13
ドレスデンは典型的な貨客船で、船首よりに多数の客室を備え、操舵室の背後に大きな天窓付きのラウンジを備えていた。いまは船客はいない。楕円形のテーブルを囲むソファーはなかなか上等だった。ローマはソファーに身を沈めて天窓から宇宙を展望した。
「惑星がどこにも見えないわね……ここはどこなの?」
手下に酒を用意する指示を与えたガーニーが、霧香とローマのあいだにどっしり腰を下ろした。
「え?知らないのかい?おまえさんたち第8惑星の外まで連れてこられちまったんだよ。タウ・ケティマイナーは十五億㎞彼方さ」
ローマは眉をひそめ、少し怒ったような顔になった。じつはどういう意味なのか分かっていない、という振りを見事に演じていた。「そんな田舎まで行くなんて聞いてないのよ。まったく割に合わないったら」
不平をこぼしながら長い足を組むと、滑らかな漆黒の生地に星をちりばめたようなドレスの裾から素足が露わになった。
そこに居合わせたすべての男の眼が吸い寄せられる。
慎重にカットされた高級ドレスは上品ながら、ローマの素肌を覆うというよりは、ドレスが無くなったあとの裸身を大いに連想させるものだった。
「田舎ね。たしかにそうだ。あんたにはにあわねえな」ガーニーは適当に相づちを打ちながら酒を注いだ。
「乾杯だ」
「何に?船長さん」
「なんだっていいじゃねえか、そっちのお嬢さんも、さっ乾杯」
霧香はひとくち呑み、むせそうになるのを堪えた。いったいアルコール度数いくらの酒なのか……。だがローマは一息でショットグラスを干すと、「美味しいわ」と微笑んだ。ガーニーはやや躊躇したあと、同じように一息でグラスを空にしてみせた。
ローマが両手でタンブラーを傾け、ガーニーと自分のグラスに注ぎ足した。差し出したグラスに酒を満たされるガーニーの仏頂面が、口元から緩んでいた。
男に媚びを売っているようでいて、すでに船長をめろめろに溶かしはじめていた。ローマはいまや当然のようにこの船の中心に居座っていた。たおやかなおとなのおんなの魅力を凝縮した美と性愛の化身だ。つい先日可哀相な警備員を素手で殴り殺し、蹴り一発で蘇生させたひとなのだが。
ローマはゆったりソファに保たれてとびきり甘ったるい声で言った。「高いお酒……わたしを安っぽい女だと思わないのね……嬉しいじゃない」
「わかるんかい?へへ……実際あんたほどのべっぴんはやたらとお目に掛かれねえ。ロレイン……だったっけ、ロレインて呼んでいいかい?」
「もちろんよガーニー船長。それとも、ボス?」
「ボスか、ボスも悪かねえな」
デレデレだ。見ていられない。
霧香は少佐がまるでそこらへんの女のようにぺらぺら喋り続ける姿を見て、面食らっていた。演技とはいえ、少佐が男に媚びを売る姿は見ていて気分の良いものではなかった。もちろんドレスを持っていたら霧香も嬉々として演技したことだろうが……。
しかしながら、彼はひょっとして本当に一目惚れしたのではないかと思えるほど少佐に見惚れていた。こんな場所でもロリンズ少佐は簡単に中心に居座ってしまった。恐るべき存在感だ。おかげで霧香は遠慮なくあたりの様子を伺うことができた。洗面所が設けられた短い通路の奥が操舵室だろう。
「しかしあんた一度会ったような気がするんだが……もちろんおれの気のせいだろうなぁ……」
「わたしも覚えがないわ……あたしって、あなたのように大きな体の男大好きだもの。会っていたら憶えているわよ……残念」
「へへへへ、そ、そうかぁ?」
操舵室の扉が音もなくスライドして、手下の一人がこちらにやってきた。
「船長、お取り込み中すいませんがそろそろ……」
「ああ?くそ……そうか、いま行く」
「どこにいらっしゃるの?」
「ちょいと仕事しなきゃならなくてな。これからどでかい船とドッキング作業だ。二時間……もうちょいかかるかもしれねえ」グラスを干すと立ち上がり、太鼓腹に引っかかったベルトを掴んで揺すった。
ローマは心配そうに尋ねた。「ドッキングって……〈マイダス〉じゃないわよね?」
「心配すんなって。すぐ終わるから待ってな。開いてる船室を使っても良いぜ」
「ありがとう。シャワーを浴びて少し休むかも……でも御用が終わったら、忘れず呼んでちょうだいね」
「へへっわかってるよ、忘れるわけねえじゃねえか」ガーニーは操舵室の入口で振り返り、念を押した。「ほかに行くなよ。どうせもうすぐみんな集まるんだ」
