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アントノフは十Gでオンタリオステーション圏内を離脱した。メアリーベルはたちまち置いて行かれた。だがたった二万マイルの短い道のりである。アントノフはすぐに加速をやめるはずだ……。
女海賊は「女を追っている」と言った。それはシンシア・コレット、例のニュースレポーターだかなんだかのことだろうか。
「あんたたちはなにを捜しているの?」
「だまってな」女ボスは振り向きもせず霧香の質問を一蹴した。彼女は何度かサリーと呼びかけられている。
「下にはなにかいるって噂なのよ」
サリーは振り返った。
「なにか?」
「なにかよ……怪物よ」
副操縦席のポーリーが顔をしかめて振り返った。
「怪物だと?」
「面白いじゃないか……怪物」サリーが不敵な笑みを浮かべて頷いたが、霧香にはから元気のように見えた。
「なにを根拠にそんなこと言ってやがんだ?」
「遭難者を捜索中のロボットがね、壊されたのよ。そうでなくても遭難者が相次いでいる。ぜったいにヤバイものが存在しているのよ」
「いいね」サリーはなぜか上機嫌だ。
「おれたちが捜しているのはそれなんですかい?」
「だまんなよ。じき分かるから」
「へい」
サリーはレーダーをチラッと確認した。
「あのポンコツ、こっちにチンタラ追いつこうとしている。セルジュはあのじじいと一緒に行かせたのかい?」
「そうです」
「ほかに船影はない……。じじいが追いつくまで待っていられない。よし、あたしとタンク、小娘で下に降りるから、あんたは見張ってな。ヘンな動きがあればじじいを殺すようセルジュに言っとくんだ。いざとなったらあのポンコツを破壊していい」
「心得ました」
海賊たちが不穏な相談をしているうちにヘンプⅢが近づいてきた。
海賊船は荒っぽい方向転換と舷側を繰り返して駐留軌道に乗った。操船はなかなかみごとで、目的の赤道上空までぴたりと寄せていた。辺境宇宙海賊連合の一味なのかも知れない。奴等は通常、襲撃のために一個小隊規模の兵隊を乗せているのだが……。
「さ、出掛けるよ」
サリーは操縦席から立ち上がり、霧香に銃を突きつけて立つよう促した。軍用のパルスライフルだった。霧香は素直に従った。
銃を突きつけられたまま船倉に向かった。通路は汚れていて、船倉にはインスタントフードの容器や空き缶が詰まったゴミ袋が積み上げられていた。隔壁を開けてまとめて真空に投棄するつもりなのだろう。リサイクルするつもりはないようだ。
機首に派手なシャークティースが描かれた軌道降下用シャトルは翼を備えた滑空タイプだった。大気圏内機動力のある強襲降下艇ではない。「ハマーヘッド01」という船名とともに、真っ黒な船体に白抜きで文字が大書きされていた。
PLANET PEACE
プラネットピース?
霧香はその言葉を記憶から呼び覚まし、愕然とした。
こいつら海賊じゃないんだ!
とはいえある意味質の悪さは海賊以上だ。海賊は自分たちが悪さをしているという自覚があるが、プラネットピースは善意を元にした環境テロリスト、自然保護を訴え世界中の自治体やエネルギー開発企業、農業プラントや魚の養殖施設を攻撃する武闘派環境保護団体であった。善意と言っても極めて独善的で、すべてのテクノロジーとそれに関わる人間を憎み、抗議活動や妨害工作に全エネルギーを注ぎ込む。目的のためには手段を選ばず、マフィアと手を組むことも厭わない。どんなに過激な行動を取って他人に迷惑がおよんでも、彼らは彼らのおこないが正しいことと確信している。そしてありとあらゆる反社会行為に手を染める。
彼らのような過激派は、その構成員の大半が、己の幼稚なメンタルのはけ口として名目的な環境保護を唱えるだけの「愉快犯」に過ぎないとプロファイリングによって証明されている。だがそういった連中でも一握りの狂信的指導者がいれば立派な団体としてまとまる……。そしてそうした指導者はたいていカリスマ性のある人物であり、まともな市民の一部を味方に付けているため取り締まりも思うようにいかない。
