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(3)ころして

俺は生まれてこの方十九年間、他人に依存した事が一度もない。

何故そうだったのかと言われると俺にもわからないが、ともかく気づいた時にはそうだった。

友達も、家族も、全て俺にとっては他人で・・・そこに何かを求めるとか、何かを感じるなんてことはない。

だってそうだろう。人間ってやつは結局一人だ。一人のほうが気楽なんだ。だから俺は一人を選ぶ。

一人というのもそれほど悪いものでもない。何より気楽だ。わずらわしいことなんか一つもない。

自分の人生に影響を与えるのは自分だけでいい。誰かに左右されるのなんか気分が悪い。

ずっとそう考えていた。今もそれは変わらないけれど、ただ一人だけ俺が傍に居たいと思った人もいた。

その人は俺とは正反対の性格で、いつでも明るくて学校でも人気者で、勉強も運動も俺なんかよりずっと上出来で、何をやらせても俺なんかじゃ追いつけない、ずっとずっと遠い場所を走る人だった。

なのにその人は何かと俺にかまった。今思えばかまいすぎたと言ってもいいほどに。

煩わしく苦痛でしかなかったその存在がいつしか自分でも御せない程に大切になっていたのは何故なのだろう。

でもきっとそういうものなのだ。一人で居る事に良い面があるように、誰かと居なければわからないこともある。

そんなことはわかっていた。それが理解できないほど俺は馬鹿ではなかったから。

それでも煩わしいものは煩わしくて。ちっともいい事なんかなくて。いつもつらくて苦しかった。

俺の手を引いて早足で歩くその人は、いつだってきつく握り締めた手をぐいぐい引いてくる。

慌てて歩くその道が、どれだけ俺にとって重要だったのか、今でもよくわからない。

ただ、その人の面影を今でも追いかけている自分が、妙に気に入らないってだけで。


「姉貴・・・・・・・・・・・・・・」


真っ暗な部屋の中、隣で眠っているレンの寝顔を見つめながら呟く。

どうして姉貴はこの子一人を残して死んでしまったのだろう。

そしてこの子は・・・姉貴にとってなんだったのだろう。

大事な娘なのか、それとも・・・・・。

そんな風に考えてしまうほど、本当はあの人は不安定で壊れやすかったんだってこと、俺は知ってるから。

瞼を閉じて静かに息を吐き出しても疑問は頭を離れなかった。


「何で死んだ・・・・・?」


手を引く彼女が笑顔で振り返る度、俺は自分の胸が少しだけ高鳴るのを覚えている。




(3)




「で・・・・・・・・」


頭を抱えながらゆっくりと顔を上げる。

アパートに到着した翌朝。俺とレンは朝食も管理人であるツバキのお世話になっていた。

というのも自分たちで何とかするから構わないと言う俺を強引に部屋まで引っ張り込み(レンはノリノリ)で二人で仲良く朝食を作り始めたのである。

コタツで寝癖を直しながら待っていると唐突に扉が開き、昨日会った怪しい女・・・片瀬カナタ・・・が可愛らしいパジャマのまま乱入してきてそのまま無言でコタツにもぐりこんでしまった、というのが現状である。


「どうなってるんだこの状況・・・」


「サクラ、お待たせ〜!」


「レン・・・ひいっ・・・なんだそれは・・・っ!?」


お皿の上に黒い何かが乗っていた。何なのかは既にわからない。原型をとどめていないからだ。

ところどころまだ動いている気がしないでもないがこれは俺の目の錯覚だろう。そうに違いない。

もそもそとコタツから置きだしてきたカナタはそれを見るなり何ともいえない表情を浮かべる。


「あなた随分ハードな朝食を好むのね」


「決して俺の好みじゃないんですが・・・」


「サクラ、サクラっ!早く食べてみてよ!」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マジでか?」


レンの目にはこれが食べ物に見えているのだろうか?だとしたら病院につれていかなくては。

満面の笑顔で早く食べるようにとひたすらに俺を催促するレン。

この状況で断るわけにも行かず、とりあえず箸で何かをつまんで口に放り込んで見る。


「・・・・」


思っていたより不味くはなかった。いや、予想通りコゲた味だったわけだけれど。

というかコゲって食べるとたしか身体に悪かったような気がする・・・・。


「おいしい?おいしい?」


「そうだなあ・・・レンも食べて見ればわかるぞお」


「あむ・・・・・・・んむう!?」


口に投擲した途端レンの顔が見る見る青ざめ、その場で何ともいえない表情で俺の方を向き、


「ぺっ!」


俺の顔に向かって吐き出した。


「・・・・・・・・・んんんん、っの・・・・クソガキャーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」


