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エピローグ

 学園のホールに置かれたテーブルで、アティリナはのんびりと紅茶を楽しんでいた。開け放たれた窓の向こうにはテラス席が広がり、いつもは女性達の柔らかな声が流れて来るのだが、今は時間帯が異なるので静かなものである。


「お待たせして申し訳ございません。講義は終わった筈なんですが」


 テーブルの横に立ち、赤毛の従者がアティリナに折り目正しく頭を下げた。彼はレオナールの従者のマリウスでいつもは学園へは来ないのだが、今日アティリナはレオナールとこの後出掛ける予定があり、それに付き従う為に来たのである。


 例のスウェイン伯爵の夜会からかれこれ半年経ち、季節は秋の終わりである。あの後、スウェイン伯爵からは丁寧なお礼があった。表向きお礼だが、本来の意味は謝罪だろう。騒ぎを収める為とは言え、強制的に見世物のようにしてしまった感は否めないからだ。また、ルセル子爵家からも丁寧な謝罪が来た。もっとも、セネヴィル男爵家からは何もないのだが。


 しかしあの夜会の後アティリナの悪い噂が流れることはなく、さらに他の夜会で声を掛けられたり、お茶会に誘われたりすることが増えた。さらに驚いたことに、最後に演説をした男性はクールベルム伯爵、そして応じた女性はクールベルム伯爵夫人で、つまり「女性と嫉妬」について語ったのは夫婦だったのである。クールベルム伯爵夫人はイヴェットの母のリシュリュー伯爵夫人の友人で、観劇や詩の暗唱が趣味なのだとか。通りで弁が立つわけだ。


 クールベルム伯爵夫人から後日アティリナやミリアーナの様子を聞かされたイヴェットは、「2人とも格好いいですわ」と呟き、何か感銘を受けたらしい。そしてそれまで弱々しい様子でやんわり断っていたダンスや手紙を、翌日からバタバタと薙ぎ倒し始めた。愛らしい外見に反する逞しい姿に、今度は熱烈に求愛する者が日に日に増えていき、彼女への求婚は今も増え続けていると言う。


 一方、ダヴィドはあの後すぐに学園を退学してしまった。どうやら隣国へ留学させられることが決まったらしい。ルセル子爵家は本格的にエステルから引き剥がすことにしたのだろう。

 ダヴィドがいなくなっても、エステルは何も変わらない。夜会の後に彼女の元を去った男性は数人いるが、1人減れば新しく1人どこからか補充されるようで、半年前と今とでは集団の顔ぶれがガラリと変わっている。


 あの後、エステルへ夜会の招待状が続々と届き、色々な夜会に顔を出していたらしい。貴族とは退屈に飽いている。スウェイン伯爵の夜会の話を聞いた者が、「どんな令嬢なのか」と試しに招くのだ。だが、そういった類の招待は正直性格の良いものではないし、その後も続くものではない。これから彼女がどうするつもりなのか、どうなっていくのか――。彼女については、もう学園内の誰も何も言わなくなってしまった。


 一応、一時期はアティリナへも性質の悪い招待状は届いていた。しかし、付き合いのない家や、良い話を聞かない人物からの招待は行かないことにしているので、いつの間にかその手の誘いはなくなって行った。


「アティリナ様は学園を終了されたらどうなさるんですか? 世のご令嬢方は長い旅行へ行くようですが」


 紅茶が半分以下に減ったのを見計らってマリウスが口を開いた。アティリナは微笑んでテラスから流れて来る風に耳を澄ませた。アティリナは今受けている講義が終われば学園を終了する。学園に入る時期は皆バラバラなので、出る時期も人それぞれだ。特に女性は受けたい講義がなくなれば個人の判断で終える場合が殆どである。イヴェットとミリアーナはまだ受けたい講義があるらしく、終了するのはアティリナだけだ。


「旅行も宜しいですわね。でも、私は領地へ戻るつもりですわ。今年の春は仔馬がたくさん産まれたらしいの。仔馬はご覧になったことがあって?」


 大人になっても小柄な馬達だ。仔馬はもっと小さくて可愛いのである。


「仔馬はないですね。ところで、領地へお帰りになる事をうちの主はご存知なのでしょうか?」

「さあ? 言ったことはないと思うけれど」


 のほほんと微笑むご令嬢を、マリウスは笑顔で受け止めた。以前より改善したとは言え、やはり主は女性に対してだけは対応がまずいらしい。


「ああ、そうだ。帰ったら美味しいチーズを届けさせますわね。領外へ売り出してはいないけれど、良いものが沢山あるの」


 まったくもって楽しそうだ。しばらくレオナールに会えなくなるだとか、そんな悲壮感は欠片もない。

 例の夜会から半年経つ。半年経つが相変わらず謎の距離感である。2人は手紙のやり取りをしたり、たまにお茶を楽しんだりはしているのだが、なにせレオナールが多忙だ。彼は彼で学位取得の為に論文を書いている最中で、元々やっている侯爵の補佐も重なり、2人で出掛けたりする暇もない。

 マリウスはつくづく婚約者がアティリナで良かったと思う。他のご令嬢だったらこの状況に不満を持ったり、不必要に悲しんだりしてしまいそうだ。


「お待たせしました」


 ホールの向こうからレオナールが足早にやって来た。分厚い本を脇に抱え、顔には微笑を浮かべている。しかしマリウスには主の息が少し上がっているのがわかるし、いつもより微笑が無理矢理に見える。相当急いで来たのだろう。元々顔が良いのだから、別に格好付ける必要もないと思うのだが。


 レオナールはアティリナの横に立つと、席に着くことなく腕を差し出した。アティリナはおっとりと微笑んで手にしていたカップを置いた。


「お疲れ様でございます。少しお休みにならなくても宜しいの?」

「馬車に乗るでしょう? それで十分です」


 アティリナは差し出された腕に手を置いた。同時に思わず笑いが零れる。昔は学園内で待ち合わせをするなんて考えもしなかった。きっかけはエステルやダヴィドだったと思うが、結局何が良くて何が悪かったのか、終わってみないとわからないものだ。


「楽しそうですね」


 レオナールの灰色の目と行き合う。色味のない筈の目が妙に温かい。


「はい。学園で待ち合わせをして外出なんて初めてですもの。少しドキドキしてしまいましたわ」

「どうも責められている気分になるな……」

「まあ、考え過ぎですわ。きっと疲れていらっしゃるのよ」


 レオナールが苦笑する。それでも足取りは軽く、気分は晴れやかだ。今日の外出は何か目的があるわけではない。単にお互いの都合がついて、提案をアティリナが喜んでくれたからだ。


 彼らの前をマリウスが足早に進んで行く。この先には馬車が停まっている筈だ。秋の緩やかな風がアティリナの柔らかな髪を撫でて行った。

最後は目に優しい分量になりました。お読み頂きありがとうございました。

投稿のラストに人物紹介を入れておきます。

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