2.少女、感情に火が灯る
労働する場所と時間は、看守が全て案内をした。
牢屋の中ぽつんと座っていると、背中に白い羽根を生やした看守がやって来る。
身長よりも長い木の棒を持ち、手にも鋭い爪が生えている。人ではないのだ。
『出ろ』
言葉を発しながら、牢屋の扉が開け放たれる。出ろということだと察して、素直に出た。
歩き始めた看守の後ろをついていく。手錠などされない。
美羽も逃げようとは思わない。逃げたところで、助かるという確証はない。
今日の労働は何だろう、そんなことを考えながら歩いていくと――思わぬ場所だった。
「えっ」
大きなモニターがある部屋。
大画面に映し出されているのは、ベッドの上に寝そべる、下半身が蛇の姿をした人外だった。
一体何が始まるのか、そんなことを思いながら見上げているとモニターの前に座るように促される。
そして、手渡された冊子。
見開くと、文字は一切ない。代わりにイラストが描かれていた。
これは言葉の通じない人に対して、人外たちが渡している説明書のようなものだ。難しい作業の時などに配られるものだが、滅多にない。
そんなものを手渡された、ということは今から何かしなければならないのか――。
そのときモニターに変化が起こり始めた。
寝そべっていた半身人外が、身体を起こし画面外の方に視線を向けている。
画面外から出てきたのは――人だった。それも女の子。
裸の状態で、身体を震わせ泣いている。
冊子に目を落とし、ペラペラと捲る。
一体今から何が起ころうとしているのか、何をしなければいけないのか。
悪い予感を打ち消すべくページを捲るが、そこには打ち消すどころか決めつけるイラストが描かれていた。
ハッとして視線を再びモニターへ戻すと――女の子は無理やりベッドの上に連れ込まれている。
身体に巻きつかれ、人外の長い舌で撫でまわされ――美羽は思わずモニターから顔を背けた。
『ちゃんと見ないか! これからお前がする仕事だ!』
後ろに立っていた人外から怒鳴り声が聞こえる。しかし、美羽は顔を背けたままだった。
すると、いきなり木の棒で背中を殴りつけられた。
衝撃で椅子から崩れ落ちる。うずくまる美羽に対して、人外は頭を掴み無理やりモニターへ顔を向けさせた。
『ちゃんと見ろ! 今日はこれを見て勉強するのがお前の仕事だ!』
美羽は目を閉じていたが、人外の手に力が込められる。
頭が割れてしまいそうなほどの力で、痛みに美羽は叫びながら目を開けてしまった。
枯れたはずの目に、再び涙が込み上げてくる。
恐怖でも痛さが原因ではない。
モニターに映し出される女の子の泣き叫ぶ顔が、美羽の心をひどく傷つけたせいだった。
それから毎日、モニターを見る作業が続いた。
モニターに映る人外と女の子は日々違っていた。しかししている行為はほとんど一緒で、最後は女の子が壊れた人形のようになるか、抵抗し続けて人外に食われるか、のどっちかだった。
泣いたのは初日だけだった。それ以降、ただ眺めていた。
画面を隔てて、二つの物体が絡み合っている。抵抗しなければ心は壊れ、抵抗すれば殺される。きわめて単純な仕事だ。
成すがまま身体を委ねればいいだけ――そうすれば生き長らえる。
人外の言葉はわからなかったが、美羽の生きたいという本能がそう指示していた。
その日もモニターを見終え牢屋へ連れ戻される。
牢屋の中へ入るとぐったりと座り込んだ。女の子たちの泣き叫ぶ顔が、頭から離れない。
「美羽、大丈夫ですか?」
虚ろなまま、声のする方を見る。そこには鉄格子に張り付いているポポの姿があった。
相変わらず目元は包帯で覆われている。久しぶりに会った気がした。
「……大丈夫。ポポこそ、元気だった?」
「何があったんですか? ひどく、疲れた顔ですよ」
「……そうかな。別に……モニターを見るだけだよ。ずっと……そればかり」
そう言うと美羽は視線を落とし呆然とした。まるで魂が抜け落ちたようだった。
――ハッとポポが口を開く。そして、鉄格子を握り締め強い口調で叫んだ。
「美羽! 床役の仕事をまかせられたのですか?」
「とこやく? ……わからない」
「……こっちにきてください」
美羽は立ち上がり、言われた通りポポの目の前まで歩み寄った。
すると、ポポは隙間から腕を伸ばし手を取った。
「美羽。あれは従っても従わなくても、地獄のような仕事です。どうして貴方があんな仕事を……!」
冷たい手だった。けれど、大事そうに優しく包み込む。
目元は見えないが、唇を噛み締めどこか悔しそうに見えた。
「ポポ、ありがとう。でも、大丈夫。黙って言うことさえ聞けば――」
「大丈夫じゃありません!」
思わぬ大声に、美羽はビクッと震えた。
ポポが大声を出すなど、初めてのことだったのだ。手に力が込められる。
「わかっているんですか!? わけのわからない人外たちに、貴方はその身を汚されるんですよ。そんなこと……大丈夫なわけがないでしょう!?」
怒っているポポをただ呆然と見つめた。
なぜ怒っているのか、きつく握り締められた手の意味は――。
一瞬思考が止まったものの、表情に変化はない。
ポポはそんな美羽に、弱く微笑んで見せた。
「美羽……出会ったときのこと覚えていますか」
「……覚えてるよ」
「良かった。貴方は泣いていたのに、私の声を聞いた途端、笑ったんですよ」
この牢屋へ入れられて間もなくのこと。あの時はまだ、泣くこと笑うことができていた。
が、今はまるで人形のように――何も感じない。ただ生きている。
出会った頃の自分が別人のように思え、他人事のように思い出す。
「あの時は嬉しかったんだと思う。話ができたから。ポポがいなかったら私は――」
――ポポがいなかったら私は――?
どうなっていたのか。言葉が止まった。
思い起こせば、ポポは牢屋にいる時は必ず美羽に話しかけていた。
美羽が泣いていれば泣きやむまで待ってくれた。
恐怖に震えているならば、鉄格子越しに身を寄せてくれた。
美羽が眠りにつくまで手を握ってくれた。
いつも、いつもそばにいた。
どんどんと表情を失っていく美羽を、ポポはずっと変わらず話しかけていた。
――私は……ポポがいてくれたから生きてこれた?
言葉を失った美羽に代わり、ポポが再び口を開いた。
「私はあの瞬間、生きる意味を見つけたんです」
鉄格子の隙間から、ポポの笑っている口元が見える。
生きる意味とは――考えるより早く、ポポが美羽を引き寄せた。
間に鉄格子があれど、目の前にポポの顔が迫る。色白の肌に血色の悪い唇が見えた。
「私は美羽が他の人外どもの餌食になるなど許せません。必ず助けます。だから私を信じてください」
「私を……助ける? どうやって?」
「……今は言えません。でも……約束します」
「……どうして、ポポは……私のために……?」
助けようとするのだろう――。
奴隷として扱われているヒトを、救う理由がわからなかった。
するとポポは――ゆっくりと口を開けて囁いた。
「貴方を愛しています」
はっきりと聞こえた言葉に、美羽は目を見開く。
その瞬間、冷え固まっていた心の氷に火が灯るような、そんな温かなものが胸を熱くする。
ザワザワと、久しぶりに美羽自身でもわかるぐらいの動揺が身体を駆け巡った。
美羽が呆然としている間に、ポポは背を向け牢屋から出て行った。