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ミアと禁断の創薬レポート  作者: 碧檎
第一学年
15/48

15 閉架書庫にて

 結局逸る心を抑えきれずに、医科の教授のところで鍵を借りたミアたちは、薄暗い閉架書庫でオイルランプの小さな灯りを頼りにカルテを漁った。

 明日が冬至だけあって、寒いし暗い。一人だと挫けそうだけれど、仲間がいるから励まし合ってやっていける。


(うん、彼は、大事な、仲間)


 そんな気持ちとはうらはらに、ミアはなんとなく落ち着かなかった。……あの眼差しが忘れられないのだ。


『俺が守りますから』


 仲間として大事だから、あんなふうに言ってくれたのだろうか。それとも――

 そんなことを考えながら作業中のフェリックスを見つめていたミアは、ふと顔を上げた彼とまともに目があってしまう。


「ミア、どうした? 疲れた?」


 フェリックスの瞳の色はくるくると変わると思った。昼間の光のなかでは湖面の漣を思わせる色。今は深い深い海の底を覗き込んでいるような気分になる。なんだか引きずり込まれそうで、ミアは慌てて目を逸らし、話も逸らした。


「い、いや、なんでもない。あ――そういえば、フェリックスは冬休みには家に帰らないの?」


 フェリックスだけではない。ヘンリックも冬休み返上などと言っていたし。巻き込んでしまって申し訳ないと気が咎めた。


「ん――、家に帰るよりここでミアと一緒にいたほうが楽しいし?」


 ぎょっとミアが見つめ返すと、フェリックスは苦笑いをする。

 いつまでたっても慣れない。どう返そうかと目を泳がせると、フェリックスは「それにヘンリックの言うとおり、あんまり時間ないし」といつものように微笑んで、カルテを指差した。

 ミアは話題が変わったことにほっとして、カルテの山を見つめる。発症からこれまでに亡くなった患者は百名ほど。綺麗にファイリングされているが、古いのと、ひとりひとりのカルテが分厚いのと、専門用語が多いのと、悪筆の人が多いのとで、なかなか作業が進まないのだった。


「ミアは、気になる症状あった?」

「んー、今のところは知ってることばっかりかも」


《悪魔の爪》の初期症状は、頭痛、微熱、腹痛とありとあらゆる不調の症状が現れることだ。すぐに命を奪うものではないため軽視されがちだが、最後には風邪などの軽い感染症が重症化して命を落とす。風邪などで施療院にかかった時にも検査があるが、年に一回ほど法定検査も行われ、診断が降りたものは強制的に収容されてしまうのだ。今サナトリウムに入っている患者は隔離されて可哀想だけれど、逆に考えると早期発見されて命をつないでいる幸運な患者なのだと、レッツ先生は幼いミアに言い聞かせた。

 そう言うと、フェリックスはむうっと眉を寄せた。


「どうも先生の言うことには矛盾がある気がするんだけどな……そうやってミアから患者を隔離するくせに、お母さんからの手紙をこっそり手渡す」


 フェリックスはその点にずっとこだわっている。普段何事にも執着しないので、珍しいとミアは思う。


「多分、わたしが駄々をこねたからってのがあると思う」


 母が収容されたあと、ミアはよく泣いたものだ。なんとかして母に会いたいと、いくら叱られてもサナトリウムを訪ねて行って追い返された。わがままを言うミアに根負けしたレッツ先生が提案したのが、付属施療院で働くことだった。会うことはできないけれど、壁一枚隔てたところにいると思えば頑張れるだろうと。


「一番近くでお母さんのためになることをしなさい」その言葉でようやくミアは泣き止んで前を向いたのだ。

 昔を思い出しながら苦笑いをする。それでもフェリックスはどこか不可解そうだった。


「カルテには伝染る、とか伝染ったとか、書いていないよね」

「うん。だけど、カルテに書くのは症状だけだし、伝染ってから収容されるんだから……根拠には弱いかも」


 そんなことを言いながらミアはカルテを解読していたけれど、ふと名前の右端に四角く塗りつぶされた箇所を見つけて目を細めた。


「ねえ、これ、なんだろう。記号、じゃないよね」


 綺麗に塗りつぶされているせいで模様に見えていた。


「名前の横? 住所は、下にあるから違うか」


 ミアはカルテに書かれていそうな情報を思い浮かべながら、一つ一つ照合してみる。


「住所? 既往歴? 家族構成?」

「いや、もっと単純なものじゃないか? 名前の横だし」

「あ」


 ミアは塗りつぶされた場所のすぐ下に性別が書かれているのを見て、小さく声を上げた。


「年齢?」

「生年月日、かも」


 フェリックスとミアは同時に呟いて、顔を見合わせた。


「これ、なんとか読めないかな」


 見えないとなると余計に気になる。裏返して光に透かしてみるけれど、同じ種類のインクで丹念に塗り込められているらしく、特殊な解析をしないと無理のように思えた。


「うーん……」


 フェリックスは難しそうな顔をしていたけれど、「ちょっと頼んでみるか」と言う。


「え、なにか伝あるの?」


 するとフェリックスははっとした様子であたふたと慌てだした。


「親戚筋当たったら一人くらいはいるかなって思ってさ」

「あ、フェリックス、貴族だもんね……」


 ミアが納得するとフェリックスは「そういうんじゃないけど」と居心地が悪そうにした。特に刺々しくするつもりはなかったのだけれど、何かにじみ出てしまったのだろうか。ミアは首を傾げて、ふと重要な事を思い出した。


「ああ、だめだった! 閉架図書は外に出せないよ」

「あー……そうか」

「じゃあ、一人ずつ当たってみるしかないのかな。大変だよね……」


 百人の元患者を調べる手間。しかも相手は亡くなっているのだし、遺族と対面するのは気が重かった。自分と母がたどる道が見えそうで憂鬱になる。間に合うのだろうか。そんな不安がむくむくと湧き上がった。だが、


「一人ずつ当たってみる? え、それってつまり――」


 フェリックスが突如ぽんと手を打った。びくりと顔を上げると、フェリックスはいやに嬉しそうに、そしてどこか緊張気味に提案した。


「じゃ、じゃあ、明日、調査がてら、学外に出掛けてみない?」




 学院が休みの間は、一応外出届けが必要だけれど、自由に外に出ることは出来た。

 外出届を出す前にふと思いついて、談話室にこもっていたヘンリックとマティアスに声をかけることにしたミアだったが、二人は話を聞くなり複雑そうな顔をした。

 間接的ではあるけれど、患者との接触を厭うているのだろうかとうがったミアだったが、マティアスが困惑顔で申し出た。


「それさあ……フェリックスと二人で行ってやってくれないか?」

「え、でも調査だって言ってたし、カルテ全部当たるってなるとすごく大変だから……みんなで行ったほうがいいと思うけど……あ、予定あった?」


 冬至祭なのだ。予定があってもおかしくないし、それを止める権利もない。ごめん、と言うと、マティアスは「いや、そういうんじゃなくってさ」ともごもごとなんだか歯切れが悪い。隣りにいたヘンリックがニヤニヤと笑う。


「君も大概研究馬鹿だよね。うん、僕は、楽しそうだしついていくかな」

「よかったー。フェリックスもきっと喜ぶよ」


 ミアがホッとしていると、マティアスが苦笑いをした。


「あー……なんかさすがに可哀想になってきた」


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