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(2)はじまり


「ふんふふ〜ん・・・ふふ〜ん・・・♪」


レンが奏でる愉快な鼻歌を耳にしながら俺は早くも途方にくれていた。

一月上旬のローカル線は想像以上に込み合っていて俺とレンは隣の席に密接するように座っていた。

向かい合うのように設置された正面の席には老夫婦が座っており、のんびりとお茶を飲みながら景色を楽しんでいる。

結局あれから止む事の無かった雪は降り続け、その景色を楽しそうに眺めるレンと自分が手にしたメモとを交互に眺め頭を抱えた。

さて、朝はあんな啖呵を切ってしまった俺だったが、実際あらゆる苦難が俺を待ち受けていた。そりゃ当然なんだが。

まずそもそもレンは小学生で、ちゃんと学校に通っている子供なんだ。俺とは住んでいる場所も違うし、レンにはレンの生活がある。

ややこしい戸籍の問題もあったがそういうことは親父に投げっぱなしてきた。当然親父がそれを認めてくれるのは時間がかかるだろう。

しかし究極的な話、レンをこれから育てていくことにそんなのは関係ないと思っていた。少なくともそのときの俺は。

だから大事なのはレンがどうかってことで、レンの気持ちがどうなのかってことで、だからレンの環境を大きく変えてしまいかねない引越しなどの問題をどうするのかと、俺の頭の中はそれでいっぱいだった。

俺は都内に住んでいる大学生だ。ついでに言えばもう丸四年以上続けているバイトがある。そこでの生活は今まで安定していたし、それなりの蓄えもある。

当然子供一人を養えるだけの金額かと言えば全く持って不足は否めないわけだが、今までつつましく生活してきた甲斐があったというものだ。

何はともあれ俺達二人は実家を飛び出すと東京ではなくまずレンの生まれた場所を目指すことになった。

それは俺からの提案でもあり、レンも承諾してくれたことだ。何より俺の中にはまだいくつかの蟠りがある。

レンの生きてきた場所というのは当然姉貴が生きてきた場所でもある。俺の知らない七年間、そして俺が知らないレンにまつわる様々な出来事。そうしたことを、今はもう居ない姉貴のことを、知ってやれるかもしれないと思った。

とは言えローカル線に揺られる事はや二時間。実家で場所やらなにやらは聞いてきたものの、これはちょっとした長旅だった。

特に東京を出たのは五年ぶりである俺としてはレンを連れての大移動はなんだかちょっとした冒険的なものがある。

不安や疑問、様々な感情が渦巻く頭を抱えながら、隣で能天気にはしゃぐレンを眺めていた。


「おじょうちゃん、おせんべい食べるかい?」


「うん!いただきます!」


正面の席に座っていたおばあさんがレンにお菓子をあげはじめると嬉しそうに食べるレンが可愛かったのだろう、次から次へと饅頭やらなにやら餌付けされていた。

楽しそうにしているレンの頭を小突いて老夫婦に会釈する。


「すいません、なんだか色々いただいてしまって」


「サクラ、ぶったあ!」


「阿呆。お前の脳に遠慮という言葉はないのか」


「いいのよ、いいのよ。子供が遠慮なんてするもんじゃないわ。お兄さんも良かったらお一ついかがかしら?」


「おに・・・お兄さん・・・・・?俺がですか?」


「あらやだ、兄妹だとばかり思っていたのだけれど・・・違ったのかしら?」


レンを見る。レンはほっぺたにせんべいのかすをくっつけたまま俺を見上げていた。

その頭をグリグリなでて俺はため息混じりに答える。


「いや・・・・まあ・・・そんなところです」


言えるわけがない。娘です、だなんて。

我ながら軽率な行動だったと思う。でももうここまできたら引き返すことなんか出来るはずもない。

電車は俺たちを乗せて進んでいく。見ず知らずの姉貴が生きた土地へ。




(2)




