8.青年、悪夢の始まり
重い空気が漂う。圧し掛かる重圧に、ポポは頭を下げひたすら言葉を待った。
オーナーたちがどんな顔で見下ろしているのか、流れる沈黙がポポの身体を恐怖に誘う。
震えそうになる身体を押し殺し、ただ願った。だが――。
『始末しなさい』
言い包めるような強い口調だった。
ポポは顔を上げず、黙ったままオーナーたちの言葉を聞いていた。
『これ以上、玩具はいらないのだ。お前自身が始末できないというならば、どこかの精肉屋にでも渡しなさい。そこなら生きたままでも加工してくれる。おまけに、お前の小遣いにもなるぞ』
『それならば、どこかの家に売りつけるのはどうですか? 近頃は、ヒトが高い値段で取引されていますよ』
『……その方が良いかもしれんな。良い案だぞ、ヴァル』
ははは、とオーナーたちの笑い声が聞こえる。
その瞬間――ポポの中で何かが切れた。
命をなんだと思っているのか。
美羽や我が子をなんだと思っているのか。
ポポは怒りに震え、とうとう顔を上げてしまった。白い肌は興奮する余り少し薄らと赤く染まっている。
握り締めている拳は震え、眼光は怒りのままにオーナーたちを睨みつける。
『おやおや……初めて見る顔だ。白い肌も感情で少し赤く染まるものなのだな』
『あら、本当』
が、オーナーたちはまるで気にする様子もなく涼しい顔のままであった。
『貴方がたは……私たち家族を……何だと思っているんですか!』
立ち上がり、グッと拳を握り締める。握り締めても怒りで震える。
「夢も希望もないこの世界で、ようやく幸せを掴んだのに……それをお前らが奪う権利なんてない!! 絶対に子どもは殺さないし、殺させない!! ふざけるな!!」
身体全体から声が出ているようだった。
はぁはぁと荒い息で呼吸を整えるポポに対し、デッドは大きくため息を吐き、落胆の色を見せる。
『……やれやれ。久しぶりに、しつけ、が必要になるとは……』
『しつけ』
まるで何かの呪文を唱えられたように、ポポの身体から一気に熱を奪われた。
と同時に、植え付けられた恐怖の種が脳裏に芽吹く。
目を見開くポポの目の前で、デッドの姿が見る見ると変わってゆく。
顔は伸び口も大きく開き、見える歯がどんどんと鋭くなる。身体も大きく服を破き、白い鱗が何枚も浮き彫りとなった。
腕や足も同様に、白い鱗が覆い尽くし、指先足先には鋭い爪が伸びた。
背中からは白く大きな翼を左右に広げ、お尻からは鱗に覆われた尻尾も生える。
オーナーたちの本来の姿は、巨大な白い龍だった。
久しぶりに本性を見せたデッドに、ポポは言葉を失い後ずさりをする。
過去、何度死の淵まで追い込まれ、何度蘇ってしまっただろう。否応なく、頭の中がフラッシュバックした。
「あっ……あ……」
愕然とするポポに躊躇うことなく、デッドはその鋭い爪が生える手でポポを横へはたいた。
強い衝撃により、ポポはまるで物のように壁へと激突した。
「……うっ」
背中頭を強く打ったものの、なんとか意識はある。が動けない。
倒れたままのポポの傍に、デッドは舞い降りた。そして足でポポを踏みつける。
『ポポ。私に歯向かうとどうなるか、その身を持って教えてきただろう。今お前の目は、それを忘れていた目だったぞ』
グッと足に力が加わる。ポポはうめき声を上げた。
圧し掛かる足のせいで、呼吸ができない。
『あの娘とお前の子どもは、私たちには必要ない! ……それとも、お前がそこまで言うのならば、私たち直々に手を下してやろうか?』
ポポはカッと目を見開き、なんとか声を絞り出す。
『そ、それだけは……おやめ、くださいっ……!』
呼吸も難しいはずなのに、それでも拒絶するとは――。
身体が覚えているはずのしつけに抵抗し、素直に従っていた指示に従わない。
デッドはにやりと口元を緩めた。
優秀な従順玩具を維持するには、不安の芽は摘み取らなければならない――そう確信した。
『……よし、そうしてやろう! お前が私たちに歯向かった罰だ! ……良いではないか、お前は一つも痛くない罰だ。ありがたく思いなさい』
そう言うと、デッドはポポの身体を鷲掴みにした。なんとか抵抗を試みるが、びくともしない。
『ヴァル! お前はそこにいて、私の指示で冷凍装置の操作をしなさい』
『かしこまりました、旦那様』
『やめてください!!』
叫びも虚しく、デッドはポポを鷲掴みにしたまま冷凍装置がある部屋へと向かって行った。
大きな白い龍の姿のまま、扉を破壊して冷凍保存の部屋までやって来た。
