11 遺したもの
喪服が細々と出入りする住宅街の一角を眺めて、君国はたばこの煙を吐いた。煙の味が濃く舌に残って、心底まずく感じられた。
きっと今夜は眠れないだろう。
遺体は司法解剖にまわされている。ここにそろっている誰も、まだ本人には会ってはいない。君島でさえも、彼を見てはいなかった。しかし、彼に関する周辺調査は開始されていた。
通夜は、多分明日以降だ。
止めた車の窓から入ってくる夕気が温い。
このごにおよんで、空は綺麗な夕晴れ、心に滲みこんで痛くなりそうだ。
道の向こうから見慣れた顔が近付いてきた。喪服が間に合わなくて結局しわだらけのスーツ姿だ。
「君国さん、これ」
運転席の窓に近付いた津久田がファイルを差し出した。
「藤堂の部屋から借りてきました」
君国はそれを受け取ると、まずくなった煙草を消した。
津久田は回りこんで助手席に乗り込んだ。狭い助手席だが、津久田の背が小さいので気にはならない。
「奥さん、取り乱して大変だったようです」
座ってすぐに彼は余計な報告をした。
君国にとってはあまり聞きたくないことだったが、津久田がそういうことを話すのは彼の感性がまだ働いているからだ。悪くはないと思っていた。自分も昔そうだったではないか。
「そうか」
君国は答えた。
「子供がいないのがまだ救いでしたね。でも、若くして未亡人です」
本気で同情しているように津久田が言った。
「結婚して二年経ってませんからね。そりゃ、取り乱します」
「奥さん、藤堂の仕事については知っていたのか?」
「防衛庁国内安全部勤務だってことは。でも、仕事の内容については話さなかったようです。当たり前か」
「守秘義務があるからな」
フンと鼻を鳴らして君国は言った。
小さなファイルの中身は予定表と雑記、簡単な住所録だった。昨日の日付けを探しながら君国は何枚かページをめくった。
「昨日、川嶋の命日だったでしょう?」
津久田がこちらを向いた。
「何となく嫌な予感がするんですがね」
津久田も三年前から自分と一緒に仕事をしている人間だった、君国は思い出した。そして、昨日殺された藤堂も。
嫌な予感は彼も一緒だった。
彼の元部下、川嶋モトキが殺されたのも、三年前の今日だった。
死に方も同じ、銃撃によるものだ。二発の弾をくらっていたが、一発目で即死していたものと思われる。
弾丸の線状痕から問い合わせてみたが、正規に登録された銃に同じものはなかった。
「触るなって言ったのに、藤堂の奴、個人的に調べてたんですね」
「あいつは、川嶋と仲が良かったからな」
「こりゃ、うちも本格的に動かなくちゃならないな。川嶋のファイルが本当に存在するなら、早急に発見しないといけないですね」
「ファイルは存在するさ。多分つい最近まで藤堂が持っていたんだ。じゃなきゃ奴が殺される理由がない」
「今はどこに?」
「俺に聞くなよ。藤堂がどこかに隠したのか、それとも、相手の手に渡ったかだな……っと、」
君国は手を止めた。
予定帳の昨日の日付けのページの空白部分に十一桁のナンバーが記述してあった。字が新しそうだ。
「津久田」
助手席の津久田もそれをのぞき込んだ。
「何でしょう。携帯の番号ではないし、普通の電話番号よりは一桁多い。住民基本台帳の番号かな」
「調べてみよう」
彼は車のエンジンをかけようとキーに手を伸ばした。
ファイルをしまおうとして、ふと気がついた。予定表の昨日の日付けの部分を見ると、ただ綺麗な字で『川嶋の命日』とだけ書かれていた。
ひどく心が騒いで煙草がくわえたかったが、吸わない津久田に遠慮して諦めた。