表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/11

6.夜会(1)

 スウェイン伯爵は二十代後半の快活な男性で、堅実に領地を経営している人物だが未婚で婚約者がいない。跡取りへご令嬢が殺到するこのご時世において、これは非常に珍しい。それはひとえに伯爵の討論好き、議論好きの性格のせいだ。やたらと弁が立ち、論理的で、しかも男女問わず細かい事にも討論を仕掛けてくる。つまり癖が強い性格で、女性にしてみると正直面倒くさいのである。


 そんなスウェイン伯爵の夜会は、レオナールが言っていた通り若い男女が多かった。開始の合図が終わるや否やダンスフロアは活発になり、抑えきれない談笑がそこかしこから聞こえてくる。


 アティリナ達は開始の直前ぐらいに到着し、フロアの周りをゆっくりと移動していた。いつもならこの時点でレオナールとは「解散」とばかりに別れてしまうのだが、今回はダヴィドがいるかもしれないので、まずはアティリナの友人を探してくれるのだと言う。


 フロアの周りを歩いていると、人混みの中に見覚えのなるブリュネットの髪が見えた。癖のある長い髪を編み上げて、今宵は計算尽くされた後れ毛がはらりと零れている。背中からうなじにかかるラインはまさに艶やかそのもの。こんなご令嬢は一人しか知らない。


「ごきげんよう」


 お互い向かい合って微笑み合ってから社交界仕様の挨拶を交わす。いつも学園で会っている友人でも、社交界に出ればマナーを守らなければならない。

 ミリアーナはサテン光沢のあるクリーム色のドレスを身に付けていた。フリルやレースを控え目にし、代わりに縫い付けられたラインストーンが照明を浴びて輝いている。ヴィルヌーヴ侯爵領は鉱山が豊富なのだ。ミリアーナの傍らでは、彼女の婚約者のセドリックがほっとしたように、と言うか妙にぐったりと息を吐いていた。


 彼の様子が気にはなったが特に何も聞かないまま双方挨拶を交わし、そのまま特に雑談を挟むこともなくレオナールとセドリックは2人とも挨拶回りへ向かった。背筋を伸ばしたまま自然な動きで人混みをスイスイ抜けていく。心なしか、2人とも足早である。あっという間に彼らの姿は人の間に消えた。


「アティ? あなた婚約者と少し仲良くなったのではなくて?」


 レオナール達の後ろ姿を見送った後、ミリアーナは悪戯っぽくアティリナに笑いかけた。


「まあ、そう見えますかしら? 嬉しいわ。実は話したいことが沢山できたのだけど……」


 アティリナは思わず緩んでしまった唇を閉じた扇で隠した。「後で話しましょう」という合図である。2人の場合は学園で、という事になる。


「今日はお2人ですの?」


 アティリナの目がちらりと会場へ走り、またすぐにミリアーナへ戻る。セドリックの婿入りは確実なのだが、何せ彼は貴族としては下っ端の下っ端である。いくら侯爵から代理を任されていたとしても、他の貴族としては接し難いことこの上ない。身分が高いのか低いのか扱いに困るのだ。そんな背景があって、昨年まではヴィルヌーヴ侯爵とセドリックの2人で挨拶回りをしていた筈だ。そうして何度か顔を合わせていけば、知人や友人の枠に入ることが出来る。


「今日は若い集まりですもの。それに、今までじっくり顔を売って来ましたから、もうそろそろ宜しいと思いましたの」


 年齢層が若ければ、その分厳しい目も少ない。当主代理や若年の当主にとって、経験を積むにはもってこいの場なのである。

 ミリアーナはそこで周囲にサッと視線を走らせた。何もないことを確認して、扇で口元を隠す。幾分、彼女の顔に緊張が走った。そして扇ごとアティリナの耳に顔を近付ける。


「先程、ルセル子爵令息を見ましたの。見た、と言うより偶然顔を合せたのですけれど。突然睨まれましたわ」


 アティリナはぎょっとしたようにミリアーナを見返し、目を何度も瞬かせた。見つめてくる青色の瞳には少し困惑が見て取れた。


「驚いたのが悪かったのかしら? セネヴィル男爵令嬢もご一緒で、しかも彼女の周りを複数の男性が囲んでいるんですもの。唖然としてしまって」

「それは怖ろしい思いをなさったのね。睨まれた他は何もございませんでした?」


 誰だって出会い頭で睨まれれば怖いだろう。アティリナは最近挨拶のように睨まれているので割と麻痺して来たが、最初の頃はやはり怖かったように思う。

 ミリアーナは視線を会場内へ投げた。それからふと微笑みが漏れる。


「セドリックがすぐにその場を離れてくれましたから。でも、そう。だから今日アティと早々に合流出来て良かったわ。一人の時には遭遇したくないし、あなたと会わせたくないもの」


