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五時間後、霧香たちはドッキングプールに到着していた。タウ・ケティ星系じゅうから集まってきた船舶が、スターブライト・ラインズの超巨大恒星間連絡船とランデブーするための専用宙域……いわば宇宙の乗換駅だ。
「あきれたじゃじゃ馬だ!」ローマは感嘆した。「こんな小さな船に駆逐艦並のエンジンを載せるとは……マトモじゃない」
「何度か試みられているでしょう?初めてじゃありませよ」
「たしかに恒星間大戦中、似たような機体が開発されたけどね。たった一個小隊で太陽系全域をカバーできるっていう迎撃機が。でもこれほど小さくはなかったぞ。エンジンだって反物質反応だけのがさつな有人ミサイルにすぎなかった。重力子変換ドライブを乗せたってのは聞いたことがない」
伝説的な超高速インターセプターの話をまるで実物を知っているように語っている。霧香が憧れ、パイロットの腕を高めようと決心するきっかけであった恒星間戦争中のエースパイロット、シロガネ・レム大尉の乗機。
あまりにも昔の話で少佐と結びつけるのは困難だったが、考えてみればふたりとも同じ戦争を戦ったのだ……。
「ま、まあとにかく、可愛らしくてスピードが出るだけの船を作ってみたかったんですもの」
「なんだか、ますます楽しい仕事な気がしてきたわ」
ドッキングプール宙域はすでに恒星間連絡船とドッキングする雑多な船がひしめき合っていた。行儀良く整列している船の群れを避けて大きく旋回し、灯台の巨大なハニカム構造の影に停泊した。
果たしてドッキングプールに現れるのはマイダスか、タンカーか……レーダーを使うことはできず、相手の尻にピッタリ付いて見張ることもできなかったので、二隻が航行データと固有ビーコンを交換してこっそり入れ替わったかどうか、実際に見てみるしかなかったのだ。霧香とローマは望遠鏡を相手が現れる可能性が高い方向に向け、待った。
望遠映像の中で逆噴射の炎がかすかに瞬き、やがてタウ・ケティ運輸局のデータがドッキングプール基地局のレーダースイープを元に更新された。
ドッキングプールに現れたのはタンカーのほうだった。
「くそっ、あの会社はカタギだと思ってたんだけど」
ローマの悪態とは裏腹に、霧香の胸中は熱くなっていた。〈アンカレッジ〉はタンカーとコースを入れ替えていた!つまり……少佐の推測は当たっていた。
霧香たちは本当に〈マイダス〉を追跡しているかもしれないのだ!
「船を前進させます……タンカーが良く見えるように」
「ああ、そうだな」
霧香は加速を絞って灯台の影から船をそっと前進させた。
いくつも連なる球形のタンクを備えたタンカーは、霧香たちの眼前を悠然と通り過ぎた。
「念のため、接近して画像を記録しますか?」
「ン?……ああ……」なにか深く考え込んでいたローマは霧香の言葉に頷いた。
白い球形タンクのひとつにはっきりと船名が記されている。
「ドッキングプール守備隊かGPDに通報しますか?」
「いや、それは後回しでいい。まだ隠密追跡中だからね」ローマは記録装置に屈み込んでタンカーを撮影していた。
霧香たちは慣性航行でタンカーに接近し続けていた。タンカーは制動をかけた時のままの姿勢……つまり船尾を進行方向に向けていた。(なにか様子が変だ……)霧香がぼんやり思うのとほぼ同時にローマが叫んだ。
「離脱しろ!」
霧香は一寸の迷いもなくスロットルを叩き込んだ。進路を変えるのは時間の無駄だと判断した霧香はタンカーをかすめるように加速していた。
何ごともなくタンカーが背後に過ぎ去ったが、次の瞬間、球形タンクが一斉に、音もなく破裂した。
「ちくしょう!」霧香は叫んだ。白熱するガスが勢いよく膨れあがってゆく。間一髪で爆発に巻き込まれるのを免れていた。それでも高速で飛来した破片がいくつか船殻を叩く乾いた音が聞こえた。もし加速がとろければもっと高速の破片を食らっていた……拡散するガスの勢いを上回って安全圏に達したところで加速を切った。
「念を入れて証拠を破壊したか……」ローマは背後の消えかけているガス雲を眺めながら呟いた。
「しかもワナも張ってたんですね……近接センサー付きの爆発物でしょう」心臓が高鳴っていた。死にかけたのと可愛い新造船を傷つけられたことで混乱した怒りが湧いていた。
