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13 微笑う蛇

 夜気が空調からしのびこんできた。しけった冷たい空気だ。吸いこめば緩慢な甘さが口の中に広がる。

 色を失った空がブラインドの向こうにはっきりと見える。それは黒よりも深い闇色だ。 先刻、ビルの警備員が巡回してきて声をかけてきたばかり。このビルにはもう自分しか残っていないようだった。

 静けさがひときわ大きく襲う。昼間多くの人物が動いているオフィスビル外の夜は、まるでカラスのような漆黒の人間が徘徊するばかりで寂しい。

 寂しい?

 武石は、その自分の考えを一笑に付した。

 寂しいなんて考えることが、何故ある?

 それは本当の孤独を認識していない人間の霧のような感情だ。ウサンムショウして忘れてしまうだけの、簡単な感情だ。

 彼は冷たくなったデスクに腰かけた。

 扉の外に気配がして顔を上げる。

 ノックもなし、しかし静かに男が入ってきた。オフホワイトのジャケットに黒のスラックス。長身の男だ。

 彼は一歩だけ中に入ると、後ろ手に扉を閉めてにっこりと笑って見せた。

 武石には笑い返すだけの親密さはなかった。それに彼の笑顔が本物ではないことなど分かっている。

「何か不自由なことはないか?」

 開口一番、武石は言った。挨拶さえしない。必要がない。

 入ってきたのは、井和倉キョウだった。

 彼はスマートに微笑んで見せると

「特には。でも、鈴見君とか言いましたっけ、あの可愛い男の子。彼は少し感情が過ぎるかな。よく喋りますし物怖じしない、おもしろい子ですけどね」

「男の子、ね」

 確かに鈴見は子供のようだ。純粋で社交的で、この組織内部では珍種的存在だ。

 しかし彼の話術とその外見がどれだけの力を発揮するかということも、武石は知っていた。

「鈴見は元情報屋だからな。サポート役としては使える人間だよ」

「分かってます。嫌いじゃありません」

 彼の『嫌いじゃありません』が、人間を評価する中で一番最大級の褒め言葉であることを武石はよく知っている。しかしそれは、普通の人間が好きな色を思う程度の感情でしかないこともよく分かっていた。

「火器を調達しようとしたら、ちょっと余計な勢力に触ってしまったみたいなんです。どうやら包囲網を組まれていたらしい」

「お前にしちゃぁ、迂闊だな」

 彼は嫌みにならないポーズで肩をすくめた。

「どこだ?」

「防衛庁国内安全部。彼ら、何だか今度は本気ですね」

「昨日の夜、彼らのうちのひとりが死んだ。うちの調査に関わっていた奴だそうだ」

「鈴見君から聞きました。川嶋のファイルの件ですね」

「防衛庁は気にしなくていい。川嶋の妹のコトコからの報告が途絶えた。鈴見の話ではトワたちと行動を共にしているということだから、多分、川嶋モトキについて何か知ったんだろう。そっちの始末が先決だ」

「トワも、あれだけ実力と精神力のある人間だったのに、結局『人間的』ってものになってしまったんですね。あなたの読みもはずれました」

「二人ともがあそこまで脆弱で感情的だったと読めなかったわけだ。老兵は死なずただ去るのみ、だな」

「人間に関してはいつもそうだ。読めない。最大級のリスクを想定することが必要です」

「そのリスクを想定して、お前を呼び寄せたんだ」

「分かっています。判断の素早さがあなたの武器だ」

 空気が温い。緩慢で曖昧。

 それはどこに居たところで同じなのだけれど、この会話は特にそう感じる、武石は感じた。緩慢すぎる。

 キョウは直立不動、完全な笑みのまま尋ねた。まったくこの笑みは世界の終わりが見えても崩れないように思われる。

「川嶋のファイルは?」

「不明だ。ただ、防衛庁の手に入っているのなら、何らかのかたちでうちに圧力がかかるはずだ。しかし、まだ手を出さないところを見ると、彼らの手には渡ってはいないようだな」

「安心はできません。仲間の死をうけて、彼らは調査の体勢を整えはじめている。早めに手を打ったほうがいいでしょう」

「トワとコトコはお前に任せる。万が一ファイルを手にしているようならそれも一緒に処分しろ。動く場合は鈴見を通して私に連絡を。結果はすべて報告書で事後報告しろ」

「報告書……報告書を書くと、日本に戻ってきたんだという気がしますよ」

「皮肉を言うな。こっちだって参ってる」

「ご愁傷様です」

 キョウは笑って言ってのける。

 上司に向かっての口のきき方とも思えなかったが、武石は何も言わなかった。

「火器の調達だけ、お願いします」

「何がいい?」

「何でも。……あぁ、そうだ。三年前の川嶋の事件では何を使ってました?」

「コルトローマン357マグナム」

「じゃぁ、それを」

「すぐに用意できる」

 武石はデスクの一番下の引き出しを開いた。

 そうして取り出したのは、見るからにごつい拳銃。

「置いていったものだ」

 キョウはにんまりと笑って見せた。まるで何か捨てきったような微笑みだった。

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