第102話 馬を買う
「ふぉぉ……」
ころころころころ。
「ぬぅぉ……」
ころころころころ。
興奮した私は予想通り寝付けず寝返りを打ち続けていた。ヴェーチィーは早々に逆方向に寝返りを打って逃げている。
「もう……。しょうがない子ね」
半ば寝ぼけた母がぽふっと抱きしめて、とんとんと背中を叩いてくれる。胸から聞こえる緩やかな鼓動の音と背中を叩く旋律が穏やかに眠気を誘う。ふわっと欠伸を一つ。そのままくたりと寝入ってしまった。
「ほら着いたよ」
かっぽかっぽと蹄の音をゆったり響かせながら草原の中の細い獣道を歩む。視線の先には一際大きな天幕と、屋台、それに。
「ふぉ、おうまさんなの!!」
馬、馬、馬だった。所々に杭が打たれ、馬がつながれている。そこに立っている人が仲買人で、交渉して購入という流れになるらしい。茶色や白色、藍に近い黒や色とりどりの馬が並ぶ姿は壮観だ。可愛らしい星が入っている馬やぶち模様など見ているだけで目を楽しませる。
「まだまだ体が小さいから、若い方が良いだろうね」
父がそう言うと、馬首を回す。道沿いの方は客引き用に良い馬齢の見栄えの良い馬が並んでいるらしいけど、わたしが求めるのはもう少し若い馬だ。
きょろきょろと眺めていると、馬の中にロバや山羊、羊なども見えてきた。それにがっしりしたポニーみたいな馬などもいる。
「ついでに家畜の売買なんかも併設しているんだよ。中々大きな機会なんて無いからね」
父の言葉に、へぇっと生返事をしながら私の目は馬に釘付けだった。馬が手に入れば、村以外にも移動可能だ。動ける範囲が広がるのは純粋に嬉しい。
馬の足が止まると父がひょいっという感じで降ろしてくれるので、てちっと着地し、ててーっと仲買人の方に向かう。
ここら辺の仲買人は比較的馬齢の若い馬を扱っているらしい。見ていると、まだまだ瑞々しい仔馬の姿も見える。母馬に寄り添いながら、興味半分、恐怖半分みたいな姿で神経質そうに草を食んでは、移動を繰り返している。
「こんにちは!!」
草原を見渡していた仲買人の人に元気よく挨拶をする。
「おう、こんにちは。へぇ、坊ちゃんの馬かい? えらく小っちゃいね?」
「まだ三つだからな。体に合う馬を選んでもらえるか?」
後ろから手綱を引きながら父が声をかける。へいっと返事をした仲買人が、慣れた調子で馬の間を擦り抜けていく。
「ふぉ、いろももようもたくさんなの」
「はは。栗毛の子は数が多いから、少し茶目っ気のある子が多いな。後、青鹿毛は気難しかったりする。まぁ、馬ごとの個性だから、気に入った子を選べば良いよ」
そう言って父がくりくりと頭を撫でてくれる。少しだけ声が上ずっているのは馬好きが馬の中にいるからかなと思っていると、ふすっと父の馬が不機嫌そうに鼻息を吹かす。妬かれているようだ。
「よしよし。大事なのはお前だよ」
ホストみたいな事を言いながら撫でて落ち着かせる父の横で、仲買人が数頭を引き連れてくる。
「初めてなら大人しくて落ち着いてるのが良いでしょう。時期ずれで少し体格の小さいのを選んできたよ」
仲買人の言葉に興奮し、ててーっと馬の方に走ろうとすると、むんずと襟元を掴まれる。
「こらこらティーダ。落ち着きなさい。馬が怖がる」
その言葉に、はーはーと深呼吸し、ゆったりと仔馬より少し育った馬に近づく。つぶらな瞳がこちらに興味と怯えが混じった視線を向けてくる。大丈夫だよっと心の中で唱えながら、鼻先に手をそっと伸ばす。ふんすふんすと嗅いで、ぶふっと鼻息を出した子に近づき、そっと下ろしてくれた首を撫でる。伝わってくる体温と鼓動に深い感動を覚える。すりすりと腹の横を撫でると、大きな動きでしっぽが左右に揺れる。全ての馬と挨拶をしてみたが、どの子も大人しく、素直な感じだった。
「ぱぱ、このこがいいの!!」
その中でも琴線に触れたのが、黒に近い程濃いボルドーブラウンの黒鹿毛の子。足元の靴下を履いたような白がチャームポイントだ。一番知性的な目で、ここに来てからずっと、じっと眺めてくれていたのが印象的だった。
「そうか。試して良いか?」
父の言葉に頷いた仲買人。手綱を預け、裸馬にそのままするっと飛び乗る。動揺も無く馬の動きに合わせて巧みに走らせる。つかたんつかたんと蹄の音が響いてきそうな走りを見せた後に、ゆっくりとこちらに戻ってくる。
「確かに素直で大人しい。それに賢いな。こちらの意図を良く分かってくれる。良い子だ」
ぽふぽふと首の辺りを撫でて、ひらりと飛び降りる。
「凛々しい子じゃないか。もてそうだな」
父の言葉にくてんと首を傾げてみるが、そっと後方に回って確認すると牡だった。ちなみに、連れてきてくれた馬は全て牡。初心者には気難しい雌は向かないらしい。
「ふぉ、よろしくなの」
父が仲買人と交渉している間に、そっと鼻横を挟むように撫でると、ぶふっと鼻息を吹きながらも人懐っこそうな瞳を閉じて気持ちよさそうな表情を浮かべる。
優しく撫でながら、名前を考える。
「ふむぅ……。今日から、ベティアなの」
私の言葉に、交渉と支払いを終えた父が呆れたように呟く。
「おいおい。ベティアは女性の名前だよ?」
「はんりょとおもってほれるようにするの!!」
私の言葉に苦笑を浮かべながら、父がそっと脇に手を入れ、高い高いをしてくれる。晴れた草原はどこまでも澄み切った空気に包まれ、春の陽気と相まって幻想的な雰囲気を感じさせる。
ベティア、どうか仲良くなってね。そう思った瞬間、こちらの思考を読んだかのようにぶふっとベティアが鼻息を鳴らしたのはご愛敬だ。