レンの頭を両手の拳でグリグリと執拗にこねくり回していると台所から笑い声が聞こえた。

ツバキは両手に黒くない料理を手にして戻ってくる。

玉子焼き・・・恐らくレンもこれだったんだろう・・・・をテーブルに置きながら俺の頭を小突いた。


「こらこら、小さい子をいじめちゃだめですよ。あと顔に何か付着してますよ」


「いいんです少しくらい厳しくしたほうがレンのためですから。あとこの顔のは俺の地元のまじないですから気にしないでください」


「ツバキ〜、ご飯まだ?」


だから、あんたなんでここにいる?

寝癖だらけの髪を手櫛で梳かしながらカナタは湯呑みを傾けている。

なんでも管理人の説明によると、朝は管理人が作ってあげているとかなんとか。

昼間はどこで何をしているのかわからないので、二人が毎日顔をあわせるのは朝だけらしい。

とかなんとか説明を受けているうちにカナタは部屋を出て行った。一体なんだったのか。


「まあ、ああいう人なんですよ。あと朝は弱いので機嫌が悪いんです」


とのことである。


さて、レンと自分の今後についてそろそろ真面目に考えなければならない。

そのためにはやはり実家の両親ときちんと話し合う必要があるだろう。それは避けては通れないものだ。

なのだが、携帯電話のボタンを押す事をためらっている自分がいた。元々実家を飛び出して疎遠だった上にまたレンを連れて家を飛び出してしまったのだ。気まずいったらありゃしない。

庭先で携帯電話片手にため息を付いていると食事の片づけを手伝い終えたレンがサンダルを履いて走ってきた。

レンの服は結局姉貴のお下がりのものをいくつか持ち出してきただけであまり代えがない。セーターは昨日のまんまだが下着・・・つけているのかわからないが肌着くらいは変えたようだ。

