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3 深夜のマンション

「だって、ほんと私見張ってたのよ、ちゃんと。でもね、コトコ、窓から出てったのよ。信じられる? ここが何階だか分かってるのかしらと思っちゃったわよ。窓の梁を伝っていったん屋上までのぼったのね、きっと。でしょ? 屋上までなら一階分上るだけだから、なんとか出来ないことじゃないわよね。そっから給水塔の表階段使って最上階におりて、あとはエレベーターで下に降りたんじゃないの。でも死ぬわよ、普通。地上四十メートルはあるわよ、ここ。あんたよくできたわよね。私だったら怖くてきゃぁきゃぁ悲鳴あげちゃうわ。そんな気配だって、部屋の外に感じさせないなんて、あんた肝ったま座ってるわ。だいたいここの窓、はめ殺しなのに、どうやって外したの。今日なんかすごい風が吹き込んできちゃって、お掃除大変じゃない。それにこの部屋はレンタルなんだからね。ちゃんと返さなきゃなんないんだから。この窓、直さなくちゃいけないじゃないの。誰がどうやって直すのよ。そのうえ帰ってきたら髪の毛は短くなってるし、服はどっかに置いてくるし、怪我してるし……って、そんなことじゃなかったわね。……あぁ、ごめん、トワ。怒んないで」

 それだけのことを、低い声と大げさな身ぶりで伝えたのは、シンヤその人だった。

 彼(『彼女』の誤植ではない)は、こういう人格の人間だった。

 しかし、見た目は筋骨隆々とした大男で、近ごろはやりの優男とはかけはなれている。しかもかなりの爽やか好青年だ。

 彼は私の腕の傷に治療を施しながらそれだけのことを喋ったが、私はその内容より彼の手つきの優しさと存在感のある話し言葉に圧倒されていた。

 帰ってきた私をにらみつけるような探るような表情で見つめたので、気難しい男かと思ったのだが、単に私の姿を訝しく思っただけのことのようだ。私がおずおずと頭を下げると、しばらくの沈黙の後、せきを切ったように喋り始めた。

 リビングのソファの向かいでは、トワが険しい顔をして持ってきた拳銃を睨んでいた。もし何も喋らずに彼ら二人が並んだら、かなり絵になるのではないかと思われたが、それを口にする雰囲気ではなかった。

 加えて自分が美醜の基準を忘れていないことにも感動した。

「結果が聞きたいの。過程じゃなくてね」

 トワは静かに言った。

 シンヤは肩をすくめると

「ごめんなさい」

 ふり返って言った。

「分かってる。私のミスよ」

「……拳銃はどこで手に入れたの?」

 今度は私に白羽の矢がたって、私は顔を上げた。

 その声はシンヤに向かっていた時のような低いものではなかったけれど、それでも十分に真剣だった。

 私は首を振った。

 私がこのマンションから出ていったと証言するシンヤの言葉にも、拳銃の入手先にも、それからこのマンションにも人物シンヤにも、まったく覚えがなかった。

 だいいち、私は拳銃の撃ち方なんて知っていたのだろうか? このトウキョウにそれほど簡単に存在するものだろうか?

 トワは静かに息を吐くと、私の持っていた拳銃を軽く持ちあげた。

「こんなの、今時、ほとんど手に入らないわ」

「なぁに?」

 シンヤが問うと、トワが私にはよく分からない記号と数字を諳んじた。

「ぶっそうねぇ。懐古主義の共産情報部がよく使うやつじゃない。あんた、どこでそんなの見つけてきたのよ」

 私は首を振った。今日はこればかりだ。

「残り弾は?」

「十四発。多分死んだ男は二発くらってるわ。出血量が多かったから」

 彼女の冷静な言葉に、頭痛が再発してきた。

 血。

 そうだ、ついさっきまでそれを見ていたんだ。

 でも何故だか、そのことより自分の記憶が混乱していることのほうがよほど重大なことのように思えた。

「あんたが撃ったの?」

 シンヤが聞いた。トワもこちらを見ていた。

 どうにも答えようがなかった。

 状況証拠は明らかに私がことを行ったと示している。でも覚えがないのだ。

「分からない、ごめんなさい。ほんとに覚えてない」

 トワとシンヤは顔を見合わせると、二人で静かにため息をついたようだった。

 急に肩身の狭い思いがする。

 見ず知らずというわけではないけれど、二人に関することをほとんど忘れている人間のお守りをさせているのだ。それもかなりの厄介ごとを起こしてしまったような顔つきだった。

「あの……ごめんなさい。その……迷惑だったら……あの、すぐにでも、」

「出てくなんて言わないでよ」

 シンヤがにっこりとして言った。

「あんたのボディーガードをサボってまで作った特製シチューが完成したんだからぁ」

 彼は立ち上がると、救急箱を持って台所へ入っていく。

 トワは仕方ないねという顔をしながら、

「とりあえず、話は彼のシチューを食べてからにしましょう」

 それはとても魅力的な笑顔だった。まるで無邪気な妻を見守る夫のような……立場が逆だ。

 しかし、私はその前にシンヤが言った言葉が気になっていた。

「ね、ボディーガード?」

「そうよ」

 彼女は腕を組んで微笑んだ。

「私達、あなたのボディーガードをしてたのよ」

「何故? 私、誰かに狙われているの?」

「それを確かめるためにね」

 誰かに狙われている? そんな覚えはなかった。

 もちろんどんな覚えもなかったのだが、私はごく普通の人間ではないのか?

 拳銃を所持しているような人間に護衛してもらうような種類の人間なのだろうか。

 私が深刻になっていると、トワが立ち上がって私の肩をたたいた。

「大丈夫よ」

 先刻と同じ言葉を繰り返す。

 大丈夫?

「まず服を着替えて、髪もちゃんと切りましょ。シンヤにやってもらうといいわ」

 トワを見あげた私の耳に、噂の器用な彼の絶妙な鼻歌が聞こえてきた。

 古いシャンソン。

 驚いたことに、その鼻歌はとてもうまかった。

 驚いたことに?

 まったく驚かされてばかりだ、この世界には。


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