20
すでに後席に収まっていたローマに軽く頷いて、霧香はコクピットに上がった。大きな涙滴型のキャノピーにアイコンが浮かび、愛機が息を吹き返す。
艦載艇格納庫の管制室にモーグがいた。霧香に向かって芝居がかったサムアップをしてみせた。霧香は手を上げて答えた。
オレンジ色の回転ライトが瞬き格納庫の照明が落ちた。格納庫扉が開いて、その向こうに宇宙空間が垣間見えた。霧香は慣性航法システムを操作してリトルキャバルリーを外に押し出した。ヴリャーグからじゅうぶん距離を置いたところで機体をとんぼ返りさせ、機首を10マイル距離を開けて併走している〈マイダス〉に向けた。
「マリオン」
背後から呼びかけられ、霧香は振り返った。「はい」
「あー……あなたにはとんでもないことに付き合わせてしまった」ローマがためらいがちに言った。「すまない」
「そんなこと……気になさらず……」少佐の改まった口調が胸に響いた。霧香は操船作業を装って前に向き直り、アイコンをあれこれいじりまわした。
「いや、聞いてほしい。わたしは個人的な理由でガムナーを追い続けていた。そのためにあなたを利用したことは認める。そのことには罪悪感を覚えている……」
「そのことはランガダム大佐もそれとなく仰っていましたけど、わたしは少佐殿がたまたまこの船に乗り合わせて、処女航海に付き合ってくださったと考えています」霧香はうしろに振り返ってちらりと微笑んで見せた。「それだけです」
少佐は黙り込んだが、やがて頷いた。
「ありがとう」
その言葉をどんな顔で受け止めれば分からず、霧香は前に顔を向けたまま頷いた。
「ああそれから」ローマが付け足した。「リトルキャバルリーを今後も使用して良いと、マルコからのお達しだ。良かったね」
霧香は三たび振り返ったが、こんどは「は、はい、ありがとうございます!」と返事を返せた。
「それでは、ケリをつけにいこう」
「了解です!」
およそ54時間後、〈マイダス〉は減速中の〈ミノタウロス〉に追いついた。タウ・ケティマイナーまで五百万キロに迫っていた。巡洋艦は中間点で減速して駐留軌道に乗ろうとしていたが、〈マイダス〉はずっと加速し続けていたのだ。突入寸前、霧香とローマを乗せたリトルキャバルリーは〈マイダス〉から離脱した。
ローマは通信機を巡洋艦に向けてオンにした。
「ガムナー、そこにいるんだろう?知っているぞ」
落ち着き払った男の声がスピーカーから響いた。
「……誰だ貴様は」
老人のものではない、人を脅すのに慣れた男の傲慢な声だった。人格電脳化にあたってアバターを若返り処置したのだろう。高価な処置である。
「ローマ・ロリンズ。覚えてる?」
「……忌々しい銀河パトロールの犬か!」
「そう。あんたのオリジナルはわたしの目前で死んだ。トルーディもクーパーも死んだ。残りはあんただけになった」
「……おまえもすぐにひねり潰してやるわい……その前にちょいとハイフォールを焼き尽くすから、みておれ」
「じつはあんたにひとつだけ聞きたかったんだ。たった二百万クレジットの賞金でわたしが殺せると本気で思ったのか?」
「タウ・ケティ政府がわしの首に賭けたのと同額じゃ。不足なかろう」
「そう。あんたが賞金を賭けてくれたおかげでわたしは長いあいだ作戦から外され、仕事ができなかった……じつに煩わしかったが、それももうすぐ終わりだ。さようなら、准将」
ほとんど同時に〈ミノタウロス〉が砲撃を始めた。超高速で接近する〈マイダス〉にようやく気付いたのだ。後方に向けてすさまじい砲火を集中させていた。
通信回線が突然すべてシャットダウンされ、ガムナーは逃げ場を失っていることに気付いているはずだ。慌てふためく様子を想像してローマは笑みを浮かべた。
この二日間、ランガダム大佐は駆逐艦隊を散開させ、間断なく〈ミノタウロス〉を牽制して注意を逸らし続けていた。強力なキングを相手にポーンだけでゲームを続けたのだから、容易なことではない。それらはすべて最後の一分間に決定的な隙を稼ぎ出すためだった。