洗濯はなんでもツバキがやってくれるとのことで、なんともサービスの良すぎる管理人だが大変助かっているのでありがたくお願いすることにした。

レンは俺のすぐ傍まで駆け寄ると人懐っこい笑顔を浮かべながら足にしがみ付いて来る。


「さーくーらー・・・・何してるの?」


「あんまりひっつくな・・・・いや、お前の今後の事で親父と話そうかと思ったんだけど・・・」


「だけど?」


「・・・・・・・・・・・・・まあ〜・・・・・・・・その〜・・・」


「恥ずかしくて電話できないんでしょ?」


「ばっ・・・・!そういうんじゃない!出来ればレンの意見を尊重したくてだなあ」


「ふう〜ん・・・?まあいっか。それよりサクラ!ここにしばらく住むなら必要なものをそろえなくちゃ!」


「あ?ああ・・・」


やけに楽しそうなレンを見下ろしながら財布を取り出して中身を確認してみる。

とりあえず銀行から降ろしてきたので当分は問題なさそうだが、あまり派手に使えるほど手持ちはない。

それに今後二人で生活するとなるとあまりレンを甘やかさないほうがいいというのは事実だろう。

一人で勝手に納得して頷きながら屈んでレンの目の高さで言った。


「いいか、レン。じゃあ今日は買い物にするが、あんまり好き勝手買わないこと」


「サクラにそんなこと言われなくてもわかってるもん・・・・子供扱いしないで!」


「・・・・・・・・・・」


子供扱いしないで・・・ってのは子供が言う事だぞ、とは言わないで置いた。

むしろ俺は子供扱いしてほしいくらいだ・・・。

レンの靴をサンダルからスニーカーに履き替えさせると俺たちはすぐにアパートを出発した。

今日の天気は温かく日差しもそこそこ強い。早朝に既に溶け始めていた雪は昼過ぎくらいには殆ど溶けてなくなってしまうだろう。

暖かな日差しの中、レンと肩を並べて歩き続ける。

アパートから商店街に行くまでは歩いて十五分はかかる。それまでは舗装された歩道をひたすら歩くのみだ。

俺は必要なものを頭の中に思い浮かべながら値段などをシュミレートしつつ商店街に向かっていたのだが、ふと気づけば隣からレンの姿が消え去っていた。


「レン?」


まさか一本道で迷子になったのかと思い振り返ると50メートルくらい離れた場所でレンがじっと俺を見つめていた。

仕方ないので早足で戻るとレンは涙目で俺の足を思いっきり踏みつけた。


「さくらっ!!!歩くの早いよおっ!!」


「・・・・まあお前軽いから別に痛くないが・・・・そんなに早かったか?」


「早いよ!サクラってば話しかけても無視だし!どんどんどんどん先に言っちゃうし!もうっ!!」


「あ、ああ・・・・?ご、ごめん?」


言われてみるとそんなこともあった気がしてくる。

隣を歩く人間のことを気にするなんてことは今まで一度もなかった。何せ隣を歩かれた記憶がない。

かつ、考え事をしていると周りが見えなくなってしまう性分としてはレンが視界から消えても気づかなかったのだろう。

レンは相当怒っているのかセーターの袖で涙を拭うとそっぽ向いてしまった。


「んな怒ることないだろ?俺にも色々と考える事があってだな」


「・・・・・・・・・・・サクラってばい〜〜〜〜っつも上の空じゃない!レンの話なんか全然聞いてないし!」


そこまで言われるほど上の空だった記憶はないが・・・まあ普段から色々と考えているのがそう見えたのかもしれない・・・。

得てして子供の感性というのは大人になってくるといまいち理解し難いものだ。

しかしこれは本格的に怒っていると判断した俺は慌ててしゃがむとレンの視線に自分の視線を合わせ謝る。


「悪かったって。今度からはゆっくり歩くよ」


「・・・・・・・・・サクラ、さっき自分が何ていったか覚えてる?」


「・・・・・さっき?」


「やっぱり聞いてなかった!サクラ、今日はあったかくてよかったね〜っていったら、サクラは『おぉ』って!」


それは俺の物まねなのか、なんともいえない表情で低い声を出してみせる。


「それで、サクラどうかしたの?って言ったら『おぉ』って!」


「ああ・・・・・・・・・・・・・・そうなの?」


「挙句の果て・・・サクラ、もしかしてレンのこと怒ってるの?っていったら『おぉ』って!!!」


どうやら本気で俺が怒っているとそこで思い込んでしまったらしいレンはそれから一生懸命俺に話しかけていたらしい。

そんな生返事を真に受けてしまうのもどうかと思うが、懸命に話しかけるレンを俺が無視し続けたのでようやく俺が上の空だと気づき、立ち止まった・・・というのが話の大筋らしい。

