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「それで、ヘンプⅢに漂着したその古い宇宙船はおそらく、フル警戒モードに移行してしまったのか……」
「どうやらそのようね。おかげで遭難しちゃった……」
「そう……まあ元気そうでなにより」霧香はこの野心満々の女性の気楽そうな態度に呆れながら言った。「それで、宇宙船の正体は判明した?」
「まだ宇宙船そのものは見ていないのよ……でもあの集落のそばにあるのは間違いない。プローブユニットが飛び出してきたあたりよ。もうどんな船かは見当付くわよね?」
「遺伝子伝搬船?」
「そう!正真正銘、極めつけのヴィンテージテクノロジー。成功例は初めて確認されたんじゃないかしら。大センセーション間違いなし!」
シンシアの声は弾んでいた。無理もない。遠い昔に難破した自動探査船が発見された、というニュースはごく稀にあるが、完全自動の遺伝子伝搬船が数世紀間機能し続け、処女惑星で人類の子孫を作りだしていた、というのはおそらく初めてだろう。世界的なニュースとなるに違いない。ただし……。
「この星から脱出できればだけどね……」
「なに言ってるのよ。あんた連れ戻しに来てくれたんでしょ?宇宙船はどこに置いてあるの?」
「残念だけどわたしも墜落したの。救助隊はいつ来るか分からない」
「冗談でしょ!?」
「冗談じゃありません」
「どうすんのよ……」
「ある程度通信はできてる。だから問題は上が、いつ救助船を派遣してくれるかよ。まだ連絡ないけど」
「なによ……頼りない話だなあ……」
「悪かったわね」
霧香は立ち止まった。谷底が急速に狭まりつつある。そして下流からなにやら轟々という音が響いてくる。
「どうも、行き止まりっぽい」
「音から察するに、奥は滝みたいね……」
「滝か……あのバリケードは、子供がこちら側に行かないようにするためのものだったのね……」
「なるほど……どうするの?」
背後を振り返った。追っ手はまだ見えない。
「もう少し進んでみる」
霧香は歩きながら携帯端末を操作して03の安否を確かめた。ロボットは健在で、すでに戦闘をやめて待機モードに移行していた。霧香は03を呼び戻した。ランドール中尉と連絡を取るには03が必要だった。
(ランドール中尉はだいじょうぶかな……)
やがて谷底の切れめに辿り着き、ふたりは立ち尽くした。
テーブル台地の縁に出てしまったのだ。険しい断崖が垂直に落ち込んでいた。眼が眩むほどの高さだ。断崖は二千フィートも下で濃密なガスの雲海に消えていた。雲海は果てしなく、地平線まで続いている。テーブル台地がその雲海からいくつもそそり立っている。一番近い台地まで三〇マイルほど離れていた。エルドラド台地よりずっと小さく、差し渡し五マイル程度か。それでも台地には緑色の植物群をかすかに視認できた。
台地の根本は長年の浸食でかなり崩落が進んでいるようだ。真新しい崩落跡は岩肌の色が違う。
「さっき地震があったでしょう?」
「ええ、ちょっとした揺れだったわ」
「ここに来て何度目?」
「初めてだったな……」
「あの台地を見て」霧香は一番近い台地を指さした。「崖の一部が色が違う。ごく最近岩盤が剥がれ落ちている」
「そう見えるわね」
「たぶんこのエルドラド台地も、一部が崩落しかけている。地震はその影響だと思う」
「なんですって……!」シンシアは叫んだ。「なるほど、腐食性のガスに漬った岩だものね。それちょっとまずいんじゃない?」
「たいへんまずい」
それでもふたりはそのやばい崖縁から離れず、ぼんやり立ち尽くしていた。
シンシアはふたたびカメラを構えている。撮影しながら呟いた。
「すごい眺め……」
「ホントに」
シンシアはゆっくりカメラをパンして、崖縁から身を乗り出していた。滝を撮影しているようだ。
「あ……!」
「なに?」
「百ヤードくらい下に棚が張りだしてるんだけど……見える?」