 合流した時にセドリックがほっとしたような顔をしていたのは、そういう理由だったらしい。

 それにしても、学園内と全く変わらない状態で社交の場に乗り込んで来ると言うのは、さすがにまずいだろう。一応、社交界では「社交界の花」と呼ばれる女性が何人かいて、女性一人の周りを男性が複数ぐるっと囲む状況になることはある。しかしそれは、例えば会話が楽しいだとか、趣向を凝らした素晴らしいサロンや夜会を開くだとか、流行を作り出すだとか、そういう魅力的な人物の周りに自然に人が集まってしまう結果でしかない。「社交界の花」とは、外見の美しさだけでなれるものではないのだ。

 だから、極論を言えば集団を作る事自体はマナー違反ではない。だが、社交界の花でも何でもない、ただ見目の良い女性1人を取り囲むように複数の男性がいたのでは、その女性の評判がとてつもなく悪くなってしまう。


「でも、そんなに人を睨んでいたら、夜会を楽しめないかもしれませんわ。何だか損ね」

「ええ……。双方にとって不幸な事だわ。このまま何事もなく終われれば良いのだけれど」


 ミリアーナは物憂げに溜息を吐いた。その姿に何人かの視線が集中する。そう言えば、ここは今婚活真っ最中の会場だった。この場に婚約者という盾がいないのは、ミリアーナ的にはまずいのではないだろうか?


 そんな事を考えていたら、ミリアーナが何人かの男性にダンスに誘われ始めた。勿論、彼女はにこやかに断る。男性達が名乗るのを彼女の横で聞きながら、アティリナは頭の中で「危険人物リスト」と照合をかけて行った。中には実際にリストに載っている人物もいて、「こういう顔なのか」と思うとリストが完成したような気がして小さな感動がある。

 ちなみに、アティリナへ声をかける男性はいない。恐らく、ミリアーナの横にいるせいで目立たないのだろう。もっとも、婚約者の横にいても全く目立たないのだが。


 その代わり、美女とそのお友達がやって来てはアティリナに嫌味や皮肉を言っていく。美女達は皆レオナール狙いのご令嬢だ。勿論、毎シーズンどこかの会場で会う顔馴染みで、これは最早挨拶である。逆に、何もなかったら体調不良かと心配したくなるぐらいの、ある意味「仲良し」な間柄と言える。

 ただ、本日は撃退が楽だった。大抵はファッションをチェックしての揚げ足取りなのだが、今日のドレスはレオナールからの贈り物である。よって、彼女達もドレス自体への文句は言いにくいらしい。


「アティったら、本当にお上手ね。私、少しは援護しようと思っていたのだけれど」


 何人目かの美女にお帰り頂いたところで、ミリアーナが感心したように息を吐いた。先程からアティリナは1人で全員に対しており助ける隙もない。


「お気遣いありがとう、ミリィ。彼女達のあれは挨拶ですもの。皆様お元気で嬉しいわ」


 アティリナはのんびりと微笑んだ。同時に、馬車の中でのレオナールの言葉を思い出す。今までの婚約者は要求がだんだんと高くなっていったということだが、もしかしたら彼女達も今のアティリナ同様、美女達の口撃を受けていたのかもしれない。あちらは美女なのだから、きっと劣等感も刺激されたことだろう。そして、特に政略でもない私的な婚約だったと言うから、頼るべきはレオナールの心しかなった筈だ。

 きっと、不安だったのだろう。


 そんな具合でミリアーナと2人でやって来る男女をやり過ごしていると、気付けばあっという間に時間が経ち、挨拶回りを終えてレオナールとセドリックが戻って来た。彼らはいつもより急ぎ気味で回って来たらしい。


