表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マリオンGPD 3127   作者: さからいようし
第二話 『戦女神の安息』
24/37

9

 カネモト邸から4ブロック遠ざかったところで、ふたりは大通りが交差する広場でランチを取った。

 (それとも夕食だったかしら?)広場を囲むように建ち並んでいる屋台を眺めまわしながら霧香は思った。相変わらず時間の感覚がないが食事どきらしく、大勢で賑わっていた。テーブルを占めているのは半分地元の人間、半分は旅行者だ。旅行者と言っても家族連れはこんなところには来ない。たいがいはビジネススーツ姿の仕事を兼ねた商売人か、ひとり旅の若い男女だ。異星人はいない。

 霧香の腹時計もやや騒がしくなっており、ローマのあとに続きながら、屋台に並べられた種々雑多な美味しそうな食べ物を眺めた。グリルの上で串焼きの肉があぶられ、タレが焦げる香ばしい匂いを立ちのぼらせている。どの店も、閉鎖空間である人工天体のなかで火を使うことに無頓着の様子だ。

 カンバス布の天蓋の下に丸テーブルとパイプ椅子を並べただけのアジア料理の店を選んだ。軒先に連なった剥き出しの発光球が天井の闇にぎらつく光を投げかけている。食材が並んだプラスチックのカウンターの向こうで、コックがいくつもの鉄鍋を相手に調理している。アジア人のウェイトレスが注文を取りに来た。霧香はテーブルに立て掛けられた小さなメニューに記された漢字がぜんぜん読めなかったが、ローマが何語か流ちょうな発音でいろいろ注文した。

 「お箸は使えるのか?」

 「使えます」箸立てからひと組抜き取ってチョキチョキさせて見せた。和食やアジア料理は実家でもときどき母が作る。

 やがてボウルに盛られた麺とハルマキ、甘辛いソースで炒めたエビ、ポークの細切り入りの野菜炒めがテーブルに並んだ。原材料はわさわざタウ・ケティマイナーかグラッドストーンから取り寄せたのか、それとも大規模な養殖施設でもあるのだろうか。管理生産の徹底している内惑星と違って摩訶不思議な流通が罷り通っているようだ。メニューの値段はごく常識的だった。

 麺は辛いが半透明のさっぱりした鶏ガラスープに漬っていて、美味しかった。ローマの見よう見まねで小さな容器に仕分けされた調味料を入れると、さらに辛くコクのある味になった。一緒に来た甘いアイスミルクティーがちょうど良い味加減だった。ローマはビールの大ジョッキだ。丸三日ぶりのまともな食事だった。

 なんであれ皿に盛られたものをすべて食べ尽くし、最後の仕上げにイチゴのジェラードをなめながら幸福感にひたっていると、ローマがコーヒーの紙コップ越しに通りに顎をしゃくった。

 「見なよ、チンピラの行列だ」

 ローマが指し示す方向にちらりと視線を向けた。高価なブランドのスウェットスーツやレザーの上着に洒落た帽子を被った、柄の悪い一団が通りを練り歩いていた。若く酷薄そうで、だらしない歩調でまわりの労働者を脅しながらあたりを見回っている。

 「〈マイダス〉の入港と関係あるんでしょうか」

 「まちがいなく……それにしてもあなた、よくそんなもの食べられるね」ローマはアイスを眺めて大げさに顔をしかめていた。

 「えへへ……別腹です」

 「うれしそうな顔しちゃって。わたしの姪にそっくりだ……まだ六歳だけど」

 「姪御さんがいらっしゃるんですか?」

 「そりゃわたしにも親類くらいいるさ……まあ、わたしは戦闘輸送艦でなんども亜光速を体験したから、姪と言っても遠い子孫、という感覚だけどね。ジェネレーションギャップがきついから滅多に会わない……」ローマは顔をしかめた。「わたしをローマおばさんと呼ぶんだ。タウ・ケティに住んでいるよ」

