外の世界・上
表と裏、内側と外側、現と幻……。
これは幻想の存在と現実を生きる少女の出会いの話。
日本の代表的な魔物と聞いて一番に思い浮かぶモノは何だろう?
大抵の人はこう答える。
“妖怪”
妖怪とは、人の理解を超えた不思議な現象や不気味な物体である……と、辞書には書かれている。
一つ目小僧や河童・天狗等、様々な伝承が日本には存在する。
でも、本当に存在するかと聞かれたら───私は「妖怪なんていない」と答えるに違いない。
では「神様はいるか」と聞かれたら?
私はきっと答えられないだろう。
なぜなら、私の家は由緒正しい神社であり、私はその神社の巫女であるからだ。
科学の発展した現代を生きる身としては、神様の存在なんて信じてはいない。いないけど……
「存在しない」と断言することもできない。
なぜなら私は───幼い頃、神の奇跡を目の当たりにした事があるのだから。
◇◇◇◇◇◇
「──こら博麗、起きないか」
パシン、という平たい物で頭を叩かれ、私は目を覚ました。
季節が夏に入ってからというもの、私達のクラスでは一番風通しが良い窓際の一番後ろの席が人気になる。
隣に建つ体育館の影になるこの場所は大変涼しい。
そんな場所に座っていて、尚且つ苦手な英語の授業なんぞ聞いていたら眠くなるのもまた当然だ。
顔を上げてみれば、英語の担当教師が溜め息をつきながら教科書を片手にこちらを見下ろしていた。
更にクラス全員の視線がこちらに向いている。
「博麗美琴、私の堪忍袋もそろそろ限界に近いぞ?
毎回私の授業の度に居眠りとは、そんなに卒業したくないのだな……?」
私は、英語の担当である女性教諭が口元をぴくぴくと引き攣らせている姿を見上げつつ、小さく欠伸を一つすると人差し指を立てる。
「先生、春眠暁を覚えず、ですよ。先生も学生時代に経験した筈です」
無表情で言い切る私に、女性教諭はもう一度溜め息をついた。
「私は真面目に授業を受けていたよ。それから───今は夏だ馬鹿者」
教室に本日二回目の乾いた音が響いた。
◇◇◇◇◇◇
「美琴、あんたも懲りないわねぇ」
昼休みになり、屋上で弁当を広げる私の隣で、緒方志穂は溜め息をつきながらそう言ってきた。
彼女とは幼稚園からの付き合いであり、所謂幼なじみというやつだ。
志穂は肩より少し下まである茶髪を揺らしながら私の隣に座る。
「私をあの席にした運命が悪いのよ」
「よく言うわ。今のクラスになってから席替えの度にあの場所になってるくせに」
そうなのだ。私達のクラスは毎月くじ引きで席替えを行う。
私は高校三年生になってあのクラスに入ってからというもの、一度もあの席から移動した事がない。
毎回同じ場所で、しかも人気の高い場所であるが故に抗議の嵐が毎回巻き起こるのだが、私達の担任はとにかくアバウトな性格をしており、席が先月と被ろうが何も言わない為、私は現在もあの快適な後方窓際の席を確保し続けている。
「あんたさ、毎回あの席だけど、くじ引きの時に何かしてるの?」
「別に、ただの勘よ」
そんな事を呟きつつ、制服が汚れるのも構わずに仰向けに寝転がる。
ちょうど太陽が雲に隠れていて風がとても涼しい。
私は大きく伸びをすると、スカートのポケットから飴玉を取り出す。
私が幼い頃から存在する近所の駄菓子屋で売っているラムネ味の飴玉である。
口に入れてコロコロと転がせばラムネの甘い味が口の中一杯に広がっていく。
「美琴ってその飴玉好きだよね。いつも持ってるじゃん」
私の隣で同じ様に寝転んだ志穂が私の頬をつつく。
……あまりやられると、うっかり口から飛び出してしまいそうになるから止めてほしいのだが。
「志穂も舐める?」
「遠慮しとくわ。今、ダイエット中なの。甘い物は敵よ、敵!!」
私は「ふ~ん」と言いながら再び青空へと視線を戻す。
そんな私に何やら恨めしそうな目を向けてくる志穂が視界の端にいるが……。
「はぁ、何で美琴は部活も何もしてないのにそんなにスタイルがいいのよ……」
「知らないわよ、そんなこと」
「むぅ~、納得いかないわ……」
暫く拗ねた様にそっぽを向いていた志穂は、携帯を開いて時間を確認すると立ち上がる。
おそらく5時間目の開始時間が近付いてきたのだろう。
しかし、私は志穂のスカートの端を掴んで引き止める。
「ん、どうしたの美琴? 早く行かないと授業が……」
「次の歴史の橋本ならギックリ腰で病院よ」
「あれ? そうなの? 連絡あったっけ?」
「ううん、私の勘」
そう言った瞬間、校舎の何処からか年配の男性教諭の悲鳴が轟いた。
それから数分後、次の時間は自習になったというメールが届いて、志穂は呆然と携帯を見詰めていた。
自習なら別に教室にいなくとも平気だろう。
私は貯水槽の影へと移動して本格的に昼寝の体勢に入る。
我に返った志穂と共に、5時間目の時間は屋上で快適な睡眠を貪る私であった。
◇◇◇◇◇◇