「お待たせしました」


 見本のような貴公子はミリアーナ達へ優雅に会釈すると、彼女の手を取った。アティリナとミリアーナは視線を合わせ、ミリアーナが意味あり気ににこりと笑い返す。アティリナはミリアーナ達へ会釈すると、レオナールに伴われて歩き出した。一応、学園内の噂では、レオナールは例の集団から抜けたと言われている。


「早速ですが、1曲お相手頂けますか?」


 向かう先はダンスフロアだ。聞くまでもない。

 アティリナはなるべく上品に微笑んだ。これが今日のファーストダンスである。


「喜んで」


 2人は混み気味のダンスフロアに出た。今はワルツの時間帯だ。ワルツは皆が同じ方向へ流れていくのでそこまで変なぶつかり方はしないが、男性のリードの腕前が試される曲目でもある。

 ゆったりとした曲が流れ始めた。元々、レオナールはダンスが上手い。この顔に頭脳にダンスも上手いとは、神はどこまでモテる要素を彼に詰め込めば気が済むのだろう。もっとも、そのおかげで本人は女性不信気味なのだが。


 レオナールは人の混む一帯を優雅に抜けていく。リードは正確かつ的確で踊りやすいことこの上ない。アティリナのダンスの腕は普通そのものだが、男性が上手いと上手く見えるのだ。

 それにしても、今日は楽しい。非常に楽しい。一応、人前では教本的に振る舞わないといけないので微笑んでいるだけだが、義務と緊張で雁字搦めだった昨年までと比べると雲泥の差である。その楽しさが伝わったのか、アティリナを見つめるレオナールの眼差しも柔らかだ。


 2人とも純粋にダンスを楽しんでいた。ダンスの間は会話を楽しむものだが、2人は何も言わずに微笑み合ったまま軽やかにフロアを進んでいく。いわゆる「2人の世界に入り込んでいる状態」と言っても過言ではない。人の多いダンスフロアなので目立ちはしないが、見た者は皆「幸せそうなカップル」と思うことだろう。


 そうしている間に曲が終わり、フロアの人員が入れ替わりの為に動き始めた。しかし、レオナールは動く様子がない。アティリナが見上げると、レオナールは「もう1曲」と口だけを動かした。先程の穏やかな表情とは微妙に異なり、心なしかその顔に緊張が見られる。


「先程ルセル殿の姿が見えました。壁際のソファに例の女性と集団でいますね」

「まあ……」


 潜められた声に、アティリナは言葉が続かなかった。ミリアーナが言っていた通り、やはり今日の夜会に来ていたのだ。幸い、今彼らは踊っていないらしいので、ダンス中に鉢合わせすることはなさそうである。これだけフロアが混んでいるのだから、いかにレオナールが上手いとは言え、ぶつかってしまう可能性はある。こちらは単にぶつかっただけだとしても、あちらには悪意があると解釈されそうな気がする。さすがにそんな事になるのは避けたい。


 音楽が流れ始める。先程と同様、ゆったりとしたワルツだ。


「正直、あまり絡まれたくないですね。こういう事は言うべきではないのですが」


 レオナールは溜息混じりに呟いた。全くもってアティリナも同意である。図書館で突撃されて以来、アティリナが1人にならないよう気を付けているのもあって直接絡まれてはいない。だが、例えばすれ違う時だとか、遠目に姿が見えてしまった時だとか、気付けば睨まれている。慣れたとは言え、やはり嫌な気分にはなるものだ。せっかくの楽しい夜会で、そんな人々に近付きたいとは思わない。


「でも、ダンスフロアにいれば見つかるのではなくて?」


 アティリナもそれとなく壁際を探してみるが、集団の姿は見つけられない。恐らくレオナールは簡単に目が合わないような位置で踊るつもりなのだろう。だがフロアは中央で、会場のどこからでも踊る姿を確認出来る。ダンスをしていたのでは見つかるのも時間の問題だ。


「それはそうですが、彼らのせいで夜会を楽しめないのは我慢ならない」


 憮然とした顔でレオナールが言い放った。意外と子供っぽいと言うか強気と言うか。これもまた新しい一面である。アティリナは思わず吹き出してしまった。勿論、すぐに淑女らしい微笑みに戻すが、口元だけはなかなか戻ってくれない。その彼女の様子にレオナールは軽く眉間を寄せた。目が「笑い過ぎ」と言っている。


