第56話 侃々諤々
「心配だから見に行くけど、良いわよ。お仕事なのよね」
父が何か言う前に、母がOKを宣言した。父の方を見ると、ちょっと寂しそうだ。
その日の夕飯の席で、熊おっさんの件を相談してみた。思ったよりもあっさり決まったので、膝の上のラーシーと顔を見合わせる。どうも親と認識してくれたのか、ちょこんと太ももに乗って丸くなりながら、乳を飲んでいる。母がその姿を見つめながら涙を拭っているのは内緒だ。
「仕事と言われれば、反対は出来ない。ただ、責任まで押し付ける気はない。出来る限りで良い、頑張りなさい。でも、無理はいけないよ」
父が優しく微笑みながら言ってくれる。この村でお仕事というのは結構重要だ。村人それぞれの生活に直結する事が多いので、仕事という物は大切に思われている。仕事が出来ると尊敬されるし、おざなりな人間は信頼されない。子供達もそういう価値観を親から教えられるので、お仕事そのものに憧れを持っている。私だって、やっても尊敬も信頼もされないより、逆の方が良い。と言う訳で、その日はぽてりとラーシーと眠り、次の日、集会所に挨拶だけして、工房に向かう。
「おちごと!!」
「ちゅごい!! いいなぁ、いいなぁ」
子供達の尊敬の目、特に幼馴染ーズの執拗な接近と共に繰り出されるいいね攻撃に顔を引き攣らせたが、無事に抜け出して、てくてく母と一緒に向かう。
「おう来たな」
工房では熊おっさんが仁王立ちで待っていた。奥で座って待っていたら良いのに、態々そわそわと入り口付近で待っているんだから。図体の割に、乙女である。母がご挨拶と言う事で、川魚の厳選詰め合わせセットを渡すと、とっても恐縮していた。ちなみに、厳選詰め合わせは、私と父が選んだ魚とチップで作られた物だ。個人的には、クヌギ系の密の細かい木で芳ばしい香りのするスモークに川マスのようなピンクの身の魚の組み合わせが好みだ。父からは渋いって言われた。ちょっとしょんぼりした。脂が過剰で無くて、さっぱりしているのに、味が濃厚で美味しいのだ。
それはさて置き、作りかけで緻密な細工を施している欄や戸板の山の中を掻い潜り、奥の棟梁の部屋に入る。所狭しと並べられた羊皮紙の山がお出迎えしてくれる。棚という棚が埋まっている。正直、羊皮紙自体臭うのだが、蒸れた革の臭いが充満して、ちょっと辛い。鼻で息をせず口で息をするようにしていたが、すぐに苦しくなる。
「できれば、もうすこしひろいとこがいい」
子供らしい我儘を言ってみるが、すんなりと応接室みたいな部屋に通される。母も口には出していなかったが、若干閉口した顔をしてたので、ほっとした表情になる。父の執務室もそうなのだけど、あそこはきちんと換気されている。
ぽてんと絨毯の上に座ると、机の上に板から写したのだろう、細密に書き込まれた羊皮紙の図面が広げられる。寸法なども記載され直しているし、あらゆる測定方法なども注記されている。きっとノウハウの宝箱なのだろうなと見つめて思う。
「で、ここの構造なんだがな……」
熊おっさんは熊おっさんであらゆる説明を省き、自分の知りたい事だけを聞いてくる。何というか、研究大好きの人みたいで微笑ましい……とかいうと思ったか!!
「そんなことはどうでもいいです。そもそもここのこうちくをどうするかがさきです」
「そこは適当に嵌め込めばいいだろう?」
「だめです。ここがすいみつのきそになるんです。ここなんてただのほじょです。なので、ここをてきとうにつくるとか、ありえません」
「いやいや。ここに精度を出すなんて、難しいぞ?」
「きりだしだけにたよるからだめなんです。みがきのこうていはいまでもそんざいしているんですから、それをおうようしたらいいんです」
「お、なるほど……」
終始こんな感じで、侃々諤々議論というよりも、一方的に自分のやりたい事をしたがる熊おっさんを宥めすかし、完成品に漕ぎ着けるまでの道程を隈なく説明する羽目になった。いや、小学生の工作レベルの図面で良かった。もっと難しい物だと自分でも説明が出来ない。どう作れば良いかなんて、こっちが知りたいのだ。
朝早くから訪問したのに、結局帰りは夕方近くになってしまった。最後の方は母がイライラするのを後ろに感じながら動悸との戦いだった。もう、別の意味で胃が悪くなる。
はぁぁ。てとてとと家に戻る道を歩きながら溜息を吐いた私に母がそっと手を伸ばし、頭を撫でる。
「お疲れ様。頑張ったね。ママは分からないけど、ティーダは凄い事をしているのね。偉いわ」
そう言って、抱き上げてくれる。そっと抱擁されて鼻をくすぐる甘い香りに、今日一日の疲れが吹き飛ぶ。あぁ、頑張ろうっと。




