一章 1
「はぁッ、はっ。はぁ……!」
既に夜の帳が落ちきり、世の少年少女たちは夢の中にいる時間。
深くフードを被った大柄の男は息を荒げながら薄気味悪い路地裏を苛立ち交じりに急ぐ。
経路を妨げる様に並べてあった空の一斗缶たちを邪魔だと言わんばかりに押し倒すと当然、それらは派手な音をたてて崩れていく。
静寂に包まれる闇の中それが背後から迫る刺客に位置を知らせてしまうことは男は百も承知。理解しているが本能が体を動かしている。
『逃げろ』と。
「クソったれが! あんなの都市伝説とかじゃなかったのかよ!? ふざけんじゃねぇ!!」
恐怖からか愚痴を喚き散らす男はなおも駆けるがそれもここまで。
角を曲がった男の目に映ったのはコンクリートの無骨な壁。なんとか街灯の明かりが届いているような仄暗い空間が目の前にはあった。
「行き止まり……だぁ?」
「――ま、そういうことだ。観念してお縄についとけ」
大男が発した絶望を孕んだその声は闇に溶ける。その闇から呼応するような、姿の見えない後方からの声に恐る恐る振り返る。
スタスタ、と。男と打って変わって余裕のある足取りで現れたのは一人の自分よりも一回りは小さい少年。
「ったく。人を都市伝説だとかそんな眉唾モンと一緒にすんなよ」
そう吐き捨てて少年はゆっくりと男との距離を縮め、男は同じだけ後ずさっていく。
その繰り返しは永遠になど続くわけもなく、いつの間にか大きな背中に触れていた冷えたコンクリートの
感触が男にもう後がないことを告げる。
「ッチ! ハァ……! クソっ!」
「まぁまぁ。今からでも大人しく捕まるってんなら俺は何も危害を加えるつもりはないから。とりあえず一回落ち着こうぜ? 深呼吸とかしようか」
「くそッ、どうする? こんなガキなんかに……!」
「……って、聞く気ないか」
少年のなだめる様な声は追い詰められ軽度に錯乱した男の元には届かない。
男は一瞬ピタリと言葉も動きも止まったかと思えば次の瞬間、鬱陶し気に被っていたフードをやけくそに払いのけると頭から歪な形状の角が一本覗かせた。
頭部の前部分から頭の形に沿うように後方へと伸びるそれは一つの事実を明らかになる。
「やっぱり『第二人類』だったか」
その言葉を聞くや否や大柄なその男は舌打ちを零す。
男の頭部から生えるその角は少年の立場から言えば敵であることの証明に他ならなかった。自分たち『人類』との外見的な違いはそれだけ、だがそのあるなしで相手が不倶戴天の敵であるかが決まってしまう。
「難儀な世の中」だとか心の中で思うことしか少年にはできない。相手が何をしていたのかは知らないが『第二人類』は捕らえる。それが少年の仕事。
「……最近アンタら、『第二人類』の侵入が多いんだが、何か知ってたりする……?」
「……………………」
「口は割らない、か。……まぁ、そういうのは俺の管轄外だから別にいいか」
いつの間にか落ち着いたのか大柄の男は問いかけに答えない。
あまり騒がれても困るので好都合、とか思ったのがフラグだったのだろうか? 男はフッと息を吐き出したかと思えばギラリとした目で少年を睨みつけた。
隅に纏められていた鉄パイプの群れがカタカタと震え始めたのはそれとほぼ同時だった。
もちろん風や地震なんかで動いているわけではない。
ふと男を見ると肩口まで伸びている髪の毛先が重力に逆らうように天へ向いている。そう、あの心霊現象のようなものは男によって引き起こされているのだ。
鉄が身を擦り合う音は次第に大きくなっていきそしてゆらり、と男の周囲に纏うように浮かび上がったそれらは一斉にその先端を少年へと向ける。
「俺がこんなガキに捕まるなんてありえねぇ……! ふざけんな、ふざけるんじゃねェ!!」
男の怒号が夜の静寂に響き渡る。そしてその怒りの咆哮は号令だったのだろう、浮かぶ鉄パイプは一本、二本と少年へ向けて次々と射出。
しかし、襲い来るその鉄の槍は悲しいかな少年には当たらない。児戯に付き合うかのような気怠さをもってスルスルと合間を縫っていくようにそれらの猛攻を避ける。
後方の壁で打ち止めになる鉄パイプたちは乾いた音を立てコンクリートの壁に空しくも撃墜されていく。立て続けに放たれるパイプ群もやはり同じように少年の身を掠りもせずに通り過ぎていくだけだった。
「さっき見せてもらったからもうお前の力は把握した。最初は『動かす』とか『浮かす』か何かと思ったけど違う、両方だ。大方『念力』とかそんな類の要因だろ」
「ぅぐ」
図星なのか、自分の攻撃が全くもって見切られているからか。はたまたその両方か。詳しくは知る由もないが歯ぎしりし恨めしそうなその表情から彼の心情は明らかだ。
念力なんて便利な力、渇望する者は多いだろう。
それくらい今の世界にはもっと使えない要因で溢れている。
目の前にいる『第二人類』から真似る様にして人類が手にした要因たちが。
