14 青白い背中
パソコンをたたいているのは津久田のほうだった。
自分はどうもデスクワークには向かない、と君国は思っていた。どういうわけか公官庁は書類がなければ片付かないことが多く、その度にその無駄の多さとデスクに座っている自分の滑稽さが鼻につく。
津久田は器用でデスクワークもそつなくこなすので、君国は密かに頼りにしていた。彼をいつも連れているのは、自分の不器用な部分を補うだけの力が彼に存在していることを認めているからだった。
夜の役所の一角。
広い空間はしんとして誰もいない。電気さえ薄暗く灯って静けさを強調する。
職権を使って端末を借り、検索作業を繰り返した。幾つかの名前をくり返し表示しては内容を書き留める。
住民基本台帳の番号で藤堂の手帳に表記されていたナンバーを、関連事項も付け加えて幾つか検索した。
書いてあったナンバーに完全にヒットする人物はいなかった。
「住民基本台帳のナンバーじゃないのかな」
津久田が呟いて首を傾げる。
過去このナンバーで登録されていた人物も検索したが、数年前に亡くなった老人が表示されただけだった。念の為、その人物のデータを写し取る。
保険データや公官庁勤務者のIDナンバーも検索してみたが、ナンバーにヒットする人物が現れてもそのどれも思い当たるものはなかった。
「どうしましょう。もし、貸し金庫の番号だとか、どっかの番地だとかだったら、探しようがないですよ。人物じゃないかも知れないでしょう? ファイルが入ってるコインロッカーとか」
「十一桁なんだ。何か意味がある」
「逆読みとかじゃないですよね」
「いちおう検索してくれ」
結局それから一時間以上も粘ったが、膨大な人物のデータがたまっただけだった。夜がしんしんと更けるだけ。
しばらくすると、津久田はうんざりした様子でその名前の殴り書きを見つめた。
「これ全部に当たるんですか?」
「やってみなくちゃ分からない」
「防衛庁の端末から調べたほうが幅広く検索できたんじゃないですかね」
「とは言っても、これは公式の仕事じゃないしな。まぁ、巣穴にかえって、もう一度やってみるか。……これは?」
「指名手配者リスト、当たりますか?」
「やってくれ」
もうすっかり頭の中に入ってしまった十一桁のナンバーを、津久田はサーチ欄に書き込んだ。検索ボタンを押す。
数秒の沈黙。
画面が移り変った。のぞき込んだ君国の顔が青く染まった。
『小暮ミク』
「あっ、この女っ!」
津久田が声を上げた。誰もいない室内に大きく響く。
君国も思わず身をのりだした。
指名手配者リストには顔写真がのっている。
大きく画面全体に映ったのは、ほっそりとした影のある女の顔だった。日本人離れした彫りの深さと色の白さ。綺麗な女だった。
それ以前に、驚かされたのは君国も津久田も彼女を見たことがあったからだ。
三年前、トウキョウ。
「小暮ミク……あの女だ。間違いない。藤堂はこいつと接触しようとしていたんだ……」
「まだ、トウキョウにいたってことですね」
「きっと、こいつが川嶋のファイルを持っている」
「しかし、これ……死んでる」
見れば、小暮トワの備考欄に死亡との記述がくわえられていた。このデータの記載更新日は一昨日。
もしかしたら藤堂がこのデータを書きこんだのかも知れないと考えていた。
死亡の詳しい報告については何も書かれてはいなかった。
「どうします?」
津久田が心配そうに尋ねた。
三年前の川嶋モトキ、そして昨日の藤堂。川嶋のファイルと中埜貿易という仮称を持つ組織、そして小暮ミクをめぐって二人の部下が殺された。津久田だけではなく君国だとしても不安になる。
なにより川嶋のファイルがもう誰かの手によって消されていることも考えられた。
もしそうだとしたら、自分のやるべきことは何になるだろう。
小暮ミクが死んでいるとしたら、藤堂は誰に殺されたのだろう。
中埜貿易。
「とにかく、小暮ミクの足跡をたどってみよう。そこからファイルの所在を知ることができるかも知れない」
君国はこのデータをプリントアウトするように言って、少し離れた場所で煙草をくわえた。
藤堂の死によって再び中埜貿易ヘ目が向けられることになった。
しかし、それが正規の仕事にならないのは、中埜貿易があまりに秘密主義でつかみどころがなかったためだ。現在知られている未解決事件のうち、あるいは解決したと一般的に認識されている事件のうち、一体どれほどのものに中埜貿易がからんでいるのかまったく掴めないのである。人員を投入しようがない。
今、川嶋のファイルをめぐって、いろいろなものがそこからあふれだしている。追っている組織から今までになかったものが洩れだしている。
川嶋、
煙草に火をつけながら君国は考えた。
何故ファイルをすぐに防衛庁に提出しなかった?
何故口の重い親友にだけ託したりした?
すぐに大きな権力に預ければ、死ななくてすんだかも知れないのに。
何故何故何故何故……?
心の中で大きな疑問符が躍り上がって燃えた。
そうしてまた疑問。
小暮ミク、彼女に何があったのだろう。