19
ローマが一時的に〈マイダス〉の加速を中断させ、友軍とのランデブーを果たした。霧香が驚いたことに、駆けつけた艦艇のうち一隻は、ポンティアックのウィリアム・ブラザース社の敷地に横たわってオーバーホールを受けていた船だった。
驚きはそれですべてではなかった。船はマルコ・ランガダム大佐が直々に指揮していた。
いつもと変わらぬ仏頂面で霧香たちを迎えたランガダムは、開口いちばん言った。
「〈マイダス〉を追跡しろと言ったが、拿捕せよと言っとりゃせんぞ」
ランガダムは霧香に言っていた。霧香は返す言葉がなかった。
「だがわしが見たかぎり、隣に突っ立っとる不良将校にたぶらかされたのだろうな……」
ローマは涼しい顔でそっぽを向いている。そのかたわらにはリィがぴったり寄り添い、ローマの大きな手が肩に乗っていた。
「……無茶しよる。だが無事でなによりだった、ホワイトラブ少尉。よくやった」
霧香は肩の力を抜いた。
「ありがとうございます、大佐殿」
「ああそうだ」ローマが言った。「リトルキャバルリーの船倉にボビィ・ブーツェンを押し込めてるんだ。ほとんど眠らせてたからちょっと元気がない。だれかやってくれ」
「ブーツェンを捕まえただと?」ランガダムはやれやれと首を振った。「じつにきっちり仕事したのは認めるがな……」
通路の奥がなにやら騒がしかった。霧香がそちらに目を向けると、見覚えのある二人の男がまっすぐこちらに向かってくる。ランガダムが口を開くまもなく満面の笑みをたたえたガーニー船長がランガダムを押しのけるようにして進み出ると、いきなりローマの手を取った。
「ご無事で……姐さん!」
「あ?……ああ」
(姐さん?)霧香は目を丸くした。
となりにはガーニーの銅鑼声に顔をしかめているモーグがいた。予期せぬ友人の登場に霧香は驚き目を丸くした。だらしなく突っ立って片手はジーンズのポケットに突っ込んでいる。霧香と視線が合うと、小さなラップトップを持った手を挙げて挨拶した。
「いったい何の騒ぎ……」
モーグとガーニーが手前勝手に説明しだした。
「黙れッ!!」ランガダムが一喝した。霧香は、彼が声を荒げるのを初めて見た。
「こんなところでなんだ……食堂に上がろう」
ランガダムは食堂に上がる最中にも指示を出していた。無線機に指示を飛ばし、同時に通りすがりの隊員に指示を伝えている。
大勢のGPD隊員が乗っていた。大佐が陣頭指揮する姿を見るのは初めてだ。こんなに大勢の隊員がいち時に働いているのを見るのも初めてだった。
「何人乗ってるの?」狭い通路を隊員たちとすれ違いながら、ローマが溜息のような笑いを漏らして尋ねた。
「離床に間に合った隊員全員連れてきたさ。全員宇宙に上がれと動員をかけたのだ」
武装した小隊と技術部のエンジニアがローマの要請で〈マイダス〉に向かった。
途中でヘルメットを被り小隊を率いるフェイト・ハスラーとすれ違った。
「マリオン!」
「フェイト!あなたまで乗ってるとは……」ふたりは立ち止まり、お互いの肩を抱き合って再会を祝した。
舞台を先に行かせたフェイトは突然真顔になり、言った。「マリオンあんた、また抜け駆けしたんだってな」
「なんのことかしら?」
フェイトは黙って十秒ほど霧香を見据え続けた。霧香は観念した。
「分かった分かった!了解しました!まったくもう、絶体絶命からやっと帰投できたのにあんたは最初にそれ追求するわけ?」
「そうだ」フェイトは無慈悲に言いきった。「あんたは超運悪いけど幸運の持ち主だから心配することないし、だいたい少佐とずっと一緒だって知ってたら心配する必要なんか無かったんだから損したわ」
短い言葉でよくもそこまで矛盾したこと言える……霧香はなかば感心して頷いた。フェイトは薄笑いを浮かべて霧香の胸を突いた。「全部終わったらじっくり尋問するからね、覚悟しとくのよ」
「お手柔らかにね……」
ふたりは手を振り合って、それぞれの向かう場所にきびすを返した。
遅れて食堂に着き、コーヒーが配られる頃には、加速が再開していた。何事も整然とてきぱき進んでいた。先を急がなければならないのは誰もが承知しているようだった。
またしても驚いたことに、テーブルにコーヒーを配っていたのは、ローリングアッパーでローマに絞られた男だった。オットー。私服の上にエプロンを着けている。ローマたちの姿を認めると、決まり悪そうに苦笑いして頭を下げた。