駅のホームを出ると降り積もる雪を踏みしめ冷え切った空気を思い切り吸い込んだ。

レンの故郷は他県のこれまた田舎町にあった。とは言えあの実家に比べれば田舎の程度が違いすぎるのだが。

あそこにはなかった銀行で金を下ろし、外で待っていたレンの肩に積もった雪を手で払いのけてコートのボタンをしっかりと留めた。


「寒くないか?」


「やだなあ、これくらい全然へーきだよ。心配性だなあ、サクラは」


「・・・・・・・・・クソ生意気だなお前・・・」


頭をぐりぐり撫で回す。無言で歩き出すとレンも小走りで追いつき隣を歩いた。

山間にある町は恐らく出ればすぐ極端な田舎なのだろう。ただ市街地はそれなりに発展しているようで近代的なビルもいくつか目にする事が出来た。

またあんな山小屋みたいな位置にある武家屋敷に行くことになるのではないかと危惧したものだが、それは余計な心配だったようだ。

ポケットに手を突っ込んだまま商店街を歩いているとレンが俺の手を引いて微笑んだ。


「帰ってきたなあ〜・・・・!ねぇサクラ、何か食べてこうよ!」


「朝食っただろ・・・?」


「そうだけど・・・・あ!ゲームセンター行かない?」


「あ、おい・・・レン!」


俺の話を無視してレンはゲームセンターに飛び込んでいってしまった。

それなりに大きな施設であるアミューズメントセンターは隣にハンバーガーショップも併設されており、そう都合も悪くないということで俺はレンに引き続き中に入ることにした。

確かに外をフラフラしているよりは暖かくてマシなのだろうが、騒音の中に居ると自分がこの町に何をしにきたのか忘れてしまいそうだった。

煌くイルミネーションのような店内。雑多な空間の中、クレーンキャッチャーの前で手招きしているレンを見つけ出した。


「お前なあ・・・・俺の話を少しは聞け」


「いいじゃん、どうせ時間はいっぱいあるんでしょ?それよりこれ!これやりたい!」


「・・・・・・・・はぁ」


頭を抱えた。

千円札を両替機で崩すと百円玉が十枚になった。そりゃ当然なんだけど。

一回二百円というクレーンキャッチャーの値段に若干不満を覚えながらもコインを投入しコートの袖を捲くる。


「レンはどれがほしいんだ?」


「えー・・・あたしがやりたいのに・・・・」


「まあいいから任せろって。お前がやっても結果は見えてるからな」


「そんなのやってなきゃわかんないじゃん!!」


「うるさいな・・・じゃああれだ、あのうさぎだな」


「うさー・・・」


随分と巨大だが可愛らしい兎が中央に鎮座なすっていた。

さてここからがパパの・・・・いや、叔父さんの腕の見せ所だ。クレーンをあの無駄にデカイ頭に引っ掛けて持ち上げる。

ちなみに頭の上にあるいかにもひっかけてくださいといったカンジのわっかは罠だ。レンなら間違いなくそこを狙ってしまっていただろう。

金を出すのは俺なのだから、ちゃんとプラスにしたい。


「すごい!サクラすごい!一発だよっ!」


「最初からこっちの方に来てたからな。多分誰か一生懸命こっちに寄せてくれたんだろう」


そうでなきゃいくら俺でも一発で持ち上げることなんて出来なかったはずだ。

レンの体格からすると抱え込むほど巨大な白兎・・・なんだかやる気のない顔をしている・・・を手渡すとレンはそれをぎゅっと抱きしめて笑った。

頭をグリグリなでていると一人の女性がこちらにものすごい勢いで駆け寄ってくるのが見えた。

刑事ドラマにでも出てきそうな漆黒のロングコートに身を覆い、ヒールの高い皮のブーツをカツカツ鳴らしながら無表情に近づいてくる。

女は息を切らしながら俺たちを凝視し、それからクレーンキャッチャーの中身をじっと見つめ、それからレンの抱えている巨大うさぎを見比べ、それから手の平に掴んでいたたくさんの百円玉を見つめ、うるうると涙目になりながら兎を見つめ、言った。


