第137話 春の恵み
蹄鉄の音も高らかに林の中を疾駆する。
横ではヴェーチィーが鐙も無しで意気揚々と駆けているのだが、私には必須となっている。
父はちょっと鐙否定派というか、鐙の無い馬に乗らないと駄目な時にどうするのかというスタイル。
母は乗ってればその内慣れてくるスタイルとなっている。
家庭内の権力の差を考えれば、現在鐙有りでよちよちと馬に乗っているのは分かりやすい。
「そこ!!」
そんな事を考えていると、ヴェーチィーが声を上げる。
指差す先を確認すると、年経た鹿が仲間と一緒に芽吹いたばかりの若い柔からな芽を食んでいる。
ヴェーチィーが背中に回していた体格にしては大きめの弓を構えると、ひょうと解き放つ。
風切りの音が鳴り響いたと思えば、すたんっと鹿の首に一条の線が生まれ、ぱたりと倒れた。
「ふぉぉ……」
驚きのあまり目を丸くしていると、ちょっと恥ずかし気にはにかんだヴェーチィーがかつかつと馬首を巡らせ狩った鹿に近づいていく。
王家の英才教育の賜物と言うか、小学生くらいの女の子なのに距離が近いとはいえ一撃で打ち倒すというのが信じられない。
ひうっとヴェーチィーが懐から取り出した笛を吹くと、周辺を探索していた兵が集まってきて打ち取った鹿を捌き始める。
そろそろ誕生日も近づいて来たという事で、弓の一つも覚えないといけないという父の方針でヴェーチィーの狩りに着いてきてみたが。
正直自分自身がこんな事、出来ると思えない。
実際に子供用の短弓を使って訓練のようなものは始めているのだが、からっきし才能が無い。
ばいんっと弾けて、後ろに跳びかねないのが現状だ。
「ふぉぉ……。すごいの。いくつくらいかられんしゅうしてたの?」
捌く作業に混じっていたヴェーチィーの後ろから聞いてみると、うーんと少し考えた後にこくりと頷く。
「四つの頃には始めていたはずよ」
御年七つ。
もうすぐ八つ。
三年から四年でこんな域に達するのかと、感嘆していると、恥ずかしそうにヴェーチィーが口を開く。
「ディーの訓練のおかげ」
そう聞いて、ちょっと納得してしまったのは、セーファと一緒に兵を扱き上げている父の姿を思い出したからだ。
鬼軍曹にかかれば、その域も夢では無いのだろう。
後、どうでもいい話だが。
結構すらりとしているヴェーチィーだが、実は鳩胸な感じだ。
このままいけば、将来は垂れる心配も無いだろうなと、臓物の臭いが漂う中現実逃避のように考える。
あえて何が垂れるかは考えない。
訓練と林の下見を兼ねた偵察行から一夜明けて、今年も春の山菜摘み祭りが始まった。
子供達が先導の唄に合わせて歌いながら、てちてちとうりぼうの行進のように進む。
中には、今年の新顔のアリゼシアも元気よく着いてきている。
この世界の王族は戦争の際に正面に出る事が多いので、体を鍛えている。
それはアリゼシアも同じで、逆に王の目が届かないところで嫌がらせのように扱かれていたようだ。
その辺り、自覚は無いのだろうが、その辺りの子供よりも運動性能が高い。
幼馴染ーズもラジオ体操から、マット運動までこなしながらすくすく成長しており、結構な運動量にもへこたれないのだけど、それにも問題無く着いていく。
「ふぉ、あちょこ!! みがなってる!!」
「あ、めがでてる!!」
現場に到着すると、三々五々ばらけて採取が始まる。
去年のドクダミ祭りを考えると、今年も頑張らないといけないなと思っていると、ひしっと背中の裾が引っ張られる。
「どうしたの?」
皆が散った後に残ったアリゼシアが、裾を掴んでいるのが確認出来た。
「山菜、分からない……」
聞いてみると、北方とは植生がかなり違うのか、見知った植物が無いため分からないようだ。
それに広葉樹林の多い、豊かな森というのも初めてで戸惑っているらしい。
故郷の方では針葉樹が主体で、春の採取と言うとキノコか樹液というのが定番だったようだ。
「たくさんとるの!!」
私はそれを聞き、楽しんでもらおうとアリゼシアの手を引き、駆けだした。
ちなみに幼馴染ーズはあっさり自分の分に思いがいっており、アリゼシアの事は忘れてしまっているようだ。
女の友情って儚いんだなと、そんな事を考えながら萌え始めた藪に分け入り、山菜を採取する。
