私の愛するご主人様
人形使いの武器にしてパートナーたる人形達。
人の形をしている物には心や魂が宿りやすい。
これは、そんな一体の人形の話。
──柔らかい感触。
──紅茶の匂い。
──温かい陽射しと、彼女の笑顔。
私が生まれた瞬間、ご主人様からもらったものは愛情と歓喜。
そして、「蓬莱人形」という名前。
◇◇◇◇◇◇
ゆっくりと瞳を開くと、まだ部屋の中は薄暗くて、カーテンの向こう側がうっすらと明るい事から早朝であると判断する。
私は棚からふわりと宙に浮かび上がる。
魔力の残量が少なくなっている事を感じつつ、隣の部屋へと繋がる扉を開ける。
部屋の中に入ると、ベッドに寝ているご主人様を起こす為にふわふわと枕元に降り立った。
ご主人様よりもずっと小さい手で頬をペチペチと叩く。
うっすらと開いた瞼から黄色の瞳が私を見つめ、やがてゆっくりと顔が笑顔に変わっていく。
「おはよう、蓬莱」
「ホラーイ!!」
おはよう、と言葉に出したいのに、私の口からはいつも同じ言葉しか出てこない。
それを不満に思った事はないけれど、ご主人様とちゃんとした言葉で会話できないのは少し、寂しい。
私は蓬莱人形。
ご主人様であるアリス・マーガトロイドが生み出した人形であり、ご主人様が生み出した人形の中でも現在最高傑作と言われている半自立型の人形の一体である。
私はご主人様の魔力を補充してもらい、自分の考えに従い、動く。
しかし、ご主人様の命令は絶対であり、どんな事があっても最優先に行わなければならない。
時には私がご主人の代わりに他の人形を動かす場合もある。
アリス・マーガトロイドという少女は魔法使いである。
私が生まれたのは彼女が人形を作り始めてしばらく経った時、本当に奇跡的な偶然の末に生まれたのだという。
私と同じく、半自立型の人形である上海人形よりも意思がはっきりとしているらしく、よく他の人形達を纏める役割を任される。
「あら、蓬莱。魔力が切れかけているわね。こっちに来なさい」
「ホラーイ!!」
私を膝の上に乗せると、頭を撫でながらゆっくりと魔力を私へと流すご主人様。
人形よりも人形らしい顔をした魔法使いの少女。
そんなご主人様を見上げながら。私は自分が生まれた日を思い出していた。
◇◇◇◇◇◇
生まれたばかりの私は、まだぼんやりとする意識の中、楽しそうに笑う少女を見上げる。
ご主人様は今よりもまだ幼く、好奇心に輝く瞳で私を抱き上げていた。
「ねぇ、あなたは私の言う事がわかる?」
「………」
私は答えようと口を動かそうとするが、私の意思に逆らい口は動かない。
ご主人様は先程とは逆に寂しそうな顔をすると、私をそっと他の人形が並べてある棚へと置いた。
「また……駄目だったのかしら。何が足りないんだろう」
私は唯一動く目を使って部屋の中を見渡した。
数え切れない程の人形が飾ってあり、普通の人形から私のような、まるで本物の人間に見える人形まで、いくつもの人形が視界に映る。
ご主人様は私をそっと撫でると、机に乗っている裁縫道具や布を片付け始めた。
あそこで私は生まれたのか、なんて事を考えながら、私は徐々に暗くなる視界の中に、寂しそうに一人で椅子に座り、窓の外を眺めるご主人様の姿を見た。
──やめて、そんな寂しそうな顔をしないでご主人様。
私はそう叫びたい気持ちになったが、魔力がまだ体に馴染んでいないのか、異様な眠気に襲われ、意識を手放した。
───
──
─
次に私が目覚めたのは、それから数日後。
ご主人様は私を抱いて景色の良い丘の上に来ていた。
私とは反対の腕に小さなバスケットを抱えているので、ピクニックのようなものなのだろう。
私が目覚めたのも、当時まだ魔力の制御が不安定なご主人様から漏れた魔力を吸収したからにすぎない。
「見て、こんなにいい景色は滅多に見れないわよ?」
私の体の向きを変えて景色が見えるように調整したご主人様は、小さなシートを広げ、草原の上に腰を降ろした。
それからご主人様は最近の出来事を話しはじめた。
魔界を出て地上に引っ越した事や、新しい家の事など……私は無表情のまま、相槌もうてずにそのままご主人様を見つめるだけだった。
それからしばらくして、ご主人様は眠くなったのか、私を膝に乗せたまま近くの木に寄り掛かるように背中を預けると、すやすやと寝息を立てはじめた。
私は前を向いて座っているのでその姿を見ることはできないが、きっと穏やかな顔をしているに違いない、と感じていた。
──そんな時だった。
ガサリ、と近くの林から音を感じたのは。
「………?」
視線だけで見た林の奥から、二つの瞳がこちらを見ていた。
思わずギョッとした私から視線を外した瞳は、迷わず私を抱いているご主人様へと移っている。
──嫌だ。
林から一匹の野犬らしき動物が出てくる。
魔界の生物より脆く、弱い生き物だが、ご主人様は最近疲労でも貯まっていたのか、目を覚まさない。
──来ないで
一歩、また一歩と野犬は近づいてくる。
──ご主人様!!
