8
リトルキャバルリーは外惑星宙域に深く侵入していた。
〈マイダス〉の予想進路に乗り、追跡を続行したが、その船影を捉えることはまだ叶わなかった。相手は予想より足が速い。さらに加速して途中交代で眠り、あり合わせの保存食と飲物で食事した。
霧香はふたたび焦りはじめた。予測が外れて、〈マイダス〉はいまごろ、まったく見当違いの宙域を、悠々航行しているのではないか。ふたたび裏をかかれ、ドッキングプールに舞い戻ったことも知らずにいるのではないか……。
トランスポンダーを切ってしまうとしばらくは心細さを感じたが、反面敵の警戒を気にすることなく船を動かせることに開放感を感じていた。幽霊でいることもなかなか興味深い。なんらかのトラブルで航行不能に陥ったらだれに知られることもなく遭難、ということになるが……それも今後慣れる必要がある。
中型惑星ブルーミストが光の点から徐々に青い輪郭として背景から浮かび上がってきた。まもなく減速するギリギリのタイミングだ。
ローマはラウンジで、テーブルのホロディスプレイに望遠映像を映し出し、〈マイダス〉を捜していた。もう何時間も黙ったままディスプレイを睨み続けている。霧香も前方を睨み続けていた。
「マリオン」
「なんですか」まえを向いたまま答えた。
「カメラがいま、動く点を捉えたぞ……おそらく〈マイダス〉だ……これから距離を測定する……しまった!」
霧香も前方の異変にすぐさま気付いた。まばゆい光の明滅が生じていた。霧香はなかば本能的に時間を確認して、30分早かったが〈マイダス〉の位置とベクトルがほぼ予測通りだと頭の隅で思った。
「制動を開始したようです!」霧香はヘッドアップコンソールに忙しく指示を打ち込みはじめた。防御フィールドをステルスモードに切り変え、機体が目立たないように手を尽くす。
「だな。いま軌道を計算する」少佐の声は落ち着いていた。
霧香は減速に備えて船の向きを一八〇度変えた。
そして歯を食いしばり、スロットルに手を置いたまま、待った。
霧香たちがいちばん恐れたのは、予測だらけの追跡行の挙げ句の果てに相手と致命的なニアミスを……最悪の場合、確率的にはあり得ないとは言え衝突してしまう可能性だ。秒速1000㎞で航行している船どうしである。致命的な進路交叉を避けるチャンスは一瞬の決断にかかっている……。
「五十マイルだ……!」ローマが叫んだ。「このまま進み続けると五十マイルまで接近する。相対速度は……秒速約一七マイルで徐々に増加中!」
ぎりぎりだ、と霧香は思った。レーダー波を直接照射されても、この船のサイズなら航法コンピューターが見逃してくれるかもしれない……。
明滅する光の点はみるみる大きさを増し、ほうき星のように長く尾を引く姿に変わった。急減速中の〈マイダス〉は霧香たちに船首を向け、長さ数十マイルのプラズマバックブラストを生やしている。その姿は霧香の席から直接視認できるほどだった。
リトルキャバルリーは減速する〈マイダス〉の脇を秒速二〇マイルで通り過ぎ、あっという間に追い越した……
ふたりとも息を殺して待った。
〈マイダス〉の挙動に変化はなかった。減速し続けている。
減速を中断して霧香たちにレーダーを向けようとはしていない。
「どうやら、わたしたちに気付いていないようだな……」
「そうですね……」
さらに待った。変化なし。
ややあって、ローマがふたたび口を開いた。
「いい判断だった、少尉。慌ててこちらも減速していたら、追跡がばれてしまうところだった。よく我慢したね」
霧香はようやく詰めていた息を吐いた。
「少佐の計算が速かったからですよ……ああびっくりした」
「やったな!」ローマは手のひらに拳をぴしりと打ち付けた。「〈マイダス〉をカメラに収めた。奴に間違いなかった。ばっちりだ」あの緊迫下で冷徹に記録機器を操作し続けていたのだ。
「これでキングがブルーミストに立ち寄ることが分かりましたね……でも、なんの用があるんでしょう?」
「補給だろう」ローマは言った。「あの惑星には外洋航海船舶用のステーションがいくつかある。おそらく、ペイロードを切り詰めて出発したんだろうね」
「補給といえば、我々も補給する必要があります。試運転中なのでろくに食料を積んでないんです」
「その点はなんとなく気付いてた。だがその前に減速しないと、ブルーミストを通り過ぎてしまうぞ」
おそらく、〈マイダス〉に十時間遅れでブルーミストの駐留軌道に乗ることができた。目立たないように全力噴射を控え、ブルーミストの上層大気圏をかすめて減速したため、時間がかかってしまった。
