92 そして彼が現れる
私の指がなめらかに滑ってパソコン通信画面に素早く名前を打ちこみ、そうしてすぐに接続を切った。
なるべく自然な素振りでそうするように努めたが、自信はなかった。どこか緊張の色が出ていたかも知れない。見られていたかも知れない。
自然と指先が腰にまわる。
けれども、空虚な感触。すべる指先。
拳銃……持ってはいない。どうする?
足音が近づく。
どこかでテレビの笑い声。
彼は私の真横に立った。
私は顔を上げた。
まるで威圧されるように、私は声を出すこともできなかった。
視界の端、彼のジャケットの腰の辺りを視線が探る。
ぞっとしない。背筋が、こわごわ震えた。
こういう気持ちだったんだ、と、恐怖の感覚を改めて思い出した。忘れないでおこうと思っても、きっと次がくるまで忘れているだろう。
彼は見下すように私を見た。
カフェ内の人間は誰もこちらを見ない。
私は彼の顔を見あげた。
安っぽい蛍光灯が、無粋に彼の表情をとらえる。
彼は薄く笑った。酷薄そうな笑み。
今まで一度もそんな表情を見たことがない。
そうしてわざとゆっくりと腰に手を当てて、低く言った。
「どうしたのよ、コトコ」