4 マイ宇宙船完成! ★
オールドケリー大陸のさらに内陸、赤道に近い砂漠の町、ポンティアック。町外れにはタウ・ケティマイナーがずっと熱かった頃に形成された大きな干上がった塩湖があり、真っ平らな白い地面が果てしなく広がっていた。 ウィリアムブラザースシップ&デザイン社はその塩湖のほとりにある。巨大な格納庫兼造船ドックが二棟並び、唯一の社屋はその傍らにポツンと建っている小さな二階屋だ。屋上には社長が育てている植物が小さな庭園をかたちづくっていた。常勤社員約二〇名。初めて訪れたとき抱いた不安を思い出して霧香は苦笑した。
格納庫の外に整備中の宇宙船が三機、駐機していた。二隻は商業用の中型輸送船で、明らかに耐用年数を超えて酷使されているようだ。もう一隻はGPDの巡視船だ。……こちらもそうとうに年期を重ねている。元はソヴィエト宇宙軍の駆逐艦であった。つまり中古の払い下げで、トラブルが多く、まともに稼働させるためには整備が欠かせない。霧香がこの会社を紹介されたのも、ランガダム大佐が所属艦の整備を請け負わせている縁があったためだ。
社屋の横にローバーを止めると、社員の半数が外に駈けだしてきて霧香を取り囲んだ。霧香は驚いた。
「いったい何の騒ぎ?」
霧香の問いかけは、まわりのクラッカーの弾ける音とお祭り騒ぎに掻き消された。霧香を囲んでいたのは十名ほどだったが、クレアの姿を捜しても容易に見つからなかった。尖った帽子と付け鼻で見分けられなかったのだ。頬にキスされてやっと気付いた。
「なんなの?誰か誕生日?」
「そうよ!ウィリアムブラザース社操業九〇周年にして初のオリジナル宇宙船のね!」
「我が社が生んだスピード女王とかぐや姫に乾杯だ!」
シャンパンの栓が立て続けに弾けた。霧香もまわりの陽気なムードにすっかり呑まれ、一緒に笑い出していた。
「なるほど!おめでとう!」いつの間にか手に押し込まれていたグラスにシャンパンを注がれた。乾杯するのだと思ったが、クレアが手を挙げてみなに静粛を求めた。
「乾杯の音頭はマリオンにお願いしましょう、いいでしょ?」
「わたしが?」
「そうだかぐや姫、やれよ!」
「そうだそうだ!」
「エー、それでは……」霧香は照れくさそうに頭を撫でながら一歩進み出た。「皆さま……コホン、このたびはたいへんお世話になりました。半年間、わたしのわがままに付き合ってくださってありがとう、モーグ」Tシャツの上に半袖シャツと短パンという若者の首に手を回し、頬にキスした。ウォー、というはやし声が上がった。ソバカスの浮いた青白い顔が真っ赤になった。彼は若いが天才肌のエンジニアで、霧香の船の機関部の大半を設計したのだ。
「それにBB、ヨシダくん、ベレンコ、ジミー、ロー、キッシュ、ハワード、それにクレア、社長……サイモンはどこ?」
「親父は格納庫だよ。パーティーは外でやれだと」ウィリアムブラザースの代表取締役、コーベン・ウィリアムが、格納庫に顎をしゃくった。故ウィリアム兄弟を継いだ二代目で、まだ三十代だった。温厚な中肉中背のアイルランド人で、クレアの夫だ。
「本当は、おやっさん、最後の別れを惜しんでいるのさ。あんたが受領しに来ると伝えたら急に無口になってな……今はしんみり格納庫にこもってる。……まあ、なんだかんだ言っていたが、やっぱり自慢の娘らしい」
「そうなの」霧香も思わずしんみりしてしまいそうな話だった。「それじゃあひとまず、ウイリアムブラザースシップ&デザイン社の繁栄を祈りまして……乾杯!」
「乾杯!」
「スピード女王に乾杯!」
みんなシャンパンを飲み干し、グラスをコンクリートに叩きつけて割った。霧香もぜひ一度やってみたかったことだ。大喜びで……表面上は厳かに、グラスを叩きつけた。
「でもなんで割っちゃうの?」