放課後になり、私は部活に所属している志穂と別れて早々と帰り道を歩いていた。
私の住む家は街中から外れた山の麓に建っている。
去年に老朽化していた家を建て直したばかりで、新築の匂いがまだ抜けない立派な家である。
私としては古い家の匂いが好きだったから若干落ち着かない部分もあるのだが、いずれ慣れるだろうと大して気にしていない。
家まであと少し、という所で近所の駄菓子屋が見えてきた。
そういえばいつもの飴玉が切れてきたところだ。また補充しなければ。
そう思い立ったが吉日とばかりに駄菓子屋の扉を開けて中に入る。
街中の店とは違い、自動ドアではなく手動で開けるタイプのドアで、そんな昔さながらのこの駄菓子屋が私は好きだった。
「おやおや、美琴ちゃんかい。いらっしゃい。いつもの飴玉かい?」
「こんにちは、おばあちゃん」
店の奥から一人のおばあさんが出てきて、私を見ると嬉しそうに微笑んだ。
彼女はこの店を何十年も一人で切り盛りしている。
旦那さんは私が生まれる前に亡くなっており、私が小さい頃から孫の様に可愛がってもらっていた。
近所に若い人間が私一人だった事も影響しているんだろう。高校に進学する時には我が子の様に喜んでくれたのを覚えている。
私が小さかった頃よりも皺や白髪が増え、腰も曲がってきたおばあさんを見ていると、何かある度に頭を撫でてもらった記憶を思い出す。
随分と最近の事の様に感じるが、もう十数年前の話である。最近は私の身長が伸びた関係で頭を撫でられる事は無くなったが、それが少し淋しかったりもする。
そんな事を思っていた時だった。
カラカラと背後から扉が開く音がした。
珍しい、と私は思った。夕方のこの時間にこの店に私以外の客が来る事なんて滅多にない。
十個程掴んでいた飴玉を持ったまま振り返る。
そして、目の前の人物を見て思わず目を見開いた。
そこにいたのは金髪の女性だった。
私よりも少し高い位の身長で、夏なのにふわふわとしたドレスと陰陽師が混ざった様な服を着ていて、手には日傘が握られていた。赤いリボンが付いた帽子を被っていて、その下から覗く顔はとても整っていて美しい。
私が呆然としている間に彼女は私の隣に立つと、私が選んだ飴玉と同じものをいくつか手に取ると、おばあさんに渡した。
おばあさんは彼女の姿を見た瞬間、何度か瞬きをした後、小さく微笑んだ。
「あぁ……懐かしいねぇ。貴女にまた会えるなんてねぇ」
おばあさんがそう言うと、金髪の女性も微笑んでおばあさんの手を握った。
「久しぶりにこの飴玉を食べたくて、つい来てしまったわ。元気そうで何よりよ」
彼女の口から出た声はとても優しくて、とても綺麗だった。
まるで母親の様におばあさんの手を優しく摩る。
「もう、すっかりおばあちゃんになったわね……」
「そうだねぇ、貴女と最後に会ったのは私がまだ───いや、美琴ちゃんもいるからこの話はしない方がいいかねぇ」
おばあさんの視線が私に向き、彼女も私の方を向いた。
「あら、ごめんなさいね。仲良くしていたのを邪魔してしまって」
「いえ、そんな……」
この状況ではむしろ私が邪魔なのではないか、という気持ちさえ湧いてくる。
何やらこの二人は知り合いの様だが、会話の流れから察すると長い間会っていなかったと思われる。
「紫さん、この子が博麗の子だよ」
「えぇ、知っているわ」
紫と呼ばれた女性は私の前まで歩いてくると、優雅に右手を差し出してきた。
「はじめまして、私は八雲紫。よろしくね」
「は、はい。博麗美琴です」
ふと視線をおばあさんに向けると、握手を終えた私達を見て涙を流していた。
私は慌てておばあさんの傍に寄ってしゃがみ込む。
「おばあちゃん、どうしたの!?」
「……ぅ、あぁ、すまないねぇ。あまりにも懐かしくてねぇ」
「──え?」
そう言って顔を上げたおばあさんは、微笑みながら私の後ろへと視線を向け、頷いた。
急いで振り返った私の視界に、もう八雲紫の姿はなかった。
◇◇◇◇◇◇
長い階段を上りながら私は先程までいた駄菓子屋の事を考えていた。
八雲紫と名乗った女性が姿を消した後、おばあさんに彼女は一体何者なのかを尋ねた。
“あの方はね、神様の使いなんだよ”
そう言った後、私に神社へ行く様に促しておばあさんは早々に店を閉めてしまった。
「……神様の使い、ね」
私は額に浮かんだ汗を拭うと最後の一段を昇りきる。
苔の生えた鳥居をくぐり抜け、境内に足を踏み入れる。
“博麗神社”
千年以上の歴史を誇る由緒正しい神社であり、私の家が代々守ってきた神社である。
しかし、この御時世に参拝客などおらず、神社は最低限の整備や修繕しか行われていないため、あちこちボロボロで廃れてしまっている。
一応私が今代の巫女である為、掃除等を月に何度か行っている事もあり、見慣れた景色である。
そこに八雲紫という女性が立っている、という事以外は。