「強い力にあぐらをかいたな。能力持ちの戦いはまず情報戦だ、相手に手の内が知れた時点でそれは半減するぞ」
慢心と言うよりは当然の対応だったのだろう。
鉄パイプを浮かせる量にその動きの速さから見ても相当の手練れ、なおかつ相手は自分よりも一回り以上小さいガキである。
自分が強者であると理解しているからこその真っ当な驕りと少年の持つ要因を目の当たりにして生じた恐怖。
それらが入り混じったのか焦り、勝負を急いだのだろうがそれが間違い。
「念力だなんて応用効いていい力、しかもこれ持ち上げられる総重量もそれなりだろ、どうしてこんな道を踏み外しちまうかね」
「クソが……。なんだって俺が……」
「まぁ、そういうのは後で上の人間に聞いてくれ……。俺はただ、仕事なんでね」
若干のなだめる声音で告げた少年が手錠を出し男に歩を進めたとき、少年の目に映ったのは不愉快なほど愉悦に歪んだ男の表情だった。
不可解なその笑みの理由を少年はすぐに知ることになる。
後方の暗闇。微かに震えるような音が少年の鼓膜に届いた時にはもう遅い。
振り向いた少年の目に映ったのはロケット花火のように自分に向かってくる鉄パイプの姿だった。
先ほど避けて地に落ちたはずの鉄パイプのうちの数本が再び襲い掛かってくる。
回避は不可能。そもそも先ほどまで避けれていたのは飛んでくるスタート地点が丸分かりでなおかつ動きが直線的だったからであり、そうでなければこの明かりなどお情け程度にしかない空間での回避行動など流石に無理である。虚を突かれたのならばなおさらだ。
「あひゃひゃッ!! あぐらかいてたのはどっちの方だって話だ馬鹿が! 調子に乗りやがって!」
溜まりに溜まったフラストレーションを発散するように罵声を重ねていく。
放たれた鉄パイプは無惨にも少年の頭を貫通。左胸、心臓のあたりにも一本痛々しく突き刺さったままである。ぼやけた光も相まってそれは奇怪なオブジェのように、頭部の前と後ろの両方からも鉄の角を生やした少年の腕は力なくだらり、と垂れる。
「なぁにが情報戦だ! こっちもテメェの能力は見てるんだよ! 回復系かもしれねぇが……こうしてド頭と心臓ぶち抜いちまえば関係ねぇ! 回復する前にジ・エンドだろ!!」
勝利の雄たけびさながらに男は、大音量で引き続き罵声を少年の死体へと浴びせる。
うなだれる様になっていた少年の頭部からずるり、と鉄の角がが重力に任せて余韻を残すように抜けていく。アスファルトに落ちたその鉄塊は鈍い音を立ててその身に付着した赤を地面にまき散らした。
塞ぐものが無くなった鮮血は決壊したダム、とまではいかないがどくどくと流れ出てパイプが作った飛沫を埋め尽くす。
そして罵声の声に重なるように、
「――ジ・エンドだったらよかったんだけどなぁ」
とその声は嫌に鮮明に、この薄暗い裏路地の空間に落とされた。
「は? なんだ、よ。それ……」
「……情報不足だったな。悪いがお前の予想はハズレだ」
眉間が虫でも這っているかのように蠢いて、ぽっかりと風穴の空いた少年の脳天は紙をくしゃくしゃに纏めるように肉が収縮しあっと言う間に塞がってしまう。
貫いたというよりは抉り取られたといった方が的確だろう。そんな目を背けたくもなるような傷は最早治ったというよりも戻った。
綺麗サッパリ、傷跡など微塵も感じさせずに少年の頭部は治癒される。
「確かに俺の方にも慢心があったわけか……」
目の前の男の力は念力なのだと看破したにも関わらずこの体たらく。
動かすや飛ばすだけの一芸だけではない力だ、落ちたからといってその能力が解除される道理もないだろう。
何事もなかったかのように、腹部に突き刺さる鉄パイプをそのまま携えて男の方へと振り返る。
「あ、ああ。……化け物が……」
まさに口から零れるといった風に男の口から出た言葉からは先ほどまでの狂気で塗り固めた余裕がどこにもない。その目からも戦意と呼べるものは消え失せていた。
今の世の中、くだらない要因で溢れている。
数十年前まではお伽噺や小説の中だけだった超能力は現世に確かに表れて、手から火を噴く者もいれば、空を自由に飛ぶ者だっている。
目の前にいる角の生えた人間、『第二人類』に敗北した我らが人類は彼らに対抗すべくその要因を得た。
それはこの少年・霧坂弘にも呪いのように与えられているわけで。
「……悪いな」と。呟いた言葉に謝罪の意はない。しいて言うなら自己紹介のような簡単なモノのように告げる。
男が驚くのは当たり前のことだろう。
生まれもってこの力と共に歩んできた霧坂にとってこんな傷如き今更なんでもない。
脳天を撃ち抜かれようが、心臓を握り潰されようが、全身がミンチになろうとも。
たとえ地獄の業火にその身を焦がしたとしても、霧坂弘という少年は、
「生憎、死ななくてね」
死にはしないのだ。