5.青年、喜びを知る
◇ ◇
地区一番の煌びやかな建物として有名な、ホテルデッドと呼ばれる建物がある。
そこのオーナー夫婦は、優秀な経営者として広く知られている。
が、その実体は冷酷無比な手腕でのし上がった人外であった。
彼らには秘密がある。
夫婦以外、知る人外は誰もいない。
奴隷として扱うヒトを、子ども――いや、愛玩動物としてかくまっていること。
自分たちと同じ、白を基調とした肌色と髪質。目元さえ隠せば、同じ人外種そっくりと映るヒト。
彼はポポと名付けられ――しつけという暴力を受け続け、死ぬことさえ許されず、長く生かされ続けていた。
冷凍保存を繰り返すうち、身体はしつけを恐れ、考え方も彼らに近くなってしまった。
従順な愛玩動物――彼は夫婦たちのご機嫌を伺いながら、ひたすら生き続けた。
夫婦が飽きて捨てる日を夢見て、何年何十年と、時を重ねて行く。
けれど、彼はある日、見つけた。
暇つぶしに紛れ込んだ、地下の労働空間。自分とは違う、死を恐れ必死に生きようとする人間たち。
その中に、一人の少女がいた。
彼は、愛らしく笑うその少女に恋をした。
◇ ◇
ポポはホテルデッドの最上階に住んでいるらしく、そこを目指すこととなった。
ポポはいつものように目元を包帯で覆う。そして美羽は人外の目に晒されないよう、頭から布をかぶせた。
看守の目を盗んで牢屋から出て行ったが、結局それ以降、ライスとは会うことはなかった。
美羽は手を引かれるまま、進んで行く。その最中、様々な人外の声がポポに話しかけていた。
何を言っているのかはわからないが、敵意はなくご機嫌を伺っているように感じた。
しばらく歩くと、エレベーターらしき乗り物に乗った。
ドアが閉まり、そこでようやく安堵したため息が聞こえた。
「……美羽、このエレベーターを昇り切ればすぐに着きますよ。もうしばらく我慢してくださいね」
布越しにポポが囁いた。美羽は頷いて見せて、顔を俯かせる。
どんなオーナーが待っているのか――そう思うと緊張で身体が強張った。
人間を奴隷のように扱って、頂点に君臨している人外である。
否応なく緊張感が身体を支配した。
ようやく最上階へとついた。降りて、そのままの状態で手を引かれていく。
――と、そこでようやくポポの歩みが止まった。
『デッド様、ヴァル様、戻りました』
ポポの声色であるが、聞きとれない言葉だった。
そしてすぐに初めて聞く声が響いた。
『ここに来る間、他の者たちには気付かれませんでしたか?』
少しキーの高い、女のような声だった。
そしてすぐに別の声も聞こえた。
『ヒトとの交わりは初めて見た。参考になった』
今度は低い声。どうやら、目の前に人外が二体いるらしい。
美羽は息を潜める。心臓がバクバクと暴れた。身体が強張り震え始める。
そんな背中を、ポポは優しく摩った。
『ここまで私もそして美羽も、他の人外に気付かれることはありませんでした。デッド様、ヴァル様、美羽とつがいになることをお許しいただけますか?』
はっきりとしたポポの声が響く。
ほんの少し沈黙が流れた後、大きなため息と共に低い声が聞こえた。
『……好きにするがいい。ただし、私たちはそのヒトの面倒は一切みない。私たちは、お前さえいればそれでいいのだから』
『私も旦那様と一緒よ。珍しくないヒトなんて、興味がないわ』
なんと言っているのか。人外たちの言葉に対して、ポポはすぐに言葉を出さなかった。
摩っていた背中の手が、わずかに力むのを感じる。
『……わかりました。私がきちんと世話します。……どうか殺さないでください』
結局、オーナーたちの素顔を見ることはなかった。
布をかぶせられたまま、冷凍室まで手を引かれていったのだ。
ポポから聞くと、オーナーたちは普通のヒトには全く興味がない。色白で白髪の、自分たちとほとんど一緒のポポだけを気に入っている。
珍しいというだけで、他の人外たちには秘密でポポをかくまっているらしい。
「美羽。この装置が冷凍保存装置です」
人一人寝そべるベッドのような機械に腰掛ける。
透明な蓋は開いており、頭の部分から太いチューブが壁に向かって伸びている。その壁に四角く切り抜かれたように空洞があり、チューブはそこへ伸びていた。