「アウグストス・・・・・」


「アウグ・・・・は?」


「僕の名前はアウグストス・・・・うさぎの星からやってきた勇者なんだ・・・・」


とりあえず俺はこの場から今すぐにでも走り出したい気持ちでいっぱいなのだが、どうしたらいいのだろうか。

しかしそれでもレンには通じたのか、上着の裾をくいくい引っ張って耳打ちした。


「ねえ・・・・このうさぎ、もしかしてこの人が取ろうとしてたやつなんじゃ・・・」


「あ・・・・・」


確かにあの体勢にするのにはかなりのお金がかかっていることだろう。

でなければ一発で俺が取れたはずがないのだ。まさに後一歩でとれますよ、という姿勢になっていたわけで。

女はコートの袖でごしごし涙を拭いてジト目で俺を睨みつけている。

何故こんなことになっているのかわからないが、狼狽している俺を見てレンは巨大うさぎを女に差し出した。


「これあげます」


「え・・・・いいの?」


「うん、どーぞ」


「ありがとうっ」


女はこれでもかってくらいうさぎを抱きしめて笑った。よほどうさぎが好きなのだろう。でもそれくらいにしてあげてほしい、そのうさぎの顔面が恐ろしいほど苦悶の表情にへこんでいるからだ。

哀れなほどぎゅうぎゅうに抱きしめられているうさぎを見つめていると女は思い出したように俺を見つめた。


「あの・・・・・何か?」


「あなた、何か困っているでしょう?」


「え・・・・・・・?」


確かに困っているといえば困っているのだが、それが何だというのだろうか。

女は俺の返事も聞かないまま先ほどまでとは打って変わったクールな表情で俺に名刺を差し出した。

受け取るとそこには『私立探偵 片瀬カナタ』という肩書きと共にメールアドレス、電話番号が記載されていた。

私立探偵。なじみのない響の言葉に思わず首を傾げるが女は満足そうにうさぎを抱きしめたまま走り去っていった。

さて一体なんだったのかと俺自身疑問に思うのだが、何気に俺の二百円はどうなったのだろうと後から思った。


「なんだったんだろう、あの人・・・・」


「さ、さあ・・・・」


とりあえずまともじゃないことだけは確かだろう。

レンはすぐに頭を切り替えて次は何をして遊ぼうか考えているようだった。

凄まじい勢いではしゃいでいるレンの背中に思わず言葉を投げかけた。


「ゲーセンくらいでそんなはしゃぐなんて案外かわいいところがあるじゃないか」


「・・・・・・・っ」


俺は思わず表情を固めた。

びくん、と身震いしたレンは振り返り、顔を見る見る真っ赤にさせて早足で戻ってくると俺の足を思いっきり踏みつけたではないか。序に『バカ!』とまで吐き捨てて行きやがった。俺が何をしたっていうんだろう。

とにかく余計なことは言わない。それがレンと付き合っていく上で重要な事なのかもしれない。

それにしても何から何までまるで始めてみたとでも言うようにあちこち楽しそうに走り回っているレンを見ていると悪い気はしてこなかった。

目的とはもう百八十度違う状況だったが、レンが笑っているのを見られればそれでいいと思えるのは何故だろう。

遠くで俺の名前を呼びながら手を振っているレンの姿に苦笑しつつもついていってしまう。

思えばこうして誰かと一緒に楽しく過ごすのなんてどれだけ久しぶりだっただろう。生活や人生に不満はないけれど、どこか心の底から笑ったり楽しんだりすることを忘れていたのかもしれない。