霧香は崖っぷちに身を伏せて下を見た。眼を凝らすと、見えた。おびただしい数の人骨が横たわっていた。
「あれは……」
「なんだろう?……ねえ、ひょっとしてまさか、あいつら食人族かなにか?」
「いえ、たぶん……遺体を遺棄したんだと思う。埋葬の習慣がないのかも知れない」
「そうか……そうね」少しがっかりした口調だった。
霧香は立ち上がった。 「そろそろ移動しないと」
「どこに?」
「待って……」霧香は携帯端末のホロを確認した。「もうすぐ……」
背後の川岸から大柄なロボットが這い上がり、シンシアは驚いて軽く飛び上がった。03は軽やかな動作で地面に躍り上がると、四足歩行モードで霧香のそばに歩み寄った。なんとなく頭を撫でたくなるような動きだ。右後ろ足にかなりダメージを負っていた。霧香はコマンドラインのステータス表示を見た。稼働効率六五パーセント。充電の必要。
02のコマンドラインが消失していて、霧香は冷や水を浴びせられたように身を硬くした。ランドール中尉が霧香を支援するために送り出したのだろう。そしてドローン群に撃破されたのだ。
「03、悪いけどもう少し働いて。わたしたちを崖の上に運んで欲しいの」
03はカチカチ応答すると、さっそく崖に取り付いた。三本足になったがそれほど登坂に難儀してはいないようだ。間もなく二〇ヤードほど登った先に足がかりとなる棚地を見つけ、そこからザイルを垂らした。霧香はシンシアの腰ベルトにザイルを括り付けた。
「あの子、ちゃんと支えてくれるんでしょうね?」
「だいじょうぶ、わたしよりずっと頼りがいがある」
シンシアはザイルを掴んで崖を登りはじめた。
03のいるところまで登り切ったシンシアが叫んだ。
「少尉!」
霧香は川の上流に振り返った。
原住民の追っ手がぞろぞろやってきた。
「03!シンシアを連れて逃げろ!ランドール中尉と合流して!」
「ホワイトラブ少尉!」
03はシンシアの身体を抱え上げると崖を登りはじめた。
「これを持って!」シンシアがなにか放った。小さなキューブが足元に転がり落ちた。霧香はそれを拾い上げると、ブーツの内側に押し込んだ。
霧香は追っ手に向き直った。
彼らは慎重な足取りで接近してくる。男性ばかり二〇人ほど。みな棍棒を持っていた。先を尖らせた木の槍を構えているものもいたが大勢ではない。
(やっぱり狩猟生活はしていないな……)霧香はライフルをゆっくりと地面に置き、両手を挙げた。いちどだけ頭上を仰ぎ見ると、03が崖を登り切って姿が見えなくなるところだった。
「降参」の仕草はなんとか通じたらしい。いきなり殴りかかられるようなことはなく、男たちは遠巻きに霧香を取り囲んだ。
「ワタシと、一緒に来なさい」年長者のひとりが妙なイントネーションの英語で言った。背後から槍でつつかれ、霧香は素直に従った。
「ついて、来なさい」
「分かったわ」
言葉が通じることにみな驚いている。あまり敵意は感じられず、好奇心と見慣れない異物に対する嫌悪感が半々と言ったところだ。彼らは外敵や種族間の争いといった、猜疑心や警戒感を発達させる経験をあまり積み重ねていないのだ。少なくとも霧香がかれらと同じ人間だとは理解しているだろう。
彼らに英語を教えたのは、おそらく宇宙船のコンピューターだろう。言葉の他にもいろいろ教わっていると思われた……そうではないと考える理由がない。衣服を生産しているのも宇宙船だ。ただし原料はあまり豊富ではないのだろう。若者の何人かは粗い繊維質を縫い合わせた粗末な上着一枚だけの姿だ。それになにかの植物を利用したサンダル。石油はなく、動物もいないので毛皮は手に入らない。そうすると動物性タンパクも……。「食人族」というシンシアの言葉を思い出し、霧香は身震いした。
船のシステムは優秀のようだ。動物性タンパクもどうにかして提供しているかも知れない。少なくとも原生動物や虫、甲殻類はいる。ヘンプⅢの植物を食べられるなら、それらも食べられるだろう。