しかもレンが立ち止まってもしばらく勝手に一人で俺が歩き続けるものだから相当頭にきたんだとか。


「サクラが怒ってるって言ったからあたしすっごい悲しかったんだからね・・・・っ」


「あ〜・・・・・それは・・・・ほんとゴメン。なんか好きなもの買ってやるから・・・機嫌直してくれ」


「やだっ!」


「・・・・・・・・・・・・・」


子供だ・・・。

こんな時どんな顔をすればいいのかわからない俺が困り果てているとレンは盛大にため息をつき、


「しょーがないなあ・・・・じゃあ、サクラがおんぶしてくれたら許してあげる」


「おんぶ・・・・・?商店街までか?」


「ううん、ずっと。あたしの気が済むまで。そしたら置いていかれることもないし、耳元でわーーーーって叫べばいっくらぼくねんじんのサクラだって気がつくでしょ?」


「・・・・・・・・・・わかったよ、乗れよホラ」


「わかればいいのよわかれば」


屈んでレンが乗りやすい体勢にすると勢いよく背中に飛び乗ってきた。

持ちやすいように調整しながら立ち上がると今度はレンを気にかけるようにしながら歩き始める。

レンは首に腕を回して楽しそうに隣で笑っていた。

平均からしても小柄なのだろうレンの身体は担いでも区ではないくらいで、背中に乗せていても特に苦労はなかった。

むしろ時々首に回した腕がきつくなるほうが俺にとっては問題である。

こうなると最早買い物のことなど考えている場合ではない。盛大にため息を付く俺を他所にレンは楽しげに声をかけてくる。


「それで、何から買うの?」


「・・・・・・・んー・・・食器とかはツバキちゃんが貸してくれるって言ってたから・・・まあ生活雑貨だな」


「歯ブラシとか?」


「そうそう。あとはトイレットペーパーとか」


「うーんと・・・・みかんは?」


「みかんは生活雑貨じゃないなあ・・・・でもまあ冬は欲しくなるけど」


「じゃあぬいぐるみ」


「・・・お前ふざけてるだろ」


「ばれたか」


そんな会話を続けながら昨日辿り付いた駅前までやってくるととりあえず手っ取り早くデパートに入ることにした。

一階の化粧品コーナーを抜けたところ内部にドラッグストアがあったのでそこに立ち寄り生活雑貨をそろえる。

とまあここで既にやるべきことは終了してしまったのだがせっかくデパートに来たので食材などもそろえようかと思いエスカレーターに向かうと、


「サクラー・・・ちょっと!!」


「ん?どうしたレン」


「歩きづらいから持ってよ!」


「・・・・・・・・・お前が手伝うって言ったんだろ」


レンはトイレットペーパーの6ロール入りを両手で抱えて小走りしてくる。

体格的にそれは大きいのか、重くはないのだろうが不服そうに俺を眺めている。

仕方ないのでそれも俺が担いで並んでエスカレーターで上っていく。


「結局全部俺が持つんかい・・・」


「もっと軽いのがあったらもったげる」


「それ意味ないだろ」


エスカレータを駆け上がるレンが振り返り、黒い髪がふわりと翻った。

それを見上げながら俺は少しだけ歩く速度を速め、彼女の傍に居られるようにと努力した。

誰かの・・・特に子供であるレンの隣を歩くのは自分で思っていたより難しい。

そして強く強く俺の手を引くその小さな手は懸命に俺を急かし、前へと進ませる。

こんななんでもない一瞬一瞬が・・・・何故だろうか。とても大切に思えるのは。


こんななんでもない少女の笑顔が・・・・何故だろうか・・・・・とても懐かしく感じるのは。






「あんたもうちょっと早く歩けないの?」


あれはまだ俺が小学生だった頃の事。

思えばあの頃の俺もまた前を歩く姉貴のペースが速いと感じていた。

それでも隣に並ばなくてもいいと、一緒に帰らなくてもいいと考えていた帰り道。強く強く俺の手をひく冷たい手を振り解く事も出来ないまま、ただぼんやりと歩いていた。

足を止め振り返った少女は困ったような、それでいて楽しそうな複雑な表情で・・・・まっすぐに煌く純粋な瞳で俺を見つめていた。


「俺には俺のペースがあるんだよ・・・・ヒイラギは先に行けばいいだろ?」


「そういうことじゃないの!あたしは姉としてサクラを守る義務があるんだから」


胸を叩いて誇らしげに語るその自信がどこから湧いてくるのか子供心に疑問だった。

そう、姉貴はいつも根拠もない自信に溢れていて、強い力を持った眼差しに俺を映しこんでいた。

ランドセルを背負い直しながら視線を逸らすと姉貴はその手で俺の頭をぐりぐりと撫で回す。

姉貴の手はいつも不器用で、でも優しくて・・・乱暴なんだけど、でも優しくて・・・何ともいえないものがあった。

だからそれを受け入れる事も、それを拒否する事も出来ずただただ撫で回されていた。

そしていつも決まって俺の手を強引に取って強く・・・強く引くのだ。

結局それにしたがってしまう自分も、それを心地よく感じている自分も・・・・大嫌いだった。

夕焼けの夏の空の下、俺たちの影は重なる事は無くしかし離れる事もないまま・・・均等につながれたまま、ゆっくりと進んでいく。

顔を上げればまるでそれを知っていたかのように姉貴も振り返る。そんな帰り道。

目を合わせることも、逸らすこともままならない自分とその手を引く姉と。

そんな自分たちの釣り合わない人間性が気持ち悪く、それを受け入れてくれる彼女の事が愛しかった。

自分に無いものをいくつ彼女が持っていただろう?

俺に出来ないことをいくつ彼女が乗り越えただろう?

ただ見ていただけの、ただ後ろに手を引かれ歩くだけの自分が我慢できないほど嫌いになったのはいつだっただろう?