レンはそんな俺の中にある何かを一発でぶっとばしてしまったのだから、たいしたものである。

勿論、その姿にまだ戸惑いは消えないのだけれど。



そうしてひとしきりはしゃぎ終わると流石に俺もレンもお腹がすいてハンバーガーを食べることになった。

レンはその間もずっと楽しそうに笑っていたものだから俺の中にあった不安も少しずつほどけていった。

二人でいればなんとかなるんじゃないかと。いや、俺がなんとかしなければという気持ちになってくる。

食事をさくさく終了し再びレンの家に向かって歩き始めた。レンは俺の手を引いて早く早くと急かしてくる。

そうして辿り付いたのは古ぼけたアパートだった。庭先に桜の木がでかでかと立っている事を除けば特に何があるというわけでもないごく一般的なボロアパートだった。

俺が住んでいるアパートですらもう少しまともなもんだが・・・。

レンに手を引かれ歩いていくとアパートの二階、確かにそこには愛染という表札があった。

ドアが開いていないかと思いドアノブをひねって見たが、カギがかかっていて入れなかった。

そういえばこの部屋の主である姉貴はとっくに死んでいるわけで、娘であるレンは実家に居たわけだから、むしろ空いていたらおかしいくらいなのだが。

ついでに言えば今契約はどういう状況になっているのか気になった。姉貴が死んだのであれば、もうこの場所はレンの家として機能していないのではないか。

様々なことを考えながら腕を組んでいると、階段を上ってきた女性とばったり目が合ってしまった。

エプロン姿に竹箒を携えた女性はにこやかに微笑むとこちらに近づいてくる。


「こんにちは・・・・あら、レンちゃん・・・・久しぶりねえ」


「管理人さんっ」


二人はどうやら知り合いだったらしく満面の笑みでレンは管理人に飛びついたのだが、それは飛びついたというよりは頭から突っ込んだような状況で管理人は腹部にレンの突撃を受け苦しみながらレンを抱き寄せていた。


「げほごほ・・・・ところであなたは?」


「あぁ・・・・愛染サクラと言います。この部屋の・・・愛染ヒイラギの弟です」


「愛染さんの弟さんですか・・・・それにしてはにてな・・・じゃなくて、それは遠い所わざわざ・・・・」


「ああ、いえそんな・・・・こちらこそすみません急に・・・」


何故かお互いにぺこぺこするという奇妙な時間が続いた。

しばらくすると管理人は口元に手を当てながら気の毒そうに言った。


「愛染さんの事は随分急で・・・・私も驚いているんです。レンちゃんのこととか、これからどうなるのか気がかりだったので・・・」


「そうですか・・・・ありがとうございます。それで、この部屋ってまだ姉貴の部屋なんですかね?」


「ええ。愛染さんは今年いっぱい分の家賃は前払いで支払ってくださいましたから。とりあえず二月まで、ここは愛染さんのお部屋ですよ。ただ、ご実家の方から荷物は片付けてほしいとの事で、もう中には何も残っていませんが」