「しかしいいレスポンスだったなあ。あと一歩でわたしたちは蜂の巣になっていたところだ」ローマは肘掛けをぽんぽんと叩いた。「気に入ったよ、このちっちゃな騎兵隊は」
「それ!」霧香が叫んで振り返り、ローマはぎょっとした。若い少尉は躁病的に眼を輝かせていた。
「なんだ……?」
「それですよ、リトルキャバルリー!この子の名前が決まりました!リトルキャバルリー!」
「おお、そうか、決めたのか」ローマはまだ呆気にとられていた。「おめでとう」
「ぴったりですよ。ああスッキリした。ありがとうございます」
「あんた、ただじゃ転ばないな……」
ドッキングプールは騒然としていた。停泊中の船はどれも慌てて動き出し、飛び散ったタンカーの破片をやり過ごそうとしていた。通信回線に怒号が飛び交っていた。タウ・ケティ守備隊はなんとか騒ぎを静めようと呼びかけていた。
「この騒ぎじゃ腰を据えてGPD本部に連絡することもできやしない」ローマが忌々しげに言い捨てた。「GPDのパトロール艇はなんで1隻もいないんだ?」
これは想定外だった。リトルキャバルリーは小さすぎて長距離通信用のタイトビーム発信器を装備していない。広域無線でタウ・ケティマイナーに報告を送るのは問題外だ。誰が聞き耳を立てているか分からない。
「計画をちょっと変更しなければならないな……」
「それで、あの爆発したタンカーはどうします?どこかに報告しないと」
「放っておこう」ローマは少し考え込んだすえ言った。「無人だったようだし、救助しなきゃならないような事態も持ち上がらないだろう。わたしたちはたまたま通りがかったのだ。すぐにドッキングプール守備隊の船が飛び回り始める。目撃証言のために足止めを食らう時間はない」
(ひゃー、イリーガルすれすれね!)さすがにベテランというべきなのか、杓子行儀に仕事に当たる霧香たちルーキーよりも規則に対する考え方が恣意的だ。霧香は後ろめたさ半分、心躍る気分半分でローマの判断に従った。
「分かりました……では、さっそくマイダスの追跡を再開しましょうか」
「ちょっと待て。その前にトランスポンダーを切れ」
「えっ!?」
「わたしたちはいまので死んだことにする」
霧香はあからさまな違法指示に一瞬ひるんだが、「分かりました」と答えてコンソールを操作した。手が震えていた。
「切りました……」
「済まないね。だがあなたの船にとってはこのほうが都合がいいのだ。あのタンカーは接近する船を記録していたかもしれない。わたしたちのパトロール艦の所在をマイダスに知らせるためにだ」
「なるほど……それで死んだふりをすると」
「そうだ。今後は寄航のために船籍を誤魔化す必要があるけど」
「そのための準備はあります」
「なら問題ないな。これでいよいよ覆面航行だ。どこに向かう?」
「今はまだ、マイダスはスミトモ鋼船が提出したフライトプランに従っていると思います。我々がその航路に復帰できるのは……およそ三時間後です。追いつくのは、マイダスが最初の目的地である第八惑星ブルーミストに到着するのとほぼ同時でしょう」
「奴がフライトプランに従っていれば、だな……ところで少尉、大佐はキングの目的についてなんと言っていた?」
「何も分からないと言ってました……だから追跡して探るようにと」
ローマは承知済みのことを再確認したように頷いた。
「キングはタウ・ケティの裏社会を牛耳るヤクザのボスなんだ。普通はグラッドストーンにある奴の本拠地に、ほかの連中が取引の挨拶や陳情にうかがう。それが自然だ。分かるわね?」
霧香は頷いた。
「奴がシマから出るなんて滅多に無いケースだから、我々もその都度警戒する。今回はなにか余程重要な取引か、それとも突然ヴァケーションに出かけたくなったのか……マイダスはキング自慢の天翔る御殿だと言われていた。普段はグラッドストーンの駐留軌道で格納庫にしまわれていて、監視が弛んだ隙にこっそり出航するから、スペックデータその他を知ることは叶わなかった」
「それを探るんですよね」
「大佐はそのつもりのようだ。だが少尉、釣りは大物を狙わなくてはね」
少佐の澄ました笑みを見た霧香は急に心配になった。