ランガダムがオットーのほうに顔を向けていった。「奴が通報してきたのだ。それで、われわれは初めて、マリオン少尉の船にきみが乗り込んだことを知った……」
「ほう?」ローマは興味深げにオットーを見た。
「いや、やっぱり心配でさ……」オットーは困ったように頭を掻いた。
「宇宙船はもうこりごりだったんじゃないのか?」
「無理やり連れてられたんで……仕事があるって言ったのに」
「持つべきものは元戦友か……」ローマは呟いた。「おかげで助かった」
「ローリングアッパーから届いた報告書にはマリオンくんの署名しか見当たらなかったから、その男からおまえさんが同乗してると聞いてわしらは驚いたよ……。あきれた奴だ」
「心配かけたわね」
ローマは離れた席にどっかり座ってテーブルに足を投げ出していた。側らにはリィが座っている。オットーが皿に盛ってくれたチョコレートがけのアイスケーキを差し出されて、眼を輝かせていた。正直言って霧香も食べたかった。
「それでわしらはすぐに出動した。〈マイダス〉がまだそのへんをうろうろしているのだ。きみがまっすぐ突進してゆくのは分かっていた。大急ぎでブルーミストに赴き、オットーから事情を聞いた。さらに進行すると、この男が」ガーニーを指さした。「大声で全周波数帯放送を流しはじめ、信じがたい内容をわめき立てていた……巡洋艦だと」
「古しき懐かしきノグド級よ」ローマが言った。
「ふむ、骨董品だな……」ランガダムは気難しげに頷いた。「ヤンバーンめ、いずれとっちめてやる……彼はロリンズくんの知り合いだと主張していたので、われわれも耳を傾けた。同行すると言って聞かなかった」
「ドレスデンはどうしたのだ?」ローマが尋ねた。
「いまごろはのんびりブルーミストに向かってるぜ。この人たちが追っ手をやっつけてくれたからね」
「そうか……無事でなにより」
「わしらがドレスデンを救援しているあいだにすれ違ったようだ。われわれは反転してきみたちを捜した」
「彼も同行すると言って聞かなかったんですか?」霧香は隣の席でラップトップコンピューターに頭を突っ込んでいるモーグを指さした。
ランガダムは鼻を鳴らした。「彼は密航したんだよ。けしからん小僧め」
「密航!?」
「ウィリアムブラザースにオーバーホール中のヴリャーグを受領しに行ったどさくさに紛れて、こっそり乗り込んでおった。……おかげで航行中も修理を手伝ってくれたがね」
「ドライブの予備バイパスが繋がってなかったのに直ちに出航させるってんだから、無茶な話だよ。ウチの仕事はきっちり収めさせてもらわなくちゃ」モーグが顔も上げずに補則した。
霧香は首を伸ばしてモーグの頭越しにホロモニターを覗き込んだ。
(ゲッ)そこには霧香がここ数日間リトルキャバルリーを酷使した数々の所業が克明にグラフ化されていた。メインフレームに秘密のバックドアでも仕込んでいたのか、いつの間にかデータを転送したようだ。油断も隙もない。
「ずいぶん荒っぽい飛びかたしたもんだ……」モーグが覗かれていることを承知で呟いた。「フルスロットルは避けろと言ったのに……」
「仕事で……」
「武器を作動させてるね」モーグは初めて興味を示したように霧香に顔を向けた。「……ひょっとして戦闘したの?」
「少しだけ……」
「やっつけたのか?」
「四隻ね」そっと呟いた。
「うほっすげえや!」モーグはガッツポーズを取って叫んだ。
皆がなにごとかと振り返った。
「ああ、みなさん気にしないで」
ランガダムがいきなり立ち上がって怒りを爆発させた。「だいたいなんだ!おまえたちの同席なんぞ求めちゃいない!失せろ!」
「マルコ」ローマが候補生をなんども震え上がらせた厳しい声で言った。
ランガダムは禿頭に手を当てて顔をしかめ、リィのほうを見て呟いた。「いやすまん」
「さ、おじさんたちに付いて向こうに移りなさい。あとでお医者に診てもらうからね」ローマは優しくリィを促した。リィは皿を持って素直に従った。ガーニーが少女の背中に大きな手を当てて気の優しい熊のように語りかけながら連れ出した。モーグもマグを片手にそろそろと出ていった。オットーがエプロンで手を拭いながら続いた。
「あの娘は誰なんだ?」ランガダムが雑多な取り合わせの一団を見送りながら尋ねた。
「〈マイダス〉で捕まっていた。これが終わったら彼女を故郷に連れて行くと約束した」
