4.少女、想いを知る
感情を露わにして数時間後、ライスは再び看守に連れられて牢屋を出て行った。
去り際に、ライスから心配そうな眼差しを受けたが、美羽は少し薄く笑って答えた。
再び、ぽつんと牢屋に座り込む。
これからどうなるんだろう、そう思っている時だった。
『出ろ』
ハッとして顔を上げると、いつの間にか看守が牢屋の扉を開けていた。
出ろ、とでも言っているのだろう。が、美羽はすぐに立ち上がることはできなかった。
出て何が待ち構えているのだろう。ポポが助けると言った言葉は、嘘だったのだろうか。
出たくない。
今まで感情を押し殺して、淡々と作業をしていたのが嘘のようだった。
身体の震えが止まらない。
出てこない美羽に苛立ったのか、看守は牢屋の中に入り、美羽に平手打ちをした後立つように促す。
腕を掴まれ無理やり立たされる。力で敵うはずはない。
頬の痛さと恐怖で、ガタガタを震えが止まらない。すでに目には涙が溢れ、止まらなかった。
『ん、珍しいな。お前が泣くなんざ、実に面白い。泣いたところで意味はないがな』
恐怖に歪む美羽の顔を、ニヤニヤと見下ろしながら看守がしゃべった。
歩みは止まらない。どんどんと闇の奥へと連れて行かれた。
最初に案内されたのは、人一人が入れるスペースのシャワー室だった。
看守が背を向けているものの、シャワー室の前に立つ。
恥ずかしさはあったが、久しぶりにシャワーを浴びれる喜びの方が勝った。
シャワーを浴びると、真っ黒な液体が身体から流れ出た。
汚れが落ちるのがわかり、とても気持ち良かった。が、シャワーから出ると服がなくなっている。
慌てる美羽だったが、看守はシャワーから出てきたことを確認すると再び歩き始める。
美羽は仕方なく裸のまま後を付いていく。
少し歩いた先に待っていたのは――真っ暗な部屋だった。
美羽が入ると扉を閉じられ、全く何も見えなくなった。
いよいよなのだと、美羽は悟った。
ずっと見てきた、モニターの少女たちと同じ運命を辿ろうとしている。
おそらく目の前の扉が開いた先に、気味の悪い人外がベッドの上に寝そべっている。
そして、恐怖で固まった少女を無理やりベッドの上に連れ込み――。
見ていた内容が頭の中で再生され、思わず口元を押さえる。
――気持ち悪い! 嫌だ、嫌だ!!
身体の震えが止まらない。どうやって感情を殺してきたのだろう。
少し前まで、人外に身をまかせれば生き長らえる――そう考えていたのに。
――ポポ……助けて……お願い……!
ポポの言葉が繰り返し再生される。
寂しい牢屋の中、ポポは寂しいときに寄り添ってくれた。
慰めてくれた。話を聞いてくれた。
感情を押し殺していた美羽は、その温かい気持ちさえも知らないふりをした。
己がこれ以上傷つかないように。失った時の痛みをこれ以上、知りたくなかった。
――ポポ……ごめんなさい。
涙が頬を伝う――今更、もう遅い。
どれだけ助けられていたのか。
優しさも喜びもないこの世界で、ポポはそれを与えようとしていたのに。
自分は応えようともしなかった。
その時、無情にも目の前の扉が開け放たれた。
眩しい光の先に見えるのは――ベッドと人外。
が、その人外は予想外の人物だった。
「……美羽」
潤む目を手で擦り、もう一度凝視する。
そこには、ベッドの上にあぐらをかき座っているポポの姿だった。
「な……なんで……」
「……おいで美羽」
驚きのあまり、言うとおりにフラフラと歩み寄る。
ポポは手を伸ばし、美羽の手を取ろうとする。がその直前、全裸だったことを思い出し 美羽は顔を真っ赤に染めて歩みを止めた。
「……大丈夫」
そう言うと、ポポを腕ぐっと伸ばし美羽を掴むと引き寄せた。
倒れ込んだ美羽の身体を布団で覆い、自らも上へとのしかかった。見れば、ポポも裸である。
「えっ……ど、ど、どうして……!」
「シッ!」
そう言うとポポは顔を美羽の耳元へと近づける。
身体が密着する。裸ということもあって余計に恥ずかしい。
が、ポポの声色は冷静そのものだった。
「……今、この部屋はある人外の目に晒されています。これぐらいの声ならば、聞こえません」
「ある人外って誰?」
囁く声と同じぐらいの声量で答える。
あの時と同じように、モニターに映し出されているのかと考えた。が、ポポの答えは違った。
「私をかくまっている人外です。実は……私は元々、人間なんです。人外に見えるようにわざと包帯をしていたんです」
「……え。ま、待って。じゃ、じゃあポポって名前じゃなくて、本当の名前があるってこと?」
「ありましたが……忘れてしまいました。今はポポなんです。私は……人間を捨てたんです」
ポポが少し身体を起こし、美羽の目の前に顔を向ける。鼻がくっつくかの距離。
そして、ポポは目元を覆っていた包帯を取り外した。
