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3.少女、感情が目覚める

 それからポポは牢屋にやって来なくなった。

 また、美羽の元へ看守が来ることもなくなっていた。まるで忘れられているかのように、誰も訪れない。

 食事も来ない始末で、美羽は空腹にひたすら耐えていた。

 牢屋の奥で膝を抱えて座り込み、なんとか空腹を紛らわそうと思案する。


 そもそも、なぜポポは日本語をしゃべられるのだろう。

 なぜ、牢屋を自由に出入りできるのだろう。

 どうしていつも目元は包帯で覆われているのだろう。

 どうやって助けるつもりなのだろう。


 ――ポポは何者なのだろう。


 考えれば考えるほど、ポポ、という存在が疑わしくなる。

 いきなり告白してどこかへ行ってしまった。

 わけがわからない行動に、胸の奥がザワザワした。

 けれど、空腹のせいで考えがまとまらない。

 そこへ――。


『美羽! 大丈夫か?』


 聞きとれない言葉が聞こえ、顔を上げると心配そうに見つめるライスの姿があった。

 じっと見つめられ、ひとまず言葉を発した。


「……大丈夫。お腹が……すいてるだけ」


 か細い声で察したのか、ライスは持ち帰った少量の肉を握り締め牢屋の隙間から腕を伸ばした。


『ほらっ! お腹すいてんだろ! これ食えよ!』


 きっと食べろ、と言っているに違いない。

 美羽は頭を振って答える。が、ライスは引き下がらず腕をぐいぐいと差し出すばかりだった。

 埒が明かない――そう感じた美羽は、立ち上がりライスの傍へ歩み寄り肉を受け取った。

 そのまま座り込み、肉を食べ始める。


『ひひひっ! ほら、やっぱりお腹すいてたんじゃねぇか』


 何と言っているかはわからないが、嬉しそうに美羽を眺めている。

 すると、ぐぅ、とお腹の虫が響く。

 どうやらライスから聞こえたようだった。ライスは顔を赤く染めて、必死に言い訳しているように見えた。


『ち、違う! お、お腹なんか空いてねぇよ! ほら、食べろ!』


 手の甲で追い払うように、食べろと促している。

 が、顔が真っ赤だった。

 途中まで食べていた肉を、半分千切ってライスに差し出す。


「……食べかけで申し訳ないけど、ライスもほら、食べよう」


 慌てていたライスの動きが止まる。じっと差し出された肉を見た後、上目遣いで美羽を見つめる。

 食べて良いのか迷っているように見えた。


 ――どうしよう。言葉じゃ通じないし……。


 美羽は困った末、少しだけ口元を緩めて見せた。

 食べていいよ、と警戒心を解くための作り笑顔だった。


『……よし、一緒に食べよう!』


 美羽の不器用な笑みに、ライスは答えるように嬉しそうに笑って見せた。

 そして肉を受け取ると、美味しそうにかぶりつく。

 お腹が空いていたのだろう。口一杯に肉を頬張り、満足そうに微笑んでいる。


 美羽はそんなライスの様子を、肉を食べることをやめ呆然と眺めていた。

 殺伐としたこの地下に、ライスの無邪気さがあまりに不自然に映る。

 ここだけ別空間に見え、牢屋の中だということを忘れているようだった。

 見ていると――自然と頬が緩んできた。


「ふふ……」

 

 闇に紛れてしまいそうな、小さな笑い声だった。それでも、美羽は笑っていた。

 かぶりついていたライスの動きが止まる。牢屋越しにいる美羽に釘付けとなった。


 そこには少しだけ口角を上げている美羽がいた。先ほど見せた作り笑顔ではなく、少し目尻を下げ自然と笑っている顔。

 いつも無表情でいる美羽が、初めて目の前で笑っている。

 ライスもだんだんと表情を緩めていった。 


『美羽が……笑ってる。やった……やったぁ!』


 ライスは鉄格子に飛び付くように握り締めると、とびっきりの笑顔を向けて笑った。

 頬を赤く染め、照れくさそうに笑みを見せる。口からは白い歯がこぼれ、ひひひっと声が漏れている。

 そんな笑顔を向けられ、美羽の心の中が再び疼き始めた。

 

 ――なんて素敵な笑顔なんだろう。

 

 ――私はどうして……。


 床役という仕事、ポポの正体と行方、そしてこれから自分に待ち受ける試練――。 

 感情を殺し、生き長らえるため孤独に闘ってきた美羽。

 心を固く凍らせ、一生解けることはないと思っていた。

 それがライスの笑顔によって融解されていく。

 純粋な笑顔。

 遠い昔、美羽も笑っていたことを思い出した。


「……ライス」


 一度解け始めてしまった心は、もろくも簡単に崩れ落ちる。


 ライスと一緒に笑えたらどんなに楽しいだろう。言葉が通じたなら、色々な話ができたかもしれない。

 そもそもなぜ自分がこんな場所で、辛い目に遭わなければいけないのだろう。

 ポポはどうして愛していると言ったのだろう。どうして、姿を見せないのだろう。


 ――会いたい。


 涙が一筋、頬を伝った。

 すると、堰を切ったように涙が溢れ始めた。止まらない。

 美羽は嗚咽を漏らしながら、声を荒げた。


「私……嫌なの……。本当は……こんなところに……いたくない! 元の世界に戻りたい! 床役なんて……嫌だ! 嫌だ!」

『え……ど、どうしたんだ美羽!』


 突然泣き崩れ始めた美羽に、ライスは慌てて腕を伸ばす。

 床にひれ伏し、泣き叫びながら震える背中を優しく摩る。言葉はわからないが、叫び声はライスの心をちくちくと刺した。


「帰りたいよ! なんで私こんなことしなくちゃいけないの! 私が何をしたっていうの! お母さんお父さんに会いたい!」


 泣き腫らした顔を上げ、ライスを見つめる。

 今まで見たことのない、感情を露わにしている美羽の表情だった。


「……ごめんなさい。でも……怖いの! ポポは帰って来ないし、私を置いてどこか行っちゃったのかもしれない。……ねぇライス……あなたまでいなくなったら私……!」


 真っ赤な目でライスを見つめ、手を取りギュっと握り締めた。

 言葉はわからずとも、悲しくて泣いている、とライスはわかった。ではどうすれば良いのか。

 ライスは少し視線を彷徨わせた後、美羽を真っ直ぐ見つめ手を握り返した。


「ミウ」


 ライスが唯一しゃべることができる単語。

 そう言うと、美羽がじっとライスを見つめる。


『ごめんな、俺、この言葉しかしゃべることができねぇんだ。でも、美羽が苦しんでいることはわかるよ。俺、美羽のこと好きだから、泣いてほしくない。もっともっと笑ってほしい。でも、辛いなら、我慢せずに泣いていいと思うんだ』


 ライスは手を伸ばし、涙が伝う美羽の頬を指で拭ってやった。

 そして、優しい笑みを見せた。


『美羽は、何でも言うことを聞く奴隷なんかじゃない。ちゃんと笑って泣くヒトなんだ。いつか絶対、俺が自由にしてやるから、もっと笑って泣いてくれよ、な?』


 白い歯を見せて笑う顔。ライス独特の笑い顔だった。

 きっと励ましてくれたに違いない。美羽の涙は止まり少し落ち着いてきた。

 言葉は通じない。だけど、素直な心は美羽にちゃんと届いていた。

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