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植物の様子が変化していた。
ジャングルを見回して霧香は眉をひそめた。なにかがおかしい……。
さらに奥へと進むと、植物の並び方がもはやジャングルと呼ぶには規則正しすぎる。
(農園だ)
規則正しい間隔で植えられた植物……その下の地面は踏み固められ、雑草はまばらだ。植えられているのは奇妙な植物だった。高さは二メートルほど。ざらざらした太い幹から大きな葉が何枚か扇状に広がっていた。その葉のあいだから巨大な茎が伸び、先端に実る緑色の房の重みで垂れ下がっていた。鮮やかな緑色の房はカボチャのような形だが、よくよく見れば細長く半円状に反り返った実がみっちり寄り添っていた。ちょっとグロテスクだ。
未知の植物ではなかった。霧香は前にこれを見たことがあった……。だがじかに見た記憶はない……なんだ?
その正体に突然思い当たり、霧香は驚愕した。
バナナだ!
五世紀以上昔に絶滅した地球の植物ではないか!
霧香は植物を眺めまわした。やはりどう見てもバナナだ。
通称「天国の果実」。つまり人間は生きているかぎりその実を味わうことは叶わず、死んで電脳人格に生まれ変わると、ようやくデジタルデータとして保存されている味覚を堪能出来るという……。
背伸びしてバナナの房に手を伸ばし、一本もぎ取った。昔の映画の場面を思い出し、おそるおそる皮を剥いてみた。予期しないものが飛び出してくることはなく、やや黄味がかった白い果肉が現れた。果物にしては瑞々しい果汁が滴ることもなく不思議な質感だ。果肉をふたつに割って匂いを嗅いでみると、ほのかに甘い香りがした。毒性は無さそうだが、一応もっと検査キットを使って調べてみなければ、食用に適すか分からない。
古い映像では人間の普遍的な食べ物として登場するが、暗黒時代にすべて絶滅してしまったのだ。食用として改良され続け、人間の管理なしでは栽培できないバイオ植物に成り果て……最後は疫病で全滅した。もっともポピュラーな種……熟すと鮮やかな黄色になるバナナは、世界中でたった一品種だけだったのだ。生き残った近似種を改良して元のバナナを再現しようと何度も試みられたが、地球環境の変異やその他諸々の条件が重なり、二度と同じ味は生み出せなかったという。
霧香はナイフを抜き、バナナをまるまる一房切り落とした。それをタオルに包んで03の背中の道具箱にしまった。ひょっとしたら食料の足しにできるかもしれないと思ったのだ。
バナナを発見したことで、ヘンプ3に上陸して以来抱いてきた疑念が確信に変わった。バナナだけではない。この一帯は地球の植物がヘンプⅢの原生種を押しのけ繁殖していたのだ。
霧香は先を急いだ。
答はこの先にある。
さらに森の奥に進むと、足元は険しい火山岩となった。細い道がかろうじて一本だけ通っていたが、霧香はその道を避けた。突然集落かなにかに出くわすとも限らない。なるべく音を立てないように崖を降った。十歩進んでは立ち止まり辺りの様子を探り、蔦が絡み合う草むらを掻き分け……やがて霧香はまたしても断崖に足止めされた。
だが道がある方向を見ると、吊り橋が架かっている。粗末な板とロープの箸で人ひとり通るのがやっとという幅だが、さほど長い橋ではない。せいぜい六十フィートで、二十フィートほど下を流れる急流を跨いでいた。
その橋の向こうの対岸に集落があった。
霧香は岩陰に身を屈めて集落の様子を眺めた。断崖に沿って木杭や壁板が張り巡らされているためすべてを見通すことはできなかったが、小屋がいくつも並んでいた。中央の広場を囲むように建てられているようだ。物見櫓がひとつ。だが見張りの人間の姿はない。
五十ヤードほどの広さがある広場に人が集まっていた。百人以上いる。なにごとか集会でも開いているらしい。残念ながら声はここまで届かない。集音器付きの望遠鏡があれば……。そうした装備はすべて、メアリーベルの船倉に置きっぱなしだ。