「ええ?今日という神聖な日を祝ったこのグラスを、もっとくだらない乾杯に使わせない用心さ!ローの失恋記念日とか」
「おかげで後始末がたいへんだわ」クレアが言った。ほかの連中はいたずら小僧のように苦笑いを浮かべた。
二杯目はプラスチックの使い捨てカップに注いでもらい、みなでぞろぞろと第1格納庫に向かった。
「半年かあ……思えば短かったな」
「濃ゆい半年だったから……長くて短いと感じるのね」
「そうそう霧香、おれたちの名前を全部覚えてるのか?」
「そりゃ覚えるわよ。あんたたちったら、わたしがここに来るたびになんかバカなことしてるんだもん……」
「ちがうちがう、霧香はおまわりだぜ?顔と名前なんていくらでも覚えちゃうんだ」
そちらが正解だが、霧香は微笑んだだけだった。「残りのみんなは仕事中?」
「このごろは忙しいの。あなたのおかげよ」
「ここを紹介してくれたのはわたしのボスだから……」
「警官で大金持ちなのに、あんたはじつに謙虚だ。変わってるな」
「ジミー!ぶしつけなこと言わないの!」クレアが叱った。
「けどたしかに変わり者だよね……なんせあんな小さな宇宙船を欲しがるんだから……もっと立派なライトクルーザーだって建造できたんだぜ?」
みんなで笑った。
霧香は宇宙船の建造資金をどうやって工面したのか明かさず、探りを入れられると謎めいた微笑を浮かべはぐらかしただけだった。そのうちに大佐の預言通り、彼らは好き勝手に話を作り上げ、いまではGPD首脳部の指令で極秘プロジェクトに関わっているのだということになっていた。考えようによっては間違ってはいなかったので霧香は否定も肯定もしなかった。
霧香はこの船を「秘密兵器」にしたかったのだ。
社長はせっかくのウィリアムブラザース社製第1号宇宙船WB-S-001を宣伝に使えないといって嘆いたが、本気で言ってはいなかった……彼も実用性については懐疑的だったのだ。
ウィリアムブラザース社は零細企業とは言え小さな町の基幹産業だったから、記念すべきお披露目式に地元の名士や野次馬が集まっていないところを見ると、沈黙作戦は功を奏したのだろう。
モーグがダッシュして格納庫の扉にいち早く辿り着き、皆を手振りで押しとどめた。
「それでは諸君、ぼくの傑作エンジン……」
「内装を設計したのはおれだ」
「おまえはメインドライブだけだろ、サイクロンバレルはおれが作ったんだ」
「あたしがスタビライザーを設計したのよ!小さいスペースに収めるのがどんなにたいへんだったか……!」
「装甲板の調達にどれほど苦労したと思ってるエンジン屋……」
「静粛に、静粛に」モーグがふたたび手を振って黙らせた。「それではいよいよご対面」
巨大な扉がゆっくり開きはじめると、みな先を争うように格納庫内に殺到した。
三百フィートの奥行きがある格納庫はがらんとしていた。建物内部の両脇は高さ一八〇フィートの天井に届く大きさの真新しい造船用機械装置が占め、巨人の国に迷い込んだかのようだ。中央にシートに覆われた機体が置かれていたが、ドッグスペースに比べると異様に小さい。ほとんどAPVほどの大きさだ。組み立て中なんども見たが、いつ見ても感動的で、霧香は胸が熱くなった。
機体に近づくと、白い作業服姿の人物がひとり、木箱に腰掛けていた。霧香たちに背を向けたまま、振り向こうとしない。はしゃいでいた面々も、その姿に気付いて声をひそめた。
作業服姿の男性がようやく腰を上げて振り向いた。社員たちは五メートルほど離れて遠巻きに機体を囲んでいた。霧香はモーグにカップを預けて一歩進んだ。
「サイモン」
「おはよう、マリオン……さっそく来たな」サイモン・ウッドはアインシュタイン博士ばりのヒゲと髪型の、初老の男性だ。初代ウィリアムス兄弟の時代に入社して五〇年間、その後半には、会社の実務を取り仕切ってきた。
