第86話 裏事情
大会議室から国王、宰相、体格の良い男性、細身の人が残り、後は私達の家族だけになったところで母がくたりと崩れる。
「まま!!」
叫んで近寄ると、ぎゅっと力強く荒々しく抱かれる。いつもの優しい抱擁ではなく、あの時の、命を落としかけた時のような力強い抱擁。
「ティーダ……。私達のティーダ……。あぁ、良かった……。無茶はしたら駄目って……言ったのに……無事で……本当に……」
嗚咽しながら抱きしめてくれる母にそっと手を伸ばして、背中をぽんぽんと叩く。温もりが伝わってくるにつれて、体が安心して、心が綻ぶ。
ふわっと人の気配を感じて振り返ると、苦笑を浮かべた父が立っていた。
ぺちり。
頬をはたくというよりも、撫でるように叩かれた後に、そっと頭を抱きしめられる。あぁ、打擲されるのは生まれて初めてだ。
「ティーダ……。無茶は駄目だと言ったよね?」
「ごめんなさい……」
諭すような父の声音には万感の思いが詰まっていた。その言葉を聞いた瞬間、心が緩んでいた反動か、体がギャン泣きを始める。母と私の泣き声が木霊する中、ひょいっと浮遊感を感じる。
「ほほ。こういう姿を見るとほんに子供よの。よい、よい。溜め込んでも仕方なき事。此度は苦労をかけたな、許せ」
国王に抱かれて、そのまま皆で部屋を移動する。精緻な絨毯が壁にも床にも敷き詰められた中に、パンパンに綿が詰まったクッションがこれも鮮やかな刺繍が施されそこら中に転がっている。何というか、リラックスルームのような部屋に入ると、すっと扉が閉じられる。
「此度の件は私の落ち度です。監督が不行き届きでした」
皆がそれぞれの場所に腰掛けると、父が開口一番謝罪を告げる。
私は慌てて父に非が無い事を説明しようとしたが、父に遮られる。
「まぁ待ちなさい。事情は説明する」
父の言うところによると、私が眠った後で国王を交えて会議をしていたようだ。と言う事は今日の朝の件はお芝居だったと。
で、その場において今回の鰻可食化の功績を母の名目で賞し、その褒美として祖父母の自由な帰還を認めようというのが趣旨だったらしい。
そこまで聞いた段階で、頬に血が集まってくる。そりゃそうだ。会社でも賞罰なんて会議室で事前に決まっていた。組織の歯車なんてどこかでくるくる回っている。私がそこに気付かなかっただけだ。そう考えた瞬間、よろりと崩れ真っ赤に染まった顔を隠して悶絶する。
「ふぉぉ、はずかしい……。ぱぱもおしえてほしいの!! ひどいの!!」
「無茶はしないと約束したしね。まさかあんな場で行動に出るとは思わないよ」
父の言葉にカカカと笑い声が響く。
「流石はディーの子よ。あの気合と機を見る才は良い。うんむ、良い兵になろう」
体格の良い男の声が部屋の中でびりびりと響く。
「ダーダー様」
「よい、ディーよ。レフェショヴェーダなれば同位。昔の尊称は忘れよ」
「では……ダーダー……軍務」
「カカカ、まぁ、慣れるまではそれで良い」
男臭い会話を繰り広げると、ダーダーが近寄ってきてそっと抱き上げてくれる。
「泣くな、男。お主は誇れば良い」
目を丸くしてダーダーを見つめると、何とも良い笑顔で見つめてくるので、にぃっと笑ってみる。
「カカカ!! 良い笑顔だ。童はこうでなくてはな。すまんな、役目とは言え、脅かした」
「そうです。今回の功労はティーダでしょうから」
線の細い人が口を開くが何とも違和感を感じる。ずっと思っていたけど、この人女性じゃないのかな。
「エウェーシュ様」
「ほら、ディー。昔に戻っています」
「……エウェーシュ財務」
「はい。結局ヴェーチィー殿下の件は話がまとまらなかったのですから」
エウェーシュの言葉に一同が頷く。
「ヴェーチィーも不憫な子よ……」
