第33話 白焼きと鰻出汁の麦粥、肝焼きを添えて
「ぜったいに、ちがついたてをくちにいれたり、めをこすったりしちゃ、めっ!!」
台所の調理台に置かれたまな板に、でんと鎮座する鰻さん。てろーんてろーんと優雅に踊っている。
母は布越しに頭をきゅっと握り、がつんと胸鰭の横に釘を刺す。そのまま胸鰭の逆側に包丁を入れて、中骨に当たるまで切り込みを入れる。中骨に当たったら、刃を斜め横に向けて、中骨ギリギリを削ぐように移動させていく。その際に、腹側の皮を貫かないように気を付けて、刃を移動させる。私は要点を指示しながら、父に抱き上げられて、じっとまな板を見つめる。
母が慎重にきこきこと音が鳴りそうな感じで包丁を動かし、しっぽの方までが切られペロンと開かれる。その瞬間、満面の笑みでキラキラ輝きながら、額の汗を拭おうとするので教育的指導を行う。
「ぱぱ、おねがいします」
父が布でぽんぽんと額を拭うと、何だか二人共照れたような表情でもじもじし始める。夫婦で何を気恥ずかしがっているのかと思いながらも、甘酸っぱい空気が流れるまで待つ。
気を取り直した母が、肝を潰さないように丁寧に切除して、中骨を切り折り、そのまま他の魚を三枚に降ろすようにじゃりじゃりと骨を削ぎ取る。これに関しては、他の魚で慣れているので、スムーズに進む。しっぽまで削ぎ落すと、母がむふんといった表情で骨を見つめる。若干身が多くついていたけど、元々が太った鰻なのでまぁ良いかなと。後は他の二匹も処理して、井戸水で奇麗に流すと、真っ白な鰻がまな板の上に鎮座する。
「まぁ……綺麗ね」
「ここを開拓し始めた当時は普通に食べたと言っていたが……」
両親が珍しい物を見るかのようにほぇぇっと眺めているのを咳払いで中断させる。
料理の順番を考えて、頭を割った物と骨を塩をして、じっくり焦がさずに白焼きにする。それをお客様用の七輪のようなコンロに鍋を置いて水から骨と頭で出汁を取る。アクを掬うのは父担当になった。
竈の方では、半分に切られた鰻の身と奇麗に洗われて処理した肝達が金属の串に刺されて、じっくりと焼かれている。こちらも極力焦がさない方向性で母が見守っている。
夏の最中、火を二つも使うと、結構な暑さになる。窓から入る風は清々しいが、灼熱を払うほどの勢いはない。家族総出で汗だくになりながら、火の世話をする。私は監督役として口を出すだけだが、この暑さは一歳児には過酷なので、くぴくぴとカップを片手にしているのは様にならない。
火が通り始めると、脂が落ちて煙に変わる。その芳ばしい香りが漂い始めると、急にくるくるくるとお腹の音が響く。母が顔を染めると、今度は少し重低音。父が苦笑いを浮かべる。暴力的なまでに食欲をそそる香りが窓から外に広がっていく。
鰻の皮がふっつりと膨らみ、ドームの先が焦げそうになったらひっくり返して身の方を焼く。出汁の方は一時白濁した後に澄んできたら布で漉して、洗った麦を投入する。粥がしっとりと出来上がった辺りで、時間調整していた身の方も焼きあがる。
麦粥に焼いた肝を乗せて、皿に白焼きを串から抜いたら完成だ。ででーんと頭の中で効果音を鳴らしていたら、こくりと唾を飲み込む音が聞こえる。両親がわくわくした表情で待っているので、温かいうちにと言う事で、食堂に急いで運ぶ。
「では……食べてみるか」
父の言葉で食事が始まる。まずは白焼きと。匙で切り分けて、はくっと頬張る。
「ん!?」
「美味しい……」
じっくりと焼かれたにも関わらず、外側がかりっとしているのに中はほろほろ。それに皮目の方は程良い脂が層になり、甘くどこまでも芳ばしい。まだまだ味覚と嗅覚がきちんと成長していない事が悔やまれるほどだ。
「魚とはまた違うな……。濃い味と……この香り」
「甘いのよ。さくっとした歯応えと身離れ。こんなの食べてこなかったなんて勿体ないわ……」
両親も驚くほどの勢いで食べていく。私は自分の体の大きさを嘆きながら、白焼きの大部分を両親の皿に移す。身が多すぎて、これだけでお腹がいっぱいになりそうだ。
ほぉっと熱い溜息の後に、粥の方に取り掛かる。まずは一口と啜ってみる。
「まぁ……こんなの初めて……」
「鰻……なのか。焼いた身とはまた違う味だな。しかし……旨い」
じっくりと引き出された濃い出汁を麦が吸い取って凝縮している。元々鰻の出汁は白身らしく上品な香りだが、身が多かったのか若干下品で荒々しい。それでも、その野卑な感じが口の中で暴れて何とも言えない雰囲気を醸し出している。それにアクセントで乗せた肝焼きも若干の生臭さが逆に濃い味を引き立てて、粥の匙をこれでもかと急がせる。
「内臓も旨いな」
「ふふ、お魚の内臓まで食べるなんてね」
両親も嬉しそうに食べ進み、鍋が空っぽになったところで放心したように座り込む。若干温くなった白湯を口に含むと、やっと人心地が付く。
「これは……今まで損をしていたな……」
「ずっと美味しくないって言われてたもの。しょうがないわ。だって子供の頃は、皆試したでしょ? 硬くて噛み切れないし、噛み切っても骨ばっかり。しかも中の方は生臭い。誰も食べないわ」
両親の言いたい事も分かるが、私もちょっと気が急いていた。清流とはいえ、底の方で生きている鰻なので、やっぱり泥臭さは若干感じた。砂を吐かせるのは重要だろう。吐かせて捌くまでを誰かにお願いしなければならない。その辺りの相談はしなければならないが……。
「うなぎ、おいしかった」
私がそういうと、二人は顔を見合わせて、物凄くいい顔で微笑んでくれた。鰻が普通に食卓に登る日は、そう遠くないだろう。そう思わせるほどの満面の笑みだった。
 