霧香はリトルキャバルリーを全速で離脱させた。
派手な花火が炸裂するそばに居たくはない。
キング自慢の装甲は10秒間の対空砲火にみごと耐え抜いて、回頭中の〈ミノタウロス〉の脇腹に追突した。迎撃可能と踏んでわずかに回避運動を躊躇したのが運の尽きだ。
デルスター少佐が〈マイダス〉のメインドライブに自壊プログラムを仕掛け、追突と同時に炉心が縮退するように念を入れていた。追突速度が速すぎて綺麗に貫通してしまったらたいへんだとロリンズ少佐が指摘したためだった。緊急時を除き、内惑星系でニュートリニティーマイクロトロンを破壊することは純粋に人類憲章に背く違法行為だ。そもそも簡単には壊せない構造になっているはずだが、モーグも大喜びで手伝い神聖なる制御プログラムの封印を解き、タウ・ケティ史上最大の爆破装置を仕立て上げていた。ふたりは仲良しになったようだ。
それにプラスして二隻の相対速度は秒速四千五百㎞に達していたから、爆発はちょっとしたものだった。
リトルキャバルリーがタウ・ケティマイナーに帰還したのは三日後だった。彗星になりかけ、ほとんど第一惑星付近まで往復して、ようやく減速したのだった。
(二週間かけてタウ・ケティ星系を縦断したな)途中第一惑星グレーボルトを遠く眺めながら、霧香は溜息をついた。もっとひどく長い航海のようでもあり、あっという間の夢のような出来事だった気もする。
〈ミノタウロス〉を葬ったあとものんびりしていたわけではない……ひっきりなしに通信が舞い込んできて、特に少佐はその対応に追われていた。キングが死んでも作戦は続行中だったのだ。
頭目を失って破れかぶれの抵抗を始めた海賊残党を掃討するために、タウ・ケティ星系じゅうが大騒ぎだった。さいわい援軍は日毎に数を増し、ローマはリトル・キャバルリーから同時に五つの部隊を指揮していた。まるで現場にいるように的確に指示を飛ばし、千六百人を動かしていたのだ。その中にはなかば脅して従わせたタウ・ケティ防衛隊の駆逐艦三隻も含まれていた。
少佐は方々の貸しをすべて精算させることにしたようだ。恐ろしげな話の数々を聞かないよう気を配っていたが、霧香もまた秘書か参謀役を仰せつかってしまったし、狭い船内である……。
本当に、星系じゅうに知り合いがいるらしい。
通信ラグを勘定に入れるとじつに恐るべき指揮振りだったが、そのおかげもあって三日目にはほぼ趨勢を決した。リトルキャバルリーが駐留軌道に到達したときにはタウ・ケティマイナーは平穏を取り戻していた。
「直接降りていいって特別許可を頂きました。さっそく降下しますね」
「そうか。長い航海だったけど、とうとう帰ってきたね……地上までもうしばらく厄介になるよ……」
霧香はリトルキャバルリーを慎重に再突入させた。
話しかけようとして振り返ってみると、ローマは腹に組んだ手を乗せて、サブシートに長々と横たわったまま眼を閉じていた。
機体を冷やすために夜のオールドケリー大陸上空をしばらく飛び続けた。通信システムはこっそりシャットダウンして、コンソールの上で抗議するように瞬き続けている通話要請アイコンは無視し続けた。静かな飛行だ。
思いがけなく少佐の仕事ぶりを何日も間近で眺めていたわけだが、霧香は妙な気分だった。秘密のベールに包まれていた少佐殿がずっと具体的な存在になった。ひたすら巨大と畏怖していただけの山が、登坂することによってようやく実像を理解できた……そんな感じだろうか。まだまだ孤高の難峰であるとは言え。
あらかじめ連絡を入れていたので、ニューボストンの霧香の自宅上空に辿り着いたとき、駐車場は空だった。夜十一時。慣性制御装置を使ってリトルキャバルリーをひっそりと着陸させた。晴れた星空の下でセーター姿のリュートが待っていた。
「お姉ちゃん、お帰り」
「シーッ」霧香は人差し指を口元に当てながらタラップを降りた。
