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(8)愛し方


長い間、黒い海の中で眠っていた。


そこは暗くて寂しくて悲しいけれどでも温かく、ドロドロと流れ込み続けるコールタールの海のように静かに身体を沈め絡み付いていく闇。

その中は身動きも取れなくて、だれの声も聞こえなくて、でもずっと優しさの中に包まれていた。

全身を覆い伝う紅い糸が体中の自由を奪い、しかしだからこそ安心していられた。

光を必要としない暗闇だけの狂気だからこそ、そこは世界中のどこよりも安心できた。

誰かの思い出の中で、誰かの思い出であり続ける事こそ、心をずっとそこにおいておく方法だったから。

けれどずっと留まっている心なんて本当は存在しない。

同じ二人の関係性ですら時と共に変わっていく。人の心は一つの場所には留まる事が出来ないから。

それを強引に縛り付けていたら、心を凍てつかせていたら、もうどこにもいけないから。

甘くて優しい香りがした。どこへでも香るその懐かしさに惹かれるようにそこに居た。

手にした華を手放したくなくて・・・いや、本当に手にしたのかどうかもわからないそれに引き寄せられる蜂のようにただその周りをうろうろする事しか出来ない。

新しい華を育てることも、切って捨てなくてはならない葉を摘み取る事も。

だからもう仕方がなかった。枯れてしまった華の前でずっと立っていても何も変わらないから。

せめて引き寄せる香りを忘れないように、それをずっと忘れないでいられるように。


何度でも同じ事を繰り返す事になったとしても。


俺はその香りを、絶対に忘れない。





(8)





「それじゃあ、今まで短い間だったけど・・・お世話になりました」


深々と頭を下げる俺をツバキは寂しそうに手を組んで見つめていた。


「本当にもう行っちゃうんですか?まだ一ヶ月経ってないのに・・・」


「はい・・・・・これから自分がどうするべきなのか、はっきりしましたから」


左手はリュックに、右手は隣に立つレンの手に繋がっている。

俺がこのアパートを出て行くと言い出したのは非常に急な事だった。今朝決意し、荷物をまとめ現在に至る。

唐突すぎる俺の言葉にレンは抵抗の様子一つ見せなかった。今でも隣で手を握り締めたまま微笑んでいる。

正面には寂しそうなツバキと腕を組んだまままだ眠そうに目を細めているカナタの姿。

短い間だったけれど二人には随分とお世話になったと思う。だから何もいえないのが心苦しいけれど今は別れよう。

俺の言葉も気持ちも、きっとこの片瀬カナタという女は判っていた。だから少しだけ悲しそうに笑い、何も言わなかった。


「レンちゃんも・・・またね?」


「うんっ!またね、ツバキっ!」


「最後くらいちゃんとしなさい」


頭にチョップするとレンはぺこりと頭を下げた。

荷物を持って先に歩き出すレンを見つめながら振り返るとツバキちゃんは泣き出してしまっていた。

その肩を叩いてカナタは言う。


「別にこれで会えなくなるわけじゃないんだから」


「そうだけどう・・・・だってなんか・・・・」


俺は何も言わない。ただ軽く会釈して振り返った。

これ以上ここに居ても、きっと余計な事を言ってしまうだけだから。


「サクラー!」


「おう」


手を振っている。

この古ぼけたお世辞にもきれいとはいえないアパートで過ごした一週間と僅かの時間は俺にとって大事なものになった。

俺とレンが一緒にすごすことが出来た思い出がここに溢れている。だからいつか、戻りたい。

ここでまた、いつかレンと再会できる事を俺は信じている。

目の前で笑う少女の手を取り歩き始めた。

他愛のないことで楽しそうにステップを踏み、俺の名前を呼んで俺の為に瞳を輝かせてくれる。

その笑顔や与えられたあらゆるものにどれだけのお返しが出来るのか俺にはわからないけれど・・・。


「それでサクラ・・・今度はどこにいくの?サクラのおうち?」


「それよりレン、せっかくだからどこか寄っていかないか?」


「えっ!?さ、サクラがそんなこというなんて・・・・どうしたの・・・?」


「・・・・・どうもしねーし、お前の中にある俺のイメージがなんなのか興味が湧いたが・・・この町を離れるんだ、どこか一つくらい思い出作りをしたって悪いことはないだろ」