あるいは機械らしい合理性を発揮して定期的に同士の肉を摂取するよう教えたかも知れない。合成タンパクよりずっと簡単な方法だ。
かれらが徹底したベジタリアンであれば嬉しいのだが。
霧香はまわりを見回した。浅黒い肌に縮れた黒髪。彼らはポリネシア人かモンゴロイドか、なにかそのあたりの身体的特徴を備えているようだ。いったいいつからこの惑星で生活をはじめたのだろう。三〇光年を踏破するのに要した時間を三世紀から五世紀として、およそ三百年前だろうか。われわれがこの惑星を探査する直前。
冷凍冬眠か、それともDNA貯蔵状態で運ばれたのか……。おそらく後者だろう。多くの動植物とともに運ぶためにはそれがいちばんだ。
平均身長は五フィート四インチほど。霧香より頭半分ほど低い。痩せて骨格も貧弱だが、飢餓の兆候はない。貧相な体格は慢性的な栄養不足によるものだろう。かれらとしては特異な環境下に置かれながら精一杯健康を保っている、といったところだ。独特の体臭も漂っていたが、不快なほどではなく、身体衛生にはそれなりに気を使っているらしい。薄汚れた感じはない。ときおり仲間同士で声を掛け合っているが、英語ではなく、霧香の知らない言葉だ。黒髪は短く刈り込まれているか、スキンヘッドだ。浅黒い顔は一様に無表情で、内面は伺い知れなかった。
シンシアが放って寄こしたデータキューブには、おそらくシグナルコードが納められている。彼女はまだ試していない正しいコードがあると思っているのだ。それを試せと言っているのだろう。なんとか試すしかない。宇宙船を武装解除させるしか霧香たちが助かる道はない。
やがて霧香は彼らの集落に連行された。広い円形広場を横切り、まっすぐ粗末な小屋に連れて行かれた。地面に突き立てた柵と葦葺きの屋根の牢獄だった。霧香はその牢獄に押し込まれた。小屋の地面の一部はは竹を組んだ床で、その下に水が流れているのが見えた。川から導いた水流だろう。おそらく、簡易な下水施設だ。柵のあいだから広場を眺めた。
ヘンプ人たちは霧香を閉じ込めると、リーダーらしき男に急かされて各々の家に向かった。時間は正午をだいぶ回ったところだが、まだ日暮れには何時間かある。
広場の一角では鶏が何羽か飼われていた。
動物性タンパクの問題はあれで解決していると思いたかった。
霧香はシンシアから受け取ったデータキューブの内容を携帯端末にすべてコピーした。データ量はたいしたことない。ホロ画面に呼び出すと、十六進法のコードが何列も並んでいた。このどれかがキーかも知れない。
やがてかれらがなぜ家の中に引っ込んだのか分かった。機械の一団がどこからともなく現れ、霧香のほうに近づいてきたのだ。大きいのは蛇のようにのたうつ食肢で移動する大きな箱のようなドローンだ。箱の直径は四フィートほど。重い探査装置を備えているのだろう。飛行能力はないようだ。ヘンプ人でなくてもちょっと恐ろしい姿だった。小さな紡錘形のドローンの一団がまわりに浮いていた。飛行体たちは騒々しく、よく見ると回転ファンを備えた可変翼で浮いているらしい。古い技術だ。やや高いところで浮いている大型の飛行ドローンは胴体の下に旋回砲身を備えていた。たぶん炸薬式の、少なくとも0.五インチ口径の機関砲だ。やはり原始的だが単純な構造なのでいまでも使用されている。当たれば装甲のない機械は粉砕される。人間なら即死する威力だ。
ドローンは霧香の牢獄に箱を張り付かせそうなところまで接近して停止した。霧香は三歩ほど後ずさっていた。間近に迫るとドローンは七フィート近い巨体だ。そいつはさっそくはこの中に詰まった計測装置を展開しはじめた。扉が開き、センサープローブが伸び上がる。その先端にはカメラのレンズが埋め込まれていて、じっと霧香に眼を据えていた。
プローブの一本がバチバチ音を立てて、霧香は静電気で産毛が逆立つのを感じた。どうやらスタンガンを試したらしいが、霧香のコスモストリングはその程度は防いでしまう。だがそれは同時にプローブを操るマザーを警戒させてしまうだろう……
