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マリオンGPD 3127   作者: さからいようし
第二話 『戦女神の安息』
27/37

幕間劇 1

 3126年初頭。四ヶ月間の基礎訓練課程を終えた霧香は、三等士官としてパトロール艦バイコヌールに配属された。二ヶ月間のお試し期間であり、終わればまた別の部署に配属される。バイコヌールは全長三百フィートの汎用パトロール艦で、武装は貧弱だがある程度の索敵能力を持つ。ペイロードには小型艦載艇を四隻積載しており、武装商船程度に対する備えはまずまずだった。言い換えれば器用貧乏な船であり、火力や加速性能を特化させた船には対応できないということだ。つまりそんな敵に対しては軍隊の出番ということになる。

 乗組員は十二名。平時にはそれが六人ずつ当直に着く。それに警備部から砲手兼艦載艇パイロット四名。書記兼船内管理係兼コックがふたり。古くからの伝統で船医も必ずひとり同行する規則だが、どのみちオートドックが人間よりずっと要領よく仕事するから、たいがい乗組員のひとりが兼任する。任務によっては艦載艇の代わりに警備隊二個小隊が乗船する。

. それにプラスしてホワイトラブ三等少尉だ。

 いてもいなくてもだれも気にしない士官候補生などなんの出番もないのだが、にもかかわらず仕事は嫌になるくらいあった。なんでもやらせてみようというキャプテン――ポイトリス大尉の計らいで、操船以外のあらゆる仕事を押しつけられた。もちろんそれだけでは済まず、雑用をたんまりと押しつけられた。

 ひと月が何事もなく、あっという間に過ぎ去った。

 不審船に対する臨検が二度、たいしたトラブルもなく施行された。それも霧香が食堂でテーブルをせっせと磨いたり補給品目録と格闘しているあいだに行われ、あとで知らされたのだった。それでも霧香に不満はなかった。なにも考えられないくらい忙しいうえに宿題まで課せられていたためだが、それよりもふと手が開いたときに、先輩たちを観察するのが興味深かったのだ。

 船はGPDの縮図だ。キャプテンが全知全能の神であり、その状態を維持するために慎重に心を配っていた。むろんそんな素振りなど見せることはなく、じつにスマートにこなしている。それをなぜ霧香が気付いたかといえば、休む間もなくさまざまな部署を走り回っているからだ。透明人間の利点だ。なにげない会話の端々から状況を組み立ててみれば、船内の力学的バランスが見えてくるのだ。

 警備部の下士官と士官であるGPD保安官との間柄を学び、純粋な職業能力に対する敬意によって結ばれた小さな社会に魅了された。快い緊張感に包まれた、プロフェッショナルの世界だ。正式に任官が叶えば晴れて霧香もその一因として迎えられるのだ。我慢して、とんだへまをやらかさなければ、数ヶ月でその辞令が下される。不満があろうはずがなかった。

 第七惑星メルクリウスに寄港して港湾施設使用手続きといった雑務をこなし、グラッドストーンでは補給監督係(まあ食料や替えの靴下といった生活雑貨だけだが)に任命され、ときどきは艦橋の隅で座っていて良いと言われ、そうした。こっぴどく叱られたこともあったが、絞られているあいだはまだ見込みがあると思われているのだ。そう思えば落ち込んでもすぐに忘れられた。

 艦載艇の後部座席に乗船を許され、小気味よい運動性に心を奪われた。艦載艇のパイロットは警備部の軍曹である。軍隊ほど規律にうるさくないGPDでは三等少尉に敬意など払うはずもない。しかしざっくばらんな態度でお喋りしていろいろと教えてもらった。大尉以上のベテランや警備部には退役軍人が多い。彼もそのひとりだ。


 ふた月目も瞬く間に終わろうとしていた。

 航海の後半には恒星間連絡船にドッキングしてシリウス星系に飛んだ。太陽系から12光年を隔てたこの星系は、巨大な主星αと伴星β――白色矮星が形作る不安定な力場によって、天体物理学者の悪夢がすべて具現化したような様相を呈している。星系から弾き出されたり破壊されなかった惑星は、ハレー彗星並みに極端な楕円軌道を巡っている。しかも太陽系のようにひとつの黄道面に沿った軌道ではなく、原子核を巡る電子のようにすべての惑星の公転軌道がバラバラに傾いていた。しかもそれら惑星の軌道は頻繁に折れ曲がり、公転速度まで変化してしまう。とどめに恒星シリウスはアステロイドのリングまで持っている。土星のように美しい円盤ではなく、強烈な可視光のおかげで普段は見えないが、赤外線で見るとはっきりしたギザギザのリングが恒星を幾重にも取り巻いている。