「待ってくださいよ……わたしたちだけでキングを逮捕しよう、とか言うんじゃないですよね?」
ローマは悪戯っぽくウインクした。
「そこまでは言わないが、うるさく追いかけ回せばやつは当初の目的を断念するかも知れない。首尾良く奴の目的をひとつ叩き潰したら、宇宙は平和になると思わない?」
「そうでしょうが……」
「だいたいなにが目的であれタンカーを一隻犠牲にしたのだ。気楽な休暇旅行でそこまでするはずがない。奴は大きな目的を持っているぞ。探る価値はある」
霧香は内心途方に暮れていた。有能な人だとは聞いていたが、その源はこの野心とバイタリティなのかもしれない。恐ろしいのは、途方に暮れつつも少佐の言葉を聞いているうちにだんだんその気になってきてしまうことだ。事実、霧香たちが本物の〈マイダス〉を追跡しているという確信が強まったのだ。どうしたってテンションは上がる。
「……それじゃ、出発しますよ。本当にここで降りて、恒星間連絡船に乗らなくても、よろしいんですね?」
ローマは面白そうに聞いた。「なんだ、わたしが居るとやりにくいのか?」
「いえ、そんなことは」霧香は慌てて片手を上げ、改訂した。むしろ嬉しいのだった「……いちおう確認しただけです。それにこの船は就航したばかりのテスト中ですし……」
「故障したらそのときはそのときだ。わたしはもうちょっと付き合わせて頂くことに決めた」
「了解です……」霧香は神妙に頷いてローマに背を向けた。胸が高鳴っていた。ほんとうはソファに飛び乗って手足をバタバタしたいくらいだった。
すごい!あのローマ・ロリンズ少佐と一緒に仕事ができるのだ。
あと五年は実現しないだろうと思っていた夢が叶ったのだ。
霧香は精一杯笑みを噛み殺していた。
じつのところ霧香はたったふたりでタウ・ケティ最大のマフィアを追い詰め、その野望を打ち砕くなんてできるわけがないと思っていたから、任務の重大性はひとまず脇に置いて喜ぶことができたのだ。
このときはわずか数日後にタウ・ケティ星系全域を揺るがす事件の渦中に飛び込むことになるなど夢にも思わなかった。
マルコ・ランガダムはすでに二〇時間ほどGPDタワー内の作戦指揮所に缶詰になっていた。パトロール艦の報告は次々ともたらされていたが、そのタイムラグがだんだん広がってゆくにつれ、表情が険しさを増していた。
キングは先手を打っていた。追跡作戦開始からわずか五時間後、第二目標の船が攻撃を仕掛けてきた。まだ一五〇万マイルも離れていたパトロール艦にミサイルを放ってきたのだ。隠密行動を取らせていたつもりだったが、まんまと探知されてしまったのか、それとも別の船に監視されていたのか……。
遠距離からのミサイルはブラフだ、と思ったが少なくとも三隻を割いて対応せざるをえなかった。相手は接近を避け、戦いを長引かせようとしている。時間稼ぎだ。
第一目標である「カプリス」は二五Gで加速して、第二目標との距離を着実に広げていた。追跡艦は懸命に加速して追いかけている。第三目標はいまのところ動きはなく、経済軌道を第七惑星方面に溯っている。そちらは民間チャーター船のGPDをすれ違う軌道に投入して、相手の正体を暴く作戦だ。十二時間以内に判明するはずだ。
ここまではランガダムも織り込み済みだった。
データシートの束を持ってきた少尉に尋ねた。「ロリンズ少佐を見かけたか?」
「はあ……」少尉は戸惑いながら答えた。ロリンズ少佐に関してたしかなことは、だれに所在を聞いてもそれなりに答が返ってくることだ。妙にためらっている様子から、大佐とロリンズ少佐が口喧嘩したことは彼も知っているようだ。「ハスラー少尉が最後に見かけたときは、荷物を持って屋上ポートに向かっていたそうですが……」
「荷物ってどんなだ?」
「ダッフルバッグです。私服で、自宅に帰るにしては大荷物のようだったと」
「そうか、分かった」
ランガダムは宇宙港を監視させていたが、ローマ・ロリンズらしき人物はまだ現れていない。彼女はコスモストリングと標準装備一式をロッカーに置き去りにしている。それはランガダムが直々に確認した。
だれか自宅に差し向け、彼女が在宅か確認させるべきか……。
作戦開始から一〇時間が経過すると、キングの目的は恒星間連絡船とのランデブーではないとはっきりした。ランガダムはドッキングプールに張り付かせていた二隻を別の目標に割り振った。