にこやかに手を振っていたローマは、ガーニーがドアの向こうに消えた途端真顔に戻った。
「さあ、どうする?」
「わたしは一度リトルキャバルリーに戻って、こっそり荷物を持ち込みます」
「荷物を持ち込めたら、個室に引っ込みましょう。それまでここで待つ」ローマは天窓を見上げた。霧香も見上げると、ドレスデンと併走する船が見えた。コンテナ輸送船だ。
あの船にも兵器が積まれているのだろうか。
「船倉の物騒な貨物は見たわね?」
霧香は頷いた。ガーニーは二等船室の壁を取り払い、霧香たちに提供した。広いベッドにローマが横たわり、霧香は向かいのベッドに腰を下ろしていた。
「なにに使う気でしょう?」
「なんとなく察しはついた……どのみちもうすぐはっきりするだろう」
「ガーニー船長が言っていたでかい船、ですか?」
「うん、〈マイダス〉の向こうにちらりと見えた奴……あれが船なら、たしかに大きいぞ」
船室が見張られているのは間違いないだろうから、二人とも格好を崩し、ラウンジから持ち込んだシャンパンをちびちびやりながらツマミをつまんでいた。こういった商船のセキュリティモニターは音声まで拾わないのが普通だから、会話は続けていた。どのみちガーニーたちは作業しながら時折霧香たちがまだいるか確認するだけだろうが。
リトルキャバルリーから持ち込んだ大きな荷物は、まっすぐ浴室のドレッサーに放り込んでいた。
「ガーニー船長は海賊の一味なんですかね?」
「指名手配犯データベースではお目にかかったこと無いわね……貨物運送に携わりながら、ときどき可哀相な債務者を脅す仕事も請け合う、日雇いのフリーランスというところかな。どうも動員できる船を片っ端から集めた印象だ。天窓を眺めていたら、さらに何隻か見えたよ。なかには物騒な違法改造を施した武装商船もいた。……そちらは海賊船だ」
「このまま減速を続けると、おそらく小惑星帯を周回する軌道に乗るでしょう。そこで海賊の大集会なんでしょうか」
「そのようだ。通信施設を使えればなあ……」
「もうすこしじっとして様子を見ましょうよ。ガーニーの言う通りだと、じきに集まった連中が一堂に会するでしょう。そのどさくさに紛れて……エーと、どこかに抜け出せるかも」
「どこか?」
「どこか、です」
「なるほど……わたしはすぐに場所を変えるつもりだったが、たしかにあなたの言うとおりだ。あの船長に大人しく付いていくほうがすんなりとキングに近づけるだろう。さて、わたしはひと眠りする。あなたは?」
「浴室を使います。ついでに武器を組み立てます」
一時間が過ぎ、三時間たっても誰もやってこなかった。一度だけドレスデン船内をぶらぶら歩いてみたが、船倉のほうが慌ただしく、リトルキャバルリーに近づかないほうが無難に思えた。ラウンジの天窓もいまは星空を映し出しておらず、ただの白い天井と化していた。外を映すスイッチがどこにあるのか分からなかったので、そのままにしておいた。操舵室のドアは開かない。一般的に施されたセキュリティ措置で、登録された船員以外は侵入できないようになっているのだ……ずぼらな船員たちが解除していることを期待していたのだが……。
霧香は何も得ることが無く個室に戻った。
信じられないことに、ロリンズ少佐は本当に眠っていた。ドレスは壁にきちんと吊され、シーツの下は裸のようだ。
霧香もとなりのベッドに仰向けに横たわり、なんとか体を楽にして敵地の只中にいる不安を解消しようとした。それは叶わなかった。ローマの真似をして目を瞑ったが、頭の中で漠然とした不安がぐるぐる渦巻いていた。
すぐにひと眠りなどできるわけがない……。
ローマに肩を揺すられて眼を覚ました。
「そろそろ起きて。外が静かになった」
「は……ハイ」霧香は困惑しながら身を起こした。熟睡してしまったらしく、一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。ドレス姿のローマを見てようやく自分がひどく込み入った状況の只中にいるのだと思い出した。
身繕いを終えた頃、ようやく迎えが来た。ガーニーはロリンズ少佐がちゃんと待っていたのでホッとしているようだ。
「すまねえ。荷揚作業に思ったより手間取りやがってな」
「わたしたち、どこかに移るの?」