 「そうなんですか……」ローマが過去や私生活の片鱗を語ったのは初めてだ……あまりに思いがけなかったので霧香はバカにされたことにも気付かず耳を傾けていた。

 そろそろ立ち入った質問をぶつけてみても良い雰囲気ではないか?霧香は唇を舐め、どう切り出すべきか思案した。

 「ああそういえば、少佐――」……しかし邪魔が入った。

 「ちょっと待って、チンピラの一団がまたこっちに来る」

 霧香は振り返ってそちらを見たりはしなかった。だが一団は霧香たちのテーブルのそばを通り過ぎ、そのうちのひとりが立ち止まった。痩せていたが筋肉が発達した素肌にオイルを塗りたくっていた。だぶだぶのズボンのポケットに両手を突っ込み、タンクトップの下の入れ墨をこれ見よがしに見せびらかしている。

 「よお姉ちゃん、かっこいい船でクルーズせえへんか?」そいつは霧香に屈み込むようにして話しかけてきた。

 霧香は男を見上げ、意味が分からないという表情を浮かべてジェラードを食べ続けた。

 「大きな船やでぇ?お姉ちゃんみたいなべっぴんさんぎょうさん来とるやさかい、一緒にいこ?な?パ―テーパーテーやで」

 なにも反応がないのでチンピラはむきになって喋ろうとしたが、「オイ、行くぞ」と仲間に急かされた。それでも脅し文句のひとつも吐かずにいられないのか、酷薄そうに歯を剥きだしてなにか言おうとして……ローマがじっと見つめているのに気付いた。

 「おい、さっきからなに見とんやわれ――」

 そいつは少佐の眼の中になにを見出したにせよ、急に言葉を失った。うろたえていた。野犬なみに退行した生存本能の為せる技か、危機回避能力が発達しているのかもしれない。表情を殺し、いそいそと立ち去った。

 考え込んだ表情でローマが呟いた。「〈マイダス〉に潜入し損ねたかな」

 「どういう意味ですか?」

 「いまのを聞いたろう?あなたを宇宙船に連れ込むつもりだった……大きな船」

 「女性を集めてると?たとえば……船内でどんちゃん騒ぎするのに?」

 「どうもそうらしい」


食事のあとは大きな倉庫のようなマーケットで食料を買い込んだ。

 まずは外部増漕を買い、愛機に取り付ける手配をした。長期航行を想定しているので 水を千ガロン余計に積むためだ。それから食料品売り場に向かった。保存食料のカートンは輸送パレットごと床に積み上げられている。生鮮食料やコーン、ジャガイモなども段ボールいっぱいに溢れるほど積まれ、焼くだけで出来上がるパンやインスタントピザ、冷凍ディナーは壁際の巨大冷蔵庫にみっちり詰め込まれていた。どれも船主向けの大容量備蓄品だ。肉と野菜に保存食……ソフトドリンクとアルコール。