オオクラ少佐がやってきた。
「大佐、アダム戦隊から報告です。第二目標の航行装置を破壊。視認距離まで接近して目標船を確認しました。違法改造された商船ですが、マイダスではありませんでした。レーダーを撹乱させる擬装を施されていたようです」
「そうか、被害は?」
「ザイラスがミサイルの至近弾を浴びて損傷したようです。損害は軽微で死傷者は出ませんでしたが、索敵システムを損傷したようです。アンテナを根こそぎやられ、アッシード大尉によると復旧の見込みは薄いそうです」
「そうか。追跡には向かんな……孤立させんように気をつけろ」
「これで目標はふたつに絞れましたが……」
「そろそろどちらか選ぶ潮時だな。これ以上戦力を分散したら奴の思いのままだ」
ランガダムは立ち上がった。
「座りっぱなしで身体が鈍ったよ。オオクラ君、わしはじき上に上がるからな。ここはきみとクルトに任せる」
「了解しました……けど、宇宙船はどうするんです?」
「オーバーホール中のヴリャーグを引っ張り出す。なんとか飛べる状態にはなってる。もう手配はしてある」
「タンカーもあと二隻手配したほうがいいでしょう。予想より作戦宙域が広がっています。補給計画が忙しくなりそうです」
「そうだな。ありったけの補給物資を掻き集めてくれ。だれか予算について文句を垂れるようだったらわしに回せ。それと手空きの警備隊員に招集をかけるんだ。どうも気に入らん……。キングの撹乱作戦は念入りな上に先手攻撃までかけてきた。なにかでかい山があるんだ。二十四時間後に警戒レベルを一段階上げる」
「同感です」
「わしは五時間後にヴリャーグを受領しに行く。補給船はいくつかの船会社に交渉してみよう。出発までにどの船を追うか決断する」
「お願いします……それと、ロリンズ少佐ですが……」
「まだ見つからんのか?」
「はい」
「デフコン4のアラームが鳴れば顔を出すだろう」
「だといいんですけど……」どことなくランガダムを責めるような目つきで言った。
オオクラ少佐が去ると、ランガダムはふと、ホワイトラブ少尉のことを思い出した。作戦開始以来初めてだった。
軽い後ろめたさを覚えつつ席に腰を下ろし直し、手元のコンソールを叩いて、ホロ画面にWBS―〇〇一の所在を呼び出した。
ホワイトラブ少尉は見当違いの方向に飛んでいってはおらず、早々とドッキングプールに到着して、以来ずっと待機していた。ランガダムはひとり満足して頷いた。新型艇を手に入れ、喜び勇んで手当たり次第不審船を追跡するものと思っていたのだが、そんな冒険心は湧かなかったようだ。やや野心に欠けるかもしれないが、いまはよけいなちょっかいを出して作戦を引っかき回すとんまなルーキーは要らない。ちょうど良かった。ドッキングプールのパトロール艦を別目標に割り振ってしまったぶんは、彼女が穴埋めしてくれそうだ。
だがホワイトラブ少尉宛に新しい命令をしたためていたときに周囲が慌ただしくなり、ランガダムは顔を上げた。
「なにがあった?」
「大佐!ドッキングプールの警備部から緊急伝です。中型貨客船が一隻爆発したようです」
「なに……その船のデータを全部呼び出せ。状況は詳しく分かっているか?」
「突然爆発したそうです。事前の兆候はありませんでした。救助信号その他も無し。船名は「アンカレッジ」です」
「テロか……」ランガダムは顔をしかめた。また先手を打たれたか……。「被害はどの程度か分かっているか?」
「詳しい報告はまだです。広範囲に破片が拡散したのでドッキングプールは混乱しています……。ですが、爆発直後に少なくとも民間船一隻の行方が分からなくなったそうです。爆発に巻き込まれものと見ています」
「そうか」ついに犠牲者が出てしまった。
やはりガムナーは大きな目的を持っている。だがいまこの時点にドッキングプールで騒ぎを起こすとは……。不吉な予感がよぎる。
ランガダムは椅子に座り直し、点けたままになっていたホロ画面を消去しようとした。しかし手を伸ばしかけたまま凍り付いた。
ホワイトラブ少尉の船を示す記号が赤く点滅していた。
ランガダムがその意味を理解する数秒のあいだに、点滅が薄い灰色の表示に変わり、その上にLOSTの文字が浮かんだ。