6.青年、苦悩が始まる
報告してきたポポに対し、オーナーたちは頭を抱えていた。
『身籠った、か……。覚醒している間に産んでしまえば良いが、もしそうならなかった場合……』
『冷凍保存に胎児が耐えられない、かと……。旦那様、いかが致しますか?』
にこりとも笑わない。
ぶつぶつと、しかめっ面で意見を交わしていた。
『……胎児を取り除いて保存するしかないだろう』
『取り除かず母体ごと冷凍するとなれば、どのようなことが考えられるでしょうか』
『おそらく、母体共々死ぬ可能性が高いだろう。……全く、手間な事をしてくれる。いっそのこと母体を始末してしまうか……』
血の気が引いていく。
ポポは即座に両膝をつき、勢い良く頭を下げた。
『デッド様! ヴァル様! お願いでございます!!』
オーナーたちは会話を中断し、驚いた顔をポポへ向ける。
『美羽を、お腹にいる胎児を、どうか殺さないでください!!』
『……ポポ、お前がそんなことをする必要はないのだ。身籠ってしまったあの娘が悪い。だから顔を上げなさい』
『いいえ! 悪いのは美羽でも胎児でもありません。お願いします! どうか……どうか殺さないでください!』
頭を上げようとしないポポに、オーナーたちは困った顔でお互いを見合わせる。
すると、ヴァルが一歩前に出てそっとポポの背中に触れた。
『産むのを待っていれば、お前の残された貴重な時間がどんどんと減っていってしまう。仮に産んだとしても、生まれたばかりの赤子はきっと冷凍保存に耐えられないでしょう。ポポ、私たちは少しでもお前の生きている時間を引き延ばしたいのです』
冷たい手が背中に触れている。
それでもポポは床に頭をつけたまま、声を絞り出した。
『私の命は、貴方がたのものです。生かすも殺すも自由です。ですが……ですが、美羽と胎児は……私の、家族なのです。私が守らなくてはいけないのです。守るためには、少しでもそばにいてやらねばならないのです。……お願いします。どうか、胎児を殺さないでください。一緒にいさせてください』
ようやくポポは顔を上げた。
目の前に、ポポの心を見透かすかのように無表情で見つめるヴァルの姿がある。
本音を言えば、ポポはオーナーたちの赤い瞳が恐ろしかった。
何を考えているのかわからない。何度その瞳に見つめられながら、生と死を彷徨ってきただろう。
否応なく全身から汗が滲んだが――決して目を逸らさなかった。
ここで引けば守れない、そう感じたのだ。
ヴァルは特に何も言うことなく、デッドの元へと戻っていく。
デッドもじっとポポを見つめていた。
『お前が……そこまで言うのも珍しい。……良いだろう、産ませるといい』
『あ、ありがとうございま――』
『だが!』
デッドの視線が鋭さを増す。
『出産はあの娘だけで十分だ! お前は寝ていなさい』
『そ、そんな……!』
『お前が起きている必要はない! 数年後、入れ替わりに起きれば良い。そして……』
デッドの口元がニヤリと歪む。
『娘が寝ている間、お前は子どもの始末をしなさい』
『し、始末……? それは……どういう意味でしょうか?』
『わからないか? つまり、食べるなり殺すなりして、子どもの命を消せ、と言う意味だ』
全身から血の気が引いていく。目の前が歪むようだった。
冗談ではない、本気で言っている。
狼狽するポポに対し、デッドは気にする様子もなく言葉を続けた。
『病気で死んだ、事故で死んだ、理由など簡単に思いつく。娘は寝ているのだ、見られることもない。嘘がばれることもない。良い考えだろう?』
『そうですね。それならば、娘に気付かれることなく始末できますわ』
デッドとヴァルは嬉しそうに笑い合っている。
本当に、美羽と子どものことはどうでも良いのだ。返す言葉が見つからず、ポポは呆然とオーナーたちを見るしかなかった。
『だろう? 生きる時間を削られるぐらいなら、さっさと始末した方が良い』
『ポポの残された時間の方が大事ですものね』
『もちろんだ。仮に喚き始めれば、また新しいつがいを用意すれば良いだけの話だ』
オーナーたちにとって、ポポを生かすことが一番大事なのだ。
目元さえ隠せば自分たちそっくりのヒト――珍品好きのオーナーたちにとって、ポポは大事なコレクションだった。
デッドは微笑みながら、跪くポポを見下ろした。
『そういうことだ。良いなポポ』
呆然としたまま、頷くことも拒否することもできなかった。
どうすれば良いか。
圧倒的な力の差があることは知っている。知っているからこそ、身体が動かない。
変に意見をして美羽が襲われてしまったら――?
