6.夜会(3)
人垣からバラバラと拍手が挙がる。まず、彼はルールを説明した。発言権は花を持った者にだけ与えられる。発言権を要求する際は手を挙げ、スウェイン伯爵の指名によって花が花瓶から贈られる。1つの議題につき花は1本で、議題が変わらない間は1つの花がやり取りされる。そして議題が変わったら新たな花が花瓶から出される。つまり、議題の数は最大10ということだ。
「では、まず私から質問を。なぜ君はメイルード伯爵令嬢を主犯だと名指ししたのかね? その根拠は?」
伯爵はまずダヴィドへ花を贈った。彼はアティリナを睨みながらも、声を荒げることなく答える。
「次期侯爵の婚約者であることを傘に着て、日頃から取り巻きを使ってエステル嬢を孤立させているからです」
やはり妄想である。しかしアティリナが何かを言う前に、隣でスッと手が挙がった。伯爵の視線を受け、ダヴィドの前にいた使用人が花を持ってレオナールの前へ歩いて来る。
「彼女が言い難いだろうから最初に言っておきましょう。ラローシェ領は小金はありますが領地の大半が畑の田舎です。政治的にも中立で、発言力も大したことはない。常識的にご理解頂けるとは思いますが、取り巻きが出来る程の地位ではありません」
その時の聴衆の感想は、全員「この人ぶっちゃけたよ」という類のものだったに違いない。皆貴族の勢力図が頭に入っているので衝撃的な内容ではないが、この手の自虐とも取れる実情の暴露は実は非常に反論し辛い。出鼻を挫かれてダヴィドは奥歯を噛んでいる。
伯爵は苦笑いしながらも視線をアティリナへ向けた。半ば指名されたような形でアティリナが「じゃあ」と手を挙げる。
「それでは私からは2点、申し上げますわ。まず、私が一緒にいるのは全てお友達です。次に、セネヴィル男爵令嬢が孤立なさっているのは、学園中の女性陣がそれぞれ最低一度お茶にお誘いした結果、各々が出した答えです。誰も扇動しておりませんし、当然私には扇動出来るような力もございません」
むしろ、アティリナよりもミリアーナの方が学園内でも社交界でも有名人だと思う。何せ侯爵令嬢だ。エステルについても、お茶会に来ても楽しそうではないし怯えてばかりいるので、自分達が誘うを遠慮しただけだ。感じ方は人それぞれなので、自分達の発言の何かがエステルを傷付けたのだと言われるとどうしようもないのだが、初対面なのだから講義の話や天気や庭の話をした程度だった筈だ。
荒々しさを隠さない様子で手が挙がった。花を持った使用人が歩いて行き、ダヴィドの前で跪く。この少しもたついた時間がアティリナには丁度良く感じられた。頭を冷やす時間や、発言を整理する時間を取ることが出来るのは何よりありがたい。
「それでは聞くが、少し前、学園のご令嬢方と頻繁にお茶会を開催していた筈だ。エステル嬢は声すら掛からなかったと言っていたが? それでエステル嬢を孤立させていないと言うのは苦しいのでは?」
そう言った瞬間、エステルの目から再び涙が落ちた。それを受けてダヴィドの全身から発する威圧感が強くなる。
アティリナは静かに手を挙げた。伯爵は少し考えて、新たな花を花瓶から出させ、アティリナの前へ進ませる。議題が変わったと言う事だ。ダヴィドの元にあった花は銀のトレーへ乗せられ、会場の人垣へ消えていった。
お茶会云々は、例の危険人物リストを作った際の話だろう。あれの大元の原因は目の前のこの男なのだが、イヴェットの名誉の為にも言うわけにはいかない。
「あれは私的なお茶会です。確かにセネヴィル男爵令嬢はお誘いしていません。しかし、彼女の他にもお誘いしていない方は多くいます。誰を誘わなかったか、把握してはいらっしゃらないのでしょうか? お調べになればセネヴィル男爵令嬢だけを誘わなかったという誤解は生まれなかったと思いますが」
そこで聴衆の一部から反射的に拍手が挙がった。まるで「お見事」とでも言うように。完全に面白がっている。
