第76話 突然の衝撃
「久しいな、小父上」
ウィンプルに似た頭巾は緻密な刺繍に覆われ、腰のあたりまで下がっている。豊かな髪は結い上げられているのか、ぽこっと後頭部の辺りが可愛らしく膨らんでいる。やや釣り目がちな猫目は好奇心に満たされくるくると動き回って落ち着きが無い。鼻筋は通っており、気品を感じさせるが、ニンマリと結ばれた小さな口が台無しにしている。何というか、第一印象は可愛らしいシャム猫という感じだろうか。
「おじ?」
執務施設の応接室にヴェーチィー達を通した私達。両親は、平伏して迎える。挨拶抜きでの開口一番の言葉に、私は抱きしめられた母の耳元にそっと囁く。
「ディーは一時近衛役を賜っていたの。その名残よ」
早口に告げられた内容に、ふむふむと頷く。母はきゅっと抱きしめて離さないため、ちょっと苦しい。
「お久しぶりです、ヴェーチィー様。お元気そうで安心致しました。三年前はまだまだ幼く、すぐにお風邪などを召されていたので、心配しておりましたが」
父が朗々と告げると、ふぉんとヴェーチィーの頬が紅潮する。ふむむ、王族がそんなに簡単に表情に出しても良いのかなと見ていると、ヴェーチィーが、わーっと捲し立て始める。
「それは幼い時の話じゃ。もうヴェーチィーも七つ。立派な王族じゃ」
ふふんっと鼻高々に告げる姿は、猫と言うより、何と言うか褒めて欲しいミニチュアダックスの顔を彷彿とさせる。構って、構ってとキャプションを勝手に付けてみる。
「それはおめでとうございます。中々忙しい身。お祝いも出来ず、恐縮の至りです。本日はどのようなご用件でしょうか?」
父のへりくだりながらもさっさと話を進めたいという言外のアプローチにもどこ吹く風で、世間話を続けるヴェーチィー。ぷるぷると母が震えているのは平伏している状態で私を抱っこしている疲労だけではなく、他の感情もありそうだなと。
「ヴェーチィー様……。お話を続けられるのであればせめて……」
目立たないようにヴェーチィーの背後に立っていた長身の女性が静かに告げると、そうじゃそうじゃということで、やっと椅子にかける事が出来た。私は、父と母の間にちょこりと腰掛ける。現状は暫定次代当主という事と、帯刀しているという事で、お目通りを許されている。本当は、隠れて後で報告を聞く形が望ましかったのだけど、御付きの人に是非と言われて断れなかった。
「ふむ。そのちまいのはなんじゃ?」
文官さんが淹れた水出しかつ井戸水でキンキンに冷やしたハーブティーを美味しそうに飲んでいたヴェーチィーの好奇心の瞳が私にロックオンされる。
私は席から立ち、改めて一人で平伏する。
「レフェショがこ、ティーダでございます、でんか。このはるでふたつになりました」
剣を横に置き、片膝をついた状況で深々とお辞儀をするが、この体だとお饅頭みたいなんだろうなと思いながら、口上を述べる。
「面を上げよ」
その言葉に顔を上げると、好奇心の塊は、所有欲の塊に変貌を遂げていた。バーゲンで欲しい物を見つけた肉食獣のあの表情だ。
あるぇ? 今の応答に何か琴線に触れそうな事ってあったっけ?
