13
霧香は04の背にまたがって帰り道を急いだ。五分ほどで集落に着いた。
ヘンプ人たちは騒然としていた。ドローンが集落上空を飛び交っていた。もう霧香と04に眼もくれない。ヘンプ人たちのほうは霧香と恐ろしげな04の姿に驚き、騒乱に拍車がかかっただけだ。子供の泣き声とおろおろする女性、怒号。ありとあらゆる形状のドローンがポルトガル語と英語で呼びかけていた。
「みなさん、支度を急ぐのです。われわれは南に移動します。いますぐ移動しなければなりません……」
霧香は04から降りてドローンたちに協力した。顔をごしごし擦って笑みを浮かべると、間近に立ち尽くしていた女性の手を取り、肩に手をかけてできるだけ平静に話しかけた。
「ねえ、あなたの名前は?」
「エリー……デス」
「わたしはマリオン、よろしくねエリー。やらなければいけないことは分かってる?」
エリーはぼんやり頷いた。
「それじゃあ、子供たちをつれて逃げよう。ほかの女の子たちにも呼びかけて、みんなで出掛けるのよ」
霧香は泣いている五歳くらいの男の子を抱きかかえ、安心させるように背中を叩いた。そうしながらエリーを見ると、彼女も頷いて同じようにした。荷物を抱えてうろたえている別の女性の肩に手をかけてなにか言っていた。
まもなく霧香とエリーを中心にして子供たちが集まり、集落の出口近くに秩序だった動きが形成された。五〇人あまりの村人が集結し、それを取り囲むようにドローンが集まった。
「エリー、みんなと一緒に谷を上がって」吊り橋の向こうを指さした。「ずっとずっと歩いて、ここからできるだけはなれ、谷から遠ざかるのよ」
ドローンの一団が先に移動を開始した。
「ついていくのよ」
ヘンプ人たちも吊り橋を渡りはじめた。霧香は全員が渡り終えるあいだに広場を見回した。
「04,生体反応はある?」
04は広場に頭部を向けた。霧香はホロ画面を注視した。ヘンプ人たちは鶏まですべて持ち出している。集落は完全に無人だった。
振り返ると、全員が吊り橋を渡りきったところだった。
「わたしたちも行こう。04,あなたは重すぎて吊り橋を渡れないから、対岸まで飛んで」
だが霧香が吊り橋を渡りはじめると同時に地面が揺れはじめた。激しい揺れで、霧香はその場に立ち往生するしかなかった。吊り橋が激しく揺すぶられ、立っていられなくなった。揺れが激しすぎて集落のほうに戻ることもできず、茫然と手摺の柵にしがみついていた。なんとなく現実離れしたばかばかしい気分だ。(そのうち収まる)と思った。だが揺れはますますひどくなり、吊り橋がぴんと張って霧香の身体を持ち上げると、次の瞬間手摺がちぎれた。
それから世界がラード漬けなったように緩慢になり、悪夢的なスローモーションで吊り橋が崩壊しはじめた。
04が飛行モードで霧香の頭上を旋回していた。だがたわみ続ける吊り橋の上で揺すぶられて霧香は足を踏ん張ることができず、04に飛び移ることもできない。
「ホワイトラブ少尉!」
名前を呼ばれて霧香は上を見た。なにか大きな物体が頭上にのしかかっていた。それが気球のようなものだとわかり、ついでその気球からロープが垂れ下がっているのを見た。霧香はそのロープにほとんど倒れ込みながら手を伸ばし、掴んだ。
気球は霧香を引っ張り上げて上昇した。
ぶら下がった霧香の下で吊り橋が崩落した。その橋が落下するはずの川はいつの間にか姿を消し、深淵に変わっていた。地面の裂け目が広がっている。
ロープにぶら下がったまま対岸に辿り着くと、霧香は地面に降り立った。地震は収まっていた……だがかすかな振動は消えておらず、山鳴りも続いていた。頭上の気球を振り仰いだ。ゴンドラからシンシア・コレットが頭を突きだしていた。
「ミス・コレット、おかげで助かった!」
「借りは返さないとね……ホワイトラブ少尉。あんたも無事で良かった。危険だからこの気球に乗りなよ」
「ヘンプ人……あの集落の住人たちを引率して安全な場所に移動させなくてはならない。あなたは先回りして、ランドール中尉に伝えて。降下艇を寄こすように。もう迎撃される心配はない」