守れるのか? 力の差をまざまざと見せつけられてきた自分が、守れるのか?
ポポはぐっと口の奥歯を噛み締め、少し顔を俯かせた。
震えそうになる手を拳で堪え、言葉を絞り出す。
『……失礼いたします』
そう言い終えふらふらと立ち上がった。美羽の待つ部屋へと歩みを進める。
部屋に着かなければ良い、と一瞬思った。一体どんな顔をして、美羽に会えと言うのだろう。
守ると言いながら結局は抗えもせず、美羽の知らないところで子どもを殺せ、と指示された。
――……私はなんて……ひどい奴なんだ。あんな奴らの、言いなりなんて……。
――美羽になんと言えばいい……? 美羽を裏切るのか……?
赤ちゃんができたと、嬉しそうに笑う美羽の顔を思い出す。
笑顔がポポの胸を締め付ける。
手で胸を抑えたところで、痛みはなくならない。どんどんと息苦しさが増してくる。
――……言えるわけがない。私は……どうすればいいんだ。
◇ ◇
ポポは、一人で産み育てるよう指示されたことだけを、美羽に伝えた。
一瞬、不安そうな表情を見せた美羽だったが「家族三人になるのなら」とすぐに了承した。
ポポはできる限りの食糧と水を用意した。
それでも食糧が尽きないように、ポポはヴァルたちに頼みこみ、部屋の前に食糧を置いていくよう頼み込んだ。
また、一人きりになる美羽のために、日本語で書かれた書物もいくつか補充した。
書物だけではなく、縫物ができるよう、布や毛糸、裁縫道具も用意する。
長い時間二人でいたのだ。突然一人になれば、不安になるに決まっている。
それでも、美羽は不安そうな表情を浮かべることはなかった。すでに母としての自覚があったのかもしれない。
「ポポ、大丈夫だよ。私、頑張るから」
冷凍装置の上に横たわるポポに美羽はニッコリと微笑む。
「三年なんて短いよ。それに子守りを代わってもらう前までに、ポポが困らないように、赤ちゃんをちゃんと育ててるから」
ふふ、と小さく笑う。
ポポもなんとか笑みを作るが、心の奥がズキズキと痛んだ。きっとぎこちない笑みになっている。
「……そうですね……一人で辛いかもしれませんが……」
「……どうしたの? 顔色がすっごく悪いよ?」
温かな手がポポの頬に触れた。素直な真っ直ぐな瞳が、ポポに注がれる。
目を背けたくなる――だが、心のもやがその瞳に吸い込まれそうになった。
――いっそ全てを話したら楽になるのかもしれない。
「美羽、実は……」
そう言いかけたものの、言葉が出てこない。
「……何かあったの?」
顔色を悪くし何か切羽詰まるような表情を浮かべるポポに、美羽も何かを感じ取った。
だが、ポポはそれ以上何もいわない。顔を背け、寂しく笑って見せた。
「……なんでもありません。すいません、気にしないでください」
「ポポ……」
美羽も聞こうと思ったが――言葉が出てこなかった。
「……そっか。わかった」
「……身体には気を付けてください。一人の身体じゃありませんから」
「うん。……じゃあ三年後。おやすみなさい……」
カバーが閉じられる。ポポはゆっくりと瞼を閉じた。
次に瞼が開かれるとき――ほんの少しだけ、家族三人の風景が映っている。
が、その後すぐに待ち構えているのは、美羽への裏切りと我が子への仕打ち。
天国から地獄へ――余りにも辛い現実が待っている。
溢れそうになる涙を堪えながら――ポポは眠りについた。