国王が静かに事の顛末を語り始める。要は王権神授は統制上良いのだが、ちょっと行き過ぎて王権が強くなりすぎているのが現状らしい。王はそれで良いにしても、分別の付かない王族にまでそれを当てはめるので、色々と問題になっている。要は教育係も従者も慮るか忖度ばかりで、躾が上手く回っていないようだ。
「セーファのような自由な者も生まれるが、やはり個人の才よな」
で、王族の力を利用する目的で色々蠢動するまでになっているのが現実らしい。色々上層部も悩んでいたが、一罰百戒の意味も込めてヴェーチィーを王族から外し、諸勢力に牽制をかけるかと言うところまで来ていた。
「ただのぉ、従者も教育係も小物だが、小物ゆえに中々しっぽは出さぬ」
色々ヴェーチィーに吹き込んで操っているようだけど、確定的証拠を出さないまま、下手をすればヴェーチィーごと処断という可能性も出てきた。
「そこに先程のティーダよ。あれが子供の戯言であれば、芝居で誤魔化したがの」
「理路が通っておりましたので。あれならば、レフェショ、レフェショヴェーダも納得いきましょう」
宰相の言葉に、大きく国王が頷く。
「環境の所為で我儘に見えるが、ヴェーチィーも一人の女子。どうか、支えてやってくれんか?」
国王が真っ直ぐに私の瞳を、そして両隣の父と母を見る。
「御意に」
両親が平伏し、私もこくんと頷きを返し、平伏する。
「うむ。才あり功を成した忠臣であっても、嫉妬の目からは逃れられぬ。大儀ではあるが、ヴェーチィーを頼む」
その言葉に、すとんと腑に落ちる。幾ら父が有能であっても、世が世なら大臣と言っても良いような人間と親しく話し合える地位に上り詰めているというのは中々異例なのだろう。誼があるというだけでは守り切れない。だからこそ、苛烈と思うような対応をしなければならない。だけど、その負い目があるから、功を成した場合には引き上げると。
ふわぁ、どこの世の中でも、権力というものは魔窟だなと、杖家の日本を思い返し、ふへぇと溜息を吐く。
「ティンにも苦労をかける。確執はあらんや?」
「はい。ディーへの干渉が無いのであれば、我が子と思い、愛します」
母の言葉に意外を感じながらも、その優しい表情にはっと思い当たる。母が気にしていたのは、父に関しての事と、祖父母に関しての事だけだった。それ以外でヴェーチィーに関して悪く言っている部分は無かった。嫌っているというより、自分を、家族を守るために気を張っていただけなのだと、いまさらに気付く。
あぁ、この姿になってから、思考も幼くなっているようだ。父も母も徹頭徹尾家族の安寧の為だけに生きている。そして……。
「ティーダ……」
そっと両親が頭を撫でてくれる。私の事だけを思ってくれている。
「へいか。もくてきはかこいこみですか?」
だからこそ、両親の自由の翼はもぎたくない。
私の言葉に、一瞬目を丸くした国王は呵々と大笑し始める。
「ほんに二つか。ふむ、ディーの去就に関しては自由にすれば良い。人生の一番楽しき時期を王家に充ててくれたのだ。その献身忘れる事は無い。おぉ、そうか」
国王がその顔ににやっと笑みを浮かべる。
「ティーダの嫁と考えておるか? はは、安心せよ。何のために子として向かわせるか考えよ」
くてんと首を傾げると、そっと母が教えてくれる。重婚は良いけど、近親婚は認められていないらしい。あぁ、なら安心か。そう思って胸を撫でおろした瞬間だった。
「勿論ティーダが婚儀を望むなら、再度ヴェーチィーを王族として認めよう。今回の褒美だ」
国王の言葉にはぁっとあんぐり口を開けると、全員が笑い始める。先程とは違い温かい雰囲気の中、笑っている両親をぽかぽかと叩いてみた。
 