「サクラ、困った事があったら何でもあたしに言うのよ。サクラはあたしがいなくちゃダメなんだから」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


そうだ。

俺は彼女がいなくちゃダメだったんだ。

彼女に出会い、彼女が俺の手を取り、俺が彼女の手を取った瞬間から。

忘れることも、嫌う事も、好きになる事も出来ないのならば・・・・一体どんな感情を胸にすればいいのだろう。




「サクラ!そっち違うよ!」


「え?」


いつしか目の前に立っていたレンは俺の手を取り屈託のない笑顔を見せる。


「ほんとにもう、サクラはあたしがいなくちゃダメなんだから」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


その言葉を、その顔とその声で再び聴くことになるとは思わなかった。

あの時は、何度も繰り返されたあの夕暮れでは、俺は何一つ答えることが出来なかった。

今からでもやり直せるのであれば・・・・そう何度も考えた。

都会の夜を、孤独な夜を、自らが選んで掴んだ一人きりの夜を。

なのに姉貴は死んだ。彼女はもういない。いないって言うのに、どうしてこいつは俺にそんな事を言うのだろう?

姉貴に聞いていたのだろうか?それともそれが姉貴の口癖だったのだろうか?

あるいは彼女が・・・レンが本気で思って俺に言っているのか・・・それはわからない。

ただもしも願いがかなうのならばもう一度・・・もう一度姉貴に会いたいと思っていた自分が居て。

だからふとした瞬間レンの姿が姉貴に重なる時、俺は言葉を失うしかなくなってしまう。

それくらいに胸が痛くて苦しくて・・・自分の心の制御が効かなくなってしまうから。


「生意気言ってんじゃねーぞ、こら」


レンの頭の上に手を乗せると少女は驚いたように目を丸くして背伸びしながら俺の頬にそっと触れた。

それから自分でも気づかないうちに流れていた涙を掬うと優しく微笑んで俺に足にしがみついた。


「サクラ・・・・寂しいの?」


「・・・・・・・・・え?」


少女は不安そうに俺の顔を見上げていた。

俺は今出来るだけの笑顔を浮かべ強く頷いた。


「大丈夫だ。さあ、行こう」


必要な買い物を終えると俺たちはデパートを出た。

レンはすっかり元気をなくしてしまい、先ほどから俺の様子をちらちら伺っている。

そうなってしまうようにしたのは俺なので申し訳ないのだが、こんな時何を言えばいいのかわからない。

信号待ちの横断歩道の前。両手に荷物を抱えながらレンを見つめると少女は寂しげに呟いた。


「ねえサクラ・・・・あたしたち、本当に家族になれるのかな?」


信号が変わる。俺は一度目を見開いて、それからゆっくりと視線を逸らした。


不安だったのは、俺だけなはずがない。

明るく振舞うのも、頻繁に話しかけてくるのも、悪戯するのも全ては不安だから。

ちょっとしたことで崩れ去ってしまいそうな俺たちの曖昧な関係は、そうしていなければ終わってしまうから。

一緒に歩く帰り道はもうどこにも寄り道する気分にもなれなくて。

小さく肩を落としたレンの歩幅は狭く、気を抜くとすぐにおいていってしまいそうになる。

ゆっくりとゆっくりとそのペースにあわせ足を動かしながら様子を伺った。

何故俺はあの時答えることが出来なかったのだろう?それは俺自身もまた不安に駆られているからなのか?

