1.少女、感情を失う
はじめまして、ぱくどら、と申します。
お楽しみいただけましたら幸いです。
高校生活、初めてのクリスマスの日だった。
雪が舞い散る夕暮れ。
赤い陽の光に照らされながら、ふわふわと舞う白い雪。
学校帰り、友達の家に行く途中で見上げた空は、一瞬で美羽を虜にした。
――パーティ楽しみだなぁ。
しばらく眺めた後、長い黒髪を揺らしながら再び歩き出した――その時だった。
突如、風景が一変した。
突然足元が崩れ去り、身体が宙に浮く。
そしてそのまま下へと落ちた。
誰かのいたずら――そんなことを一瞬でも思ったが、落ちた目の前の世界は違っていた。
綺麗な夕暮れは、もうない。
見上げれば空はどこまでも暗く星もない。
落ちてきたはずの穴もない。いつの間にか乾いた土の上にいる。
すると突然、美羽に向けてライトが照らされた。四方から強い閃光が当てられ、思わず手で遮る。
『ヒトか!? 確認しろ!』
聞きとれない言葉が複数聞こえた。閃光を手で遮りつつ、穴の縁に立つ人物を見上げる。
シルエットが見えた――が、明らかにおかしい。
人間、だが背中に天使のような羽根が見える。その手には槍も見えた。
『間違いない、ヒトだ! 確保する!』
すると、それらは美羽の元まで降りてきて、急に頭を殴りつけた。
わけのわからないまま、美羽は意識を失ってしまった。
◇ ◇
気付くと冷たい地面の上に寝ていた。
着ていた制服は脱がされ、貧相な薄い布一枚の服。起き上がると、殴られた頭がズキズキと痛んだ。
周りを見渡せば、狭い小さな牢屋の中にいるらしい。廊下側の鉄格子を叩いてみたり引いてみたりしても全く動かない。
「誰か!」
廊下も薄暗い。地下のようだった。美羽の叫んだ声が闇に消えていく。
その闇から手に長い棒を持った、看守らしき者が出てきた。背中には羽根を生やし、手の爪は鋭く尖っている。
歯をむき出しにし、明らかに人間ではない。
『目が覚めたか。さっそく仕事についてもらう。逃げようなんて思うなよ』
冷めた目つきで見下ろされ、意味不明の言葉を吐き捨てられた。
ここはどこなのか、目の前の人物は誰なのか。
美羽は苛立ちおもむろに叫んだ。
「何言ってんのよ! ここはどこなの! 出してよ!」
すると、看守は牢屋の鍵を解き、と同時に腕を伸ばし美羽の腕を力いっぱい掴んだ。
痛さに歪んだ美羽を気にすることなく、そのまま廊下へと引きずり出す。
『喚くな! 言葉が通じないなら身体に教え込むしかないな!』
看守は叫びながら、寝ころぶ美羽に容赦なく棒を振り下ろし続けた。
それが奴隷生活の始まりだった。
◇ ◇
身体の痣や傷が日に日に増えていく。
牢屋から連れ出され、工場のラインのような場所に行き、ひたすら肉の処理をさせられる。
ある時には、大きなゴミ処理場のようなところでゴミの分別をさせられた。
どこへ行っても悪臭が鼻を衝く。
綺麗だった爪は黒く汚くなり、髪は伸びて汚れて固まっている。身体中に臭いが染み付いた。
少しでも作業を怠れば、後ろで監視している人外たちに殴られる。
まさに奴隷だった。
牢屋へ連れ戻された後は、周りに人外がいないことを確認しいつも涙を流していた。
逃げることもできない、言葉を出すことさえ許されない。
自由を失った今、泣くことだけが唯一の意思表示だった。
それだけは誰にも邪魔されたくなかった。
「……大丈夫ですか?」
突如、聞きとれる言葉が響いた。思わず涙も止まる。
その方に顔を向けると――包帯を目元に巻いた、白髪で肌が真っ白の者がこちらを見ていた。
「そんなに泣きじゃくって……どうしたんですか?」
「……あなた……誰……?」
「私はポポと言います。私が何者かは言えませんが……貴方の言葉はわかりますよ」
見える口元が笑っている。
久しぶりに会話をした。人だろうと人外だろうと、この際どうでも良かった。
言葉が通じる。
ただそれだけなのに、美羽はとても嬉しかった。
「わ、私……美羽。山田美羽って言うの!」
ニッコリと泣き腫らした目で笑って見せた。
これが、ポポと美羽の初めての出会いだった。
◇ ◇
ポポとの出会いから三年の月日が流れた。その間、美羽はずっと地下にいる。
三畳ほどのスペースが、今の美羽の生活空間だった。
生活空間と言っても牢屋だ。窓はなく、あるのは牧草のような藁と排泄をするために必要な穴。その穴は水が流れているが、とてつもない悪臭が漂う。
そして、牢屋の入口に括りつけてあるカレンダー。
カレンダーを見ながらふと思う。
あの日のクリスマスパーティはどうなったんだろう。
あれから先、どんな高校生活を送っていたのだろう。