「痛ッ!」二の腕にちくりと痛みを感じて振り返ると、背後の壁に小型のプローブが食指を巻き付けて張り付いていた。そいつが食肢の一本を伸ばして霧香を刺したようだ。
身体にじんわりと痺れが広がり、霧香はよろめいた。(麻酔かなにか……)足から力が抜けてがくりと膝をついた。
『動かず、じっとしていてください』滑らかな発音の女性の声が響いた。
霧香が両手をついて項垂れていると、さらに声がいった。
『横になったほうが楽ですよ』
(そうね……)霧香は喋るのも億劫なほど倦怠感に苛まれ、力なく横たわった。
『あなたは妙なフィールドに保護されています。一時的にその保護を解除して頂けませんか?』
「……」霧香はなんとか腕を動かして首のコスモストリング解除ボタンに触れた。
『よろしい。あなたの血液その他サンプルを採取します』
霧香はその場に伏せたまま、機械たちが身体を探るままに任せていた。プローブたちはヘンプ人にもときどき同じことをするのかも知れない。病気の有無を調べたり身体測定のためだ。だれだって医者は好きではない。家の中に引き込んでしまうのも頷ける。とにかくいまのところ解剖したりするつもりはないようだ。
尋問が始まった。
『あなたはどこから来たのですか?』
「タウ……ケティ……」
『データがありません。それはクジラ座星域の恒星の名前ですか?』
「イエス」
『あなたはいかなる国家、組織団体に属しているのですか?』
「わたしはノイタニス出身で……いまはタウ・ケティマイナーの市民。国連GPDに所属している……」
『国際連盟とはなんですか?』
「国際連合は二五世紀に消滅した……いまはそれに変わって国際連盟が発足している……」
『それは地球の話ですか?』
「イエス」
『地球は消滅しましたか?』
「ノー」
『あなたの装飾具には大容量のデジタル記憶装置が納められています。それにアクセスする方法を教えなさい』
「そのデータベースはわたしのコマンドしか受けつけない。無理にアクセスすれば自壊する」
『わたしはそのデータを閲覧しなければならない』
「……わたしの腕に付け直しなさい……そうすればなんでも聞き出せるようにしてあげるから……」
何度も同じ質問を聞かれた。
彼らの中枢システムは古い。それに恒星間航行と惑星探査、生物繁殖を主任務とするプログラムの集合体で、部外者を尋問するようなエキスパートシステムを搭載しているとは考えられない。それで知恵を絞り、地道に霧香の話に矛盾があるかどうか探っているのだろう。得体の知れないものはただちに排除、という結論に飛びつかないのは助かったが……まだ予断は許されない。彼らはレーザー砲を含む防衛システムを備え侵入者を迎撃した。やがてその矛先を霧香に向ける、という結論に達するかも知れない。その前に霧香の目的を探ろうとしているのだろうが、防衛システムとせめぎ合いをしているのかも知れなかった。
尋問のあいだに霧香の体は麻痺から回復しかけていたが、小型プローブがのしかかって食指を身体に巻き付け、首筋になにか尖ったものを押しつけていた。へたに動けばスタンガンか麻酔薬を食らうことになりそうだ。
いずれにせよ霧香は暴れる予定はなく、できるだけ機械たちに協力するつもりだった。
何度目かの説得ののち、プログラムは霧香を通じてデータを受け取ることに同意した。かれらとしては判断を下すためのパラメーターが不足しているから、妥協したのだろう。どのみちプローブのインターフェースも古く、霧香の携帯端末にダイレクトアクセスすることはできないようだ。
それでも霧香の指示でデータをプローブの電子頭脳に転送コピーすることはできた。あとは彼らのメインフレームがデータを有意味信号に変換できれば、いろいろ知ることが出来るだろう……データの中にはあのコードも含まれている。かれらがメインフレームにそのコードを読み込んでくれることを祈った