「また休暇を取るつもりか?まあよかろう……よし」ランガダムはどかっとシートに座り直した。「これでまともに話が……」隊員が報告書のホロファイルをひと束、ランガダムの側らに置いて去っていった。渋面を浮かべて最初の一枚を摘み取ると、通信が入った。本当に一息つく暇もない。スピーカーを繋いで応じた。
「なんだ?」
「フェイト・ハスラーです、大佐。キング……いえ、ガムナーの遺体を確認しました。薬物反応無し。外傷無し。痛み止めを服用していた形跡があります。レダによれば、死因は老衰による心不全。自然死だそうです」
「そうか……捜索を続けるんだ。捕虜はカールソンに移送させろ。コンピューターの記録は後回しだ。メインフレームをヴリャーグに繋いであとで吸い出す。それ以外の物的証拠に気を配れ。遺体の数もざっと数えるだけで良い。撤収後、ロボットにカウントさせる」
「了解、捜索を続けます」
通信を切ると、ランガダムは誰ともなく言った。「ジェラルド・ガムナー……キングが死んだ。自然死とは……」首を振った。
「わたしの目前でね……しかし、奴はまだ健在よ」
「人格コピーを取っていたのだったか?奴は自前のコピーシステムまで入手していたのだな」
「グラッドストーンで保険会社が襲撃されたことがあったでしょう?あのとき被害リストには見当たらなかったが、あらじめキングと結託してたんだろうな……いま奴の魂は」魂、という言葉にローマは顔をしかめた。「……ノグド級重巡洋艦のメインフレームに書き込まれている」
「愚かな真似を」
「そうね……神になったつもりでしょうけど、あいつが想像するほど簡単に巡洋艦のシステムとシンクロできないはずよ。だけど放っておいたらいずれ慣れるでしょう」
「そんなに長いこと放っときゃせん」
「軍は?」
「ガーニーの説明を全面的に信用して総動員をかけた。通信タイムラグがまだ1時間以上あったから、首脳部には一方的な通達で済ませ、ディフェンスコンディションを上げさせた。おかげでいまだに方々から抗議が届いているが、貴重な時間を稼げた。
……タウ・ケティ防衛軍の駆逐艦とパトロール艦があわせて十隻、それにたまたま寄港中だった英国艦隊から一隻、神聖ドイツ帝国から二隻が派遣された。さらにわれわれのパトロール艦が二隻……迎撃予定宙域に集結中だ。それにこの船とヴォストーク……奴がタウケティマイナーに到達するまでに間に合うのはそれで全部だ。タウ・ケティ自治政府は緊急事態宣言を発令してイグナト大使館にも協力を要請しているが、応じてくれるかどうかまだ分からん」
「十七隻」ローマが呟いた。「いい勝負だな……」
ふたりともしばし沈黙した。同等の火力を備えた巡洋艦がない以上、それが精一杯の対応だ。ふたりとも幻想は抱いていなかった……交戦すれば、寄せ集めの駆逐艦隊は壊滅するだろう。多大な犠牲と引き替えに巡洋艦を屠る可能性は五歩……それよりすこし少ないかもしれない。
ランガダムは世間話でもするかのように状況を伝えた。
「実は、わしがブルーミストを出発してまもなく、タウ・ケティマイナーとグラッドストーンでテロが相次いだ。軍の施設とGPD本部で爆破騒ぎがあった。いまではラインバーガー長官が直々に指揮を執っていて、海賊の動きを牽制している。オオクラくんとクルトが補佐に就いているし、そちらはまず心配なかろう」
「わたしたちは〈ミノタウロス〉を狩るのに専念できる」
ランガダムは一度だけ頷いた。「なにか良い考えがあるか?」
「ある……」ローマは曲げた片膝に両腕を乗せ、まっすぐ前を見据えて考えていた。ややあって首を巡らせ、「ビールないかしら?」と尋ねた。
「済まんが補給が間に合わなくてな」
「チョコレートアイスは間に合ったのに」ローマは鼻先で笑った。「〈マイダス〉から持ってくれば良かった……」
「わたしの船にまだ残ってます。シャンパンも。取ってきましょうか?」
「悪いが頼む……ビールだけ。よろしく」
霧香の後ろ姿を見送るあいだ、ふたりはしばし口をつぐんだ。
「シャンパン?」ランガダムが口をへの字に曲げて聞いた。
ローマは大げさに肩をすくめた。「ローリングアッパーでドン・ペリニョンを一本買ったの。ホワイトラブ少尉の船の処女航海が済んだら乾杯しようと思ってたのよ……けど今回の手柄を祝うにはぜんぜん足らないわ」
「あんな所でドン・ペリを売ってるとは知らなかったね」あきれたように言った。「あのちびっこい船はどうだ?」
「悪くない。あとで航行データを参照してくみて」
「そうする。まあ大いに役に立ったのはわしも分かっておる。ホワイトラブ少尉に今後も使って良いとそれとなく伝えてくれ」