そこには、少し灰色っぽい色素の薄い瞳があった。
優しい目だった。
「私はアルビノです。昔、美羽と同じようにこの人外界へ紛れ込んでしまいました。が、白髪と色白が功を奏しと、とある人外に気に入られました。その人外が……このホテルデッドを所有するオーナーです」
「オーナー? 人間を捨てたって?」
「すぐに理解はできないかもしれません。ですが、美羽。今は、この状況をどうにかしなければ貴方を救えないんです」
ポポは美羽に口づけをした。吸いつくようなキス。
わけのわからないことに、美羽は身体を動かし抵抗を試みる。が、覆いかぶさっているためはねのけられない。
離れたポポに、非難の眼差しで睨みつけるがポポは悲しく笑みを見せた。
そして、再び耳元に顔を寄せる。
「や……やめて……!」
「美羽」
が、ポポは顔を寄せただけで何もしない。
静かに言葉を放った。
「……私を押しのけて、そこのドアから逃げるんです。逃げて逃げて……どこか遠くへ……」
目だけ動かすと、確かに扉があった。
「ここは特別な部屋。今、この部屋を監視しているのはオーナーだけです。ドアを出ても誰もいません。部屋を出て真っ直ぐ行けば、ホテルデッドの外へ出ることができます。そこからは手助けはできませんが、どうか逃げてください」
「……ポポは? ポポも人なら……逃げないの?」
「オーナーが見ている以上、私が逃げることはできません。それに……私はオーナーの所有物なんです」
「……どうして? どうしてオーナーは私たちを見ているの? それにこの状況は何なの?」
再びポポが頬にキスをする。
「私がオーナーに頼んで、美羽をつがいにしたい、と頼んだんです」
「つがい……?」
「……すいません。どうにかして救いたかったんです。ですが……オーナーたちはあまり信用していません。ですので……私たちの様子を観察し、保存するに相応しいかを確認しているんです」
「え……どういうこと? 保存って何?」
「私は冷凍保存され続け、もう百年以上生きているんです。そのつがいに相応しいかを、オーナーたちが私たちの相性見ているんです」
冷凍保存、という言葉にハッと気づく。
ポポが元々人間、と言った意味。それは、オーナーたちの手によって無理やり寿命を引き伸ばされている、ということなのだ。
すると、ポポが美羽の手を取り、自らの肩に触れさせた。
「……さぁ。押し退けてください。この場はなんとか誤魔化します」
横目でポポの顔を伺った。
どこか悲しい目の色をしている。
「ポポ……もし、私がこのまま……ポポを受け入れたら、どうなるの?」
ポポは美羽を見ることなくベッドに視線を伏せる。
それでも美羽はポポをじっと見つめた。
「……私たちはつがいとなり、ずっと……私とともに冷凍保存されます。……人であって……人ではなくなります」
「じゃあずっと……ポポと一緒にいられる……そうこと?」
「そうですが……でも、どうしてそんなことを?」
ようやくポポが美羽を見つめた。
薄い灰色の瞳。困ったように、じっと美羽を見つめる。美羽は肩から手を離し、ポポの背中に手を回した。
驚いたように、ポポの目が見開かれる。
「私、ポポと一緒にいたい」
「え……だ、駄目ですよ。美羽、わかっているんですか今の状況を。私は今、貴方が見てきた人外たちと同じように、貴方の身を汚そうとしているんです」
顔を横に背ける。
が、美羽は腕に力を入れ抱きしめる。身体がもっと密着した。
「み、美羽……」
「愛してるよ」
ポポの身体の力が抜けて行く。呆然と見下ろしていた。
美羽は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「だから、一緒にいたい。ポポとなら、怖くない」
「……いいんですか? もう二度と、元の世界には帰られませんよ?」
灰色の瞳が潤んでいる。
美羽は微笑んだまま小さく頷いた。
ポポは小さく震えながら、にこやかに微笑みかける。
「美羽……また笑えるように……なったんですね」
「ライスの笑顔見てたらね……笑えるようにも、泣けるようにもなったんだよ」
そう言った途端、ムッと顔をしかめる。
顔を背け、ぼそっと呟いた。
「……今、ライスの名前が出るとは思いませんでした」
不機嫌そうな顔だった。
初めて見る表情に美羽は小さく笑う。そして頬に軽いキスをした。
ポポは思いもしなかったのか、目を見開き固まる。
「これからずっと、そばにいるよ」
言葉が胸の辺りにじんわりと広がる。身体を駆け巡り、喜びに震える。
自然と目に涙が溢れていた。
ポポもまた、ずっと孤独だった。
ようやく巡り合えた、同じ歩幅で歩いてくれる人。
偽りの姿ではなく、本当の姿を見せられる人。
二人は身体をきつく抱き締め合う。
お互いの寂しさを埋め合わせるように――。