 展望デッキからひとめ眺めただけでも、黄色い太陽の世界しか知らない霧香にとっては本質的に異質な宇宙だった。主星から7億㎞も距離を置いているにもかかわらず全天の半分を占める圧倒的な輝き。おかげで星空はなりを潜め、漆黒をただひとつの光条だけが貫いていた。見続けていると思考力を奪われそうになる。古代ギリシア人は「焼き尽くすもの」という意味のシリウスという名前をつけた……望遠鏡もなかった時代にどうしてこれほど的確な命名が出来たのか……。

 強烈な白色光に照らされた世界はそれだけでも人類が永住できる世界とはかけ離れていたが、恒星間大戦末期、ギリジウ艦隊がこの星系を太陽系攻略のための最終拠点に選んだため、さらに荒廃した。人類艦隊との最終決戦によってひとつ準惑星が破壊され、それまで開拓されたなけなしの経済軌道も崩壊したため、砕け散った惑星という宝物がいくつも転がっているにもかかわらず資源開発は遅々として進まない。人類コロニーは築かれず、小さなステーションが点在しているだけだが、スターブライトラインズの定期便はこんな星系にも寄港する。

 宇宙海賊や惑星間犯罪者にとっては恰好の潜伏先でもあった。GPDはパトロール艦を入れ替わり配置していた。緊張度の高い任務のため常駐はさせず、パトロール隊はひと月ごとに交替していた。


 「キャプテン、望遠鏡に感あり、機関停止した宇宙船のようです。距離およそ五十万マイル」

 「メインドライブ停止」

 「メインドライブ停止、アイアイサー」

 「宇宙船の精密測定を……ただしまだアクティブソナーは使用しないで。速度差を算出してランデブーコースを出して。メッシに待機するよう伝えて。艦載艇スタンバイ」

 「本艦は秒速〇.六マイルで当該船より遠ざかっています。運輸局の情報ではこのあたりを航行予定の船はありません」

 「遠ざかっていてはじゅうぶん観測できないな……。仕方ない、減速する」

 てきぱきと指示が飛び、ブリッジは忙しくなった。霧香はたまたまブリッジに居合わせていた。そのまま残って眺めているよう許可を得た。――ただし邪魔するな。

 キャプテンはバイコヌールを減速させて、目標の周囲を旋回する大ざっぱなコースに乗せた。霧香はコーヒーを注いでまわり、データベースを漁って船影を照会する作業を手伝わされた。間もなく当該船が非武装のタンカーであると判明した。あいかわらず静止しており、救難信号のたぐいは発信されていなかった。

 「どうしますキャプテン?」

 「変化無しか……では呼びかけてみよう。広域回線で」

 「了解です。――こちらはGPD、パトロール艦バイコヌール」

 タンカーは呼びかけに答えない。

 「海賊の略奪かな……」

 「乗組員は全員……」

 「総員配置」

 総員配置警報が鳴り響いた。バイコヌールはタンカーに接近するコースに乗った。

 「ホワイトラブ候補生、暇か?」

 「はい、いえ、ノーサー!」

 「艦載艇格納庫に行け。メッシに言うんだ。後席にお邪魔させていただくと」

 「了解しました!」

 キャプテンは艦載艇二隻を発進させ、霧香はリーダー機に乗船を許可された。バイコヌールに先行して偵察するのだ。二隻発進させるということは、やはり海賊を警戒しているのだろう。民間船を眺めに行くだけなら援護機は必要ない。

 タンカーの姿がはっきりと目視できるほど接近した。

 「回線は繋がってる。よく観察して思い付いたことはなんでも報告しろ、ホワイトラブ」

 「イエッサー」

 とは言えざっと監察報告したのはメッシだ。当該船は3050型フィッシュボーンタンカー船。船名は不明……。ペイロードにふたつのコンテナ。無人船ではない。機関部ほか損傷は見当たらず。ブリッジの電灯は見えない。

 「どうも様子が変だな……」

 「メッシ、ただちにその船から離れろ」

 「了解」

 どういうことなのか……。霧香の不安を感じたのだろう。前席のメッシが言った。「あの古い船な、異星人が残したブービートラップかもしれん」

 「異星人の罠、ですか?」

 「船名やステンシルがなにも確認できない。遭難船の報告もないし、妙な船だ。この星系は比較的新しい戦場でな。異星人のテクノロジーが詰まった機雷やなにかがたくさんばらまかれ、まだ処理し切れていないんだ。こういうのは軍に連絡してノヴァ爆弾で処理してもらわないとな」

