を掲げながらやってくる。鬼達の仲間か手下がこの死体の後始末をしにでもやってきたのだろうか、一応隠れてやり過ごす事もできるが、いや待てよ?
「偶然、敵の仲間と出会って戦いました、それで仕方なく鬼達もやってきたのでついでに退治しました、これならリリーも納得するのではないか」
そもそもだ、自警団なんぞに任せるより俺が出張ったほうが早く解決するし危険も少ない。そう考えれば、これは正義の嘘ってわけである。余計なことだろうとなんだろうと正しい行いでさえあれば、それは重視するべきなのだ。
さーて、そうと決まれば話は早い、これからやってくる奴らを叩きのめして鬼が隠れている場所を聞き出さなくてはなあ。
そういうわけで仁王立ちでその場に立ち尽くして闘気を高めると完全戦闘モードの完成だ。これでどこからどう見てもてめえらぶちのめすぜ態勢ができあがった。殺人鬼の仲間たちよ覚悟は良いか? お前達の命運もこれまでだ。
「外壁の見回りに向かわせた冒険者達が定時の時刻になっても帰ってきてないというのは本当か?」
「はい隊長、夕方に見回りを頼んだ冒険者の一団が帰ってきてません」
「単独では動かしてないよな」
「ええ、男女四人のパーティーです、少なくともこの周辺の魔物に遅れは取る事はありません。奥地にいるコカトリスでも相手取ったのなら別ですが」
「だとすると、何かが起きたと見るしか――うん? あれはなんだ」
松明を持ってきたのはエルフの女性だった。どこかで見覚えのある悪人だ。いや違う思い出した、あれは確か自警団のエリナ隊長だ。そして、周りにいるのはエリナの部下である自警団の方々で間違いない。
彼らは戦闘態勢で待ち構えている俺に気がつくと足を止めた、その次に、俺の近くで死体になっている冒険者達にも目を向ける。
「……」
「……」
「……」
沈黙が辺りを支配する。酷い沈黙だ。風の音も虫の音もいつのまにか鳴り止んでいる、俺の耳にはただ自身の心臓がドックンドックンと焦りと緊張ですげえ勢いで鳴り響いている音だけが聞こえてきていた。
エリナ隊長、彼女は口をパクパクと動かしながら俺を指差している。声に出そうとしているが、出せないようだ。ようやく落ち着いたのか深呼吸を思いっきり吸うと――
「殺人鬼だあああああああ!!!」
俺に向かって放たれたその叫び声を聞くのと同時に俺は――その場から逃げ出した。
酷い頭痛と倦怠感と高熱と各種炎症がようやく体からなくなった。師匠ぶっ殺すために放ったエルフに伝わる禁術の反動で昨夜はずーっと生死の境を彷徨っていたのだ。
「リリーさんすいません魔法で助けてもらって、あのままでしたら確実に私が死んでました」
「一晩中、治癒の魔法を使い続けたから流石に疲れたぞ。これに懲りたらあのバカに呪いなんて物を掛けない事だな。あいつにそのたぐいは全く通じない」
確かに懲りた。この禁術は相手にかけた呪いが術者にも掛かってくるもので、効果は凶悪な代わりに使用した術者にも災いが降りかかるたぐいのものだった。頭に血が上っていたにしてもよくこんなもん使ったな私。
ていうか、自分自身に呪いが返ってきたから言えますが、あんなひっでえ呪いを掛けたのに師匠はくしゃみ数回で終わったとか、あのバカの生命力はどうなってんだ。
「さて、それにしてもアランのやつは帰ってくるのが遅いな、朝になっても帰ってこないとは何かあったのか?」
「もしかして、鬼相手に返り討ちにあって殺されたとか」
「それはないな、あいつを殺したかったら上位クラスの竜種と同程度の戦力が必要だ」
聞けば聞くほど師匠は人間じゃねえなと思いました。リリーさんも普通の調子でごく当たり前のように言ってるせいか説得力も倍増です。
「だからこそ、アランの奴が余計なことでもしでかしたんじゃないかと不安なんだがな。素直に上位の竜種でもやってきて戦ってますの方がまだこの不安もなくなるというものだ」
「ははは、心配しすぎですよリリーさん」
本当に心配性だなリリーさんは、私なんてあの野郎が次なにかしやがったら命を賭けてでも一矢報いると覚悟しているからこんなに心が穏やかなのに。
「でもちょっと心配なんで師匠を動けなくなる程度にボコってきますね。師匠って毒のたぐいは効きますか?」
「効くと思うか?」
「わかりましたありがとうございます」
矢に塗る特性の毒薬は置いとくことにして、愛用の弓矢と短剣だけであいつと戦わねばいけないのか、覚悟の分で他の全てを補うことにしますか。
軽く身支度を整えてから外に出ると、家の前にある広場で瓦版屋の人が何か騒ぎながらビラを配っていた。
「号外だよ号外!! 鬼族に続いて、この街に別の殺人鬼が現れた、号外だよ!!」
殺人鬼!? その単語につられた私とリリーさんがその瓦版屋の元に向かうとビラを受け取る。
「殺人鬼なんて一体どんな奴が……」
「んーなになに、街の外壁周辺で冒険者四名を殺害した犯人が自警団から逃亡、その際に外壁を飛び越えて街中に侵入。そのまま街の中に潜伏したと思われる。更に犯人の身元も特定されており、名前は――え?」
「どうしたんですかリリーさん」
そこで私もその号外のビラを読むと名前がそこに書いてあった。その名前は――冒険者のアラン。私の師匠だった。