43 あのビルを踏む
津久田は惚けたような表情で彼を見送り、そうして呟いた。
「このビルって……ですよね」
あくびをしていたのと同じ人物の声とは思えないほどの低く澄んだ声。
三年前、川嶋モトキが殺されたビル。
彼が殺害された時、ここは怪しげな漢方薬の店だった。店を経営している情報屋に接触しようとして、彼はここに来、そして撃たれて死んだ。
情報屋は後から入って来て、殺された川嶋とその脇にうずくまる小暮ミクを見た。
今はここには何もない。
だが、まだ完全に記憶から拭い去られてはいない傷跡が、こうして生々しく残っている。三年も経ってもまだ消えてはいないのだ。
「まさか、小暮ミクではないとは思うがな」
「弾丸が見つかっているなら、その線条痕を調べれば何か分かるかも知れないですよ。それに、血痕も残っています」
「今日中にでも分かるだろう」
「彼、ほんとに連絡を入れてくれるんでしょうかね?」
「さぁな」
君国は伸びをした。
出勤前だというのにスーツはもうすでによれている。
ここ数日、時間外就業が増えている。それも、自ら進んでやっている、完全に仕事とは独立した金にならない作業だ。津久田には悪いが、しかし君国はこれをやめるつもりはなかった。
川嶋と中埜貿易をめぐってことを起こす限り、必ずその接点であるトウキョウに足跡が残る。それをたどっていくのは不自由なことだが、追い越すことはできないまでもいつかは必ず追いつく。それを求めていた。
もし川嶋のファイルが見つかったら、自分はそれを「大きな力」に預けるだろう。例えそれが川嶋モトキの本来の遺志とは違ったものであっても、きっとそれが正常なことだと信じたいと考えるだろう。
「早く出勤しないと、またうちの大ボスになんか文句言われますよ」
「分かってるよ」
そう言えば、あの刑事の連絡先は聞いてはいなかったと思いながら、君国はまだ大勢の警官が残るビルの階段を下りていった。