 「アルコール?」

 ローマは缶ビールのシックスパックを振った。

 「長くかかりそうだから。シャンパンも買おう」

 「シャンパン?」

 「仕事が終わったら乾杯するためだ」会計ロボットが頭上に飛来して、ローマはビールの代金を現金で支払った。

 仕事が終わった時、乾杯できるような状況ならいいが……霧香の疑念は顔に表れていたのだろう。ローマが気楽に言い足した。

 「なぁに、あなたは任務をなかば達成したようなものだ。〈マイダス〉をあれだけ撮影できたのはGPD初の快挙なんだから」

 「そうかも知れませんが……」

 「なんなら、これで切り上げたっていいんだよ?誰も文句は言わない」

 「まだ帰りませんよっ。少佐だって帰るつもりないんでしょう?」

 ローマは謎めいた笑みを浮かべていった。「ないね。こうなったら一度くらいキングと対面しなくては」

 またそんな無茶言って……霧香は密かに溜息をついた。

 ありがたいことに、携帯端末にダウンロードしていたリトル・キャバルリーの仕様書には、航行期間ごとに購入すべき食品の基本リストも子細に記されていた。船内の自動調理器でなんとかなる内容だという。霧香は料理が苦手だが、マーケットで食料を選ぶのも苦手だった。リュートに頼まれて買い物をしても、つい気まぐれで余計なものまで買いこむのでしょっちゅう叱られる。船の補給作業は厳密な数学だ。限られたスペース内で快適に過ごせるよう、調理に必要な水の分量をもとに栄養とカロリーバランスを考えなければならない。余計なものを買い足す余地はほとんどない。大昔の海上航行船のようにフロアの床にジャガイモやオレンジを積み上げることもできないではないが、無駄になる可能性のほうが高い。余ってダメになった食料を船外に捨てるのはたいへんな手間だし、リサイクラーに放り込むのも限度がある。

 手っ取り早く十日分のリストを選び、オンラインで注文することにした。気まぐれを発揮できないのが不満だが、あれこれ悩まずに済むのはありがたい。ソフトドリンクの品目を少佐の要望でアルコール飲料に変更したが、限度の範囲内だ。明日以降船内の食卓になにが並ぶのかは、神とリストを製作したクレアのみぞ知る。これで自動的に品物が集められ、使役ロボットによってリトルキャバルリーに配達される。品物はリトルキャバルリーのコンピューターの指示でしかるべき場所に収納されるはずだ。帰った頃にはすべて完了しているだろう。

 

 それから霧香とローマは雑貨店に立ち寄った。長期間の惑星間航海に必要そうなものを思い付くかぎり買い揃えた。買ったものの中には霧香用の私服……肌着やパジャマ代わりのスエットスーツまで含まれていた。ローマは武器になりそうなものをいくつか買い込んだ。リトルキャバルリーが係留してあるアームに帰った。

 そこでは先客が待ち受けていた。

 スタンガンを装備した制服が何人も通路を塞いでいた。袖にステーション警備局のワッペンを着けている。制服はスタンガンを霧香たちに向けた。

 「止まれ、動くな。おまえがあのボートのオーナーか?」

 「そうだけど、なによ?」

 「臨検だ」

 「臨検?バカ言わないで。ここはタウ・ケティ領内でしょ」

 「取り締まりが厳しくなったんだよ、お嬢さん」

 男のひとりが肩に止めた通信機に向かって言った。「船の持ち主が来ました」

 通路の奥から四十代とおぼしき男がひとり、悠然とした足取りでこちらにやってきた。中肉中背の丸顔で短く刈り込んだ頭髪が半分白髪になっている。

 「小娘だな……こんな所にのこのこ……」男の顔に浮かんでいたしたり顔が、霧香の背後で面白そうな笑みを浮かべたローマを見ると、一変した。

 「ロリンズ……」

 「オットー」

 「隊長ぉ、すげえマブい女がふたりだけですよ」

 五人の隊員がローマと霧香を取り囲み、餌を狙うハイエナのようにゆっくり円を描いて歩いている。そのうち一人がうしろからローマの肩を掴んで振り返らせようとした。だがローマは岩のように微動だにせず、男の指先が肩から滑った。男はオッ、と眼を見開き、ついで怒りに顔を歪め叫びそうになった。

 ローマが静かな声で男の気勢を殺いだ。

 「今度わたしに触れたら殺すぞ」

 霧香はショックを受けた。少佐があのような取り返しの付かない言葉を言い放つとは。

 あまりにも軽率すぎる。

 「……上等だぜおばさん――」

 逆上した男はローマの腕を荒々しく掴んだ。

 その次の瞬間に起こった出来事は霧香には理解できなかった。ローマは急ぐ様子もなく男のほうに体を向けて手を払うと、ついで右手を肩の高さに挙げた。軽く手首をほぐすように振っていた。その手首が拳を形作った。

 拳が消えた。ぼこっという重い音が聞こえた。

 「うっ」男が短く呻き、ローマの体に寄りかかるようにくずおれた。

 霧香も隊員たちもオットーという隊長も、床に倒れてぴくりとも動かない男を茫然と見下ろした。

 「おい、ハンク……」べつの隊員が薄笑いを凍り付かせたまま数歩近寄って男を見た。男は弛緩した表情で眼は虚ろに虚空を見上げていた。

 「し死んでる!」隊員は飛び退いて叫んだ。「ハンクが死んでます!」

 その叫びに霧香は慄然とした。

 本当に殺してしまった!……たった一発のパンチで。

 ごろつき同然とはいえ相手はステーション警備隊なのに!