どうやら、冷凍保存を始めれば壁の中へカプセルごと収まる仕組みとなっているらしい。
「この装置の起動や操作は、全てオーナーたちが行っています。私たちは五十年眠り、一年活動して、また五十年眠る――今からそんな時間の刻み方になります」
「ご、五十年? そんなに寝たら、あの方たちでも生きてないんじゃ……」
「いいえ。オーナーたちは、人外の中でもとくに長生きできる種族なんですよ。ですから、彼らにとっては五十年など他愛もない年数です」
機械に腰掛けていたポポが立ちあがり、美羽を寝るように促す。
促されるまま機械の上に横になった美羽。不安そうにポポを見上げる。
「五十年後に……ポポに会えるんだよね?」
「えぇ。……すぐに会えます」
美羽の頬に手を添えると、ポポはニッコリと微笑んで見せた。
「隣に美羽がいるなんて、とても幸せです。……五十年後、会いましょう。おやすみなさい」
透明のカバーが閉じられる。
カバー越しのポポの顔を見上げながら、何か急に眠気を感じ始めた。耐えきれなくなったまぶたが閉じていく。
そして――美羽は長い長い眠りへと入った。
◇ ◇
それから美羽とポポは五十年に一度、冷凍保存から目覚め再会することを繰り返した。
目覚めて活動できる期間は一年。一年が過ぎれば、再び眠りにつく。
起きている間、二人っきりになれる時間は少なかった。
待っていたかのように、オーナーたちがポポを呼び寄せる。美羽は別室で待機していることが多かった。
オーナーたちにとって美羽は、あくまでポポのために与えた奴隷であり、ポポを満足させるための玩具にしか過ぎない。
そのせいか、オーナーたちは美羽の顔も、存在さえ見ようとはしなかった。
だが、ポポだけは違った。
時折、オーナーたちが仕事のため不在になる時がある。そのときようやく、二人だけの時間となった。
辛いこと悲しいこと、全てが洗い流せるような幸せな時。
何十年眠っても、想いが変わることがなかった。
そして――四度目の目覚め。数か月過ぎた時だった。
美羽の身体に異変が起きた。身体のだるさと、強い吐き気。
原因はすぐにわかった。
ドキドキと緊張しながらも、ポポと二人きりになれたときに告白した。
「ポポ……あの……」
「どうしたんですか? そんな改まって」
冷凍室の横の部屋。美羽とポポが起きている間に過ごす部屋が用意されている。
ベッドや本棚も、またテーブルにトイレに風呂にキッチンもあり、生活していく上では困らなかった。
椅子に腰かけ、恥ずかしそうに俯く美羽を不思議そうに見つめた。
「何か……困ったことでもありましたか?」
「ううん、違う。……その、あ……赤ちゃんが……できたみたいで……」
「…………え」
恐る恐る美羽は視線を上げる。
ポポは信じられないと言った表情で、呆然と美羽を見つめていた。
「ほ、本当ですか……? 赤ちゃん?」
顔を段々を緩ませ、ポポは勢いよく立ち上がると美羽のそばにより抱きかかえた。
「信じられない! 私と美羽の赤ちゃん……! すごい……やった!!」
「ははっ! 私たち、お父さんお母さんになるんだよ!」
二人は嬉しさを爆発させ、しばらく抱き合った。
「……でも……私たちで育てること……できるかな」
身体を離すと、まだ膨らんでいないお腹を摩りながら、美羽は不安そうに呟いた。
所詮、ポポも美羽も囚われの身。生かすも殺されるも、オーナーの気持ち次第だった。
「冷凍される日までそんなに日数もないし……もしかしたら、産む前に冷凍されるかも。そうしたら赤ちゃん……大丈夫なのかな」
すでにもう、半年は過ぎていた。
出産する前に冷凍保存されることが目に見えている。
けれどポポは、不安そうな美羽の手を取ると気丈に微笑んで見せた。
「……私がオーナーたちを説得してみます。美羽は何も不安がることはありません。もう一人の身体ではないのですから、大事にしてください」
「うん……ありがとう」
和らいだ美羽の顔を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
だが、ポポは悪い予感がしてならなかった。