「・・・・・・・そう、ですか・・・・」


冷静に考えて見ればそうだ。レンをこんなところで一人で暮らさせるわけにはいかない。

だったらもう最初からレンはこの町を離れる事が前提だったのだろう。帰ってくることも、もうないはずだった。

愛染と言う表札もかかってはいるものの、二月になれば外されてしまい姉貴が・・・レンがここで生活していたという痕跡は綺麗さっぱり消えてしまうのだろう。

そう考えると妙に寂しく・・・・悲しくなった。レンの頭の上に手を乗せ、それから顔を上げる。


「急で申し訳ないんですが、ここに一月いっぱい住んでもいいでしょうか?」


「へ?そりゃ構いませんけど・・・本当になんにもないですよう?」


「いや・・・・色々と考えたい事もあるので・・・」


管理人は俺の表情から何かを読み取ってくれたのか、優しい笑顔でそれを承認してくれた。

管理人の部屋は一階にあり、そこで姉貴の部屋の鍵を渡してくれた。


「そうだ、遅れてしまったんですけど・・・私、ツバキっていいます。ツバキちゃんって呼んでくださいね」


「ツバキちゃん・・・・・っすか」


どう見ても年上なのだが、そのほうがいいというのならばそうしよう・・・。

ツバキはレンの頭を優しく撫でると俺たちを見送ってくれた。

扉を開いて玄関に入る。狭苦しい四畳半の部屋が広がっていた。

そこにはもう姉貴が生活したという証も何もかも一切合切の痕跡が消えてなくなっていた。

繋いだ手を少しだけ強くレンが握る。もう帰る場所も無くなってしまった事を悲しんでいるのだろうか。

わからないまま俺はレンの手を強く握り返した。そして柄にもなく笑ってみせる。


「大丈夫だって。これからどうするか、ゆっくり考えような」


「・・・・・・・・うん」


何にもないまっ平な畳の上に二人で座ってぼんやりとするしかなかった。

話さなければならないこと、決めなければならないことが余りに多すぎて口を開く事が出来ない。

雪が降るくらいだから部屋の中はとんでもなく寒くて、でも何にもなくて、コートを着たまま俺たちは黙り込む。

やがてそんな沈黙が続くとレンが不安そうに顔を上げた。


「ねえサクラ・・・」


「どうした?」


「サクラ・・・・・帰らなくていいの?」


その顔は俺を気遣っていた。レンにはレンの生活があるように俺には俺の生活がある。

この子はそんなことまで考えていたのだ。もしかしたら今朝のあの強気な発言は彼女なりの精一杯のわがままだったのかもしれない。

まさかそれを本気で俺が実行するなど、子供心に考えていなかったのだろう。

実際、姉貴のこともあり長期でバイトは休みをもらっているが一ヶ月丸まるここに居られるほど休みはもらえないし、大学にだっていかなくちゃならない。

両方ともある程度融通が利くとは言え全て投げ出してレンの傍に居るわけにもいかない。

軽率な行動のオチはいつだってあっけないほど簡単な行き止まりだ。頭を抱えてため息を付いた。


「そうだな・・・・・帰らなくっちゃな」


「・・・・・・・・・・・・・・・・だよね」


残念そうに、けれど最初から判っていたとでも言うように微笑むレン。

そんな顔が見ていたくなくて、そんな顔をさせたくなくて、その小さな身体を抱き寄せて膝の上に置いた。


「言っただろ?俺はお前と一緒にいる。帰るまでになにか考えるさ。こう見えても俺は行き当たりばったりで今まで生きてきたけど、わりかしなんとかなってきたんだ」


「あはは・・・なにそれ?だめじゃん」


「だろう?でも案外なんとかなる。人間ってのは不思議とそういうもんだ。色々なことがあって結局なあなあなままなんとなくなんとかなっちゃったりするもんなんだよ。だからそんな顔すんな」


「サクラ・・・・いい人だね。会ったばっかりのあたしに優しくしてくれるんだもんね」


「確かに会ったばっかりだが・・・・そんなのは関係ない」


今日何度目かわからない、レンの頭をぐりぐり撫でて。


「俺はお前の叔父さんだろ?」


「・・・・・・・だよねっ」


抱える俺の腕に両手を添えて楽しそうに足をばたばたさせながら言った。


「あーあ、本当にサクラがパパだったらよかったのになぁ」


「よしてくれ・・・・まだそんな歳じゃない」


凍えるように寒い日でもレンが膝の上に乗っていれば暖かかった。

俺がこの子を守りたいと思う本当の理由はどこにあるのか、自分自身判らない。

それでもレンを・・・このまま彼女をほうって置くことなんてどうしても出来なかった。

世界中の全てが彼女を否定している。レンにとっての世界はきっと余りにも狭く、俺以外に頼れる人もいなくて、本当は一番心細くて寂しい時期のはずなのに強がってちゃんと笑っている。

本当に強いのは俺や親父や母さんなんかじゃなく、レンだ。だから俺はその笑顔を曇らせたくない。

今はそれでいい。今は理由はいらない。今くらいは。


「サクラ君、いますか〜?」


玄関が勝手に開いた。

ひょっこりと顔を除かせたツバキが明るい笑顔で声をかけてくる。


「仲がいいんですね〜♪」


「あっ・・・いやこれは・・・・寒いので・・・っ」


「うろたえなくてもいいんですよ〜?でもえっちなことはダメですよ?


