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9 背中合わせ

 あらかた昼ご飯のチャーハンができ上がった頃になって、ようやくトワは戻ってきた。

 私などは心配でしょうがなかったので、トワが玄関をくぐった時は安心したのだが、シンヤのほうはそんな素振りはふいとも見せず、ただチャーハンのできについて自画自賛していた。トワもまったく何もなかったかのようににこにこして入ってきた。

「まぁったく、この部屋には中華鍋もないのよ。フライパンでチャーハンを作る難しさってあんた、想像できる?」

 シンヤがまったく平和的な話題を投げかけてくれたおかげで、私は自分の考えを完全に諦めることができた。

 彼は食事の間中、ひとしきり自分の料理のわざについての話題を披露した後、トワだけに何事かを告げて出かけていった。玄関の鍵が閉まる音を、私は神妙な顔つきで聞いていた。

 トワは残された食器を片付けながら、私に背を向けていた。昨晩のことも、何のこだわりも見せない無防備さだった。

 私は二人だけの空間に居心地の悪さを感じていた。

 シンヤがいない部屋は少しぎこちない。

 私は間が持たなくなってトワの背に声をかけた。

「トワ」

 なぁに、とトワはふり返る。彼女の表情は変化が少ない。

「鈴見さんとかいう人はどうしたの?」

「帰ったわよ」

 さらりと言った。

「彼、本気で私をコトコだと思ってたみたい。会社のこと話して、帰った。もうしばらく会社を休むって言っといたから」

「……嘘でしょ?」

 私の口が言葉を吐いた。嘘だ、と思ったからだ。

 トワの喋っていることは嘘だ、そう感じた。

 トワは表情を変えなかった。しかし、少しだけ沈黙した。

「嘘よ。……コーヒーは飲めるでしょう? 中華鍋はないけれど、奇跡的にコーヒーメーカーはあるの、ここ」

 彼女は手際よく豆をセットすると、ミネラルウォーターを注いだ。

 そのうつむいた顔に、私はまた声をかけた。

「武石という名前に覚えがあるの、私。それに、小暮という名前にも」

 トワは顔を上げた。

「教えて。私は小暮コトコ?」

「あなたはコトコよ」

 すかさず彼女が言った。

「トワ」

 私も間を置かずに返した。彼女が何を恐れて私を曖昧なままにしておくのか、その理由が不明瞭だったし、そのために不快だったのだ。

 トワは私から視線をそらしたまま、息をついた。

 こぽこぽとコーヒーメーカーも口を鳴らす。

「そうね。そう、……本名は違うわ。あなたの名前は川嶋コトコ。それくらいのことは簡単に調べることができるもの。でも、あなたは私達に小暮と名のったわ」

「私、本名が川嶋なのね。偽名をつかってトワとシンヤに護衛を依頼した、そういうこと?」

「……になるわね」

 なぜ?

 何故自分は嘘をついた?

 昨日以前の私の意図が見えない。見え隠れする自分の裏側の足音は、聞き取れないほどかすかだ。

「私……私、どうして拳銃なんて持ってたんだろう。なぜ、ここに来たんだんだろう。それ以前の川嶋コトコは何をしてたんだろう」

「思い出さないほうがいいことだってあるかも知れない」

 そこだけはっきりとトワは言った。

 その言い方が、何か私の感覚に引っかかった。

 彼女はもしかしたら私のことを知っているのかも知れない、そう感じる。

「……何か知ってるのね?」

 それは質問ではなく確認。

「シンヤがさっき言ったの。私のことはトワがよく知ってるって」

 トワはまた沈黙する。

 彼女の言葉は沈黙にある。

「武石って誰かも知ってるの?」

 目が曖昧さを含んで無表情になった。

 彼女はきっぱりと言った。

「知ってるわ。あなたの上司よ」

「トワ」

「ほんとよ。嘘じゃない」

「私が言ったの? それともあなたが調べたの?」

「調べた。すぐに分かったわ」

「会社の上司?」

「……」

「トワ」

「コトコ、あなた記憶が混乱して苛立っているのよ。そんなに急にすべてを取り戻す必要はないわ。一時的な記憶障害はそれほど珍しいことではないから」

 彼女は静かにそう言った。

 私達の間で、コーヒーメーカーが何事かをささやき続けている。綺麗な香りが部屋中に広がっている。

 自分の鼓動が激しくなっているのを感じた。

 苛立ちは確かにあった。自分の感情的な話し方に興奮してもいた。

 私はうつむいた。

 優しいトワの視線が痛かったからだ。

「……そう、ごめん、イライラしてる」

 トワが小さなカップにコーヒーを注いで、テーブルに戻ってきた。彼女はまた微笑んでいた。

 彼女が私の目の前にカップを置く。それをうつむいたまま見つめていた。

「……私は人を殺した?」

 口が小さく呟いた。

 トワも少しだけ息をのんだ。

「あの拳銃で……昨日あそこに倒れていた男の人を殺したのは私なのかな?」

「私は見てはいないから分からないわ」

 当然のことを口に出すのは優しいからだ。

「コトコは知りたいの?」

「……分からない。でも今日の朝、トワを探しにこの部屋に来た時、私思ったの。拳銃がないって。トワの後ろ姿を見て、私、拳銃がないって考えていた。トワに拳銃を向けられても怖くなかったし、逆にどこかから反射的に銃を取り出そうとさえしていた。……頭ではそんなの普通じゃないって分かってる。だけど、感触が……」

「日本だけでも一億の『普通』があるのよ。そんなことを考える必要はないわ」

「でも、拳銃は普通じゃない。でしょ?」

 窒息死しそうなほど今日はため息をつく。

 トワは椅子を引いて私の目の前に座った。

「そうね。一般的に認知されているものではないという意味では、日本で拳銃は普通ではない。でも簡単に手に入るわ。私やシンヤだってそうやって手に入れたんだもの」

「私の持ってた銃は?」

「私が持ってる」

 彼女はテーブルに肘をついた。まるで挑むようなその姿勢に、私は少し戦慄した。

「あれはかなり年式の古いものだったけれど、ナンバーもはっきり書いてあったし、ライフルマークも綺麗。あれだけ出どころが綺麗なものを非合法に入手できるところは、トウキョウでは限られている」

「……分かったの?」

「すぐにね。今朝のうちにシンヤが手を回してくれたのよ」

「どこ? 私と関係のある場所?」

「中埜貿易」

 トワは静かに言った。

 何か裏に含んでいるような物言い。

 中埜貿易、武石、それから……何だっけ?

「それは……今朝……、」

「知らないのよね?」

「……うん、分からない。ごめん」

 コーヒーがぬるむ。

 どこかから入ってきた風が戸をゆらし、音を立てる。

 静まったカップの表面を見つめて、トワは言った。

「……いいのよ……それでいいの」



『しかし、大きな鷲の二つの翼が女に与えられた。

 荒野の中の自分の場所に飛んで行くためであった。

 そこは、一時と二時と半時のあいだ彼女が蛇の顔から離れて養われるところである』

 (黙示録12章4節)

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