 振り返ったメッシの額に汗が浮いていた。彼は異星人のそうした罠の恐ろしさを知っている……。霧香は突然膨れあがった不安とともに思った。

 艦載艇二機は大きな円を描いてタンカーから徐々に遠ざかり始めていた。シリウスの光を受けてタンカーが巨大な陰を投げかけている。その向こうにバイコヌールの船影がかすかに見える。

 そのタンカーの陰が蠢いたように見えた。霧香は首を巡らせて目を凝らした。

 「タンカーに変化!」

 「ホワイトラブ!ヘルメットをかぶれ!」メッシがすかさず叫ぶと同時に艦載艇を全力噴射させた。次いでバイコヌールを呼び出していた。「こちらメッシ!艦長!やはりタンカーは偽装、ギリジウのトラップと思われ――」

 艦載艇の船体に衝撃が走った。巨人の手に捕まれて揺すぶられたようだ。ヘルメットバイザーが霧香の頭を包み込んで気密服を形成した。二度目の強い衝撃で霧香は前席の背に叩きつけられ、慣性システムがダウンしたことを悟った。強烈なGにあらがってなんとかシートに背中を押しつけ、シートベルトが霧香の身体をホールドするまで待った。

次の瞬間、とびきり強烈な衝撃とともに霧香の目前――メッシのシートともども艦載艇の機首が千切れた。

 空気が氷の結晶となって散ってゆく。霧香は遮るもののない真空を呆然と眺めた。艦載艇は猛烈な勢いで回転していた。生き残っていた航法アイコンが明滅して消えてゆく。

 「こ……こちらホワイトラブ」霧香はレシーバーに囁きかけた。「こちら、ホワイトラブ、応答願います!」

 霧香の問いかけにノイズだけが応じた。

 〈なにをすればいいんだっけ?〉ぼうっとして頭が働かない。だが心の片隅では気付いていた。〈もうやれることはなにも残っていない〉

 回転し続けている視界にふと、ヒトデのように食指を拡げた怪物の姿が見えた。それがバイコヌールに覆い被さろうとしているのも。

 じっとして救援を待つ、という最後の選択肢も潰えようとしているのか。

 苦労して身体を引っ張り上げ、ギザギザの破断面から艦載艇の外側に這いだした。

 遠心力にあらがって艦載艇の表面にしがみつき、ともすれば萎えそうになる気力を振り絞ってあたりを眺めた。視界の隅にそれらしい陰を認めて必至に首を巡らせ、バイコヌールの姿に焦点を合わせようとした。それから艦載艇の回転速度のタイミングを計り、心の中で数をかぞえると、手を離した。

 艦載艇はほぼ一秒間に一回転していたため、霧香はけっこうな勢いで振り飛ばされた。艦載艇はたちまち霧香の足元を離れ去ってゆく。霧香は手足を拡げ、ブーツと手首のスラスターを使って向きを変えた。

 (いいぞ)

 前方にバイコヌールが見えた。距離は10マイルといったところか。最後に見たときには加速をかけようとしていたから、ゆっくり近づいているようだ。だがいま現在メインドライブは働いているようには見えず、霧香はまたしても不安に苛まれた。

 (どうか無事でいてください……!)

 怪物――ギリジウ人のブービートラップは見あたらない。

 霧香はスラスターを操作してバイコヌールの進行方向にランデブーしようとした。致命的な速度差はないようだ……ということはやはりダメージを受けているのか。

 (船の機能はダメになっても誰か生存していれば……)

 しかし無線でいくら呼びかけても応答はなかった。霧香は食いしばった歯の隙間から息を吐き出し、涙を堪えた。もう一機の艦載艇も行方不明だ。

 バイコヌールの船体はねじれ、元のすっきりした鮫型の船体は半分溶け、大きく裂けた隔壁から中身が見えていた。これではメインドライブは完全にシャットダウンしているだろう。

 艦橋は叩き潰されていた。

 「畜生……バカ野郎」向け先のない悪態が口をついて出た。歴史の授業によればギリジウ人に先制攻撃を仕掛けたのは人類のほうだ。戦後世代である霧香は多くの同時代人と同様、その点について漠然と罪悪感を抱いている。だが仲間の命を……片付ける手間を省いた兵器なんかに殺されるなんて、そんなこと受け入れられない!

