◆幻想郷大戦
最強の力を持つ者達の戦いが今、始まろうとしていた…。
幻想郷の夜空を、ひらひらと光で出来た蝶が飛び回る。普通に見ればそれは幻想的で、美しいとも思えるだろう。
しかし、目の前に広がる光景は美しさよりも恐怖を感じさせる。
辺り一面を飛ぶ色とりどりの蝶は強力な『死』の呪いがかかっている。
そう、周りにある蝶は全て幽々子が作り出した『黒死蝶』なのである。
幽々子の手の平から飛び立った蝶は桜花を囲むように飛び回る。時には妖怪でさえ死にいたらしめる幽々子の黒死蝶。それを、あろうことか桜花は微笑んで手の平に乗せた。
幽々子の顔が険しくなる。それを見た桜花は笑みを深くした。
『無駄よ。私の能力を忘れたの?』
──ありとあらゆるものを拒絶する程度の能力
桜花はこの能力で幽々子の呪いを弾いていた。しかし、幽々子も彼女に能力が効かないのは承知の上だ。
幽々子が顔を険しくしている理由、それは桜花に全く“負担が掛かっていない”事に対してだった。
周りの空間の崩壊は続いている。つまり、桜花は世界の崩壊に力を使いつつ、幽々子の力を弾いている事になる。
更に驚くべきはその彼女の状態だ。
幽々子の「死を操る程度の能力」は強力だが、強い力を持った相手には効かない。それでも、多少動きが鈍る程の負担が掛かるはずなのだ。
しかし、桜花にはそれらが全くと言っていい程効いていない。隣を見れば、紫も険しい表情をしている。
幽々子だけではない。紫、真矢、輝夜……彼女達も能力を使っていた。彼女達の能力は目に見えない力だ。それを一度に受けて、桜花は尚も余裕の表情だった。
『小細工は通用しないわ。正面から全力でかかってきなさい!!』
血で濡れた狂気の笑みを浮かべながら、桜花は両手を広げて誘いをかける。
幽々子が広げていた扇をパチンッ、と閉じる。
すると、先程まで辺りを飛び回っていた蝶が一匹残らず全て消えた。
「紫、ここは正面からぶつかるしかないわ」
幽々子が再び扇を開くと口元を隠す。
「…ええ、能力が通じない以上、力押しでいくしかない」
紫も座っていた姿勢から立ち上がる。同時に腰掛けていた背後のスキマも消えた。
「…勝算はあると思いますか?」
紫にそう尋ねたのは真矢だった。
「射命丸真矢…だったわね?」
紫と真矢は数百年前に会ったことがある。紫に取材を申し込みに行った時だ。
「はい、今は妖怪の山で天狗達をまとめています」
昔の様な活発な印象はなく、大人の女性らしい物静かな印象を受ける。
「そう……昔話に浸りたいところだけれど、今はそんな場合ではないわね」
紫も幽々子と同じ様に扇を取り出して、口元を隠す様に広げる。
「勝算は…一割もないわ」
紫の言葉にそれぞれが息を呑む。
──ただ、一人を除いて。
「…関係ないよ」
「…チルノちゃん?」
それはチルノだった。剣を腰のホルダーから抜くと、しっかりと構える。
「勝算なんて関係ない。あたいは、ただ桜花を助けるだけだ」
チルノの瞳には強い意思が宿っていた。それを見た紫が微笑む。
「…そうね、勝算があっても無くても関係ない。私達は私達にしかできない事をするだけよ」
紫が扇を振ると彼女を中心に弾幕が現れる。
「ふふ…まさか、妖精にそんなことを言われるなんて…私もまだまだよね」
そう呟いたのは輝夜だった。彼女の周りにも弾幕が浮いている。永琳も何も言わずに弓を構えていた。
「…桜花様、一時の無礼をお許し下さい」
霊那はお札とお祓い棒を構える。
幽々子の手の平には新たな蝶がいる。これは能力ではなく、攻撃の為のものだ。
この場にいる全員の目が桜花を見る。
『……ふ~ん』
桜花はつまらなそうに彼女達を見渡すと、広げていた両腕をだらりと下げた。
『もうちょっと追い詰められた顔が見たかったけど…まぁ、いいか』
桜花は半身の状態になる。全員が桜花が戦闘態勢に入ったことを感じて身構える。
「…行け!」
先手を取ったのは紫だった。待機させていた弾幕を一斉に発射する。
『甘いよ』
桜花はするりと弾幕の隙間をかい潜る。
『こんな隙間だらけの弾幕で私を仕留めることは…』
…できない、そう言おうとした桜花の目の前に鮮やかな色の蝶が飛来した。
『…っ!!』
咄嗟に体を捻って回避する。あと少し判断が遅かったら被弾していた。
『今のは…幽々子か』
バツの悪そうな顔をする桜花に、幽々子がニヤリと笑う。
「はああぁぁぁ!!」
その幽々子の隣を抜けて、一陣の風が桜花に迫る。真矢が作り出した風である。
天狗である彼女にとって、風を操ることはたやすい。風は目に見えない空気の流れだ。それは時として、獲物を切り裂く鋭い刃と化す。
紫と幽々子の攻撃を避けてバランスを崩していた桜花に、この風は避けれない。
『…ふっ!』
短く息を吐きながら、桜花が右手を前に突き出す。同時に、彼女の周りに薄い膜の様な結界が張られる。
風は一瞬、結界を震わせたが、破ることができずに霧散した。