 警備隊員三人が緊迫した表情でスタンガンをまっすぐローマに向けて構えた。

 「おまえたちを逮捕する!」

 「ひざを着け!両手は頭の後ろに!」

 そう宣言したものの、超然と立ち尽くしているローマに、やや躊躇っているようだった。ローマは身構える様子もなく醒めた笑みを浮かべ、あたりを見渡した。ただ立っているだけなのにだれも手出しできない。みなローマの刺すような視線から眼を離すことができずにいた。

 「どうするってのさ?」

 「どうするって……?おまえ警官殺したんだぞ!」

 「フン」

 ローマはいきなり、死体を手荒く蹴飛ばした。

 「おい!あんた!……」

 いくらなんでも酷すぎる。両手を頭の後ろで組んだ格好のまま霧香は少佐に声をかけようとした。だがいったい何と言えばいい?ためらいがちに一歩踏み出したそのとき、

 死体がもぞもぞと身じろぎした。

 男たちは再び茫然と床を見下ろした。

 「う……はぁ……ゲホッ」ゆっくり胎児のように身を丸め、弱々しく息を吸い込み、咳き込んだ。

 「おい……ハンク……?」

 隊員がハンクのそばに屈み込んだ。

 「ハンク!おいしっかりしろ!」

 「なに……が……」

 たったいま臨死体験から帰還したばかりのハンクは、妙にぼんやりした口調で呟いた。「……なんか……胸が痛え……でかいもんが……ぶち当たった、みたいなんだが……」

 同僚たちは途方に暮れていた。なにが起きたのか理解しかねていた。

 「おまえなにがあったか憶えてないのかよ……」

 霧香はようやく我に返り、何度も瞬きした。ずっと固まっていたらしい。

 オットーと呼ばれた隊長が居たたまれない口調でローマに言った。

 「……あんたがいるとは知らなかったのだ……まさかこの船GPDじゃ、ないんだろ?」弱々しい笑みを浮かべた。

 GPDという単語を聞いて制服たちは不安げに視線を交わしあった。声にならない悪態をついて露骨に顔をしかめる者もいた。

 「オットー」ローマは質問を無視して、男にまっすぐ歩み寄った。オットーは飛び退きそうになるのをなんとか堪えた。ふたりが並ぶと、ローマのほうが頭ひとつ背が高い。

 「楽しそうだな……しかも保安隊指揮官だと?」

 「おい……おい、おまえたち、ここはもういい!K6にまわれ!」

 「しかし隊長……この女」

 「いいから行け!おまえたちにどうにかできる相手じゃないんだ……ハンクは医者に連れていってやれ。たぶん胸骨が折れてる」

 オットーは部下たちを追い払った。制服たちはまだぼんやりしているハンクに肩を貸し、ローマにいぶかしげな視線を送りながら(ローマが一歩も通路を空ける素振りを見せなかったので)脇をすり抜け、狭い通路を戻っていった。

 ローマはうしろを振り返らず言った。

 「救援を追っ払っていいのか?」

 「うるさい……おれはもう……」

 「カタギになった、とね……おめでとうオットー。四年前は倉庫あさりのコソ泥だったのに、じつに鮮やかな転職だ。元気そうでわたしも嬉しいよ」しかしオットーに据えられたその眼はぜんぜん嬉しがっていない。「たしか臨検がどうとか言っていたようだが、ちょうど良かった。少しお喋りしようか」

 オットーは突然駆け出し、ローマの脇をすり抜けて逃亡を図った。

 霧香がその足を払うと、彼は悲鳴を上げて通路の奥に真一文字に飛んでいった。

 「良くやった少尉」ローマはのんびりした足取りのまま後を追い、まもなく男の襟首を引きずって戻ってきた。そのまま一足お先に霧香が開けたリトルキャバルリーのハッチに、手荒く放り込んだ。オットーはソファに激突して、背もたれの後ろの床に転がり落ちた。