「誰がするか誰がっ!?」


「サクラ・・・えっちなことするの?」


「しねぇっ!!!!!」


必死でつっこむ俺を楽しそうに見ているあたし、あのツバキとかいう女性格悪そうだ。


「よかったら私の部屋に来ませんか?おこたつありますし、お布団も貸してあげますから」


「えっ・・・いや、そこまでしてもらうわけには・・・・」


「いえいえ、いいんですよ。困った時はお互い様って言うじゃないですか。それに私、サクラ君のこと結構好きですよ?」


「は?」


「身寄りの無くなった女の子を何とかしてあげようなんて・・・・カッコイイじゃないですか」


そんなことまで話した覚えはないのだが、何故かばればれだった。

結局この部屋で一晩明かすのはこのままだとかなり厳しかったのでツバキの部屋にお呼ばれすることになった。

ツバキの部屋は姉貴の部屋と同じ構造だったが、こぎれいに片付いていて中央には可愛らしいオレンジのコタツがあった。

すぐさまもぐりこんでしまったレンの足を掴んで引っ張り出すと行儀良く座らせる。


「いや〜〜〜〜!!!なにするの!?」


「人の部屋にきた瞬間お前はくつろぎすぎだ・・・・あとパンツ見えてるぞ」


「ばかあっ!!」


事実を言っただけなのに何故かぶったたかれた。理不尽だ。

やる事があるからと言って家を出たツバキに取り残された俺たちはありがたくぬくぬくすることにした。

それにしても明日の予定も決まらないままこんな場所でこうしていていいのだろうか・・・?

レンを寒い部屋に放置するよりは幾分ましだと考えると少しだけ平常心を取り戻せる気がした。


「それじゃ、借りた布団を部屋まで運んで来るから」


「てつだおっか?」


「子供はコタツで丸くなってろ」


「さっきひっぱりだしたくせに」


「言葉のあやだ・・・大人しくしてろ」


布団を抱えて部屋を出る。階段を上ってすぐの場所に部屋があるのでそれほど移動は苦労しないだろう。

部屋に戻って布団を畳の上に設置してみたが、それでもがらんとしていて何もない。


「・・・・・・・・姉貴・・・・」


ここでレンと姉貴はどんな生活をしていたのだろう。

そんなことも知らないまま、姉貴がここにいるということすら知らないまま俺は生きてきた。

全てから逃げ出すように都会に駆け込んでそれっきりで。では姉貴はどうだったのだろうか。

俺たちが犯してしまった過ちを、どう心の中で処理していたのだろう。

今となっては誰もそれを知らない。理解できない。してやれない。

そんな寂しすぎる当たり前の事実が胸に突き刺さり、涙が零れそうになる。

しかしいつまでもみっともなくうじうじしているわけにも行かない。下でレンが待っているのだから。

ポケットに片手を突っ込んだまま出た玄関先で俺は足を止めていた。

目の前には漆黒のロングコートを翻しながら歩いてくる一人の女。

鋭く鋭利でミステリアス、しかしどこか優しげな視線で俺を捉えると目の前で立ち止まり微笑んだ。


「なんとなくこうなる気はしてたわ」


「・・・・・・・・・・何が・・・・?」


「あなたは何を探しているの?」


何もかもを見透かすような瞳が俺をじっと見つめている。

心の中にある様々なもやもやを感じ取られるような気がして俺は思わず視線を逸らした。

そんなことよりなぜこの女がここにいるのか。俺たちをつけてきたのか?いや、そんなはずは・・・。

考え事をしていると女は笑顔を浮かべたまま俺の横を通り抜け、隣の部屋の鍵を開けて入っていった。


「・・・・・マジか?」


女は隣の部屋の住人だった。

冷たい風が吹き込み、雪が頬に触れる。

今はそんなことよりレンだ。レンの元へ向かわなくては。

慌てて階段を駆け下りながら、しかし俺は感じていた。


ここにきて、きっと何かが変わり始めているのだろうということを。



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