太陽が動いたのが目に分かる程度の時間が経つと、集合の合図が響いたので、元の場所に戻る。
私は母とヴェーチィーからの依頼であるドクダミを主体に、食べられる系の野草、山菜はアリゼシアに任せていた。
それぞれ鞄一杯に集めた山菜を皆で分け合い、また歌いながら帰る。
今年は蒸留酒もあり、ドクダミの件を知ったお母様方が結構な量を確保していたので、トータルの分量がとんでもない事になっているのは見ない事にする。
家に帰ると、早速井戸で採ってきた山菜を洗う。
まだほんのり温かく感じる井戸の水に、春とはいえまだまだ寒いなとアリゼシアと一緒にばしゃばしゃと洗ったら、母とヴェーチィーの待つ厨房に向かう。
アリゼシアも、炊事に興味津々で眺めている。
手出しをするにはまだ幼いので、お手伝いのお手伝い程度だが、色々と出来る事が増えるのは楽しいらしい。
「こんな事、初めて知った……」
最近包丁を任されたヴェーチィーの一挙手一投足を目を丸くしながら眺めるアリゼシアに、母と一緒に微笑んでしまう。
今年はヤマウドみたいなものとコシアブラみたいなものの群生に当たったので、今から料理が楽しみだ。
得も言われぬ香りが漂う厨房に、玄関の音が響く。
ててっと向かってみると、父がこきりこきりと首を鳴らしながら、帰ってきたのが見えた。
「あぁ、そうか。野草取りに向かったと言っていたね」
私の顔と、匂いで気付いたのか、微笑みを浮かべながらぐいと背を伸ばす父。
「今夜は飲もうかな」
そんな事を言いながら、厨房に向かっていく姿はちょっと親父が入っているので直しては欲しい。
そんなこんなで食卓には黄金色の天ぷら達が並ぶ。
油の温かな香りが辺りに立ち込め、お腹は今にも鳴り響きそうになっている。
アリゼシアの祈りと、食事の挨拶を終え、銘々が手を出す。
「ん!! これ、美味しい」
「ティーダの持ち帰ったのは、これかい? 美味しいね」
「あら、良いお味」
父と母、そしてヴェーチィーが目を白黒させながら食事を楽しむ中、アリゼシアがおろおろと匙を迷って困っている。
「これおいしいの」
そっと指さすと、コシアブラの天ぷらに手を伸ばす。
はむっと口に含み、さくっと音がした瞬間、びっくりしたように目を見開くと、ぎゅっと目が閉じられる。
もにゅもにゅと咀嚼した後に、ほぅっと溜息を吐く。
「ちょっと苦い……。でも、甘い」
コクが強すぎて苦みを感じているのだろう。
それに衣と油の甘さが分かるなら、良い舌をしていると思う。
「こっちもおいしいの」
去年勝ち取ったクルミで少しずつ作っていたクルミ味噌で和えたウドもどきも薦める。
こちらに関しては、甘みが強かったのか、嬉しそうに表情を綻ばせる。
「こんな彩の食卓初めて……。綺麗……」
アリゼシアの言葉に、四人で顔を見合わせ、そっと微笑む事にした。
世話にかまけてばかりでは食いっぱぐれるという事で私も匙を伸ばす。
コシアブラの天ぷらは、口元に近づけた時点で香ってくるほどに香りが高い。
口に含み、さくりと噛み締めた瞬間、香りの塊が爆発したように口いっぱいに広がる。
その清涼でありながら、どこか土を思わせる香りと油の甘味が混然一体となり、鼻を抜けると共に深い満足を感じさせる。
特に若い芽が開いていないものが絶品で、春そのものを感じさせる味となっている。
ウドも立派なものが収穫出来たので、さっと湯掻いて和えている。
はむっと頬張ると、独特なしこっともさくっとも言い難い歯ごたえを返してくれる。
ほのかなアクが舌先にぴりっとした感触を与えてくるが、それもアクセントとして楽しい。
そのアクの刺激をクルミの脂が包み、強い甘みを感じさせる。
もにゅもにゅと噛み締めるごとに、美味しい汁が湧き出てきて口の中を飽和させる。
ある種の戦いのような食事を終え、ほっと一息を皆がついていると、アリゼシアがもじもじしながらそっと顔を上げる。
「あの……。こんな御馳走、ありがとうございます。凄かったです……」
その言葉に、北方の厳しさを感じると共に、喜んでもらえた幸せを感じる。
「いいのよ。沢山食べた?」
母がそっと抱きしめながら尋ねると、こくりと頷くアリゼシア。
春を迎え、緩みゆく気温とはまた別な、温かな空気が家の中を彩った。
そんな気がしたのは、気のせいでは無いだろう。