「ローマさんてひと、眠ってるの?」
「大気圏突入してるあいだも起きなかった。もう何日も眠っていなかったのよ。あとで起こすから、もうすこしあのままで、ね……」そう言うなり霧香も大あくびした。ずっと気密隔壁の中で過ごしたあとで、ハイランドの冷たく澄んだ空気がとても心地よい。
「ずっとニュースを見てたよ。まさかあの事件に関わってたりしたの?」
「ちょいとばかり。あとで話してあげる」
「またシチューを作っておいた。じっくり煮込んだから食べ頃だ。あとで食べる?」
「是非。ここ数日ろくなもの食べてないの」
「なんとなく想像つくよ」
「こいつ」霧香は義弟の頭を掴んで揺すると、肩に手を回して保たれ、自宅にむかってのんびり歩きだした。
霧香はクスクス笑った。「少佐が起きたら乾杯よ。命令で海賊船からシャンパンを一ケース失敬したの。プラズマに変えるのはもったいないからって……冷やしておかなくちゃ」
「いいね。でも朝になったら近所の人たち驚くぞ。道路脇に宇宙船が駐車してるんだから」リュートが楽しげに言った。
「誰か文句言ってきても、わたしは酔っぱらって寝てるわよ」ふたたび欠伸した。急に眠くなってきた。「……本当はハイフォールまで少佐を送るつもりだったんだけどね……今回の件ではすごい英雄だから首脳部が待ちかねてるの。マスコミも大勢集まってるでしょう。……でも待って頂くわ」
霧香は、ようやく安息を取り戻したロリンズ少佐が身を横たえている、小さな愛機を振り返った。
(そういえば、少佐がどこに住んでるのか聞きそびれちゃった……)
―了―
あとがきおよび弁明らしきもの/このはなしを連載してる最中に、結末が前作「マリオン、アマゾネスになる」と同じじゃん!?と気付きました。悪役が巨大メカに精神をダウンロードするくだりです。――弁解じみてますが本当に途中まで気付いてなかったんです(泣)
どうにかしようかとも思いましたが 、今回の目的はちょっと不幸そうなかっこいい孤高の女戦士を書くことだったので結局放置。
マリオンGPDシリーズは基本的に、連載開始時には結末を含む九十五%は書き上げてあります。仕上げに必要なのは「なろう」に発表する作業そのもの……それによって感想などいただき一種の客観視ができることで、物語の見直しやら最後の仕上げができるわけで……結末部分の類似性に気付いたのもそういったいきさつでして(たんに引き出しが少ないだけだとも言えますが……)「読んでいただいている」という手応えがあるからこそなので、アクセスしていただいた皆様にはまこと感謝しております。
ローマ・ロリンズ少佐は個人的に思い入れのあるキャラでして、主人公そっちのけで描きすぎないよう抑えるのが大変です。過去の読書経験で筆者が唯一惚れたヒロイン、ハインライン先生の『フライデイ(ハヤカワSF文庫)』の主人公フライデイ・マージョリー・ボールドウィン、そしてスティーブ・ソーマー著『七人の愛国者(新潮文庫)』に登場するセーラ・ウェザビー少佐(超不憫)なる魅力的なヒロインをミックスして脳内妄想を膨らませたらこんなんなりましたというキャラです。殉職させるべきか生き残って幸せにしてあげようか本気で悩みましたが結果はこの通り……伏線じみたものまでいろいろ仕込んでしまい(反省)、この先何度か登場しそうです。
わたしはいわゆる「萌え系」は対象外でして(なのでぶっちゃけるともう一作の『エルフガイン』にはちょっと無理して描いているキャラもいる)、好物はガンダムで例えるなら『逆シャア』のナナイ・ミゲルとか『ガンダム00』のカティ・マネキンとか……ちょっとくたびれたアラサーのお姉さんが好みなんですが最近そういうのはめっきりアニメに登場しなくなりローマの造形はそのへんの不満が暴発(略)
次回作はもう少し間を開けないようがんばります……たぶんリュートと出会うエピソードか、霧香が日本のアニオタ少年と一緒にコミケにでかける話になると思います。