胸が少し苦しくなるだけで、涙はもう出なかった。
今の生活に喜びや楽しさなどない。汚く辛い仕事ばかり続き、少しでも怠れば暴力を振るわれる。
初めこそ抗った美羽だったが、次第に心も身体も耐えきれなくなった。
悲しい、辛い、寂しい。そういうことを感じさえしなければ少しばかり楽になる、と自分に言い聞かせる。
すると次第に感情を失っていき――今では何も感じない。
生きるためには従うしかない。
美羽の本能が導き出した結果だった。
ポポの話によると、この世界は人外界と呼ばれる世界で、迷い込んだ人間たちは奴隷の扱いを受けるそうだ。
奴隷となった人間は、人外たちに食われるか、もしくは死ぬまで永遠と人外たちの奴隷となる。
この場所は『ホテルデッド』と呼ばれる建物の地下だそうだ。
身分の低い人外か、もしくは美羽のような人間たちが地下で働かされている。
再びカレンダーにつけられた赤マルを見直す。
つけられた日は労働の日である。ほとんどつけられたカレンダーは、最後まで続いている。
が、今日はたまにある休日だった。といってもやることはない。
『美羽、今日は休みなのか。俺も休みなんだ』
声の主は、左隣の牢屋の住人。
上半身は裸ではあるが、人間の身体。が、下半身が馬のようになっている。また、背中からは白い羽根の翼が生えている。
ケンタウルスに翼が生えたような姿だった。が、子どもなのかポニーぐらいの大きさしかない。
『やっぱり、言葉……わからねぇか?』
美羽はこの世界の言葉がわからない。ただただ首を傾げ、何を言いたいのか表情から読み取ろうとする。
ケンタウルス――名前を、ライス、という少年も、苦笑いを浮かべ首を傾げる。
『……駄目かぁ。俺も美羽としゃべりてぇのになー』
茶色の短い髪と繋がっている茶色の髭が特徴的なライス。ぱっと見、ライオンのような感じだった。
頭をボリボリと掻きながら笑うライスを、美羽はじっと眺める。
すると――後ろの牢屋からガシャンと閉じる音が響いた。思わず視線をそちらへと向ける。
「……ポポ」
美羽は立ち上がり、ポポの近くへと歩み寄る。
ポポは美羽の右側の牢屋の住人。いつも彼だけは自由に牢屋を出入りしている。
どうして彼だけが自由に動けるのか。
出会った当初こそ疑問を抱いたが、今となってはどうでもよかった。
「美羽、お元気そうでなによりです」
口元を微笑むポポ。その目元は相変わらず包帯が巻かれている。
美羽は抑揚のない声で尋ねた。
「まだ治らないの?」
「大丈夫ですよ。心配なさらないでください。……ほら、お隣さんが羨ましそうな顔をしているのも見えていますから」
そう言われ振り返れば、ライスが牢屋に張り付きじっとこちらを睨んでいる。
見るからに不機嫌そうだった。
『お前はいいよな! ヒトの言葉がわかるから! 俺もしゃべりてぇよ』
ライスの言葉にポポが答える。
少しニヤリと笑っているように見えた。
『……私は特別なんです。貴方はしゃべらなくても結構ですよ』
苛立ち顔を引きつらせるライスを無視して、ポポは美羽に顔を向けた。
「……ライスは、貴方としゃべりたいようです」
「そう。……ポポに言葉を教わっていればよかったかな」
「……今までこうして生きてきたんです。今更覚える必要もないでしょう」
そう言って、ポポは奥にある藁へと腰を下ろした。どうやら、ライスの言葉を翻訳する気はないらしい。
ポポは唯一、美羽と会話ができる人外だった。
その他の人外は、美羽の言葉も理解できなければ、美羽も人外の言葉を理解できない。
今まで働けてきたのは、見よう見真似でやってきただけだった。
「ミウ」
振り返ると、ニッコリと笑うライスがいた。
すると手招きをする。美羽は首をかしげつつ、歩み寄る。
ライスは、最近隣にやって来た人外だった。敵意がまるでないので、言葉は通じなくとも割りと信頼している隣人である。
『俺いつか、お前をここから出してやりてぇんだ。いつも無表情でいるお前の姿、見てらんねぇもん』
真剣な表情で見つめられるが、美羽は小首を傾げるだけだった。
それでもライスは続けた。
『言葉は通じねぇかもしれねぇ。けど、俺、美羽の力になりてぇんだ。いつか俺と一緒に自由になろう!』
ライスは顔を赤らめ微笑むと、手を差し出した。
美羽は訝しげに、顔と手を交互に見つめる。
ひとまず、と思い、美羽はその手に応え握手をする。
子どもの手とは思えないゴツゴツとした大きな手だった。
一方、美羽の手は汚れているものの、細い指の柔らかい小さな手。それをライスは大事そうに両手で包み込む。
『ひひひっ! 約束だからな!』
嬉しそうに微笑むライスに、美羽は無表情のまま小首を傾げるのだった。