だが、こればかりはアティリナの言う通りだろう。お茶会を開くからと言って、学園のご令嬢全員を誘う必要はないし、交流のある友人知人に限定するのが常識的だ。それが普通なので、逆に自分が誘われなかったとしても特に傷つかない。勿論、本当に1人だけ誘わなかったとすれば話は違うが……。彼らは本来傷つく必要のない事を気にしているに過ぎないのだ。
伯爵はアティリナとダヴィドを交互に見た。ダヴィドの目はいっそう苛烈になっていく。聴衆に刺激されたせいもあるが、問答で歯が立たないせいだろう。
その彼が再び手を挙げた。動きの荒々しさは変わらない。アティリナの前にいた使用人が歩こうとするのをダヴィドは黙って静止し、自ら花瓶を指した。新しい花が場に現れる。
「では彼女がこれ程怯える理由は何だ? それ程までに酷い仕打ちをしておきながら、心当たりがないと言うのは許されない」
アティリナは僅かに目を見開いた。エディットからダヴィドを紹介された時は、確かに彼を「正義感が強い男性」と思ったのである。もしかしたら彼のこの暴走とも言える思い込みは、その正義感ゆえのものなのかもしれない。
人々の目がアティリナへ向かう。確かに今はダヴィドとアティリナの問答だと皆が思っても無理はない。しかし、そこへたおやかな手が割り込んだ。そのご令嬢は人混みから1歩前へ出て、優雅に聴衆へ一礼する。ミリアーナである。
「発言をお許し頂き感謝致します。私は皆様と同じ学園へ通っておりますので、今の問いに私見を述べさせて頂きますわ。セネヴィル男爵令嬢が怯えていらっしゃるのは私の目にもよくわかります。きっと繊細でいらっしゃるのね」
微笑みを浮かべる彼女は美しく艶やかだ。アティリナがチラリと目をやると、何人かの若い男性がぽーっとその口元を見つめ言葉が紡ぎだされるのを待っているのが見える。さらに探せば、セドリックがこっそり頭を抱えているのがわかった。彼の苦労はまだまだ続きそうだ。
「ただ、その根拠をメイルード伯爵令嬢のみに求めるのはいかがなものでしょう? なぜなら、セネヴィル男爵令嬢は私の事も怯えていらっしゃいますし、学園内のどのご令嬢に対しても怯えていらっしゃいます。つまり、彼女は非常に平等な目で学園内の女性を見ていらっしゃるのだと愚行致します。つまり全員が彼女へ平等に酷い仕打ちとやらを行った事になりますわね?」
ダヴィドの手が猛烈な勢いで挙げられた。反射的に花を捧げ持つ使用人が1歩引き、動き出そうと体を起こしかける。しかし、ミリアーナは素早くその使用人から花を取り上げた。聴衆がアッと声を漏らす。周囲の驚きをよそに、彼女は花弁を楽しむように花の角度を変えてゆっくりと見回した。
伯爵が笑ってミリアーナを見た。続きを促すように片眉を上げる。ミリアーナは微笑みでそれに応えた。
「さて、それでは全員が彼女へ行った事とは何でございましょう? 先程メイルード伯爵令嬢も仰いましたけれど、我々はまだ不慣れな彼女を気遣ってお茶にお誘いしただけですわ。元々、女性が学園へ通い出す時期は皆バラバラですから、そういったお茶会は学園の伝統なのです。そのお茶会全てで酷い扱いがあったと仰るのであれば、我々全員に対する侮辱ではなくて?」
会場がしんと静まり返る。ダヴィドの手が挙がったままだが、伯爵は気付きながらも指名しようとしない。彼は見るからに苛立っており、発言させるのは躊躇われる。伯爵はミリアーナへ向けて笑いかけた。
「花がお気に召しましたか?」
その言葉に、ミリアーナは花と見つめ合って微笑む。
「ええ、とても。気品があって愛らしいですわ」
「ではどうぞ差し上げましょう。勇気あるご令嬢に」
伯爵が大きく手を叩くと、聴衆からも拍手が挙がった。それに案内されるようにミリアーナは一礼してセドリックの元へ下がっていった。