「喜ぶだろう」ローマは組んだ腕に顎を乗せた。「あの娘面白い子ね。気に入ったわ。わたしにちょうだい」
ランガダムはちらりとローマの横顔を見た。
「おまえさん、GPDなんぞ辞めてやるとわしに豪語しておらんかったか?たしか八日ほどまえに」
「そんなこと言った覚えはない」
ランガダムは鼻を鳴らした。「……まあなんにせよ、嫌だね。あいにくと超優秀なホワイトラブ少尉は誰かさんと違って素直でな、わしの懐刀にするつもりだ。元帥府を開きたいなら自分で人材を集めてくれ。わしの兵隊には絶対に手を出してはならん」
「ケチ」
「計画を話せ」
霧香がリトルキャバルリーからビールの缶を抱えて戻ったときには、すでに攻撃計画が出来上がっていた。ふたりとも立ち上がり、握手を交わしていた。霧香がビールを手渡すと、ローマは一本をランガダムに寄こした。
「それでは、わたしは〈マイダス〉に戻るから……各戦隊に向けた調整は、そちらにお任せします」
「了解した……無理しないでくれ、ローマ」
「あんなくたばり損ないと差し違える気はない」プルをむしってビールを開栓した。大きく煽って水かなにかのように飲み干すと、開缶をテーブルに置いて颯爽と立ち去った。
霧香は短い通路を曲がってローマの姿が見えなくなった後も、しばらく見送っていた。
大佐はやれやれと首を振った。「もう勤務中なのだがな」手つかずのビールをローマの空き缶と並べて置いた。
「ホワイトラブ少尉」
「は?大佐殿」
「きみには彼女に代わって謝っておかんとな」
「どういうことでしょう?」
「気付いているはずだ。彼女は、私が蚊帳の外に置いたから、きみを利用したのだ」
霧香は「利用した」という言葉を胸の中で反芻した。少佐は初めから、霧香の船に乗り込むつもりで待っていたのだ……腹が立つ?ノー。こちらはそのために準備ができていた。だから少佐はわたしを選んでくれだのだ……そう考えたかった。
「……わたしだって、同じことをしたかも知れません」
ランガダムは短く笑いを漏らした。思い直したのか、いったん置いたビールを取り上げて栓を開けた。大きく呷った。「うまい」満足げに言って口をぬぐった。「……そいつはまた穏やかではないな。彼女は国連防衛軍で終身大佐なんだ。知っていたかね?」
「中佐だったということは間接的に聞き及んでましたが……」それがほんとうは大佐で、超エリートである国連軍防衛隊出身となれば、どこの軍隊であれ再志願すれば大佐のままということだ……。
「しかも恒星間大戦を戦い抜いた英雄だ。退役すれば年金でいくらでも楽に生きられる身分だ。だがわしがGPDにいることを知ると、少尉でいいから任官させろと言ってきたのだ。
わしは彼女にもっと安らかな人生を送ってもらいたかったのだが、放っておいても彼女がいずれガムナーを追い詰めて殺すと分かっていた。彼女が手を汚すより法の裁きを下す立場に据えたほうが良い……そう判断して、やむなく任官させた。彼女は大勢の部下と、電脳人格化した親族をガムナーに殺されている。やつはどうしても彼女が倒さねばならない獲物なんだ。きみを巻き込んだのは軽率だったが、許してやってほしい」
大佐がローマを庇っているのが感じられた。ならば少尉風情がとやかく言うべきことはない。
「いえ、お手伝いできたことを光栄だと思っています」
「そう思ってくれるならまことにけっこう。とにかく彼女がきみに大きな貸しを作ったと考えているのは間違いない。逆のケースは多々あるが、これは貴重だぞ」
「そんな、貸しなんて……」
「ささやかな感謝の印、と言ってはなんだが、結末がどうであれ、この件が終わったらわしはきみのために勲章授与を申請するよ……彼女にはあげないがね」
「そんな。ほとんど少佐殿のお手柄なんですよ」
ランガダムは小柄な霧香を見下ろしてウインクした。「勤務外でな。だがきみの判断ととあの船がなければ、われわれは壊滅的な後手に回っていただろう……きみはよい働きをしたんだぞ。それに少佐は軍隊時代に勲章でチェスができるくらい授与されているんだよ。もういらないそうだ」
「そんなにたくさん……」
ランガダムは重々しく頷いた。「だが勲章の前にあと少しだけ、彼女に付き合ってくれ。きみも愛機と一緒に〈マイダス〉に向かいたまえ」
「了解です」霧香は敬礼した。
大佐は答礼した。「頼んだぞ」
霧香はまわれ右すると、リトルキャバルリーに急いだ。
次回で完結します。明日投稿させていただきます。