「うーん・・・・じゃあ、遊園地!」


「遊園地か・・・よし来た、走るぞレンっ!」


「うんっっ!!」


レンの手を引いて走るが結局ちっこいレンでは俺に追いつけるはずもない。

鞄をレンの背中に背負わせるとレンを俺が背負って町を駆け抜けた。

街角ですれ違う様々な人たちが俺たちを見ていた。レンは楽しそうにきゃあきゃあ騒いでいる。

俺も負けじと笑って見せた。子供のようにはしゃいでくたくたになるまで走った。

レンの記憶を頼りに遊園地を探すのは骨が折れた。けれどまるで宝物を探す冒険者のように今の俺たちはそんなことですら楽しんでいく事が出来た。

人に聞いたり自分で探したり・・・時にはわざと遠回りしたりして一緒に買い食いしたり。

でもいよいよ昼ごろになってこのままじゃ遊園地にたどり着く前に日が暮れるんじゃないかって不安になって。

仕方ないからいよいよタクシー使って連れて行ってもらって、里見にもらった金を始めて使って。

隣町にあったそこはそんなに大きな遊園地じゃなくて、平日の昼間なんて人も多いわけがなくて、それでもレンは目をきらきらさせて飛び跳ねて喜んだ。


「わぁああ〜〜〜〜!なつかしい!前にね、ママが連れてきてくれたんだよっ」


少女にとってそこは思い出の場所だった。いや、そこだけではない。

ゲームセンターもデパートも一緒に歩く下らないどこかでさえ、それは思い出の中にある彼女との絆なのだ。

だからいつでもはしゃぐ。子供のように。純粋に。そうする以外の感情をまだ知らないから。

学校に通う事もなく、テレビを見ることもなく、誰かと関わることもなく生きてきたレンにとってその感情が全てだった。

風が吹いてその長い髪をゆらゆら靡かせて、甘くて懐かしい香りが耳を擽った。


「サクラ!早く行こうよ!」


「おう、じゃあジェットコースターから・・・・・・・・」


ジェットコースターの前には変なマスコットキャラの絵が書いてある衝立みたいなものがあって、そのハリボテが示す身長基準にレンは届いていなかった。

マスコットを蹴飛ばして八つ当たりするレンを引っ張りもどして仕方なくメリーゴーランドに乗る。

うるさいくらいに流れる派手なBGMとその割には全然早く動かないメリーゴーランドと、そのギャップは俺にとって退屈だったはずなのに・・・必死で馬にしがみついているレンを見たら笑ってしまって。

あっちへこっちへと、ただ純粋に楽しむためだけに俺の手を強く引く少女の為に俺は何でもした。

文句一つ言わず何もかもに付き合って、無駄な買い物たくさんして、お金もどんどんなくなって。

でも馬鹿みたいに笑って、下らないことで何回も笑って、涙が出るくらい笑って。

空は青く澄み渡っていて、どこまでも果てなく広がっていて、見上げるたびに俺は思う。

この景色を、この笑顔を俺は一生忘れないだろうと。だからきっと、離れ離れになったとしても大丈夫。

誰かを遠く離れていても思い続ける強さを、今はレンにもらえたから。

チェックのスカートを翻して走るレンを追いかけて俺も走る。

彼女が右へ行けば俺も右へ。左へ行けば俺も左へ。引っ張りまわされる時間のなんと退屈しないことか。

いつも一人で居た。だから俺は俺以外の影響を受けなかった。たった一人、自らの姉である彼女以外に依存せず、その心を預ける事もなかった。

今はこの少女に、たかだか十歳程度の、自分の歳の半分程度の少女に救われたような気がしている。

何度泣いても嘆いてもそれを打ち消してしまう程の笑顔があると教えてくれた。

ああ、そうさ。いつだって泣いて笑って、そうして人間らしく生きることのなんと素晴らしいことか。

何も知らず、悲劇的なまでに何も知らない彼女は、愚かで無知で蒙昧で、けれどその言葉も瞳も他の誰よりも真っ直ぐで、ただ真っ直ぐで、それしか知らないから本当に真っ直ぐで、だからこそ美しかった。