 それは、異星人が単なる記号ではなく人格を備えた生身の存在だと認識した最初の経験だった。人間と同じように親しみを覚えたり憎しみを抱くことが出来る存在なのだ。


 ダメだと分かっていても、すでに決定された力学に従って霧香は破壊された船体に取りついた。舷側の大穴から、開いたままになっている艦内通路に侵入した。人工重力も電灯もダウンしていたため、馴染みあるはずの船内がわけの分からない迷路と化している。大きな爪で引き裂かれて非常ハッチが働く間もなく船が死んだのだ。

 あのブービートラップはおそらく、高度なフェイクマターで出来ていたのだろう。人類も変型する船は開発したが、あのように大々的に形を変え擬態までする技術はない。

 ようやくセクションの見当が付いて、霧香はサブコントロールのある控えラウンジにたどり着いた。ここもまっ暗でなにひとつ機能していなかった。

 そこには先客がいた。真っ黒な棒状のプローブがコンソールに屈み込んでいた。霧香とそいつは同時にお互いに気付いた。

 「こっ……!」呪いの言葉を叫びきるまえに腹部に何かが打ち込まれ、霧香は気を失った。



 気付いたときには霧香はヘルメットも気密服も失っていた。

 (それでなぜ生きてる……?)

 妙にぼんやりした頭でゆっくりと現状認識した。

 (空気がある)

 冷たく固い床の上に横たわっていた。

 (重力も)

 がっかりしたことに、気密服のインナーはそのままだ。

 (救助されたようではない……)

 弱いブルーの燐光に満たされた、タマネギみたいなかたちの部屋の中……起き上がろうとして霧香は息を呑んだ。腹部の痛みにたじろいだ。

 おそるおそる腹のあたりを探ると、下着が濡れていた。

 (血……)

 もういちど、慎重に上体を起こした。「痛たたた……」弱々しく呟きながら腹を押さえた。ふと目眩を感じて頭がぐらりと揺れた。

 痛みが落ち着くまで座ったまま辺りを見回すと、切り刻まれた気密服が転がっていた。

 その残骸を漁って腰のベルトを探し出すと、奇跡的に無傷だったポーチからテープを取り出した。震える手で気密服応急処置用のテープを傷口に貼り付けると、ようやくホッとひと息ついた。

 血が固まっていないとすると、それほど長い時間は経過していない。床に手を付いてなんとか立ち上がった。足が萎えている。どれほど血を失ったのか。

 緩やかに湾曲した壁を伝って室内を半周ほどすると、身体が壁に沈み込んだ。次の瞬間、霧香は部屋の外によろめき出ていた。捕虜にされたのかと思ったのだが、少なくとも出歩くのは自由らしい。まるいチューブ状の通路が続いていた。通路脇には霧香が閉じ込められていたような房が並んでいる。外から見ると棒の中は丸見えだ。

 通路には一匹の虫がいた。霧香に気付いた様子もなく這いずり去った。

 (ギリジウ人……)体長は1メートルほど、節くれたベルト状の胴体に8本の足……使役階級で、人間のような知能……自由意志はない。ギリジウ人は彼らの産業革命時から今日に至るまで、コンピューターに相当するものはついに作り出さなかった。その代わりを務める使役階級が存在したからだ。かれらは宇宙船のコンピューターになるし、ミサイルの誘導システムさえ文句ひとついわずに務める。言い換えれば、ギリジウ人は知的生命体に進化したその日から便利な精密機器を持っていたことになる。

 かれらは戦争の先鋒を務めたが、終結と同時に人類領域からすべて撤収した。少なくともそう聞いていたのだが……。

 何かが霧香の肩にそっと触れた気がして立ち止まった。振り返って辺りを見回したが、なにもない。

 もういちど、今度はもう少し強力に何かが触れた。しかも肩ではなく、霧香の意識に。思わず身をすくめた。それぐらい強い何かだ。

 (通路の先のほう……)

 霧香は歩き続けたが、腹の鈍痛が一歩ごとに酷くなってゆく。傷口から命がこぼれてゆくような気がした。

 (ひょっとして、わたし死にかけてるの……?)生まれてから一度もまじめに考えたことのない着想にいたって、霧香はうろたえた。つい先ほど遭難して孤立したときだってなんとかなのでは?ぐらいに思っていたのに、いまは痛みのせいで気持ちが折れかけている。

 間もなく霧香は大きな透明バブルにたどり着いた。

 「わあ……」

 そこからさまざまなものが見渡せた。どうやらここは小惑星に築かれた基地らしい。ごつごつした岩の表面にギリジウ式の有機的な施設が張り巡らされていた。岩のくぼみの一角には破壊された宇宙船やステーションの残骸が寄せ集められていた。あのブービートラップが集めたのか。