「分かったわ……連絡を絶やさないでよ。気をつけて」
霧香は道を急いだ。
ヘンプ人たちはさほど遠くない場所でうずくまっていた。霧香の姿をみとめて何人かが立ち上がった。
「みんな!立ち上がって!歩くのよ」
怯えきった人々を元気づけるのは容易ではなかったが、なんとかなだめすかして「あちらが安全だ」と示した。最後には恐怖よりも生存本能が勝り、ヘンプ人たちはぞろぞろ歩き出した。
霧香は比較的恐れ知らずの幼い子供をふたり04の背中に乗せてあげて、列の先頭に立たせた。巨大なロボットが安全だと分かると、子供たちは04を取り囲み、物珍しそうに眺めながら一緒に歩いていた。代わる代わる交代で背中によじ登っていた。
列の進行はじれったいほど遅かったが、一時間ほどで谷底から盆地に抜け出した。
見晴らしの良い場所に出た一行はしばしその場に立ち竦んだ。地形が様変わりしていた。集落のむこう側に存在していたはずの山が丸ごと無くなっていた。
「さあみんな、もっとあちらに行くのよ!」霧香は南を指さした。「谷から離れなくては」
誰かが叫んだ。「見て!」
霧香はみなが注目するほうに振り返った。昼に出発した男性の一団が帰ってきたのだ。やはり異変を感じて帰ってきたのだろう。それともプローブが呼び戻したのかも知れない。かれらが再開を喜びあい、次にどうすべきか相談するあいだに、霧香は04にその場の様子を記録させた。記録はランドール中尉の元に送信した。
ヘンプ人たちは「移住」させられるだろう。かれらが好むかどうかにかかわらず、強制的にこの惑星から退去させられるはずだ。
むろん、長期的に見ればそのほうが良い。彼らは間もなく優秀な保護者を失うからだ。それでも住み慣れた土地を追い出され、得体の知れない異世界に無理やり連れ去られるのは良い気分ではないだろう。別の世界なんて行きたくない……霧香は彼らがそう言い出すのを恐れた。そうした心情に反対するには大いに気力が要る。
彼らのアフターケアもGPDが取り仕切るよう働きかけるべきだ。それなら少なくとも、彼らはタウ・ケティ・マイナーに移送され、手厚く、そして進歩的な保護を受けられる。どこぞの収容所に押し込まれたまま研究者の観察対象にされたり厄介者扱いされ、忘れ去られるべきではない。
彼らに入れ込みすぎているだろうか。
たぶんそうだ。霧香は首を振った。これから先のことは新米少尉の出る幕ではない。だいたい「これから先」がどうなるのかぜんぜん分からないのに。
ヘンプ人の大人たちが相談して、行く先を決めた。ここから先は彼らに任せたほうが良い。なんと言っても安全地帯を熟知している……砲弾のような種子が飛んでこないところだ。
霧香は一行のしんがりを努めた。
上空百ヤードくらいにシンシア・コレットの気球が浮かんでいた。あの装備を温存していたとは抜け目がない。よく見るともっと低空に記録用プローブも浮かんでいる。あいかわらず撮影を続けているらしい。なんとなく煩わしいが、彼女のマスコミとしての力が、ヘンプ人の役に立つ日が来るかも知れない。どのみち彼女の活動を制限する権利も霧香にはない。
気球が高度を下げ、間もなく霧香の真上まで降りた。
「ホワイトラブ少尉、合流してもらおうと探したんだけど、ランドール中尉の姿が見えない。すぐ近くに潜んでいたはずなんだけど……。あんたのほうで連絡取れる?」
「なんですって……」霧香はさっそくコマンドラインを呼び出してランドール中尉の回線を開いた。
「ランドール中尉、応答願います、ランドール中尉」
しばらく応答がなかった。霧香は何度か呼びかけたが、やがて諦め、ほかのロボットと合流するよう04に指示した。霧香を乗せたまま04は駈けだした。
シンシアが呼びかけた。「ホワイトラブ少尉!どうする気?」
「ランドール中尉が応答しない。なにかトラブルにあったに違いない。あなたはかれらと一緒にいて!」
霧香は時速五十マイルくらいで駈ける04の背にしがみついていた。シンシアの言った通り、それほど遠くない。一マイルほど走ると04はスピードを緩めた。