すでにタウ・ケティマイナーから五億キロも離れていた。
霧香はタウ・ケティ星系のことはあまり知らなかった。訓練はタウ・ケティ内惑星だけで行われたし、任務に就いてからはほかの恒星系が主な仕事先だった。
ブルーミストに補給ステーションが存在しているのは知っていたが、それがまるで宇宙のドヤ街とでも形容すべき様相を呈しているとは、知らなかった。
巨大なリング状の、古風な密閉型アイランド……それがローリングアッパーだ。周囲に隕石のカスや遺棄された廃材が無数に漂っており、ぼんやり霞みがかっていた。そんなデブリを気にする様子もなく、何十隻もの惑星間輸送船が行き来していた。すでに四〇〇年以上も浮かび続けている宇宙の分岐点だった。
ローリングアッパーのリムから中央に向かって、大小様々な係留アームが設けられていた。
その一本に〈マイダス〉が係留している。
霧香はリトルキャバルリーをリングの対岸の係留アームにドッキングさせ、三マイル離れた〈マイダス〉の姿をじっくり撮影することに成功した。
滑らかな流線型の船体は漆黒で、手の込んだ金色の浮き出し模様に彩られていた。中国製の大型フィッシュボーン型タンカーからコンテナ係留区画と船倉をほとんど撤去し、残った居住区画とメインドライブを直接繋いだようだ。全長千フィートあまり。重量は20万トン程度だろう……表面を覆う漆黒の隔壁はエネルギー装甲板だ。そのぶん重量はかさんでいるはずだった。おそらく軍艦用の違法兵器で武装しているだろう……それでさらなる重量増加を招いているか、それとも加速を重視しているか……現段階では判断できるほどの材料がなかった。
「このデータを郵便ロケットに乗せて送る。キングがまだこの星系にいると知ったら、大佐も驚くだろう」ローマは紺のナイロン製ジャンパーに袖を通しはじめた。
「ステーションに上陸するんですか?」
「ええ。手早く用事を済ませるよ」バッグから銃床と銃身を切り詰めた散弾銃を取りだし、じつに手慣れた動作で銃床の革紐をショルダーストラップに吊した。あまりにも自然な振る舞いだったので見過ごしそうになったが、霧香はぎょっとして見返した。
「い、いま、違法改造火器を装備しませんでした?」
「いいや」平静な声で答えながら、実包を上着のポケットに詰めていた。
「あ、あの、わたしも一緒に行きます。食料を買わなくては。〈マイダス〉が出航するまで、あと何時間かかかるでしょう」
ローマは上着のジッパーを上げながら霧香を見て、苦笑した。
「分かった。それなら買い物のついでになにか食べよう。……ああ、コスモストリングは着替えたほうがいい。その格好はここではあまり覚えが良くないからな」
ローリングアッパーの中身も、外見に準じていた。元は自転によって発生する疑似重力でシリンダーの内側の居住空間を形成していたのだろうが、現在は回転速度が落とされ、遠心力の代わりに人工重力発生装置を使っていた……しかも外殻の頑丈さをいいことにそこかしこに気ままに設置している。おかげでシリンダーの内部は悪夢的に入り組んだカオス空間と化していた。
人類社会で地球なみに発展したタウ・ケティ星系だが、タウ・ケティマイナーを一歩出れば周りは柄の悪い場所ばかりなのか。霧香はあきれながらローマのあとを追った。
「むしろ、発展して人口が増大したからこそ、こんな場所も多いのだ」ローマは歩きながら説明した。勝手知ったる様子で、目的の場所に迷わず向かっているようだ。
「ローリングオーバーは行ったことがありますけど、もうすこし小綺麗だったと思います」
ローリングオーバーは、いまは主星を挟んでほとんど反対側にある第七惑星の中継基地だ。
「あちらは第一次恒星間大戦勃発時に増設された。こっちよりだいぶ新しいんだ」
「……それにしても賑やかですね」
シリンダーのなかは広大な吹き抜け構造で、薄暗く、霧香たちが歩いている道の両端は屋台や粗末なプレハブのバラックが果てしなく連なっていた。環境調整装置はとうの昔に作動しなくなっていて、ずっと夜のままだという。軒先にはぎらつくむきだしの電灯がぶら下がり、屋台に並べられた雑多な売り物を明るく照らし出していた。
「グラッドストーンも都市部はこんな感じだよ」
霧香は頷いた。「活気がありますね……でも往来してる人、なんだか妙な挙動の人が混じってません?」
「アンドロイドだ」
「えっ?」霧香は眼を凝らして眺めた。人間そっくりだが、肌の質感にかすかな違和感がある。動きも整いすぎて、かえってギクシャクして見えた。