プラネットピースはそうした過激派の中でも最大規模であり、極右的存在だった。地球やタウ・ケティではとうの昔に犯罪組織として認定されているため、彼らはいまでは辺境に進出していた。
「わたしは宇宙海賊を憎んでいるが、ああいう過激環境団体はもっと嫌いだ」
訓練教官であるローマ・ロリンズ少佐はある講義で述べたことがある。その時は候補生の誰かが反論した。
「でも少佐殿、彼らは社会に貢献していますよ?海や植林地の汚染状況を調べて企業を告発したり……」
「それは認めるが、やつらはそうした真面目な連中を取り込み、避難の矛先を巧みに躱すのだ。そうして資金調達のために企業献金をうけ、その企業のライバルを告発する。あるいは辺境で産業が発展しないように強硬な自然保護を訴える……独善的な目的と便宜が結びつく最悪のケースだ。目的達成のためには事実や科学的データもねじ曲げられる。標的となった地元住民に対する迷惑などいっこうだにせず、とりわけその地域の自然環境に対する真の配慮もない」
その候補生は自然保護活動にシンパシーを憶えているのか、なおも食い下がった。
「そんなに酷いわけないでしょう……」
「まことに残念だが、ずっと昔から例はあるんだ。イルカやクジラを保護していた二〇世紀の環境団体の記録を当たってみなさい。やつらは一〇世紀以上全く進歩していない。なぜならやつらはその時代ごとの自然環境変化に対応しているのではなく、内なる反骨心や自己満足を満たすために活動しているからだ。それらは未熟な精神願望の発露に過ぎず、自然保護云々は後付けの動機にすぎない。
やつらの多くは体ばかり大きな餓鬼どもで、立派なお題目に反して志は低く、常に欲求不満で屈折した怒りを抱え、冷笑的で幼稚で内ゲバ好きで不潔だ。かれらと関わり合った真面目な大人は遅かれ早かれ幻滅して袂を分かつ。機会があればやつらの集会に参加してみることだ。人間の精神の後ろ暗い部分をいやというほど見せつけられるぞ」
少佐の断定的な評価にたいして条件反射的な反発を覚えた候補生は少なくない。霧香も反発こそ抱かなかったものの、少佐の言葉を鵜呑みにしていいものか迷いがあった。だが彼女はベテラン捜査官であり、世の悪党との戦いに多くの経験を積んでいる。たいして霧香たち候補生と言えば、本物の犯罪者に出遭ったことなど一度もなかったのだ。
その後伝えられるプラネットピースの評判は少佐の言葉を裏付けていた。
いよいよ本物とご対面というわけだ……。
「乗るんだよ」
霧香は小型シャトルのハッチをくぐった。船内スペースは狭く、十人ぶんの座席で埋まっている。
操縦席のうしろに並んだ座席を指さして言った。
「座れ」
霧香は素直に従った。
「あたしたちの正体が分かったって顔だ。その通り、あたしらはプラネットピースだ。宇宙海賊じゃなくて残念だったね」
「犯罪組織じゃありません、というわけね。どうりで余裕があるわけよね……。でも犯罪性がないなんて言い逃れできないわよ?武装船で民間ステーションを威嚇したんですからね」
「うるさいね、どうだっていいんだよそんなこと。手をだしな」面倒くさそうに言い捨てた。霧香の手首にスチールの手錠をかけ、前席の背もたれのバーに繋いだ。
サリーは操縦席について出発準備を始めた。タンクと呼ばれた手下、小柄でまるっこい迷彩服が霧香の通路を隔てた向かいの席について小型のサブマシンガンを向けた。
「大人しくしてろよ」
つぶらな瞳に金髪の髭を蓄え、厭な笑みを張り付かせて霧香のからだを眺めている。霧香は手錠に繋がれた手を振って肩を竦めた。
小さな格納庫が減圧され、隔壁に取り付けられた黄色い回転灯の光がコクピットの中を照らした。シャトルの背中をつなぎ止めているコネクターアームが船体をアントノフの外に押し出し、シャトルはアントノフと併走しながらゆっくり遠ざかった。人工重力の影響下から抜けたシャトルの中は無重力状態になった。
「ポーリー、聞こえるかい?」
「感度良好」
「手はずどおり、地上にシグナルを送信してみよう。何か反応があったら知らせるんだ」
「了解、これから送信します」
彼らはヘンプⅢに向けて何か送信するらしい。仲間でもいるのか……。
