23 あの日 彼の静かな微笑み
「……いるんだ、彼女」
急激に冷める感情が、孤独を思い出させる。
自分と同じ場所で生まれ育った人間が、自分の知らない世界を作る不思議さ。奇妙な見えない世界は、私にはできないものだ。
私はため息をついた。冷静さを取り戻す。
今度こそ本当に自分だけになってしまったのを感じる。
兄はもうここにはいない。
トウキョウに新しい世界を作った。
その世界の人間が、兄のしわだらけの喪服にアイロンを当てるのだろう。
「そっか」
ため息をつく私に、兄は優しく言った。
「……こんな席で言うのも何だけど、婚約してる。今の仕事がすべて片付いたら、コトコに紹介するよ」
「……うん」
ことのほか静かな思い。
息を吐く度に、重い感情が浄化されていくようだ。
「分かった。高校卒業まではここにいる。それからのことは、またお兄ちゃんに相談する」
「うん。受験勉強、ちゃんとして、それからトウキョウに来ればいい。この家を売り払ってもいいし」
「大丈夫。私はここにいる。奨学金うけて生活保護うけてなんとかするから。婚約してるなら、あんまり迷惑かけられないし。……嫌みじゃないよ」
「分かってるよ」
今日初めて、兄は私を見て微笑んだ。
祖母の訃報を伝えてから、ほとんど寝る間もなくとんで来た兄は何だかやつれていて、いつもよりなお静かに思えた。まるで人間離れした、人形のような表情。
私達はあまり会話のない兄妹だったけれど、それでも私は目一杯兄のことが好きだったし、兄もきっとそうであることは知っていた。
蝉がまた鳴きだした。
夜風が髪をなでた。
祖母に無理を言って街まで出て切った髪は、前よりもずっと軽く、耳元でさらさらと鳴った。
「お兄ちゃん、あんまり無理しないで」
「ん、分かった」
素直に言うと、兄はにっこりと笑った。まるで子供みたいだ。
「彼女、ちゃんと紹介してよね」
「ん、」
何故だかまた静かな表情に戻った兄は、言葉を切った。
私も少しだけ黙った。