だから俺はその瞳の奥に輝く何かを彼女と重ね合わせ、そしてその姿と囁く声に重ね合わせ、きっとレンをいつしか好きになっていた。

こんな子供を、守りたいと思っていた。十九歳にもなる、今までずっと孤独で生きてきて、孤独のままでいいと思っていた男が、年甲斐もなく。

俺とレンは同じだった。心も記憶も身体さえも、愛染ヒイラギという一人の存在に縛られていたから。

だから俺たちの住む世界には俺たち三人しかいなくて、一人かけてしまったら残った方を愛するしかなくて。

そんな気が狂うような温かくて絶対に裏切られない愛情の中、それを受け入れる事も否定する事も恐れていた。

誰からも認められないようなこの恋の行く先を知ってしまう事を恐れていた。


「でも、嬉しいな〜・・・・サクラが変わってくれて」


「俺が?」


「うん。だって始めてあった時・・・すごく怖い顔をしてたもん。でも今のサクラは優しくてふわっとしてるよ」


「生意気言ってんじゃねーぞ」


「きゃははは」


抱き上げてぐるぐる振り回した。

触れ合って一緒に遊んで、そんな親子みたいな関わり方でしか俺は愛情を表現出来ない。

頭を撫でたり、一緒に走り回ってくれたり・・・俺を愛してくれた人は、そうしていつも俺をかまってくれた。

そこに愛情を感じていた。そうする以外に愛し方を知らなかった。乱暴でも、不器用でも、かっこ悪くても。

レンを抱きかかえて走る。まるで御伽噺のお姫様と騎士のように。恥ずかしそうに、けれど楽しそうに。



ああ、今俺は生きているんだなと、漠然と感じるように。



「ママと来た時もね、同じ事してくれたよ」


ベンチにすわり、その膝の上にちょこんと乗っかったレンは俺の両手を取りながら語る。


「一緒に走り回って、一緒に笑ったんだ」


「・・・・・・・・・・ママは、楽しそうだったか?」


「うん!」


それはきっと、容易に想像できて。

そこに浮かぶ景色こそ、本当はレンとあの人が望んでいたもので。

それを壊してしまったのも、それを生み出してしまったのもやっぱり俺で。

どうしてなのだろう?何故、こうな風に笑う事ができなかったのだろう?

あの人も、俺も、レンも、それだけじゃなくて今まで関わってきた全ての人たちが。

お互いのことをちゃんと正面から向き合えて、好きなら好きと、きらいならきらいと言えて、楽しく、お互いを認めて生きていけたのならよかったのに。

正面から伝え合う事をしなかった俺たちは、ただ愛することを知らなかった俺たちは、お互いの世界を傷つけることを恐れていた俺たちは、ただすれ違ったまま全てが終わり、終わってしまった後の世界を俺は生きている。

俺の物語はとっくに終わっていて、エピローグの後に続いている悪夢をどう清算するのか・・・ただそれだけに追われて、物語はやっぱり物語みたいにうまくいかなくて、生きている限り、続いていて。

