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26 動き出す思考 タスケテ

 私は窓枠に手をかける。

 シンヤが簡単にはめ直しただけの窓だ。ネジの部分がゆるんでいて、十円玉でも開けられる。

 毛布を当てて、静かにはずす。音はほとんどてたない。

 耳をすませると、シンヤの寝息がかすかにまだ聞こえている。寝ているだろうか。

 聴覚が研ぎ澄まされているのは、思い出したからだ。忘れる前の感覚。訓練されたもうひとつの自分。

 彼女は冷静に銃の感触を確かめ、窓枠に手をかける。

 さいわい、あの日のような風はなく、手はやすやすとあげられたままのはしごに届いた。窓枠の手を離し、跳び移る。

 錆び付いたはしごはみしりとも音を立てず、預けた体重をかろうじて支えているようだった。

 下は見ない。元来高いところは嫌いではないのだけれど、それでもこの高さはいくらなんでも本能が生命の危険を感じなければ嘘だ。

 わずか三、四メートル先の屋上だけを見て、必死で自分をなだめごまかす。

 あそこまで行くだけだ。大丈夫。

 縁に手をかけて、自分の体を引き上げる。

 昇りきってしまえば、今度は自分が過ぎて来た現実を思い出して足が震える。あの高さから這い上がって来たんだと改めて感じて心拍数が異常に急上昇する。

 自分が死にたくないと思っていることに安心した。

 屋上の給水塔入口から、ほこりだらけになって最上階におりる。

 白い服を着てこなくてよかった。もし着ていたら外を歩けないほど真っ黒になっていただろう。

 それでも、数日前に自分が一度通っただけあって、思ったほどではなかった。

 そうだ、白いシャツを着ていたから、あの日私は上着を脱いでいたんだ、急に思い出す。

 それから髪も長くて、この作業に邪魔だった。

 あの日、ここから出る時にはもうすでにここには戻ってこないと考えていたんだ。

 エレベータは最下階から緩慢なスピードで昇ってきた。

 待っている時間はじりじりと長い。

 ガラスの中に映る自分に問われた。私はどこへ行く?

 世界の座標の自分自身の位置を思い出しても、私はこれからの自分のベクトルが分からない。

 自分は何をしようとしている?

 あのファイルを、と心が言う。

 あのファイルを取り戻す。

 男は多分、私の行くところに来るだろう。

 私を追ってくるだろう。

 兄が書いたファイルを持って。

 だから、もうしばらく私は忘れている私のふりをしていよう。

 でもその先は?

 エレベータがゆるやかに停止して目の前で開く。

 私は乗り込んで最下階のボタンを押す。浮遊感が全身を襲って脱力しそうになる。

 壁に手をついてかろうじて沈みこむ自分の体を支えた。

『思い出さないほうがいいのかも知れない』

 不意にトワの声を思い出す。

 思い出さなかったほうが良かったのだろうか。

 分からない。

 お兄ちゃん。

 オニイチャン、タスケテ


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