 「やめてくれ!」

 「ステーション保安隊長様を痛めつけたりしないから安心しろ」

 オットーは慎重に立ち上がり、罠にかかった動物かなにかのように身構えた。

 「座れ」ローマが低い声で命じると、驚くほど素直に従った。勝手に身体が動いてしまうかのようにぎくしゃくしていた。

 「少佐……」霧香はいささか心配になってたずねた。「この人、なんなんです?」

 「もと戦友だ」

 「やあ、あんたがまだ戦友って呼んでくれて嬉しいよ。けどおれ仕事中なんだ……」

 「もと戦友」ローマはオットーに視線を据えたまま改訂した。ソファに座り前屈みに身を縮ませた男は、ほとんど泣き出しそうだった。ローマは向かいのソファーの手すりに腰を下ろすと、相手をまっすぐ見据えた。

 「さてオットー。おまえあそこにぶら下がってる船が誰の船か、知っているよな?」

 ローマの示す方向に渋々顔を上げた。頭上のコクピットのむこう側に見える大型船は一隻だけだ。

 「キングさ……ジェラルド・ガムナーの船……かな?」

 「そう、マフィアの大親分、キングさん自慢の船、〈マイダス〉だよ」

 「あんたがまだキングを追ってるなんて思わなかったよ……」

 ローマはゆっくりと頷いた。「ここを出たら〈マイダス〉に駆け込むがいい。かの有名な銀河パトロールのローマ・ロリンズが居ますよって報告しろ。わたしの首にはケチな賞金が掛かっているらしいからな」

 オットーは気持ちが傷ついたように顔をしかめた。

 「いくらなんでも中佐殿……おれはそこまでしませんぜ。あんたには世話になったし、それにあんたを売ったって知られたら、俺は偵察大隊の生き残り連中に八つ裂きにされちまう」

 「世話になったことを覚えてくれていたとは嬉しいな」ローマはちっとも嬉しくないという声で言った。その眼はオットーを見据えたままだ。「……この前ここに来たときはてっきり忘れたのかと思っていたんだが」

 「あんときゃあんたがGPDにいるなんて知らなかったんだってば!知ってたらメガクロスあたりにとっとと逃げてたよ!」

 「信じてやるよ。だが、知ってることを全部喋ってからだ」

 「キングの船のこと?本当に、なにも知らないんだよ。ただ昨日あたり、ローリングアッパーを引っ繰り返したような騒ぎになってさ……ステーションじゅうのチンピラどもが突然張り切りだして、通りを歩いてまわるんだ。それからガムナーがやって来ると知って……」

 「なろほどね」ローマはシックスパックからビールを一本むしり取り、もう一本取ってオットーの手前に置いた。

 「ええい、畜生、おれは勤務中なんだってば」オットーは缶ビールをひったくるように掴むと、プルタグをむしって大きく煽った。「うめえ」

 「あとは?」

 オットーは袖で口を拭った。「そのうちにおれたちも駆り出された。怪しそうな船を片っ端から検閲しろって上からお達しだ……。それがこんなざまだ。ノームの店にしけ込んでりゃよかった」

 「停泊リストに眼を通して若い娘が停泊中だと知って、お楽しみに来たわけだ。残念だったね……。ほかになにか聞いたか?」

 「べつに……ああ、直接関係あるか分からんけど、兵隊を集めているようだった。宇宙船乗組員募集って……P小隊の飛行士だったコーニッグ、覚えてます?あいつもここにいるんですが、昨夜奴から聞いたんだ。奴は志願しようか迷っててさ……おれも誘われたんだけど、もう宇宙船なんかごめんだって断りましたね」