(だがまてよ……)
霧香は背後に伏せている03を振り返った。この子には高性能センサーが多数搭載されている。霧香は携帯端末から03のパッシブモニタリングシステムにアクセスした。
「03、前方五十ヤードの人間たちをできるだけ観察して……」
03の頭部センサーが伸び上がり、ステレオレンジセンサーがフル稼働した。霧香はホロ画面に03が見ている映像を映し出した。音……人間のお喋りも拾っている。大勢がいちどに喋っているので聴き取りづらいが、英語を喋っていることだけは分かる。記録しているからあとで分析できるだろう。03は正確な人数も数えていた。一五四人……。熱源探知センサーで捕らえた数だ。画面の右上に半径百ヤードのマッピングデータが表示されている。その画面が霧香の注意を引いた。
霧香の左側、三十ヤードあまり離れた崖に人間か、大型の動物がいた……。やはりじっとしている。霧香は慎重に身を乗り出し、そちらの様子を見渡した。
いつの間にか集落の人間のひとりに後を付けられたのかも知れない。
「03、待機して」
霧香は何者かが潜んでいる岩陰の背後に移動した。
身を屈めて足音を忍ばせ相手の背後に接近した。十ヤード手前でその姿を視認した。小柄な、女性の後ろ姿だ。服装は汚れていたが明らかに集落の連中とは違う……。霧香は小石を拾い、その女性の背中に投げつけた。
女性がサッと身を翻し、素早い動きで横に飛び退いた。なかなか良い動きだ。その手には小柄な体格に不釣り合いなショットガンが握られていた。
「ミス・コレット!」
「あら……」彼女が呟くのとショットガンが炸裂するのが同時だった。霧香はとっさに藪に飛び退いて火線から逸れた。
「ああ……だいじょうぶ?」
「だいじょうぶじゃない!」霧香は藪から這い出して叫んだ。「いまの音でみんな気付いたわよ!早く逃げなきゃ!」
「そ……そうね。だけど……」信じがたいことに彼女はふたたび集落のほうに向き直り、なにかカメラらしきものを向けた。
「なにやってるの!」
霧香はシンシア・コレットの側に駆け寄って肩を掴んだ。「シッ、邪魔しないで」その手を彼女が忌々しげにふりほどいた。霧香は集落に目を向けた。
広場の人間たちの動きが慌ただしくなっていた。
「なによ、撮影してるの……?」
「静かに!」
原住民が散弾銃の炸裂音の発生源を突きとめようとしていた。何人かが崖縁に立ちこちらのほうを指さしている。
「逃げるのよ!」
「待ってったら!」彼女はなおも言い張った。じっとポータブルカメラを一点に向け続けている。「もうちょっと……来た!」
「なにが?」
霧香はシンシアが注目しているほうに眼を凝らした。集落のさらに向こうから小さな物体が飛び出していた。
「メカだわ!」
「そうよ……やっぱり近くにあったんだわ……」
「なにが……?」
「とんずらするわよ!」シンシア・コレットは突然身を翻し、林の奥に向かって駈け出した。
「え?ちょっと……」霧香はシンシアと背後を見回した。吊り橋を渡ってこちらに向かってくる原住民の姿が見えた。慌ててシンシアのあとを追った。
「03,敵が追ってくる。わたしたちは撤退する。援護しながら撤退よ!」霧香は携帯端末を介さずただ叫んだ。三十ヤード離れた03には聞こえたはずだ。霧香の大ざっぱな指示を03がどう解釈したか定かではないが、間もなく機動モードに変形した03が空中に躍り上がりながら霧香の頭上を飛び越え、ターンして、飛来するメカに向かった。
「わたしたちを追ってくる人間に危害を加えないでね」
走りながら霧香は03に指示を追加した。もとよりGPDが装備するロボットは人間を殺傷するようにできていないが、念には念を入れてだ。それからシダ植物が生い茂るゴツゴツした岩場を懸命に這い上がり、シンシア・コレットの背後に追いついた。
「あなた!シンシア・コレット?」