その先にはレンが立っていた。俺の世界の果てで、俺をずっと待ってくれていた。

でもそれはレンの物語の始まりで、だからそうした何かをきっとレンに伝えて受け継いでいく事が出来るはずだから。

愛することを教えてあげたい。けれどそれは、レンに教えてもらった愛情だから。

背中からぎゅっと抱きしめるとレンは幸せそうな、とろけるような笑顔を浮かべる。

今の俺たちはハリボデで出来た関係なのだろうか?彼女をはじめて見たとき全身を駆け巡った悪寒も、彼女が浮かべていた顔に張り付くような笑顔も今はないけれど。

嘘や矛盾や間違いの上に成り立った俺たちだからこそ、やっぱり本当は正解なんかない。だから俺もレンも一生それを抱えて生きていくしかない。

それは不幸なことだけれど、それは悲しいことだけれど、やっぱり生きている限り続くことだから。

苦しい時は手を取り合って、それでも耐えて。もう間違ってしまわないように俺は願う。

どうかこの子がこの先一人でも立派に生きていけますように、と。


「観覧車、乗らないか?」


「・・・・うん」


俺からの提案に少しだけ驚いて、それからレンは頷いた。

そんなに大きくなくて、他に客もいなくて、ただゆっくりとゆっくりと巡る鉄の箱から見下ろす景色はやっぱり大事なもので。

ああ、この世界にはこんなにたくさんの、目には見えているのに気づけない大事があったんだなあって。

巡り巡る世界の中で、確かに俺たちは出会う事が出来たから。


「サクラ・・・・」


「ん?」


「サクラはこれから・・・どうするの?」


正面に座ったレンは不安そうに俺を見ていた。

手招きするとレンは隣に座ってそれから見上げてくる。

その頭をぐりぐり撫でると不思議そうに首を傾げるレン。


「レン・・・・俺の事、好きか?」


「うん、好きだよ?」


「俺もお前の事が好きだよ」


長い髪を手にとって目を伏せ艶やかなそれにキスをした。

顔を赤らめて口元に手を当てているレンを静かに抱き寄せる。


「サクラ・・・?」


何も答えなかった。ただ観覧車が地上へ降りるまでの時間、腕の中にレンを抱えていた。

やがて日が暮れて空が茜色に染まり始める頃、レンの笑顔は曇ってすっかり憂鬱そうだった。

もっと遊んでいたかったと言うレンとまたいつでも来られるからと嗜める俺の影があの日の夕暮れのように並ぶ。

不安そうに俺を見上げるいつもの上目遣いな瞳が愛しくて堪らず微笑んだ。


「・・・・・・・変だよ、今日のサクラ・・・?」


「何がだ?」


「なんか・・・・なんていうか、よくわかんないけど・・・・何が変なのか、うまくいえないけど・・・・」


立ち止まったレンは拳を強く握りしめ、それから胸に手を当てながら言う。


「ねえ、どうしてそんなに・・・・寂しそうなの?」


眉を潜め、小さく動く唇。


「なんでそんなに・・・・消えちゃいそうなの?」


小さく震える手は寒さのせいなのか、それとも別の感情なのか。


「サクラ・・・・・・・・・こわいよ」


いなくならないで。

少女が呟いた言葉。レンはきっと全てお見通しだった。

いつも俺のことをきちんと見ていてくれたレンだから俺の僅かな変化も見逃さない。

だから俺は目を閉じて、清清しく晴れ渡るような心境を少しでも伝えられるように真っ直ぐに。


『視線、逸らさないで』


誰かの言葉を、心の中で反芻するように。


『他人を真っ直ぐに見られない人は、自分の事も真っ直ぐに見られない』


あの女はそう言って微笑んでいた。

だから全てを無駄じゃなかったと、全てを受け入れていく決意があると、俺は目を逸らさない。

心の中で沢山の声を聞いた。姉貴やカナタやツバキや、それは今までずっと俺が目を逸らして生きてきた声たち。

そして目の前で、ずっとずっと目の前で、俺に助けを求めていた少女の声。

だから紅い風が吹く遊園地で、茜色の空の下で、あの日のように強く手を引いた少女を見るような純粋な瞳で、視線を逸らさないで、今からでもいい、きっと間に合うはずだから、真っ直ぐに真っ直ぐに。


レンを見つめる。


「愛染サクラは今、お前を助けに来た」


方膝を着いて跪く。

レンの黒髪が風に靡いて、俺はただ目を閉じて告げる。


「あの日の約束を果たしに来た。お前の願いを叶えに来た。だから告げてくれ、この俺に」


顔を上げる。

レンは悲しそうな、寂しそうな、でも幸せそうな・・・この世に存在するあらゆる感情がごちゃ混ぜになったような充実した表情で瞳を潤ませ、涙を零しながら言った。


「思い出したんだね、サクラ」


そして目を閉じる。


「約束を果たしにきたんだね」


あの日のように。


「あたしを・・・・愛染レンを、殺しに来てくれたんだね」


焔を背に、少女は言った。

だから俺は立ち上がり両手を少女の首にかける。

俺の手をとって涙を流しながら微笑む少女。俺は笑顔を浮かべて手に力を込める。

ずっとずっとこうなるために生きてきた。今までずっと、そしてこれからもきっと。


「サクラ・・・・・・・・・ありがとう」


涙をぼろぼろ零しながら少女はお礼を言った。

両手を血に染めた殺人者である俺に。

穢れきった、異常者である俺に。


「だいすきだよ・・・」



静かに、告げた。







沢山の願いがあって、沢山の守りたいものがあって。


自分の手で決めたのだから、それをやり遂げる義務があるから。


あの日の焔に誓ったように、俺はレンを愛しレンを殺す。


それが誰からも否定される愛情だとしても、それをやめたりしない。



だってそれが、俺とレンが向き合う為に絶対に必要な絆だったから。





冬の冷たい風が病院に吹き込む。


指先から離れた温もりに、俺は涙を零した。



2連休にはいったので一気に書き上げる予定。

さて意味不明な展開が続きましたが、次から解決編。わけわかんねーぞと石を投げてるそこのあなた、最後までお付き合いください・・・おねがいします・・・。

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