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5 夜 コンタクト

 どこまで行っても、大きい波の外には出られない。

 多分、死ぬまでだ。それまではここにいるしかない。

 自分が蟻だということが分かっている蟻だ。どこまで行っても果てがなくこの光景が続いていると分かっている蟻だ。

 それが分かっているからといって、何の慰めにもならない思考。

 空気が重い。

 寝苦しい。

 気付いて私は目を覚ました。

 温い空気が頬をなめ、額に汗が浮かんでいるのが感じられた。まぶただけが意識をはね返すように大きく開く。

 鼓動が大きく耳をひさぐ。空調の低い音がその背景のように聞こえてきた。

 手がかけ布団をしっかりと握り締めていた。

 ここはどこだ?

 瞬間だけ、感覚が研ぎ澄まされる。

 音という音、映像という映像に意味を持たせる作業に没頭する。皮膚感覚だけが妙に遠のいて、もっと遠くのものを掴もうという感覚が先走る。

 しかしすぐに気付く。

 ここは……マンション。

 今日は昨日の続きだ。連続性に意味を持たせる。

 気配に気付いて、ベットから床に目を落とすと、案の定そこに寝ていたはずのトワが居なかった。彼女が出て行ったことにまったく気付かなかった自分に少しだけ呆れた。

 壁の向こうから、シンヤの寝息が聞こえる。まったく平和的に。

 特にトワが居なくて困るようなこともさしあたってなかったのだが、つまりまったく理由もなく私は起き上がった。

 ベットサイドの時計は午前3時をさしていた。

 足音をひそめ、その場に立ち上がる。衣ずれの音さえ心を揺さぶるほど騒々しい。

 どこヘ行く?

 まるでゲームのコマンドのように、頭の中で少し問う。

 彼女はどこに行った?

 どうしてそんなことが気になるのだろう。

 確かに時間は真夜中だ。

 だが、彼女は私のボディーガードで、彼女の相棒は隣の部屋で眠っている。彼女が起きていたとしてもおかしくはない。

 2DKベランダ付きの高層マンションだ。鍵は、住人か中にいる人物の導きがなければ開かないことになっている。街中でここだけ突出して高いわけでもない。

 護衛するにはちょうどいい環境だろう。

 昨晩教えられた限りでは、トワとシンヤは非業法の『何でも屋』だということだった。 『何でも屋』なんてものがこの世界に存在していること事態がミステリーであるが、つまりは『住所不定無職』の範囲であろうことは想像がついた。

 非合法だというのも当たり前だ。

 まだ日本では銃は登録制。人口の九割九分がそんなものは触ったことがないという環境だ。

 初めにトワに会った時(というのもおかしな話なのだが、昨日のビルでのことだ)、彼女が拳銃を持っていることに疑問を抱いた自分の常識的価値観が、この記憶の混乱の中で失われていないことが分かった。

 私は個人的に彼女たちと連絡をとってきたらしい。

 住所不定無職の人間を捕まえる方法など今の私は知らないが、昨日の昼以前の私は知っていたらしい。依頼人の名前はコトコ、21歳、連絡先は都内の重機会社を指定したようだ。

 重機会社?おぼろげに人の動きまわるオフィスを思い浮かべてはみるが、感情が伴わない。それが私の勤めていた会社なのか、知人がそこにいたのか、それともまったく関係がないのか、それさえも分からない。

 脅しを受けている、そう開口一番言ったという。

 自分の身が危ない、あるいは命までも、と。

 そうして、護衛を始めたのが二日前、いや、もう三日前か。

 実際に私が提出したらしい脅しの電話の録音も聞いたが、中性的な声でまったく他人事のようだった。それに内容がまったく曖昧だった。

 トワ自身もあまり語りたがらないような素振りだったので、詳しくは聞かなかった。

 脅しを受けている?

 何か違う。

 自分をだましている感触。

 分からない。

 近くにあるビルの明かりがカーテンのすき間からはいってきて、自分の手が足元がおぼろに見える。

 夢の余韻、昨日の話の余韻が頭の中でスクロールして、どうにも収拾がつかない。

 するように歩いて部屋の戸を開ける。フローリングが温く肌に触れる。

 つけっ放しの玄関の明かりが細く足元にこぼれ落ちる。朱い。

 まるで非常灯のようなこんな明かりをどこかで以前見ているような気がした。私は決してそれが好きではなかったはずだ。

 玄関に向かう廊下の突き当たりがダイニングキッチンだった。シンヤの部屋にいない限り、そこにいるはずだった。

 あるいは変則としてユニットバスにいることも可能性としてはあったが、自分としてはそれはまったく信じてはいなかった。

 ダイニングに気配があった。

 電気はついてはいなかったし、物音も聞こえない。でも、感じられた。

 感じる? 何を?

 まるで機械のように、人間の静電気量でも感じているというのだろうか。

 何故だか自然に足音を消していた。

 硝子張りのダイニングのドアは細く開けられていて、玄関の光の朱みがさしていた。

 トワがいた。

 彼女はこちらに背を向けて、小さなソファセットに座っている。眠っているのかはよく分からなかった。

 その時の私の気分をどう表したらいいのだろうか。

 端的に言えば、高揚していた。

 何故?

 分からない。

 それよりももっと複雑な気持ちが混ざりあっていたはずなのだが、それは言葉にならないためにすぐに消えてしまった。言葉は何かを保存するためにあるのだ。

 トワが背を向けている。

 こちらに気付いていない。

 私は気配を殺して近づいていった。

 ふと何か考えが頭を通りすぎる。思い出して噛み締めて、それから言葉にする。

 銃がない。

 そう思ったことを思い出す。

 今、私は銃を持ってはいない。

 なぜそう思う?

 自問する。

 分からない。

 何を問うている? 理由か、あるいは……

 床はみしとも軋まない。

 静かに息を殺す。気配も存在感も、すべて自分から取り上げる。

 距離が近づく、2メートルほどになる。

 彼女の髪の一筋一筋が赤くてりかえるのが目に痛い。静かな呼吸が乱れなく続いているのが聞こえた。

 もう一歩踏みだす。トワの横顔がかすかに見えるところ……。

 しかし、

 その瞬間に、飛ぶように空気を切る音が目の前で聞こえた。

 トワが短い呼気とともにふり返ったのだと気付く頃には、私の手が反射的に腰のあたりを探っていた。

 トワは振り向きざま、中腰で立ち上がる

 彼女の手が、見えなかった腹から突き出される。

 その手には拳銃、先刻と同じ無骨で大きな代物だった。朱い光に照らされた様は異様なほど不気味だった。

 彼女の長い髪が瞬間だけ遅れてこちらになびく。茶の瞳が低い位置からこちらを睨みつけていた。その色は穏やかではない。

 私の左手は腰で空を切り、右手が彼女の拳銃を持った手を掴んだ。

 借り物のパジャマの長いそでが邪魔だった。

 シンヤにそろえてもらった切りたての髪が耳元で小さく音をたて、異質な空気の中で妙に印象に残った。毛先が頬をくすぐる感触が真新しい。

 一歩踏み込むだけの距離でそれだけのことをやってのけた。

 勢いづいた銃口が私の右目の前で止まった。


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