続いて伯爵は花瓶から新しく花を出させ、ダヴィドの元へ差し出した。しかし、彼は腕を下ろし「結構だ」と悔しそうに吐き捨てた。先程の一幕で少し頭が冷えたのかもしれない。
使用人は困ったように伯爵の元へ戻った。伯爵はダヴィドとアティリナを交互に見て、アティリナへと顔を向ける。
「ふむ……。では、メイルード伯爵令嬢から彼へ何か質問は? 先程から答えてばかりでは?」
花がアティリナの前にやって来てしまった。どうしよう、興味がない。むしろ早く終わって欲しい。困ってレオナールを見ると、彼は苦笑を浮かべてアティリナに見えるように「お手上げ」とジェスチャーをした。
アティリナは溜息を吐いた。ここまでのやり取りをずっと思い出し、そういえば、と、最初の方でレオナールが言っていた言葉に行き当たった。
「そうですね。では、私がセネヴィル男爵令嬢を害するとして、動機は何とお考えなのでしょうか?」
間髪を入れず、「嫉妬だろう!」「彼女が美しいからだろう!」と怒声が響いた。発言権の花はアティリナの前で、伯爵からの指名はまだ与えられていない。口々に怒鳴ったのはダヴィドではなくエステルの周りにいる男達だ。ルールに則って発言すべき場では不作法にも程がある。一方のダヴィドは不愉快とでも言うように眉間に皺を寄せ、アティリナではなく彼らを睨み付けた。どうやら、同じエステルを囲む集団でも、一枚岩ではないらしい。
侯爵は一瞬眉を顰めたが、あえて注意はしなかった。代わりに新しい花を花瓶から出させ、アティリナの元へ贈る。これはつまり、先程の発言は取り合わず、さらにそのまま反論せよということなのだろう。
「女心は複雑で、私にもわからない事は多々ございます。ただ、美しい方へ美しいと言う理由だけで嫉妬する方は、そう多くないのではないでしょうか。もしそう考えていらっしゃるのであれば、それは女性を単純に考え過ぎなのでは?」
聴衆からざわめきが漏れ始めた。女心と嫉妬は、小説でも歌劇でもあらゆる芸術において切っても切れない関係にある。
ここで、まさかの一般的な議題の提示だ。個人間の揉め事はともかく、この場は発言権さえあれば誰でも発言して良い。スウェイン伯爵は討論好きだ。討論は相手がいなければならない。つまり彼の友人にも討論好きが多くて当然なのである。
そこに人だかりから手が挙がった。伯爵の前へ進み出たのは髭をたくわえた中年男性で、アティリナは初対面である。酒を飲んでいるのか、足取りはやや覚束ない。レオナールが彼女に「クールベルム伯爵だ」と耳打ちする。あまり付き合いはないが、ラローシェ侯爵家と同じく議会では中立を取る家だ。
彼はやや芝居かかった動きで花を受け取り、聴衆へ向き直った。誰かを標的にするつもりはないらしく、さも演説を行うかのように歩きながら大声を張り上げる。
「神話の時代の古来より、女性と嫉妬は切っても切れない関係にあるとされております。例えば、若く美しい娘に嫉妬した継母が、その娘を毒殺するという童話は皆様ご存知の事でしょう。何も童話でなくともこの関係は正妻と愛人の関係に見て取れます。つい先日も何やら醜聞がございましたな? 私の口から詳細は申し上げませんが。さてそれでは私はここに申し上げたい。つまり、女性とは嫉妬を抱くものなのです。美と、若さに」
聴衆から太い喝采が上がった。見事な演説で、伯爵の独壇場である。一方で女性達は皆眉を顰めている。アティリナはどうしようかと内心頭を掻いた。これは自分が応じるべきなのだろうか。目を泳がせていると、手がより強い力で握り締められた。レオナールの穏やかな目がすぐ傍にある。
「よろしくて?」
今度は別の人物が中央へ進み出た。スッと手を挙げたのは、落ち着いた雰囲気の中年の女性である。ちょうどアティリナの母ぐらいの年代だろうか。
全員の目が女性へ集中する。彼女は隙のない上品さで微笑むと伯爵へ軽く会釈した。