 設置されたまま忘れ去られた兵器システムが人知れず働き続けているのだろうか。霧香の脱走に気付いた戦士階級のギリジウ人が駆けつける様子もない。

 頭の中で響くなにかはますます強く霧香に訴えかけていた。もはや抗うことさえ出来ず、霧香はその「声」に従って歩いた。

 やがてひとつの房にたどり着いた。

 ひときわ大きなその房の中に、平たい石が置かれている。黄みがかったフリスビーのようなかたちで、直径5メートルほど。霧香はやや失望した。単なるモニュメントか……何らかのサイキックを発しているとすれば、ギリジウの遠隔コントロール用サブシステムみたいなものなのか。

 その大きな石が身じろぎした。

 「生きてる……?」

 まさか、ケイ素基生物……?霧香は壁を手探りして入口を捜した。ふたたび壁に沈み込んで、霧香は石の縁につんのめり、両腕で身体を支えた。

 石の表面は温かい。アカデミーで教わった異星生物学によれば、このような生命形態が存在するとすれば体内にはある種の反応炉を備えているかもしれないという話だった。

 (お腹の中に原子炉か……。じゅうぶんに被覆されていればいいのだけど)

 「わたしに語りかけてきたのはあんたなの?」

 その問いに対する返答は強烈だった。

 頭の中でなにかが弾けたような衝撃を受けて、霧香は気を失いかけた。気付いたときは石の上にひれ伏していた。

 「もうちょっと……優しく話せない……?」

 だが意思疎通など容易ではないだろうとは新米の霧香でも察しが付く。何らかの言語を持ち合わせている異星人が相手でも難しいことなのだ。こんな石の塊が人類語を解するとはとうてい考えられない。精神構造も異質なはずで、霧香が知的生命体だと気付いているかさえ分からない。

 (それでも、この誰かさんは積極的にコンタクトを試みているように思える……)それは幸先明るい。

 こんなにぼんやりしていなければもうちょっとましに対応できたのに……

 石の上に上体を突っ伏したまま起き上がることさえ出来なくなっていた。動悸が速まり不快なほどだった。肺が酸素を求めて喘いでいる。だがいくら呼吸してもなにも回復する感じがない。汗が滲んでいるのに背筋のあたりに悪寒を感じる。なぜか腹の痛みも微かな脈動なみに退いていた。

 フワフワする。

 (少し眠ったら良くなるかも……)たいへん魅惑的考えだったが、眠ったらそれきりになると気付いていた。

 それでも眠りたい……楽になりたい……。

 「ああ……もうダメだ」

 突然ひどい自己憐憫に襲われ、声に出して呟いていた。

 どうせ誰も見ていないのだから、泣きたかった。しかし泣いたら、それは霧香の命を最後の一滴まで絞り尽くすことになる。それに泣きながら死ぬなんて自分があわれすぎる。

 霧香の身体の下でケイ素生物がふたたび語りかけてきた。こんどは穏やかなピンク色の波を連想した。言葉はないが何らかのイメージが頭の中に結ばれかけていた。

 霧香は頭をもたげ、2メートルほど先にあるフリスビーの中心部分に目を凝らした。視界がぼやけていたが目をこするのさえ億劫だ。

 「う……」片足を持ち上げてフリスビーの縁になんとか引っかけ、這い上がった。どこにそんなちからが残っていたのか分からない。GPDとして最初で最後の奉仕に身をやつそうと決心したからかもしれない。泣きながら死ぬよりそのほうがずっと気分が良かった。

 フリスビーの中心部には解読困難な同心円状の紋様が描かれていた。

 (は、はあ)

 なにが(は、はあ)と思ったのか定かではない。だが妙に軽く澄み切った意識の中で霧香は理解していた。この手も足もなく口もなさそうなフリスビー生物にはどうにもならない方法で自由を奪われていたのだ。

 この呪いの紋様を消して、(声)で封印を解く――それで「彼」は自由を取り戻すだろう。いかにしてそう悟ったのかは霧香自身にも分からなかった。自分の思考と外部から送り込まれてくる思考の区別は、接触し続けるうちに困難になってゆく。とにかく確信だけはあった。彼が欲していたのはそれだ。「自由」。

 解放してあげなくちゃ。

 霧香は歯を食いしばり、拳でフリスビーの表面をこすった。爪を立ててひっかくと紋様がようやく剥がれ始めた。

 (よし、よし)単純な作業はなけなしの体力をごっそり奪い去ったが、霧香は満足した。紋様が消えると、霧香は頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出して唱えた。

 「アギイシェレレマギイシュレイレレイレクィベリアム」

 やり遂げた。満足感に漬った霧香は笑みを浮かべていた。

 それから頭を中心に部屋がぐるりと横転したような空間識失調に襲われ、慈悲深い忘却の深淵に落ち込んでいった。

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