「あたしたちは一五分後に再突入コースに降りる」
それから五分ほどなにも起こらなかった。サリーは黙って操縦に専念している。霧香は隣のタンクを無視して身を起こし、前席の背もたれに両手を乗せて保たれていた。手錠が邪魔でその姿勢がいちばん楽だ。
アントノフで留守番のポーリーから報告が入った。
「ただいま送信中……」
突然ザーというノイズが無線機から響いた。
「なんだい?」
「電磁波が……」再びノイズ。「……されてます!聞こえますか姐さん!レーダー波に……」ひときわ甲高いノイズが響き渡り、それきり無線機が沈黙した。
「ポーリー!?」
サリーはコンソールをなにやら忙しく操作しはじめた。船外カメラでアントノフの姿を捜しているのだろう。
「言わんこっちゃない……」霧香が呟いた。
「黙れ!」サリーが叫んだ。
「ひょっとして、さっさと位置を変えたほうが良いんじゃない?」
「うるさい……!」サリーは怒りに歪んだ顔で霧香を睨んだ。だが霧香の言葉を反芻して、一理あると思ったのか、慌ただしくシャトルの操縦に専念しはじめた。
「姐さん……」タンクが不安そうに言った。
霧香は舷側窓から外を眺めた。窓の下半分は惑星の白い弦張が占めていた。上半分を満たす漆黒の闇を背景に、きらきら瞬く塵のようなものがシャトルを追い抜いて拡散していた。
星ではない……。
(アントノフは攻撃されたのだろうか……)
爆散してしまったのかどうか霧香の席からは伺え知れない。
シャトルが加速して、霧香は座席に押しつけられた。
タンクが加速に逆らって座席から身を乗り出して言った。「ね、姐さんいったい何が……!?」彼はもう警戒するのを忘れたようだ。散弾銃を隣の座席に立て掛けている。
「バリアーがやられちまったんだ」
「やられたって……ポーリーは?」
「分かんないよ」
「どうするンすか!?」
「うるさいな、いま考えてるんだよ……そうか」サリーは無線に呼びかけた。
「じじい、聞いてるかい、応答しな!」
霧香もゆっくり身を乗り出して背もたれに両腕を乗せ、その上に顎を乗せた。できるだけ自然にサリーたちのやりとりの様子に聞き耳を立てているようにだ。タンクは非常事態に気を取られて見咎めなかった。
ややあって「メアリーベル」のブルックスが応答した。
「おう、海賊さんよ、あんたたちの船はぐるぐる回りをやらかしとるようだが。無事なんか?マリオン嬢ちゃんは……」
「黙って聞きな、娘はあたしたちが人質にした。あんたは軌道上で待機して、あたしたちが上がってくるまで待つんだ。良いね?」
「待て、まだヘンプⅢに降りるつもりなんか?そんな場合じゃなかろう!おまえさんたち船を失いそうになってるんじゃぞ……」
「うるさいよ!あんたは言うこと聞いてりゃいいんだ。セルジュを出しな!」
短い間があり、セルジュの不安そうな声が取って代わった。
「あ、姐さん……」
「セルジュ、あんたはそのじじいを見張るんだ、あたしたちが還ってくるまで気ィ抜くんじゃないよ。上手くいきゃ半日ですむ」
「わ、分かったス……」
「本当かい?しっかりしな!何か不都合無いだろうね?」
「ええと……特にないよ……でも、ポーリーの旦那とチャンが……」
無視して通信を切ったサリーは、黙ったままシャトルを減速させた。
軌道速度を相殺したシャトルは惑星の重力井戸に向かって降下しはじめた。
「本当に降りる気なの?」霧香はサリーの後ろ姿に呼びかけた。
「降りるさ!」サリーは吐き捨てた。
「無茶だわ。ブルックスさんの船だってどうなるか分からないのに……」
「うるさいッてんだよ!」
霧香は溜息をついて座席に保たれた。横を向いてタンクに言った。
「あんたのボス、頑固ね」
「う……」世間話のような調子で話しかけられ、タンクは思わず答えそうになって躊躇した。
霧香はにこやかに笑って両手をかざして見せた。
タンクは眉をひそめた。何かおかしい……
手錠につなぎ止められたはずの両手が自由になっている――
霧香は立ち上がった。