「そのまま、03と05のまわりを走り続けて」霧香はコマンドラインから03と05の映像を呼び出した。二体のロボットは寄り添って待機していて、まわりにはランドール中尉の姿は見えない。
やがて霧香のほうが先にランドールを発見した。岩場でうつむけに倒れていた。霧香は04から降りて駆け寄った。彼女は額に裂傷を負い顔の半分か血まみれになっていたが、生きていた。霧香に抱え上げられるとぼんやり眼を開けた。
「中尉、分かりますか?」
「ああ……少尉……」
「なにがあったのです?」
「女だ……どこからともなく現れて、いきなり殴りかかってきた……。ロボットをけしかける間もなかったよ」
「背が低くて色黒で短い縮れ髪の?」
「いいや……背丈はわたしと同じくらい……長いブラウンの髪の白人だった」
「サリー・ヘラルドだ……。プラネットピースの……」
ランドールは舌打ちした。「ライフルがない。持って行かれたらしい……」
霧香は04の収納庫に残っていた治療パッドでランドールに応急処置を施した。額のほかにも何カ所か殴られているようだ。(まったく今回の任務はこの人にとって災難だな)と思った。だがランドールはふらつきながらも立ち上がり、人型形態に変形した04に抱え上げられた。
04のバッテリーは残りわずかで、ランドールを送り届けたらそれで終わりだろう。03はパルスライフルに撃たれたらしく損傷が激しい。なんとか歩けるようなのでランドールの護衛に付かせることにした。
「04,ランドール中尉の容体に注意しつつ、シンシア・コレットと合流して……。03,04を援護して」
「ホワイトラブ少尉、あの女を追うつもりか?」
「今度こそ逮捕しなければ」
「ライフルを持っている。危険すぎる。放っておけ……どうせ逃げられないんだ。わたしたちは宇宙船を待つべきだ。すでに上はわたしたちを捕捉している。ひらけた場所にまもなく降りてくるはずよ」
その意見はたいへん魅力的だった。
「ですが中尉、ああいつを放置したらわたしたちに危害を加える可能性があります。先回りして身柄を押さえなければ……」
「そうか、だけど気をつけてね……。あの女はひどく腹を立ててた。なにかずっとわめき散らしてた。凶暴よ」
ランドールと別れた霧香は05を引き連れ、サリー・ヘラルドのあとを追った。ロボットは度重なる戦闘で損傷しており、機能低下してセンサーの一部もうまく働かなくなっている。稼働し続けてバッテリーも減る一方だ。それでもかろうじてサリーのあとを追うことはできた。あの女もそれほど遠くまでは行っていないはずだ。
だが霧香のライフルはエネルギー切れで、代えのジェネトンバッテリーもない。ロボットは一度応戦すればエネルギー切れになるだろう。
サリーは集落のほうに向かっているようだった。
霧香は顔をしかめた。サリーの足取りはしっかりしていて、まっすぐに……なににせよ目的に向かってまっすぐ突き進んでいる。せっかく危険地帯から距離を取ろうとしているのに、あの女は谷に戻ってしまう。おそらくぬかるみに残ったヘンプ人の足跡、あるいは草むらに刻まれた彼らの歩き道を辿っているのだ。まだお宝を手に入れるつもりなのだろう。
新しい足跡はふたつ。つまり手下のタンクも生きていたのだ。これで相手はふたりか。 また地震が発生して、霧香は立ち往生した。
激しい揺れだった。台地の一部が崩落して、バランスが崩れたのだろう。谷のむこう側が丸ごと崩落するのは時間の問題と思われた。その谷……と言うより裂け目、は霧香のいる場所から百ヤード北に行ったあたりで、霧香とサリーはその裂け目に沿って徐々に近づいているのだ。追跡なんか投げ出してランドール中尉と合流したかった。
地震はふたたび収まったが、完全ではない。三半規管が混乱しているのではなく、たしかに小刻みな揺れが続いていた。霧香はふたたび歩き始めた。
そう思ったのも束の間、ライフルの音があたりに響き、霧香は身を竦めた。方向とライフルの出力が自動的に頭に刻み込まれた。
近い……五十ヤードも離れていない。
