第4話 過去の自分と今の自分
目が開いてからは世界が広がった。情報収集、情報収集と。
ただ頭が大きすぎて、転がる事もまだまだ不可能だ。くいっくいっと首を回して周囲を確認するのが精一杯だが、少しずつ情報量は増えている。
寝かしつけられている部屋は一間で日本の四畳半の部屋よりも狭い。ただ、荷物や家具は無く毛皮と布が敷き詰められている。ただ、壁の一部が焼けていないので、元々は物置代わりに使っていた部屋なのだろうと推測する。
手足の感覚は未だに鈍い。神経も成長しているのかなと思い、徐々に慣らしながらそっと動かす。そっとなのは……。
「ディーリー、デレーヤィテェケ?」
慈愛に満ちた瞳でこちらを覗き込む、母の姿があるからだ。父らしき人との親愛さとこちらを包み込むような瞳を見ていれば、この人が母親なんだなと実感する。
あーだーと手を伸ばすと、そっと抱き上げ、揺すられる。そんな他愛のない動きで私の体は安心を覚え、リラックスしてしまう。心と体の乖離はまだまだ著しく、中々制御出来るものではない。焦っても仕方ないと、諦めて、全てを母に任せる。あぁ、こんな人生もあるのだなと。
私の母は育児放棄のきらいのある人だった。父は会社が忙しく家を空ける事が多かった。幼児の頃は憶えていないが、物心がついた後からは母が家にいた記憶はあまりない。深夜遅くに物音が聞こえて母が帰ってきたのを知るのは小学生の高学年の頃だっただろうか。
そんな家庭から逃げるように仕事に打ち込み、結婚したのは大学を卒業して奨学金を繰り上げ返済した頃だ。当初は温かな優しい家庭を作ろうと邁進していたが、どうも空回りをしていたのと父の姿を無意識に追っていたのか、家庭から孤立するのは時間の問題だった。
そんな中でも子供二人を育て、大学卒業までの資金を作る事が出来たのは、望外の喜びだった。まだまだ子供達の未来を見たい……。そう考えるのはエゴなのだろうか。
この姿はそんな私を戒めるために神様が用意した罰なのだろうか……。捨てられても捨てきれず、縋りつくように生きて来た人生への罰……。それでも私は身の回りの人間だけでも幸せにしたかった。
そんな事を思考の片隅で考えていると、母にうにっと眉根の辺りを押さえられる。くりくりと動かした後に、そっと話してにぱっと笑う母の顔に一点の曇りも見当たらなかった。どうも難しい顔をしていたのを心配したようだ。ごめんねお母さんと思いながら、出来る限りの笑顔で両手を受け入れの姿勢に変えた。
暫くは体力を付けて、感覚を取り戻していく事。そして言葉を覚える事に集中してみた。未熟、未発達な体は反復により徐々に感覚を鋭敏に、そして脳の指示に的確に応えるようになっている。
昼夜の感覚も瞼が開いた事によって把握出来るようになった。一日でこのくらいという甚だ亀の歩みだが、それでも少しずつ前進している。
言葉に関してだが、何となく分かってきたのは自分の名前がディーリーかディーリではないかという事だ。顔を見る度に使われる言葉なので、その可能性は高い。ただ、父を呼ぶ時もディーと呼んでいるようなので、お父さん、赤ちゃんの関係性かもしれないが、気長に覚える事にする。もう、体が眠気を覚えている。あぁ、瞼が、瞼が……。