「初めて見ました……ずいぶんたくさんいますね」
「代替労働者さ。ブルーミストのように人里離れた危険な作業場で働いている。たいていは人間がオーナーで、ローバーを購入する感覚で買って、自分で働く代わりにアンドロイドを働かせて報酬を得るんだ。コントロールしているのはオーナーが属してる会社のAIや、オーナーが雇った電脳人格だ」
「そう言った行為は禁止されていると思いましたが……」
「原則的にはね。でも恒星間大戦で人口が激減したから、やむなしというわけだ。それにどうしても、危険で退屈な単純労働ってのはあるから」
「なるほど」タウ・ケティという高度に発展した社会を支える底辺だった。
「任せる仕事と機能を限定しているから昔のように反乱を起こしはしない。それにたとえば、両親を事故やなにかでなくした十歳の子供に買い与えれば、その子は収入を得られるしな」
「少佐はアンドロイド肯定派なんですね」
「たいした根拠もなくテクノロジーに背を背けるのは好きじゃないだけさ……さて、ここだ」
こんなへんぴな場所でも郵便システムは働いている。窓のない大きな白い建物の中に入ると、ブースに仕切られた公共ターミナルが並んでいた。その一台を選んで携帯端末を繋ぎ、セキュリティレベルをチェックした。危険なしと判断すると、データをダウンロードしてタウ・ケティまでの速達便を手配し、現金で支払いした。
「これでよし。データはまっすぐ大佐のデスクに届く」頭上に浮かぶ地域別の時計を見た。「およそ三十時間後かな」
「匿名ですか?」
「いや、あなたの名前を使う。トランスポンダーを切ってあなたが死んだと思っただろうからな、大佐だけには健在と知らせてやったほうがいいだろう」
「そうですか」
霧香が生きており、第八惑星くんだりにいると知ったら、大佐はどう言うだろう。そのことを考えると〈マイダス〉を捕捉している事実も霞んでしまいそうだ。
霧香は弱気を頭から振り払った。少なくとも命令に従い、それも首尾よくこなしているつもりだ……落ち度はない。だがもちろん重要なのは霧香の考えではなく、大佐がどう考えるかだった。
ロリンズ少佐が同行していることさえも、いまは喜びよりも不安が増していた。勢いで無邪気に少佐を連れてきてしまった。責任は霧香にある……船長なのだから当然だろう。事実、判断を下したのは霧香なのだ。せめて少佐が霧香と一緒にいることは大佐に知らせたかった。
だが少佐は知らせないことにしたのだ。意図は計り知れない。
郵政局の高速無人ロケット――構造的には巡洋艦の大型ロボットミサイルとほぼ同じで、反物質反応エンジンで猛加速する――がドッキンクプールまで直行し、指向性のバーストデータをタウ・ケティに送信するはずだ。
「FTLが使えたらもっと簡単なんだが」
星間即時通信はワープ同様、クラウトア宗主族に取り上げられてしまった。少佐はそれ以前を覚えている年齢だ。
「次はどうします?」
「あなたは買い物に行くといい」
「少佐殿は……」
「ああ……わたしは、ちょっと〈マイダス〉を見てこようと思う」
「リングの対岸まで行くんですか……」霧香は眉を寄せた。「それは危険なんじゃありません?」
「〈マイダス〉によけいな人間が近づかないよう警戒はしているかもしれないな」
「わ、わたしもお供してよろしいですか?」
ローマは考え込むように霧香を見たまま黙った。
「……お邪魔なら……」
「まあいいだろう、ちょっと港付近の様子を見たいだけだ」
少なくとも少佐はステーション外周のリニアを使ってさっさと〈マイダス〉の係留区画に行く、というつもりではなかったらしい。
横丁の人目に付かない場所でふたりは変装した。少佐がジャケットを裏返すと黒い革の上着に早変わりした。どうやら特注らしい。霧香はシャツの裾をズボンの外に垂らし、隔壁に備え付けの緊急ロッカーから黄色いヘルメットを失敬した。髪は縛ってヘルメットにたくし込んだ。それから手頃な大きさのハンマーをベルトに挟んだ。小さな雑貨屋でさらに変装用の小物を買い、露天の古着屋で着るものを買い足した。
「まあ、なんとか電装修理屋に見えなくもない」
ローマは目立たない床のハッチを見つけ出し、地下……つまりローリングアッパー外壁の近いメンテナンス区画に侵入した。
「ここから先はゼロGだ、気をつけて」梯子を下りながらローマが言った。