「そうよ!」シンシアはちょっとだけ霧香に振り返って答えた。「あんたは?」
「霧香=マリオン・ホワイトラブ。GPDよ」
「GPD!?」シンシアが面白そうに繰り返した。
「はいはい」
「知らない子ね。ジェシカ・ランドール中尉はどうしたのよ」
「あなたを救出するため降下したわよ!それで大けがしたんだから!」
「えっ!?」シンシアはほとんど立ち止まりそうになった。霧香は「とっとと行って!」というように手を振った。
「それは申し訳ないことしたわ……わざわざわたしのために」
「謝罪は本人に言って。近くにいるはずだから」
頭上でメカ同士の戦いが始まっていた。ランドール中尉も気付いたことだろう。それにしても敵の数が多すぎる。火力は03のほうが勝っているが、数で圧倒されそうだ。
「あの一機だけでも手に入れば助かるんだけど……」
「なぜ?」
「インターフェイスを通じてマザー……やつらを操っているメインフレームにアクセスできるかも知れないからよ」
「なるほど……ところでわたしたちどこに向かって逃げてるのよ?」
「知るもんですか……あんたは?」
「なによ!やみくもに逃げ回ってるだけ!?」
「どうしろってのよ!?」
「ああもう!」霧香は叫んだ。「わたしに付いてきなさい!」そう言うなりシンシアを追い抜いた。
絶壁を左に見ながら平行に走った。行く手の谷底はだんだん狭まり、分岐している。袋小路になっていないことを祈りながら川がある左のほうに向かった。だが間もなく草木はまばらになり、視界が開けた河原に出てしまった。走りやすくなったのは良いが追っ手からは丸見えだ。
シンシアが後ろから尋ねた。「これが良い計画?」
「うるさい」
霧香は立ち止まり、シンシアに「先に行って!」と指示した。それから振り返ってライフルを構えた。インジケーターをチラッと見て、装填されている弾種を確認した。散弾と小型留弾が込められていた。留弾を選択した。立て続けに三発、追っ手がやってくる方向に発砲した。派手な爆発が起こり、オレンジ色の火球と黒煙が立ちのぼった。
霧香はふたたびシンシアを追って走った。いまの爆発に追っ手がたじろぎ、追跡の足が鈍ることを期待した。
やがて行く手が竹のバリケードに遮られた。ふたりは立ち止まり、背後を見た。追っ手の姿はまだ見えない。
彼らが狩りで生活していたとは思えない。獲物が存在していないからだ。効率的な追跡の経験はないかも知れない。だとしたら、このバリケードはなにか?害獣の侵入を阻止するためでないとしたら……。バリケードが築かれているのは川岸だけだ。だが川は5フィートほど垂直に落ち込んだところを流れていた。飛び込んだら這い上がるのに苦労しそうだった。
「この先に行きましょう」霧香はナイフを取りだし、バリケードを縛る荒縄を切った。竹を寄り合わせているのはアシ植物の荒縄だから簡単にばらばらになった。竹を蹴って倒し、ひとりぶんの道を造った。ふたりはそれを通り抜けてふたたび走った。
一マイルほど走り続けるとシンシアが不平を訴えた。
「ねえそろそろ止まらない!?追っ手の姿はないし……」
「まだよ」
それでも歩調は少しゆるめた。霧香は後ろの気配に耳を傾けながら川岸を進み続けた。頭上になにか飛んでいるのに気付いて立ち止まった。霧香はライフルを構えた。ホワイトのまるい球体が数個、頭上二〇フィートくらいの高さに浮かんでいた。直径は一〇インチほどだろうか。
「待って!撃っちゃだめ!」
霧香はライフルを降ろしてシンシアを見た。
「あれわたしのなの!ステレオ記録ポッドよ」
「記録用ポッドって……」
「つまり撮影機材に過ぎないの。音声と立体映像だけだけど」
「なに?それじゃあ、ずっと撮影してたの……?」
「そうよ」
「呆れた」霧香たちはふたたび進み始めた。「いったいなにしてるのよ?」
「わたしはメディアプランナーなのよ。いまはこの星のいろいろをああして記録してるの」
「なんのために?」