タンクは呑気に口を開けて霧香を見上げた。ようやく事態を呑み込んで慌てて銃を構えようとしたところを、霧香の肘の一撃に叩きのめされて座席に沈んだ。タンクは喧嘩に手慣れたチンピラでさえない、銃を構えるのが好きなアマチュアに過ぎない。気絶するほどぶん殴られたのもおそらく初めてだろう。ぐったりと座席に沈む相手を追って霧香は手錠をくるりと振り、そのままタンクの片手に掛け、背もたれのバーに通して拘束した。ポケットに手を突っ込んで鍵を探し出し、シャトルの後部に投げ捨てた。サリーが背後の気配にぎょっとして振り返ったときには、霧香はタンクから取り上げた武器をまっすぐサリーに向けていた。サリーは足下のパルスライフルに飛びつこうとした。
「動くな!」霧香は訓練時代にせっせと練習したとびきりの声で命じた。
サリーは従った。
「手を挙げろ。下手な真似をしたら撃つ」
サリーはまた従ったが、渋々とだ。
「そんなもんここでぶっ放したら……」
「そんな心配要らない」シャトルの隔壁は小銃弾程度で穴が開いたりはしない。
「あんたおまわり?」
「わたしはGPD保安官、ホワイトラブ少尉。観念しなさい」
サリーはしかめ面の片眉をさらにつり上げ、口を開けた。「なんだと……」
「シャトルを上昇させるのよ」
サリーは舌打ちした。しぶしぶ頷いて操縦席に向き直った。
「手を下ろしていいのかい?」
「いいけどつまらないことしないでね」
「あんたみたいな小娘が……油断したよ」
霧香は黙って小銃を構え続けた。
サリーは素早く首を巡らせて再び霧香を睨んだ。
「まさか、バリアーに何か仕掛けたんじゃないだろうね?」
「バリアー?あなたたちの船?わたしじゃない。レーザーか何かで撃たれたようだけど
「本当だろうね?」
「いきなり攻撃なんてするわけ……」
シャトルが震えた。霧香は座席の背に倒れかかった。加速の衝撃ではない。サリーが眼を見開いて振り返った。二人はいっときお互いの顔を見つめた。
「攻撃された……」
「主翼を一枚吹っ飛ばされた……」
「はやく!加速しなさい!」
さらに強い衝撃がシャトルを揺るがし、霧香はつんのめってふたつ後ろの座席に倒れ込んだ。気を失っているタンクの体も座席から浮き上がり、手錠でつなぎ止められた手首を支点に回転してひとつ前の座席に落ちた。霧香は慌てて体勢を立て直したが、サリーはコンソールに頭を叩きつけて卒倒したようで、うつ伏せのまま動いていない。
霧香は回転する機体内部の慣性モーメントに気をつけながら操縦席に這い降り、、副操縦席に座ってシートベルトを締めた。バーチャルコンソールを起動して慣性システムをオンした。
シャトル内に人工重力が戻った。
パイロットコンパートメントは小型ローバー並に狭く、座った姿勢のままろくに身動きできない。キャノピーも手を伸ばして撫でられるほど近い。
サリーは額から出血していたが、生きている。たいした出血量ではないが、安心できない。外傷が軽いということは、エネルギーの大半を頭蓋骨かどこか別のところに受けた可能性があるということだ。治療してやりたいがいまは無理だった。
(コスモノーツ気取りで慣性システムを切ってるからこんなことになるのだ)手を伸ばしてサリーのシーベルトも締めた。作業着の内側にあるポーチをまさぐり、GPD用の手錠を取り出した。単なる黒い紐のようだが、膝の上で重ねたサリーの手首の上に置くと、もぞもぞムカデのように動いて手首に絡みつき、拘束した。
機体のステータスボードを見ると、動力システムが軒並み真っ赤な警告で埋め尽くされている。反応ロケットモーターは安全装置が働き、燃料管がシャットダウンしていた。だがRCSは自動的に働き、機体のきりもみ回転を徐々に回復させている。
(降下するよりない……)
無動力のグライダーと化した機体は重力に引かれてどんどん降下していた。無線でブルックスに連絡しようとしたが、通じない。アンテナを吹き飛ばされたらしい。
霧香は溜息をついた。
慣性システムとエマージェンシーシステムは生きている。少なくとも攻撃される直前に再突入コースは設定されていた。大気圏突入で燃え尽きる危険はない……いまのところ。
(太古のシャトルを操縦した先達を見習って、やるしかないか……)