そこにはすでに、壁から冷凍保存装置が出ている。空の装置と、もう一つ美羽が眠っている装置。幼子は隣の、ポポたちの居住スペースの中にいる。
『ポポに見せてやりたいのは山々だが……こんなくだらんことに時間を使うのは惜しい。お前は装置の中で眠っていなさい』
『やめてください!』
抵抗も空しく、開いている装置の中へ乱暴にポポを押しつける。余りの強さに一瞬、苦しさを覚えたがそれどころではない。
すぐに逃げ出そうとするも、勝手に装置の蓋が閉まっていく。
『くそっくそっくそっ!! やめろ!! 殺すな!! やめろ!!』
蓋は閉まり、内側から叩くが開くことはない。
『ほほぉ。言葉遣いまで忘れてしまったか。まぁいい。あとでたっぷりしつけをしてやろう』
最後に見たのは、にやりと笑う龍の姿だった。
すぐに意識は遠のき――ポポは長い眠りについてしまった。
◇ ◇
冷凍装置の蓋が開く。
つい先ほど寝ついたような――そんなことを思いつつ、美羽は目を開けた。
そこには、白い龍がいた。
白く鱗が何枚も重なり、まるで鎧のように見える。
身体を一飲みされてしまいそうな大きな口からは鋭利な牙が並んでいた。
爪は何でも引き裂きそうなほど鋭い。そして、赤い目で鋭く美羽を見下ろしていた。
「……な、なんで……」
一瞬、恐怖で身体が動かなかった。どうして部屋に龍がいるのか。
だが、すぐに頭が切り替わる――娘は無事か。
そう思うや否や、身体はすぐに居住スペースの部屋へと駆けこんでいた。勢いよく開いた先の床に寝転がっている。
すぐさま抱きかかえて部屋を出る。
――が、肝心の出口が龍がいるため塞がれている。
『……初めて会うな、無力なヒトの娘』
デッドは言葉をしゃべるが、美羽には耳障りな鳴き声にしか聞こえない。
なんとか落ち着こうと、視線を彷徨わせる。
――ポポは……!
起きているはずだった。けれど、部屋には気配がない。と――もう一つの冷凍装置が閉じていた。
遠目で見ると――中に人がいる。ポポが寝ているのだ。
――どうして? まさか……この龍が無理やり? ということは……この龍がオーナー!?
起きたはずのポポが眠っている。そして、部屋には龍がいる。
実直な考えであったが、この世界ならば考えられることだった。
『お前たちはポポに良かれと思って与えたが……時間を無駄に消費するだけのガラクタだ』
一歩、龍が美羽に近寄る。一歩踏み込んだだけなのに、わずかに床が揺れた。
ごくりと唾を飲み込み、龍を見上げる。
『お前のような既製品はいらないのだ。……始末する』
龍が大きく口を広げた。殺そうとしている、と美羽は悟った。
ポポとオーナーたちの間で何かがあり、結果として美羽たちの命を奪うことになったに違いない。
――けれど。
美羽は子ども抱く腕に力を込める。
この子だけは守らなくてはいけない。
数分後、いとも簡単に始末を終えた。だが、全てではなかった。
デッドはヒトの姿へと変化し、じっと亡骸を見つめた。
幼子に覆いかぶさるように、美羽は死んだ。
背中を炎で焼かれようとも、酸の唾を浴びようとも、鋭い爪で削られても決して――その場を動かなかった。
ヒトの泣き声が響いている。
変わり果てた美羽に隠れるように、泣き声だけが響いていた。
『……ヒトとは、時に強い心を持つのだな』
死にながらも身体が潰れることなく、幼子が苦しくないよう空洞を作り、自らの身体を壁としている。
守りながら死んだ――まさに言葉通りの死に様だった。
『そこまでして守りたかったか、この幼子を』
デッドは近寄ると、すでに事切れている美羽の亡骸を乱暴にどけた。
固まったまま転げる亡骸の後に、目の周りを真っ赤に腫らした幼子がいる。
デッドの姿に驚いたのか、一瞬泣き止んだものの、すぐに泣き始めた。
『……運の良い奴だ』
『……旦那様、お召物と木箱です』
いつの間にかバスローブと木箱を抱えたヴァルが隣にいた。
デッドはローブを羽織りながら、口を開く。
『……あと、カグラを呼んでくれ』
デッドは膝を折り曲げ、幼子の額に指を伸ばした。
すると触れた瞬間――幼子はばったりと床に倒れた。それを確認したヴァルが幼子を掴み、木箱の中に入れ蓋を閉じる。
『誰にも見つからないよう注意しろ。あとは、放っておきなさい。生きようが死んでしまおうが興味はない』
『かしこまりました』
一礼したヴァルは再び部屋を出た。
デッドは変わり果てた亡骸と、装置に眠るポポ、双方を見た。
『お前たちが命をかけて守ろうとした意味……少し興味が沸いた。あの幼子が生きる意味があるのか、ないのか、それを見届けるといい』
次で終わりです。