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第10話 儀式

 麗らかな春の日差し。どこか遠くから香る花の香りの乗った風を浴びながら、骨を取り除いてもらった川魚の身をはむはむと匙で掬って頬張る。ほのかな塩味が美味しくて、ぺろりと食べ切ってしまう。あぁ、もう終わりだとしょんぼりしながら匙を置くと、こてんと母に寝転がされる。そっと布で歯をきゅっきゅと磨かれる。大切な宝物を磨くような真剣さとその手つきに、心の中が温まり、涙が出そうになる。


「んー、ん。ほら、奇麗になったわ」


 ちょいっと立ち上がらされて、くらくらと揺れていると、そっと後ろから父に支えられる。


「準備は良いのか?」


 父が言うのに、母が頷く。そう言えば、二人共今日は重装備というか、おめかしだなと思っていると、箱から取り出した綺麗な刺繍の入った布でぐるぐる巻きにされる。むにむにと首を動かしてぷはぁと口を出すと、抱っこ紐のような物で固定されて、母と密着する。何が起こるのかと固まっていると、部屋を出て、初めて開かれる扉を抜ける。その瞬間、世界は色付く。一瞬の強い太陽の光に顔を顰めて、目を瞑るが、ゆっくりと目を開くと、そこは色彩の嵐だった。一車線程の道が家から長く伸びており、その両端に、色取り取りの花々が咲き乱れている。若干薄暗い部屋の中で一年も暮らしていると、色の感覚を失っていたが、その鮮やかさに心が動く。陽光はどこまでも優しく、辺りを照らす。首を回せる範囲で眺めると、見渡す限りは平野のようだが、視界の端の方には木々が生い茂っている。森と平野の境界に作られた町や村といったところだろうか。森の反対側はキラキラと輝いているので、川が流れているのだろう。てくてくと揺らされながら久々に見る景色に圧倒されながら、観察を続ける。

 二人は仲良く小声で話していたが、チチっという声と共に、小鳥が父の肩に乗ると、そっと私に見せてくれる。見た事も無い極彩色の小鳥。鳴き声は少し文鳥に似ているが、体の形はどちらかといえばインコだろう。それでも長い風切羽といい、日本ではお目にかからない外国っぽい鳥だ。


「きれい……」


 思わず口を付いて出た言葉に、二人が目を丸くする。


「美しいという感覚が分かるか……。ティンのファーのようだ」


 父が呟くと、軽く紅潮した頬を隠した後に、そっと父の肩を叩く母。


「体が弱かったのだから、仕方ないわ。それでも優しくて、きちんとレフェショの仕事はしていたのよ?」


「あぁ、認めている。だからこそ、今こうやって暮らしているのだから。それだけ偉大な男であったのに、美しさにも目を向けられる余裕があった。ティンのファーは素晴らしい人だったよ」


 幾何学模様の薄彫りに覆われた木造建築が立ち並ぶ中、一際目立つ天幕のような住宅。それはモンゴルなどの映像で見た、ゲルを思い出させる。声をかけ、正面の扉を開くと中は思いの外明るい。フェルト地のような布は太陽を程良く遮り、天井の空気取りと排気用の穴からは燦々と光が差し込んでいる。


「レフェショか」


 奥側の暗がりから低い声が響いたと思うと、何者かがのそりと動き出す。窓からの陽光に照らされた人影は一際の輝きを放つ。その身は、ありとあらゆる装飾品に包まれ、煌めきを帯びていた。なんだろう、このド派手な人は。私はきっとチベットスナギツネのような胡乱な眼差しで見つめていたように思う。


「ヴェーダ。久しい。この子の誕生の祝福を授かりに来た」


 父が言うと、母がそっと紐を外し、私を飾りのついた床几(しょうぎ)の上に寝かせる。


「そうか。もう一年生き延びたか。では人としての生を歩む時が来たのだな。おい、祝福の準備を」


 ヴェーダと呼ばれた男が声をかけると、裏口の方から女性が何人か入ってきて、私の顔に何かを塗りたくる。べたべたするのが嫌なので、ぶるぶると顔を振っていると、くすくすと笑われる。はて何が起こったと、両親の方を見ると、一瞬呆気に取られたような顔をして、ぷっと噴き出す。うわぁぁぁ、不安だと思いながら諦めて、なされるがままにしていると、女性達は引き上げて、男が私の横に立つ。


「ディーとティンの子、ディーリーはこの世に生まれ一年の月日を得て、その身を成長させてきた。リーはヴェーの子に非ず。今日、この日を持って、ダーの子と認められる。名は?」


「ティーダと」


 父が短く答えると、ヴェーダと呼ばれた男が頷き、再度言葉を紡ぎ始める。


「リー、ティーダ。今日リーはダーの子ティーダとなり、この地での生を認められた。その身をしかと目に焼き付けるが良い」


 そう告げて、四角い板のような物を翳してくる。よく見ると、濁った板面の輝きの奥に反射して景色が見える。これ、金属鏡かと思いながらじっと自分の顔を眺めると、父の顔というより、かなり母の顔に近い。何というか、女の子みたいな顔だなとぺたぺたと頬を触ると、にちゅっと何かが付く。うわっと手を見ると、真っ赤な染料みたいなものが付いていて、ひぇぇと悲鳴を押し殺す。これ、血じゃないのか? 生臭いなと思っていたが、今私の顔って血塗れなのか……。そりゃ、ブルブル逃げていたら、さぞ面白い顔になっていただろう。まぁ、はっきりしない金属鏡で凹凸を際立たせるために塗られたんだろうなと思い直して、ぐでぇとなされるがままにされる。その後は祝詞のような意味が分からない言葉の羅列が続き、最後に乳臭い飲み物を飲まされて儀式は終了となる。ぽっぽとお腹が温かくなるのと、喉を通る時にしゅわしゅわしたので、あれって、乳酒じゃないのかなと。子供に酒を飲ますなーと思いながら、ひっくと一つしゃっくりを上げた。

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