野犬の口元は涎まみれで、痩せた体からは何日も食べていない事が解った。
──私が……らなきゃ
一瞬、体を低くしたかと思うと、野犬は一気にご主人様まで飛び掛かった。
「……っ、きゃっ!?」
気配を感じたのか、ご主人様が目を覚ました。
しかし、野犬はあと2メートルでご主人様に食らいつくだろう距離にいる。
ご主人様は咄嗟の事だからか魔法を使おうとせず、腕を交差させて身を守ろうとする。
──ワタシガ、ゴシュジンサマヲ、マモラナキャ。
「───」
私は、気がつけばご主人様を突き飛ばしていて、驚いたご主人様と目が合った。
次の瞬間に訪れた強い衝撃と喪失感。
ご主人様を突き飛ばした左腕を野犬が食いちぎっていた。
「───ぁ」
痛みはない、だけど……ご主人様が泣きそうな顔をしたのは見過ごせない。
私は自らに貯まっている魔力を解放する。
同時に魔力で編まれた縄が首に巻き付き、まるで首を吊った様な形になる。
そのまま“ギンッ”と勢いよく野犬を睨みつける。
私の体から黒い靄の様なものが野犬に絡み付いた。
これは呪い。
私自身を触媒にした呪いを叩きつけた。
野犬は突然苦しそうに息を荒げたかと思うと、そのまま地面に崩れ落ちた。
しばらく痙攣していたが、やがて動かなくなり、絶命したのを確認すると、急いでご主人様の所へと戻る。
ご主人様は呆然としたまま私を見ていた。
私はご主人様に怪我がない事を確認すると、彼女の頬へと手を伸ばす。
左腕を出そうとして無くなった事に気づき、慌てて右手を出して頬をなでる。
「あ……あなた……」
「………」
相変わらず口は動かないが、私はご主人様の首の後ろに右手を回して抱きしめた。
小さい私の腕じゃ全然届かないし、しっかり抱きしめられないけれど……。
私は、愛しいご主人様を守れて、嬉しかった。
「ありがとう……蓬莱」
「……ホラーイ」
始めて動いた口から出た言葉に内心苦笑いをした。
せめて「どういたしまして」と、ちゃんと言葉にしたかった。
◇◇◇◇◇◇
突然魔力の糸で首を軽く絞められ、思わず『……ぁ』と小さな喘ぎ声が出てしまった。
蓬莱人形としての特徴なのか、私は首を絞められる事が好きなのだ。
振り向けば、私と同じ半自立型の人形である上海人形が無表情で魔力の糸を私に向けていた。
『どうかしたの?』
『アリスが呼んでる』
私達は人形同士なら意識疎通がある程度できるので、しっかりとした会話ができる。
上海はいつも無表情だが、決して何も感じていないわけではない。ただ、感情を表現しにくいだけである。
『ありがとう、今から向かうわ』
『……ん』
私と上海は並んでご主人様のもとに向かう。
願わくは、私達がこれからもご主人様の力になれる事を願って、私は今日も彼女と一緒に一日を過ごすのだ。