「ネットワーク用のプログラム作り。ソフトを作って流すのよ。分かるでしょ?ヒットすれば人類領域全体に売れる。何十億何百億の視聴者」
霧香の繰り出す質問にシンシアは嬉々として答え続けた。おそらく長いこと孤独に過ごしたあとなので、少し饒舌になっている。良い機会だからいろいろ聞き出したかった。あとあと尋問で口をつぐんでしまうと面倒だった。
「なるほど。それでどうしてヘンプⅢに来たわけ?」
「話せば長い話よ。あんたも聞いたことあるでしょう?暗黒時代、ワープ技術が確立する直前の、狂乱的宇宙進出競争について」
「二四世紀?ありとあらゆる国、企業宗教団体とかが欧州連合製や米国製ロケットを買って、なりふり構わずといった具合で太陽系から脱出しようとした?」
「その時代。ほとんどの船は妨害を避けるために極秘計画で打ち上げられて、おかげでいまでは記録も残ってない。無事どこかに辿り着いたという記録もほぼ皆無……」
霧香は頷いた。ワープテクノロジーが確立する直前のわずか一世紀。人類は核融合推進や反物質ロケット、バザードラムジェットを組み合わせた亜光速船を作って太陽系外に進出しようとしたのだ。人類滅亡までわずかと人々がなかば確信していた時代だ。多少無理のある計画でも地球で燻り続けるよりはましと思われていたのだ。
「だけど一年前、ある商船がね、キャルセット星系で信号を拾ったの。意味不明なシグナルだったけど、そういうのは出すとこに出せばそれなりに値段が付く。抜け目のない船長がその信号記録をオークションにかけた。わたしの会社……と言うかわたしがそれを競り落とした。そしてその信号を専門業者の分析に出した。ところが……」
「邪魔が入った?」
「正解!分析業者のばかな奴がそれを横流ししようとした。だけど相手が悪かったの……。マフィアに売りつけようとしたのよ。そいつは痛い目に遭い、信号データも盗まれちゃった。そのときには解析は終わっていて、古いスターシップのシグナルだと判明していた。適切なコードを逆送信してあげれば信号元の船が大声で歌い出し、船の居所が分かるはずだった。わたしは追いかけたわ。それで、わたしの宝を横取りしたのがプラネットピースのサリー・ヘラルドだと知り、ヘンプⅢに向かおうとしてたので後を追いかけた……」
「それでサリーたちからデータを盗み返したってわけ?」
「その通り。やつらが恒星間連絡船の酒場で豪遊しているときにあの汚い船に忍びこんで……大変だったんだから」
「ずいぶん大胆だこと……」
「わたしはそのまま偽の情報を置いて船から逃げて、タウ・ケティ経由でここに来た。やつらはわたしがαケンタウリに逃げたと思い込んだはず。それで一週間くらい時間が稼げる……」
「で、ヘンプⅢに到着早々シグナルを送信してみた。そしてヘンプⅢに接近したとたんあなたは攻撃され、遭難したのか……」霧香は溜息をついた。
「まあね」
「そろそろ聞かせてよ。その船はなんだったの?」
「ああ……教えてあげるけどさ、口外無用だからね?」
「分かったわよ」
「あの信号は古い暗号コードで、いわば任務完了を知らせるためのものだった」
「それは、ひょっとしてけっこうすごい話ね……」
「でしょでしょ?それでね、データベースを洗い出したら、まあ技術的なあれこれは省くけど、七世紀前に打ち上げられた亜光速船のものだと分かったの。どこの国が打ち上げたのか……。とにかく無事任務を達成して、このキャルセット星系ヘンプⅢに辿り着いた船があったのよ。わたしはその宇宙船を探しに来たの。古き北アメリカ製のプロトコルで、ちゃんとしたコードを送り返せば応答してくれるはずだった……」
霧香は立ち止まった。「……ってことは、つまり……」
シンシアも数穂先で立ち止まり、黙って霧香の次の言葉を待った。
「……あなた、間違ったコードを送信したのね?」
「ご名答……」苦い笑みを浮かべて人差し指を振った。
「まったくもう!」
霧香は憮然とした顔でふたたび歩きだした。