「そうだ。化け物みたいにでかい船に乗り換えるんだ。ひどく広い船倉でパーティーの用意がしてあるみてえなんでな」
「ふうん……大勢集まるのかしら?わたしたちキングの部下に見つかるのは嫌よ」
「千人以上集まってるから心配ねえ。女も大勢来てるし。あんたたちは俺の側にいればいい」
「シャトルに乗るの?」
「いいや、もう接舷してるから歩いて渡れるさ」
ガーニーの言った通り、バブルチューブの気密桟橋がドレスデンの船倉から伸びていた。大規模荷揚用で直径三メートルほどのまるい余圧チューブだ。船倉に積み上げられていた軍事物資は空になっていた。チューブ内には力場が働いていたので、霧香たちの体は勝手に浮き上がって「上」に押し出された。伸縮性のある壁は透明だったから、外の様子が手に取るように分かった。霧香は密かに息を呑んだ。
視界いっぱいに巨大な船体が横たわっていた。およそ百メートルほど離れているが、大きすぎて全容が掴めない。霧香たちの行く手に威圧的にのしかかってくる。星空は完全に遮られていた。
「ほんとう、すごく大きな船」ローマが無邪気な歓声を上げた。
「スゲエよなあ……巡洋艦だそうだぜ。これ一隻で惑星をまるまる黒こげにできるんだと。いったいどこから湧いたのかしらねえが」
「軍隊の?あなた詳しいのね」
「まだ青二才だった頃な、ちょっとだけ軍隊に厄介になってよ。だが俺が乗ってた宇宙戦艦に比べたら、あんな図体の巡洋艦だって玩具みたいなもんだったが――」
ガーニーはなにか考え込むように口をつぐんだ。
「キングは盗んできたのかしら……?大胆なのね」
ガーニーは我に返った。「え?いや、俺もよくはしらねえが、噂では、どこかから買ったんだと。こんなものを売る奴は、たぶんヤンバーンどもだろう」
「へえ」
船体のいっぽうの端に巨大な球体構造が見えた。おそらく主反応炉だ。そちらが艦尾だろう。巡洋艦の船首方向に接舷した〈マイダス〉が見えた。外では点検作業が続いているようだ。蛍のようにライトを灯した作業艇が飛び回っていた。対空近接火器の砲塔がゆっくり旋回している。防衛用火器とはいえ、パトロール艦の主砲並のサイズだ。
この巡洋艦の戦闘態勢を整えているのは明らかだ。いったい巡洋艦を動かすのに必要な準備期間はいかほどなのだろう。霧香は知らなかった。少佐は知っているかもしれない。キングが元宇宙軍軍人を大勢集めているわけだ!
近づくと、巡洋艦の隔壁はかなり年季が入っているようだった。中古船なのは間違いないだろうが……。
霧香は突然、この艦がどこから湧いたのか理解した。
恒星間空間を亜光速で渡ってきたのだ!
本当にそうだとしたら恐ろしく遠大で気の長い計画だった。およそ数十年かけて……三十光年先のヤンバーンの母星、マーハンからやってきたのだ。ヤンバーンが人類との同盟を破棄して、クラウトア宗主族に降伏した際に廃艦したはずの戦闘艦……その生き残りだろう。
こんなものがタウ・ケティ星系で暴れはじめたら大変だ……惑星ごと人質に取られ、自治政府は海賊の言いなりになってしまう。タウ・ケティ星系にはパトロール艦しか配備されていない。強力な軍艦はもっと辺境に……所在を開かさずひっそりと配備されている。それらが駆けつけるまで数日間……たぶん最低でも一週間……それだけ猶予があれば、奴らはなんでも実現できる。どこかに逃亡するのも自由自在だ。スターブライトラインズの恒星間連絡船に逃げ込まれても為す術はない。彼らはどんな船でも受け入れてしまう。われわれはせいぜい銀河連合にドッキングさせないよう懇願してみるしかない。
少佐もまったく同じ事を考えているはずだ……もう呑気に霧香が音頭を取れる段階ではない。少佐の指示を仰ぎたかった。 しかし霧香の前方に浮かぶ少佐は、一度も振り返ることなくガーニーとお喋りを続けていた。
つまりしばらく現状維持ということね。はやる気持ちを抑えつけてそう納得した……しかし少佐の言うように、通信設備を見つけて通報せねばならない。
一刻も早く。
それも、自分の身の安全は棚上げにしても、だ。
力場が変化して地面がぐるりと九十度傾き、巡洋艦内部に押し出された。霧香は身軽に身をひねって対応したが、しまったと思った……こういうのに慣れているのはなぜなんだと怪しまれる。だがローマが不器用にばたついて声を上げながらガーニーにしがみつき、事なきを得た。さすがだった。徹底している。