 そこで彼女はふと「そういえば」と何かを思い出した。そして眉を寄せている己の婚約者を改めて見上げる。


「失礼しました。でも、レオナール様は宜しいの? セネヴィル男爵令嬢をお誘いしたいのではなくて?」


 レオナールは邪気のない目を向けてくる婚約者へ、社交の力を総動員して微笑を貼り付けた。そういえば婚約解消しないと告げた理由だとか背景だとか諸々の説明をしていないし、エステルとの関係についても何も説明をしていない。だからアティリナの「レオナールはエステルに恋をしている」というそもそもの誤解は生きたままである。


「誘いたいとは全く思いませんね。それについての誤解は、後日詳しく説明させて頂きます」


 むしろ、説明ではなく説得だろう。とにかく夜会でする話ではない。アティリナは婚約者の迫力ある表情にやや圧されながらも、返事を聞いてふわりと笑った。ほっとしたのだ。


 じきに曲が終わり、今度こそレオナールはダンスフロアから離れた。エステル達からは完全に死角になる位置である。入れ替わりでミリアーナ達がダンスフロアへ入る姿が見えた。フロアはまだ混んでいる。


 壁際まで下がると、レオナールは使用人からグラスを受け取って片方をアティリナへ差し出した。どちらもうっすら琥珀がかった透明色で、穏やかな発泡が照明に照らされて光っている。


「少し休憩しましょう。シードルは大丈夫ですか?」

「ええ、少しなら」


 2人は静かに乾杯をした。シードルは林檎を原料にした果実酒で、アルコール度の低いものが多く出回っており、女性にも人気が高い。


 グラスを傾けながら、アティリナはほうっと息を吐いた。あとは帰る前に夜会の主催者へ挨拶をすれば良いだけだ。本来ならもう少し早く挨拶をしに行くところなのだが、何せスウェイン伯爵は話し好きだ。1人1人としっかり会話しているわけではないが、何人かは彼に捕まって長話になってしまう。そんなわけで、タイミングを見計らって挨拶へ行かなければならない。


 休憩するアティリナ達の前では、穏やかな調子で夜会が流れていく。とても騒ぎなど起きそうにない。彼女は会場の様子をのんびりと眺めた。彼女の視線を追うように、レオナールも会場を見渡す。


「ああ、あの花か」


 レオナールはそう呟くと、グラスを持ったままアティリナを壁際へ連れて行った。会場はダンスフロアを取り囲むように休憩用の椅子や食事の置かれたテーブルが並べられているが、壁には等間隔に花瓶や花の鉢が飾られている。しかも説明文付きだ。

 レオナールはその中の1つの前にアティリナを連れ出した。それは鉢植えの1本の花だった。猫脚のコンソールテーブルの上にたった一鉢、鎮座させられている。


「まあ、なんとも形容し難い花ですわね。動物みたい」


 3枚の花弁が上と左右に開き、下には袋のような唇のような形の花弁が膨らんでいる。まるで蛙の口のような、こういう嘴の水鳥がいたような、放っておくと喋り出しそうな、見る者を不思議な気持ちにさせる花だ。花の色は黒にも見える渋い紫色で、こんな妙な形なのに貴婦人の高貴さすら纏って見える。


「パフィオペディルムと言って、ランの一種ですよ。スウェイン伯爵は愛好家で、特にこの種類の品種改良に力を入れているんです」

「よくご存知ですね。レオナール様も花がお好きですの?」


 レオナールは微笑んで静かに首を振った。


「愛好したいとまでは思いませんね。花の愛好家からは、よく新品種の記念ワインを作りたいと話があるんですよ。そのおかげでどうしても詳しくはなります」

「まあ、それはとても素敵ですわ。レオナール様がワインをお考えになるの?」

「いいえ。私はワイン樽の空きと職人の調整が主な仕事ですね。あとは依頼主をブドウ畑へ連れて行ったりだとか。地味なものです」


 そう言ってレオナールはじっとラン見つめた。その横顔はどこか誇らし気で楽しそうだ。

 その時、ふいに会場中にざわめきが満ちた。今まで何事もなく流れていたのだから、どう考えても異常事態である。楽団の音楽は流れたままだが、ダンスフロアからは動きが消えていた。アティリナ達の周囲の人々も何事かと顔を見合わせ始める。

切るところが難しかったので、変なところで切れています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