それもあるのだろう。ただ決定的だったのは、その寂しそうな呟きもまた俺と彼女が・・・・彼女の母親が出会った時聞いた言葉だったからだろう。

まるで俺たちの全てをなぞるように少女は言葉を失くし、俺もまたその横顔にどんな声をかけていいのかわからずただ過去を繰り返す事しか出来なかった。

排気ガスで汚れた道端の雪は溶けて落ちて消えていく。微かに残ったそれを踏みしめながら俺は息を呑んだ。

レンを見る。俺の隣を歩く少女を。彼女が残した一人きりの彼女を。


「レン」


「・・・・うん?」


両手の荷物を、手放していた。


「レン・・・・・・・・」


肩膝を着いてその小さな身体を優しく抱きしめた。

驚きの余り言葉すら失っているレンにも伝わるようにゆっくりと、しっかりとその身体を抱き寄せた。


「俺はお前の傍にいるよ」


「・・・・・・・・・・うんっ」


背中に手を回しコートを掴みながら少女は笑った。

髪をゆっくりと指先で梳くと自分がどれだけこの少女を大切に思っているのか再確認出来る。

そう、絶対にもうこの子を悲しませる事を・・・過去を繰り返す事だけはしたくない。

レンは目に涙を溜めながら何度も何度も頷き、それから顔を上げて言った。


「不安だったんだよ・・・・サクラ、本当はあたしの事嫌ってるんじゃないかって・・・」


「そっか・・・・・・・・・」


「うん・・・・・・・でも、そんなことないよね・・・・」


「当たり前だろ」


「サクラはママの事が好きだったんだもんね」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・」


返事が出来なかった。

どういう意味なのかもわからなかった。

だから身体を離してその顔を見つめると、レンは照れくさそうに呟いた。


「あたしもサクラの事すきだよ・・・?ママがそうだったみたいに・・・」


「・・・・・・・・そう、言っていたのか?」


頷くレン。俺は自分でも訳が判らない感情が頭の中に渦巻いて混乱していた。

そんな事をこの子に話していた姉貴の事も、それにひどく動揺している自分にも。


「ねぇ、サクラもレンのこと好きになってよ・・・?ママにそうしたみたいに・・・」


少女の顔が近づいてくる。

吐き気を催す程の混乱の中身動きの取れない俺の唇に自分の唇を重ねたレンは歳に似合わない艶っぽい笑顔で舌なめずりして再び俺に抱きついた。

固まったまま、身体を動かす事が出来ない。自分の身に何が起きたのかも。

心臓が恐ろしく高鳴っている。これは照れているとかそんなものではない、もっともっと濃厚な・・・。


恐怖。


「あ・・・・あああっ・・・・ああああああああああっ!!!!」


頭を抱えて叫びだしていた。暴れだしたい衝動を抑えるように少女は俺の身体を強く抱きしめている。


「大丈夫だよサクラ・・・・あたしが傍に居るから」





怖いくらいにそっくりな、笑顔と共に。




俺は、どこで間違えたんだろう?





いけないことをした。


それが悪い事だと判っていながら、してしまった。

理解は出来ても止められなかった。だから俺は過ちを犯した。

自分が間違ったと、取り返しがつかない事をしたと自覚した時、急にすべてが恐ろしくなった。

汚れた自分の手も、自分が汚したものも、直視出来なくなった。

窓の外は雪が降っていて明日の朝にはきっと景色は白く染まっているだろう。

古めかしいストーブの上に乗せたやかんが喧しく音を立てて湯気を吐き出している。

耳障りなそれを止めるために身を乗り出して手を伸ばすと、それを阻むように彼女の手が動きを静止する。


「ねぇ」


すぐ後ろ、耳元で囁かれる言葉に思わず息を呑んだ。


「どうしてなの?どうして誘いに乗ったりしたの?」


彼女は俺に問いかける。本当は自分でもわかっているくせに、だ。


「・・・好きだから」


だから俺はずっと言わないで取っておいた言葉を彼女に告げる。


「ヒイラギのことが・・・・好きだから」


裸のシルエットを月明かりで映し出しながら彼女は掛け布団を胸元まで引っ張り上げ苦笑した。

その何ともいえない寂しそうな笑顔が頭の中から離れない。ずっとずっと忘れられない顔。

ストーブの灯りを消した瞬間、背後から延びた彼女の手によって布団の中に引っ張り戻される。


「大丈夫だよサクラ・・・・あたしが傍に居るから」


強引に唇を奪った姉貴の想像もしなかった一面に微かな戸惑いと恐怖が胸に湧いてくる。


「・・・・・・・・・・・・・やっぱりおかしいだろ・・・・・・・こういうのは」


視線を逸らして呟いた俺の言葉を耳にして姉貴は冷たく光る瞳で俺を見つめていた。

ただ何も言わず俺の胸に手を当て、憂鬱そうに微笑んでいた。





目を覚ますとそこはアパートの一室で、俺は布団の中に眠っていた。

という状況を見るからしてどうやら自分は気を失っていたらしいことがわかった。

ただぼんやりと霧のかかった思考ではそれ以上のことを考えられなかった。

すぐ近くにレンが座っているのが見えて、それ以上のことはわからなくて。

俺の手を取って見守ってくれているその存在に安心すると急激に眠くなって。



もう二度と起きたくないと思うくらい静かに・・・自然に、眠りに引き込まれていった。



「――――――」



レンの言葉が聞こえたような気がして、けれど目を開く事が出来なくて。


俺は逃げるように眠りの中へ意識を落とした。


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