「発言をお許し頂き感謝致します。さて嫉妬嫉妬と古来より男性はお好きでいらっしゃいますが、女にしてみれば娘も愛人も基本は同じでございます。それはつまり、年甲斐も立場も忘れ浮き立つ男性への鬱憤であり鉄槌であり躾です。極論を言えば、原因となった女性の容姿や性格など最早どうでも良いのです。何かにつけ根拠を女の嫉妬とし、自己を少しも省みない男性が浅はかであると言わずして何と言うのでしょう」
彼女が言い終わると女性側から大量の拍手が捧げられた。彼女は優雅に一礼して、再び人だかりへ戻って行く。すると、今度はあちこちで手が挙がり出した。女性も男性もない。会場中が活気に満ち溢れ、どの顔も楽しそうに輝いている。
アティリナは呆然と周囲を見渡した。傍らにいるレオナールは、可笑しそうに口元を手で覆っている。
スウェイン伯爵はぐるりと順々に会場中を眺めて行った。それから腰に手を当て、満足そうに息を吐き出す。
「なかなか興味深い討論になりそうだが、そろそろ止めないと男女に亀裂を生んでしまうな。発言頂いた方々へ拍手を。感謝申し上げる」
伯爵の言葉によって、この場に溢れんばかりの拍手が涌き上がった。アティリナもレオナールも心から拍手を捧げる。最初はただのトラブルだった筈なのにいつの間にか余興になってしまった。
「さて、では最後にセネヴィル男爵令嬢。何か言いたいことはないかね?」
アティリナはすっかりエステルの存在を忘れていた。恐らくその場にいた殆どの人間がそうだっただろう。全員の視線がエステルへ向かう、と同時に呆れたような息がそこかしこで漏れたのがわかる。なんと彼女はまだ床にべったりと座り、傍らの男性に腰を抱かれていた。さすがにこれだけ時間があったのだから、立ち上がるなり椅子を持ってこさせるなり治療を受けるなり、何か出来た筈である。
突然水を向けられたエステルは驚いたように「えっ、えっ」と周囲をキョロキョロと見回し、目を潤ませた。「どうして」だとか「酷い」だとか「なぜ助けて下さらないの?」だとか呟いて周囲の男性に助けを求めているが、さすがの彼らもどうにも出来ない。なぜなら伯爵は名指しでエステルの発言を求めているからだ。伯爵とただの貴族の子息令嬢とでは身分が違いすぎて、割り込むことは誰も出来ない。
エステルは遂に目から涙を零して泣き始めた。その姿はなんとも麗しく絵画のようである。だが、伯爵は己の発言を引っ込めるつもりがないらしく、エステルが泣こうがどうしようが冷静にその姿を見続けている。一見すると弱い者苛めのようだが、この理不尽が身分であり貴族社会なのだ。だから貴族は社交を重んじ、マナーを守るのである。
アティリナは不思議な気持ちでエステルを見ていた。「言いたい事はないか?」と聞かれているのだから、「何もございません」と言えばいいだけだろう。なぜそんな簡単な返事も出来ないのか。もし何も教わっていないのだとしたら、そもそも夜会へ出てはいけなかっただろう。そんな助言すらなかったのであれば、さすがにそれは可哀想だ。
だが、だからと言ってアティリナは助ける気にはなれない。エステルは女性達を全く信じていない、というかそもそも信じる気がない。そんな人と真っ当な友好関係を築こうとすることは酷く虚しいではないか。
やがて伯爵は溜息を吐き、使用人へ合図を送った。すると会場に楽しげな音楽が流れ始め、デザートを豪華に盛り付けたワゴンが続々とフロアの周りへ運び込まれる。会場中から感嘆の声が上がり、特に女性達の楽しげな囁きがその場を広がっていく。恐らく元々予定していた料理なのだろうが、急遽運び込ませたのだろう。
全員の目がデザートに釘づけになっている間に、伯爵はダヴィドへ手を払って見せた。それを受けた彼は素早く礼をし、すぐにエステルを抱き上げて会場の外へ連れ出しにかかる。
一方、フロアには瞬く間に華やかさと歓談が戻って来た。会場からエステル達の姿が消えたことに気付いた者はほとんどいなかった。