「できたのね」
「ああ、テストはすべて完了、ロールアウトだ」胸ポケットから平たい透明のディスキーを取り出し、霧香が差し出した手に乗せた。キーホルダーに小さな狐の尻尾のような物が通してあった。
「これでこのじゃじゃ馬はおまえさんの物だ、思う存分、飛ばしてくれ」
「ありがとう」
霧香はサイモンを抱きしめた。まわりの連中が冷やかしの声を上げた。サイモンは霧香に抱かれたままギャラリーを睨み付けると、はやくしろと言うように片手をぐるぐる回した。モーグたちは機体を覆っていたシートの端に飛びつき、一度に払いのけた。
霧香の新しい手足が姿を現した。ホワイトボディの涙滴型宇宙船。
「素晴らしい」
霧香は小さな宇宙船を見上げ、溜息をついた。注文通りだ。霧香が夢想した可愛らしい宇宙船だ。いろいろな会社を巡って「そんなバカバカしい代物は作れない」となんども門前払いを食らい、ようやく実現した霧香の夢の結晶だ。八億クレジットかかったが、その資金は霧香がクィベリアの放浪異星人に送られた小惑星一個分の金塊を、ほんの少し削って現金化したものだ。惑星の核物質だったその小惑星は稀少鉱物の宝庫で、金塊やレアメタルは船の一部にも使われていた。後悔の念はない。
その八億クレジットは、中古宇宙船の整備で細々と食いつないでいたウィリアムブラザース社を大いに潤し、新しい機材を買い、宣伝にコストをかけられるようになり、宇宙船の設計と製造という、本来業務への道を開いたのだ。発注者と請負業者双方にとって、まことに満足すべき結果だった。
自分専用の宇宙船を建造する、と言う着想を思いついたときは、もっと簡単に実現できると思っていたのだ。なんせ霧香が提示したのは、駆逐艦を二~三隻製造できる額だ。ところが話を聞いてくれたのは、サイモン・ウッドだけだった。
霧香は機体のまわりをゆっくり歩いて眺めた。
設計段階から関わっていたので、ごまかしが一切ないのは承知している。設計中にはモーグやサイモンと時折衝突し、言い争ったものだが、それはすべてよりよい仕事のための前向きな議論であり、遺恨を残す類ではなかった。適当な仕事に流されたり妥協的な意見に丸め込まれそうになった事はない。ふたりの仕事に対する姿勢は常に真摯だった
機体は四本の支柱の上に乗っているが、実際には数㎝浮いている。深宇宙航行に耐えるよう設計された船を構成する素材のいくつかは極めて高密度で、この全長わずか四十五フィートの船は、じつは二千トン以上の質量を有している。その九割はメインドライブそのものの重量で、残ったうちのさらに九割が装甲の重さだ。しかしその有り余るメインドライブ出力のおかげで常に慣性システムが働いているため、地面にめり込む心配はない。
「素晴らしいわ」ふたたびほれぼれと呟いた。
サイモンとモーグ、霧香の思い付きを真面目に検討してくれるほど柔軟な思考を持った天才エンジニアがふたりいたことと、タイミングが良かったことが幸いした。
ちょうど、ハイフォールのハーバード大学研究所が、信じられないほどコンパクトなニュートリニティーマイクロトロンを開発していた……それはスーツケース大の安定装置に収まるほど小さな人工特異点だが、巡洋艦のメインドライブに収まっている何万倍も大きな兄弟とそっくり同じ機能を有していた。次元転移反応炉に収めることができれば、宇宙船の超高性能エンジンとして使用できる……ただしきわめて小型であれば。
霧香は、小さすぎて実用目的の宇宙船の動力源として誰も使い途を思いつけず放置されていたそれをニュースで見つけ、たいへんな値段で買い取った。この船を構成する部品のいくつかは、苦労して方々から掻き集めた集めたのだ。N・T・Mを収める直径一メートルの炭素単分子容器は特注品で、それと同じサイズの金塊ほどの値段だった。そういった材料はサイモンや他の社員が必要な情報をニュースサイトや学術論文を引っ繰り返して探しだし、霧香が買うのだ。
