第77話 我儘娘の我儘
「ティーダ、また何か考えているでしょう?」
むにゅっと母が頬を掴んだまま話しかけてくる。
「うにゅ?」
喋られないのでたこの口のまま首を傾げると、そっと微笑みかけられて、抱きしめられる。
「いいのよ。ティーダはいつも頑張っているのだから。これ以上、頑張らなくて良いの」
きゅいっと抱きしめられる力が強くなる。
「でも……」
「ヴェーチィー様との関係は、私達が原因なの。きっとティーダの事はただの切っ掛けだわ。何かあれば来るつもりだったと思うの」
「そんなのわからないの!!」
「いいえ、わかるの……」
ふと浮かぶ悲しそうな表情。
「なにかあったの?」
「ん……? そうね……。お爺様とお婆様はね、王都に住んでいるの」
また急な告白だ。ふむ、見えないと思っていたお爺ちゃんとお婆ちゃんは王都に住んでいたのか。でも、為政者としての実績がある祖父母が王都で暮らしているというのはあり得ない話では無いのかなと思う。
「その切っ掛けを作ったのは、ヴェーチィー様なの」
「ふえ?」
「ディーがね、この村に来て少し経ってから父様と母様は王都に召し上げられたの。ディーがレフェショになったのであれば、官僚として王都で力を発揮しないかという建前……」
「ほんねはなんなの?」
「ディーが困ったら王都に頻繁に来るんじゃないかという思惑じゃないかしら……。ううん、本当は良く分からないの」
それを聞いて何とも表情に困った。手段を選ばないのか……。七歳というのに、いやその頃は四歳か五歳か……。
「様子はディーが王都に行った時に見てくれているから、元気そうよ。でもそうね、寂しいし、ティーダを見せてあげたいわ……。こんなに可愛いティーダ……」
母が抱きしめる力を籠めるのは、父を、私を失いたくない思いか……。
「わかった、めだたないの。でも、おてつだいしたい!!」
きりっと表情を作り、母を見つめる。一瞬きょとんとした母は破顔し、こくりと頷く。
「そうね。歓迎のお料理を作らないと……。村の皆にも知らせないとね」
母がそう告げると立ち上がり、文官の人と穀倉の開放と臨時の歓迎会の開催を調整し始めた。
夕方、視察を終えたヴェーチィー達が戻ったのか、父が家に帰ってくる。
「どうだったの?」
「問題無いよ。川の方は興味が無かったようだし、荷車、荷馬車は隠しているしね。興味があったのは燻製の方みたいだね」
「んー。くんせいはもうおうとにしられているからしょうがないの。あとはうなぎをだすの」
母の手伝いをして、夕飯用に泥を吐かせていた鰻を捌き、炭焼きにしていた。手伝いと言っても、ぱたぱたと炭に空気を送って火加減を調整していただけだが。
「目的は分からないけど、穏便に済むように努力するよ」
少しだけ疲れたように呟いた父が冷たいハーブティーをくいっと呷ると、ぱんと頬をはたいて気合を入れ直し、執務拠点の方に戻る。ふぅぅ、貴賓室を一室作っておいて良かった。貴賓室と言っても、頑張って家具に拘っただけの個室だけど。王族が泊るレベルなんて想定していない。
母と一緒に焼き上げた鰻と選び抜いた逸品の燻製、それに鰻の骨の出汁で作った粥をヴェーチィーの侍女に渡す。静々と執務拠点の方に向かう侍女を母と一緒に見送る。村の中央の方は煌々と明るくなっている。王族訪問の歓迎と言う事で、振舞い料理を皆で楽しんでいるのだろう。
いつもと違い父のいない少し寂しい食卓を母と囲み、はむはむと楽しむ。
「うなぎ、おいしいね」
「少し置いておく方が美味しいのよね。何故かしら」
「どろをはくの。においがすくなくなるの!!」
寂しいながらも二人で楽しく食事をしていると、ばーんっと玄関の扉が開かれる。
ふぉ!? っと驚きながらも、母に抱かれて玄関の方に向かおうとすると、廊下でヴェーチィーとばったり出会った。
「この白身の魚!! 父上に献上せよ!!」
また無茶な事をと、母と二人顔を見合わせた。
「料理など王都までの道中で腐敗してしまいます。どうかお考え直しを」
「ならぬ。このような美味をその方らだけで楽しむなど!! もし出来ぬとなればどうなるか、覚悟せよ!!」
ヴェーチィーは言いたい事を言うと、にやりと笑って振り返り執務拠点の方に戻っていった。
「うーん……。燻製の方なら良かったのだけど、気に入ったのが鰻の方だから……」
後で戻ってきた父に状況を確認すると、どうもヴェーチィーは、いたく鰻の白焼を気に入ったようだ。王と王妃に食べさせると言って、聞かないらしい。もし駄目ならその調理が可能な母を王都に召し抱え、料理人として推挙すると言っているそうだ。これも、父と母の間を割く一環なのだろうが、迷惑かつ面倒くさい。子供の癇癪に付き合わないといけない両親が大変だ。
「おうとのかわにはすんでいないの?」
「それが川には生活排水を流している関係で、王族は川の魚を食べないんだ」
父が王都までの簡単な地図を持ってきて解説してくれる。大きな意味で、山脈に囲まれた谷間のような平原に王都とこの村は存在して、それぞれ別の山からの水系が川になって流れているようだ。この山のどれかが鉱山なのかなと思いながら、王都から村までの距離を計る。
「おうとまでどのくらいかかるの?」
「馬の脚でゆっくり三日程かな。急げば二日を切るくらいだね」
父の言葉に、うーむと考え込む。
「このむらのうなぎじゃないとだめなんだよね?」
私の問いに、難しい表情を浮かべながら、父が頷く。私は王都までの地図を指で辿り、川沿いで進めるのを確認した。一部水系が変わるところで途切れるが、十キロほどだ。
「だいじょうぶ。みなでおうとにいくの!!」
「駄目だ。まだティーダには早すぎる。それに馬に乗る事も出来ないのに長旅は無理だ」
父の制止に私は首を振る。
「もうすぐさんさいなの。それに、あれをつかえばうまにのれなくてもだいじょうぶなの!! うなぎのめんどうはぼくがみるの!!」
私の言葉に、両親が首を傾げる。
我儘娘の無茶振りだというのなら、きちんと完遂してやろう。どちらが先に音を上げるか、勝負してやる!!
それにお爺ちゃんお婆ちゃんにも会ってみたい。絶対に王都まで無事に到着してやる。