「ふむ。さすがは近衛を勤め上げたディーよの。子の教育も行き届いておるわ」
ねぇ、あの玩具欲しいという副音声が聞こえそうなヴェーチィーの声音に、父が刹那眉を顰めた後に、口を開く。
「まだまだ遊びたい盛り。表面は取り繕っておりますが、まだまだ未熟者です」
見えない言葉という刃の攻防戦がちんちんと繰り広げられたが、とりあえずタイブレークになったところで、てちてちと席に戻る。
「で、用件と言うのはこれじゃ」
ヴェーチィーが御付きの人に視線を向けると、テーブルの上に豪奢な刺繍が施された高そうな布に包まれた物を置く。ただ、この大きさは見覚えがある。
「献上致しました化粧箱ですね」
父の言葉にさようと頷き、御付きの人がはらりと布を解く。うん、傷もついていない。良かった。コーティングにニスは塗ったけど、ぶつけただけでも金箔が砕けそうで冷や冷やはしていた。
「父上より、賜った。そろそろ婚儀も考えねばならぬ歳ゆえな。と言う訳で、ディー。お主、婿にならんか?」
ん? 今、何か爆弾発言があった。と思った瞬間、隣から威圧を感じてびくっとする。そっと失礼にならないようにこっそり視線を母の方に向けると、ニコニコしているが目の奥が笑っていない。ママン怖い……。
「もう伴侶がおります身。望外の喜びですが、お受け致しかねます」
父の言葉に、むーんといきなり不機嫌な表情を浮かべるヴェーチィー。
「なんじゃ? このような祝いの品を贈るということは婚儀の申し込みではないのか?」
「いえ、偶々この地にて極々少量の金が見つかりますれば、献上せねばと思った次第です。少量なれど細工に仕立ててれば、見目もよろしいかと愚考した至りです」
父の言葉にますます機嫌の悪くなるヴェーチィー。
「このような見事な細工、王都でも見る事は敵わぬ。そのような物を贈っておいて、その言い分か?」
「言い分と仰られても、王家に対する忠心の表れ。それ以上でも、それ以下でもありません。幾年の繁栄をお祈り申し上げればのこそです」
わーわーとヴェーチィーと父のやり合いが続いたが、不毛と思ったのか途中で御付きの人が宥めて、中断となる。
「ふぅむ。折角面白いと思うたのに。そうじゃ、ティーダと言ったか? 村を見回りたい。あないせい」
いきなり指名が来て一瞬硬直した後、どう断ろうかと思っていると、父の助け舟が出される。そこは素直に聞き入れ、ヴェーチィー達と父が連れ立って応接室を出ていくのを再度平伏して見送る。
やれやれと思いながら、一同の足音が聞こえなくなった段階で立ち上がると、母の方から盛大な溜息の音が聞こえる。
「たいへん? ごめんなさい。あのはこがよけいなの」
私が告げると、母が頭を振る。
「良いの。ティーダは間違っていないわ。ただ、ヴェーチィー様は昔からあぁだから」
と、母から王都の話を軽く説明してもらう。父はどうも物心ついた頃から王都の近衛の家で暮らしていたらしい。養子みたいな状況だったそうだ。それで父方の祖父母は見当たらないのかと納得する。
で、武に関する才能があった父はメキメキ頭角を現し、軍の中でも昇進していった。最終的には成人前というのに、歳が近いと言う事でヴェーチィーの傍仕えにまで上り詰めたのだ。
「でもね、ヴェーチィー様が面食いで……」
二歳から延々と自分を守ってくれる父にぞっこんになったヴェーチィー。でも、ヴェーチィーの四歳を目前にして運命の出会い。父は偶々王都に両親と一緒に出てきた母に会った瞬間一目惚れ。猛アプローチの末にめでたくゴールインしたようだ。ただ、レフェショと近衛の結婚と言う事で色々大変な事が山積みだったらしいが、それはまたの話との事だ。
「んー。あこがれのおにいちゃん?」
私が呟くと、母がぶっと噴き出し、ふるふると震えだす。ちょっと面白い。
「そうね。それだけだと良いのだけど。今でも狙っているとは思っていなかったわ……」
母の言葉に、こくんと頷きを返す。
「いっかのききなの!!」
この世界、離婚は明確には存在しない。いや、ある事はあるのだが。基本的に離婚すると瑕疵扱いになる。その後の結婚はかなり絶望的な状況だろう。死別の場合はそういうのは無い。
「大丈夫。ディーがなんとかしてくれるわ」
母の気丈な表情に、何か手立てをと、むむむと考え込む。私が引いた引き金なので、自分で解決しないとな。家族を守らないと。むんと気合を入れた私の頬をむにゅっと母が撫でてくれた。