霧香は腰のナイフを抜いて足早に進んだ。まもなく倒れている人間を見つけた。やや太り気味の男性……タンクだ。薄汚れあちこち破れた服。仰向けに倒れ、疲れ切って、弛緩した顔……頭は半分吹き飛ばされていた。霧香はなんとか虚ろな眼を閉じさせ、顔を背けた。
背後に気配を感じた。振り返ろうとすると、「動くな」とサリーが言った。
「サリー・ヘラルド……なぜタンクを殺したの?」霧香は背中を向けたまま尋ねた。
「ぐだぐだ泣き言ばかりうるさいからさ!あんたもじきに……」
霧香は素早く振り返りざまナイフを投げつけた。
「うがッ……!」
サリーが苦悶の声を上げ、右肩に突き刺さったナイフを信じられないという顔で見下ろした。それからライフルを構えて引き金を引いたが、霧香はもう横っ飛びに火線から逸れていた。ライフルを撃った反動でサリーはまた傷みに身悶えた。
「このくそがッ!」
サリーはあたり一面にビームを照射した。
「05!」
ロボットが弾かれたように動き出し、サリーに襲いかかった。だが人間にたいして強硬手段を取るライアットモードにセットしていなかったため、05は霧香とライフルの射線に割り込み楯になっただけだ……ビームが05の胴体を焼いた。
「マリオン!」頭上で誰かが叫んだ。
サリーはとっさに頭上に向けライフルを撃った。シンシアの気球がビームの直撃をうけて派手に火花を散らせ、墜落してゆく……だが霧香はそれを目の隅で捕らえただけだった。
サリーとの間を一気に詰め、彼女が霧香に向けてライフルを構え直したときには間合いに潜りこんでいた。片手でライフルの銃身を力任せに押しあげ、足払いをかけた。サリーは地面に叩きつけられたが、ライフルを放さない。霧香は素早く身を引いて、三ヤード離れた。
サリーは倒れたままライフルを霧香に向けて引き金を引いたが、ビームは照射されなかった。
霧香はたったいま抜き取ったライフルのエネルギーパックを、サリーに示した。
サリーは痛みを忘れて素早く立ち上がり、獣じみた怒りの叫びを振り絞りながら霧香に突進してきた。逆手に持ち直したライフルを振り上げて霧香に殴りかかった。霧香は落ち着いて攻撃を回避しつつサリーの様子を見た。だいぶへばっていた。
(低重力で過ごしすぎだ)霧香は見て取った。(なまってる)
「あんた、分かってる?このあたりは崩壊しかけてるのよ……ここはもうすぐ二千ヤード下のガス雲に沈む」
サリーはよろめき、ついで「うっ」と呻いて上体を折った。吐き気を堪えているようだ。ナイフの刺さった肩を押さえている。
「宇宙船も沈んでしまう。みんな逃げてる。もうすぐ救助船が降りてくる……」
サリーは力なくその場にへたり込んだ。
「05,彼女を拘束して」
ロボットはサリーの背後に回り込み、前足で両手を背中に回し、足の先から拘束具を繰り出してサリーの両手に掛けた。
「鎮痛剤と精神安定剤のパッチを」
05がサリーの腕にパッチを貼り付けると、サリーはがくりと項垂れた。サリーの肩からナイフを引き抜いて応急処置を施した。処置を終えた霧香は立ち上がり、額の汗を拭った。手のひらに血がべっとり付着していてるのに気付いて顔をしかめた。
「ホワイトラブ少尉……」
泥だらけのシンシア・コレットが現れ、霧香はホッとした。
「無事だったのね」
「運良く池に落ちたの。わあ、サリー・ヘラルドを逮捕したんだ」
「うん。これで任務はあらかた終わった」
「ホワイトラブ……え~、マリオンて呼んでもいいかしら?」
「お好きに」
「それじゃわたしはシンシアって呼んでね。便利な乗り物が壊れちゃった。そのロボットワンちゃんに三人乗れるかな?」
「ひとりは歩くしかないようね」それは霧香の役目になりそうだ……内心溜息をついた。サリーは大柄だし、あとは身長五フィートちょっとのシンシアが乗る余地しか無さそうだった。ヘンプ人たちの集まる場所まで二マイルは離れてしまったに違いない。「……とにかく帰ろう。05,サリーを運んで……05?」
05は動かなかった。
長らくおつきあいいただきありがとうございました!次回で完結です。