クィベリア人に貰った報酬はそんな支払いなど痛くも痒くもない程だが、次々と金を払う霧香を見て、モーグやWBの社員は眼を剥き、やがて彼女を大昔のお伽噺になぞらえかぐや姫と呼び始めた。太古のアジアを訪れた大金持ちで異星人のお姫様なのだそうだ。
機体脇のハッチに近づくと、小さな溜息のような音とともに昇降ラダーが降り、エアロックを兼ねたハッチが開いた。船のメインコンピューターにあらかじめ登録されていたディスキーコードと、霧香の身体データに反応して、自動的に開くのだ。
サイモンが霧香の傍らに立ち、改まった口調で言った。
「さっそく、試すかね?」
「そうね.飛ぶには良い日だわ」
キャビン中央の床からせり出したコンピューターのメインフレームにディスキーを差し込むと、船は自動的にオーナーの身体データを記憶して、霧香の所有物になった。
大質量の船をドーリーで引っ張り出すわけにもいかなかったので、慣性制御システムを使ってゆっくり滑るように格納庫から出た。タウ・ケティの陽光を浴びて純白の硅素位相変換装甲が輝いていた。
「なにか名前を考えてくれた?」
「いんや、好きな名前を付けなよ」
モーグはメインフレームに接続した端末のリードアウトから眼を上げず答えた。やや素っ気ない。すでに何百というアイデアを霧香に却下され、この船に名前を付ける試みからとうの昔に手を引いていた。
霧香は溜息をついた。「なにかいい名前ないかなぁ……」
「もう登録期限は過ぎちゃったんでは?クレアがWBS-001で登録しちゃったんじゃないの?」
「正式名称はそれで構わないの。どうせ船舶名鑑にはデタラメが記載されるんだから。でもニックネームが問題なのよ」
「嬉しいよ。我が社初の宇宙船が名無しでインチキ登録のスピードきちがいシップで用途不明の非合法船とはね。幸運を祈るよ」
「ひとつ間違ってるわよ。用途ははっきりしてるんだから……」
「ああそうだった!」両手でVサインを作り、その指先を屈伸させてみせた。「宇宙の悪党を追いかけ回す正義の万能戦闘機だ!」
「べーだ」霧香は舌を出してみせた。「でも目の前で成層圏を突破する姿を見せられなくて、残念だわ」
モーグは笑った。メインフレームから読み出しケーブルを抜いて天辺をポンと叩くと、銀色の柱は音もなく床に収納された。
「いいよ、分かってる。慣熟飛行したら改めて見せてくれよ」
タウ・ケティの大気は貧弱で、オゾン層に穴を開ける許可は制限されている。霧香は宇宙に出る前にランガダム大佐のオフィスに出頭しなければならない。
「まっすぐ上昇する宇宙船を消えるまで眺め続けるのはちょっと間が抜けてるしね。今回は会社の上空を猛スピードで航過してくれるだけでいい。みんな喜ぶよ」
「OK。超音速で飛んでも大丈夫かな?」
「マッハ二程度なら。音速の三倍を超えると空力安定が崩れて衝撃波が発生するからね。大気圏内の挙動に慣れるまであまり低空で試さないほうがいい。それから間違ってもメインドライブに点火するなよ。騒音で街のぜんぶの窓が割れちまう」
「この子は宇宙船よ。なんでしょっちゅう超音速で低空飛行するみたいなこと言うの?」
「やるだろ。あんたの運転超クールだもん。みんなシミュレーターの記録を見て知ってるよ」
「なんだ、みんな気付いてるのね」霧香も笑った。「了解、最初は無茶しないわ。それじゃ、また近いうちに会いましょうね」
「ああ。飲酒運転だ、おまわりさんに捕まるなよ」
モーグは用事を済ませるとさっさと下船した。いちども振り返らないその様子は、自分が設計した新型宇宙船に対してなんの疑念も抱いていないことを覗わせた。