空気の匂いがかすかに変化した。電子機器のオゾン臭やオイルの匂いにまじって、かび臭い。長いあいだ誰も住んでいない廃屋の匂いが漂っていた。誰であれ、この船に乗って銀河を渡ってきた連中はコールドスリープで過ごしたのだろう。差し渡し五〇メートルほどの船倉は人でごった返していた。慌ただしい作業の真っ最中だった。巨大なコンテナがレール上を滑っていた。
「なによ、パーティーじゃないの?」
ガーニーは笑った。「ここじゃねえよ、安心しな。もっと広い場所だ。あのむこうさ」船首方向の巨大な隔壁を指さした。
合理化を極めた巡洋艦の構造はどの国も似たり寄ったりだ。船体中央にはタンクや艦載艇や弾薬を収納する船倉が果てしなく連なっている。前方……進行方向が乗組員区画で、そのすぐ後ろ……下層ブロックが、艦載機用の巨大甲板だ。パイロットが素早く乗り込めるよう居住区の隣に設けられている。大型巡洋艦ともなると、護衛駆逐艦を二~三隻収納できる特大甲板を備えている。分厚い扉を抜けると、甲板に出た。
差し渡し二〇〇メートルはあるだろう。照明が落とされ、いくつかのスポットライトが甲板を照らしている。奥の照明が大気で霞んでいた。一段高い壁際に露天指揮所があり、そこが特に照らされている。即席の演説台が設けられていた。背後に巨大な海賊旗が張られていた。艦載艇までは用意できなかったのか、筒抜けの空間は空っぽだった。船体の外壁に沿って湾曲した床には人間がひしめいていた。周囲は暗く、集まった連中はいくつかのグループに分かれ話し合っていた。お喋りの音量はあまり大きくはない。いくつかのグループは床に座り込んで早くも酒盛りをはじめていた。テーブル代わりの木箱の上に酒のボトルとカップ、オードブルの盛られた皿が並べられていた。ガーニーたち臨時雇いは演説台から離れた木箱のひとつを囲んで陣取った。
「あれはなに?」霧香が中央でスポットライトに照らされた一角を指さした。
ガーニーが額に手をかざして眺めた。「ありゃあ、リングじゃねえかな」
「リング?」一段高い舞台のようなやぐらで、四方を囲んだポストから三本のロープが張張り巡らされている。
「知らねえか?格闘技のリングだよ。どうやらエキシビションでも開催するみてえだ」
「プロレスリングね、わたしハイフォールでいちど連れて行ってもらったわ」ローマが楽しそうに言い添えた。
霧香はさっぱり要領を得なかったが、どうやら余興としてマーシャルアーツかなにかの模擬試合でも行うつもりらしい……。
「あんまり長居はしたくねえな……」ガーニーがボトルの一本を手にしてしげしげ眺めながら呟いた。心なしか快活な勢いがなりを潜め、物思いに耽っているようだった。
「なぜ?」ローマが尋ねた。
「なにかおっぱじまるのかもしれねえ。俺には分かるんだ。報酬の残りを頂いたら、さっさとずらかったほうがいい。……あんたたちはマイナー出身かい?」
「わたしはグラッドストーンから来たのよ。この子はタウ・ケティマイナー生まれ」
「そうか……、あんたたちも長居は無用だ。悪いこたぁいわねえ。パーティーだかなんだかがはけたら、俺と一緒にローリングアッパーに戻ろう」
すかさず霧香が口を挟んだ。「あたしまだお金払ってもらってない……」
ローマがなんども頷いた。「そうよ……その通りだわ」
「カネなんぞすっぱりあきらめたほうが身のためだぜ。ここにいると取り返しがつかねえ事に巻き込まれるぞ……」
「あたしたちを雇った男がいるはずよ、どこか……」霧香は演説台のほうに顎をしゃくった。「あっちのほうに。わたし捜してくる」
「そうしてセイラ、ボビィ・ブーツェンを捕まえて、あたしのぶんも払ってって頼んどいてよ.お願い」
「ボビィね、分かった」
「それではボス、わたしはお化粧を直してくるわね。この船、レストルームはどこなの?」
「ああ?たぶんエレベーターで上に昇らないと無いだろう……おまえさんはいまでもじゅうぶん綺麗だ。うろうろ歩き回ると危ないぜ。ここにいな」
「やだ、ボスったら、すぐ戻ってくるから野暮なこと言わないで。ここは迷子になりそうだからドレスデンの洗面室を使わせていただくわ。じゃあね」髭面の頬に軽くくちづけした。
ローマは一瞬だけ霧香に目を合わせて頷くと、ハンドバッグを手に歩き去った。