 「ふうん……それで、志願者は〈マイダス〉に出頭することになってるのか?」

 「まさか、ヤクザの事務所で登録するんだ。退役証明とか持参で、面接でもするんじゃないかな、お笑いでしょ?」

 「みごと第一次審査を通ったら、どこかに連れて行かれるわけだな。どこに?」

 「見当もつかねえ。〈マイダス〉で集団食中毒でも起きたんじゃないかな」

 たいして面白くもない冗談に自分で笑った。神経質な笑い声だった。オットーはアルコールで気持ちがほぐれたのか、口調が滑らかになっていた。

 「ねえ中佐殿、マジでキングを追ってるんですかい?むかしの借りを返すつもりなんですか?いくらあんたでも危険ですよ」

 「気安くむかしの階級で呼ぶな。いまはGPD少佐だ」

 「つれないッスねぇ……ホントにあんた、昔から態度変わりませんね。俺だって言いたいことはあったんですからね。だいたいあんたの無茶な撤退に付き合ったおかげで、復員するのに三〇年もかかっちまったんだ……やっとご帰還してみりゃ地球は降伏したあとで、すっかり様変わりしちまって……」

 「今度は泣き言か?生き残っただけでは不満なのか?」

 ローマが初めて佐官らしい鋭さを声に滲ませた。さして大声でもないのに、霧香は背中の産毛がすべて逆立つのを感じ、身震いした。あのように厳しい声で問い詰められるなど、絶対御免こうむりたいところだ。

 この男は少佐とのつきあいが長い下士官らしくひるみはしなかったが、それでも少々恥じ入ったかのように顔を背けた。

 「つい愚痴っちまった……おかげで清々しましたよ」

 彼としては精一杯虚勢を張ったのだろう。

 ローマは立ち上がり、オットーを見下ろした。

 「あんたのことはよくおぼえておく。ブルーミスト警備部のマーティン・ノースにもあとでよろしく言っておくからね」

 オットーはたじろいだ。「おれたちの大隊長とも知り合いなのか……?あんたいったいどれだけ顔が広いんだ?」

 「シリウス防衛戦線で彼の父上と一緒に戦ったのだ」

 オットーは顔をしかめた。「まさか……シリウスは俺たち偵察大隊が解散したあとですぜ?それからまた再志願したっていうんじゃ……それでたいして歳食ってないんですか」

 「もう帰っていいよ」

 霧香は途方に暮れた。

 つい先ほど警官に暴行を働き、おそらく死に至らしめたというのに……それともあれは白昼夢だったのか……どうやら少佐はお咎めなしで済んでしまうようだ。逆に警官隊の隊長が脅迫されている始末だ。

 青ざめ酔いも吹き飛んだオットーは背中を丸め、疲れ切った中年そのもののよたよた引きずるような足取りでハッチに向かった。

 「ああ、それとオットー、わたしの部下が、いずれまたここを訪れることがあると思う」ローマは霧香のほうに顎をしゃくった。「その時はよろしく。半径十億マイル以内で彼女かほかの部下になにかあったら、わたしが挨拶しに行くからな。どこに逃げたって見つけ出す。分かってるよな?」

 オットーは霧香に超自然現象でも目撃したような目を向けると、黙って力なく頷いた。

 「それじゃ……」

 まだなにかお喋りしたそうだったが、ローマの無感動な顔を見て思い直し、すごすごと引き上げた。霧香はその後ろ姿を見送り、ハッチを閉鎖した。

 少佐が兵役時代、少なくとも中佐まで昇進していたとは……いったいこの人は何人分の人生を送ってきたのだ?だがそのことを尋ねる雰囲気ではなさそうだ。

 「本当にあの人告げ口しません?」

 「キングに?どうかな……しないと思うよ。適度に面倒ごとを嫌うたちだから、このまま無断欠勤してまっすぐ酒場にしけ込むさ……そういうやつなんだ。だが我々はもう出かけたほうが良い。……あいつはともかくあいつの部下がどうするか分からないし、ハンクとか言うチンピラに訴えられたら面倒だしな」  

霧香は笑ったが、声が引きつっていた。「……では、出発準備しましょうか。キングが出航する前に、どこかこっそり見張れる場所に潜伏しましょう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