重さがなくなると、あたりは真っ暗だった。四世紀も昔に建造されたとは言え、目立った古さはない……可動部はほとんどなく、パイプのなかを流れる流動体のかすかな唸りだけが聞こえる。しかし寒い。それに淀んだ空気に得体の知れない匂いが混ざっていた。ローマは懐中電灯で行く先を照らしながら、パイプのあいだを進んだ。パイプは素手で触れないほど冷たい。変装した霧香たちは作業用グローブをはめていた。
わずかな手掛かりを頼りに腕で身体を押し出し、やがて貨物運搬用のベルト走路に辿り着いた。一定の間隔を置いて直径二メートルのフープを生やした貨物パレットが目の前を通り過ぎていた。ローマが走路に腕をかざすと、パレットが停止した。ふたりがそのフープを掴むと、ふたたび動き出した。
速度は時速二〇マイルほどだ。ローリングアッパーを半周するには一五分かかる。
「こんな場所を知ってらしたんですか」
「よく憶えておけ。それにジャックインザボックスに頼んで魔法のカードキーを作ってもらうといい」
たしかに、少佐は厳重にロックがかかっているはずの扉を次々と開けていた。フープが引き込み線に入って減速した。
「このあたりだ。行くよ」
ローマはじゅうぶん速度が落ちたところでフープを軽く蹴って離れ、霧香もあとに続いた。バーを掴んで身体を止めると、霧香に手を伸ばして引き寄せた。
「どうも……」
ふたりは居住区画に上がった。
こちらも雑然とした通りが広がり人でごった返していたが、ずっときらびやかだ。アーチになった天井にさまざまな娯楽宣伝が流れていた。派手なホログラム電飾で安っぽい黄金に輝くカジノ、ガラス張りのショーウィンドウに高級衣料を纏ったマネキンを展示しているブティック。ゲームセンター。アンドロイドの姿は見当たらない。
そういえばこちら側は明るい……くらい場所から出てきたばかりで眼の錯覚かと思ったが、たしかに対岸よりずっと明るかった。こんなステーションにも生活格差が生じるらしい。あちら側が生活空間だとすれば、こちらは観光客や労働者からクレジットを搾り取るために存在しているようだ。
「思ったほど厳重な警備ではないな」
だがたいした用事もなく通りの片隅に立っている人間がいる。「見張りだ」とローマが呟いた。公共交通機関の駅にはもっと厳しい監視網が敷かれているだろう。
斜め前を行くローマはなんとなく縮んで見えた。よくよく見てみると、肩を落とし、若干前屈みで、足取りもルーズだ。わずかな変化だがこの場にすっかり馴染んで見えた。どこからどう見てもくたびれた保安技術者だ。もともとすごく目立つ人なのに……。
ローマは壁に大きく書かれた番号を見て〈マイダス〉が係留された桟橋の見当を付けていた。桟橋に行くエレベーターは壁際にあり、だいたい三〇〇ヤードの間隔で並んでいた。だが壁際の一段丘になったところには、ストリートを見下ろすように、緑に囲まれた邸宅がいくつか建ち並んでいた。ローマが向かっていたエレベーターは、あきらかに大きな個人邸宅の敷地内にあるようだった。
「公共施設を独占しているようですが……」
「そうだ。あの邸宅はカネモト・ハンゾウの持ち物だ。このあたりの事業を仕切る実力者だ。あのエレベーターを自分専用にするほどだ。もちろん桟橋施設も独占している」
どうやらそのことは承知していたらしい。
そして邸宅の五〇ヤード以内は立ち入り禁止区域と化していた。門に面した通りいっぱいに工事中につき立ち入り禁止のバリケードが張られ、こわもての小惑星帯労働者が何人も立っている。邸宅はブルーライトで縁取られたガラスのピラミッド型住居で、バルコニーのデッキチェアにトップレスの若い女性がのんびり寛いでいた。
ローマは通りを見渡せる横丁の角に立ち止まると、道具箱を置いて床のメンテナンスハッチをこじ開けはじめた。霧香も屈み込んで手伝った。通りを行き交う人々はだれもふたりを見ず、作業を見咎めるものも現れない。
「忍び込むのは難しそうですが……」
「そんなつもりはないよ。様子を見に来ただけだ……。ガムナーが本当に〈マイダス〉に乗っているか、これではっきりした。カネモトはガムナーの子分だからな」
「なるほど」
ふたりは作業の振りを装いながら十分ほど邸宅を見張り続けた。一度だけ、大勢の人間が列をなしてカネモト邸の門をくぐった。大きな旅行用の荷物を抱えた者、そしてちょっとけばけばしい感じの裾の短いドレス姿の女性たち。金持ちの邸宅に用事があるようには見えない。
「じゅうぶんだ」ローマはメンテナンスハッチを元通りにして立ち上がると、きびすを返してアーケード街のほうに引き返した。霧香はあとを追った。
「メシにするか」
「ハイ」