しかし、それで終わりではなかった。
新たに複数の攻撃が結界にぶつかる。それは弾幕、矢、クナイ、札…。あまりの数の攻撃に、即興で作り上げた結界に『バキッ』と、皹が入る。
『くっ!』
一瞬、表情を歪めた桜花だったが、なんとか耐えた結界に安堵した。
それ故に、桜花は突進してくる彼女の存在に気がつくのが遅れた。
「うりゃあああぁぁぁ!!」
叫び声で気がついた桜花が見たのは、大剣を構えて突っ込んでくるチルノの姿だった。
すぐに結界に力を込め直す。それとチルノの大剣が激突するのは同時だった。
拮抗したのは一瞬だけ。桜花の結界はあっさりと砕け散る。
『ちっ…』
桜花は舌打ちをしながら大きく後ろに下がる。
しかし、それは間違いだった。
「二重結界・縛!!」
霊那の声が聞こえ、次の瞬間には桜花の周りには二重の結界ができていた。
「捕まえた!!」
霊那は陰陽玉と札を構えて笑みを見せる。
桜花はすぐに結界を破ろうとする。しかし、それを許す彼女達ではない。
「私達を忘れているわよ?」
突然、桜花を囲む様にスキマが開く。そして、その中からは先程回避した紫と幽々子の弾幕が次々と飛んできた。
『…くっ、この!』
桜花は弾幕を回避するが、避けた弾幕は後ろのスキマに入ると、別のスキマから再び遅いかかる。
桜花は完全に囲まれていた。
「準備できました。いきます!!」
桜花が回避に専念している間に力を溜めていた霊那が、一枚の札を取り出し、桜花に向かって投げつける。
「神技・八方龍殺陣!!」
札が桜花の目の前で発光する。そして次の瞬間、轟音と共に巨大な光の柱が空高く立ち上る。
しかし、その光を見る彼女達は、苦い顔をしていた。
「……当たりはしました。でも、手応えが小さい。咄嗟に回避したようです」
霊那が息を吐きながら言うと、紫が新しい弾幕を作り出す。
全く打ち合わせもしていない彼女達だが、先程の連携はまるで長年の仲間の様に息が合っていた。
それでも、即興の連携攻撃では桜花には大したダメージは与えられない。それは全員がわかっている。
そのため、それぞれ新しい攻撃の準備に入る。
『…ああ~、びっくりしたぁ』
そんな軽い言葉と同時に光が消えて無傷の桜花が現れる。
『まあまあだったわ、霊那』
と、肩に付いた埃を掃う様な仕種をする。
『さて、やられてばかりじゃ情けないから…私からも反撃させてもらうわね』
桜花の笑みを見た紫はハッとした。さっきまで広がっていた空間の皹が止まっていたのだ。
これはつまり、桜花が能力に使っていた力を戦力に加えたことになる。
桜花が構えたのを見て弾幕を放つと同時に結界の準備をする。
「全員、気をつけなさい!さっきみたいにはいかないわよ!!」
紫が全員に呼び掛ける。しかし、その時には桜花は既に動いていた。
「っ!? 幽々子さん、危ない!!」
真矢の声が聞こえた時にはもう遅かった。
「…え?」
誰にも見えないスピードで、桜花は幽々子の懐まで入りこんでいた。
『…まず一人』
桜花は笑顔を見せながら爪を振るう。幽々子は全く反応できていなかった。
「そうはさせん!」
『…ん?』
しかし、桜花の爪は弾かれる。
幽々子の前には両手に刀を持った白髪の青年…妖忌がいた。
「ありがとう、妖忌」
「いえ、これが私の役目ですから…」
何とか防いだ妖忌だが、実際は冷や汗が止まらない程緊張していた。
接近戦を主に戦う妖忌は、そのスタイル故に動態視力が非常に高い。
その妖忌でさえ、今の桜花の姿は見えなかった。同じ様にスピード重視で動態視力が良い真矢が教えてくれなければ反応できなかっただろう。
『ちぇ、仕留め損なったわ……おっと』
舌打ちをした桜花は、背後からきた紫の弾幕を避ける。
「幽々子、大丈夫!?」
「ええ、妖忌が守ってくれたから」
桜花は体勢を立て直すと、次は輝夜へと向かっていた。
「姫様、下がってください!」
すぐに永琳が迎撃に出る。器用にフェイントを混ぜた矢を連続で放つ。
しかし、桜花は余裕の表情で全て避けると、永琳に向かって妖力弾を放つ。
永琳も力を込めた矢を放ち相殺させる。ところが、さっきまで数十メートル離れていた桜花は、もう目の前まで接近していた。
「くっ、速い!!」
『とりゃ!』
繰り出された拳を、永琳は両腕を交際させて防ぐ。しかし、勢いを殺すことができず、永琳の体はあっさりと数メートル吹き飛ぶ。
「くっ…姫様!!」
永琳が矢を構えるが、桜花は既に輝夜に手が届く距離にいる。
「(くっ…間に合わない)」
永琳がそう思った瞬間、突然別の影が桜花と輝夜の間に入る。
「桜花さん、やめてください!!」
それは大妖精だった。瞬間移動で二人の間に割り込んだのだ。
大妖精はクナイを両手に持った状態で桜花の爪を受け止めている。
『どきなさい!』
桜花は両手を振り上げて大妖精のクナイを弾くと、彼女の腹に蹴りを入れる。
「うっ…がはっ……チルノちゃん!!」
大妖精は吹き飛びながらも輝夜の手を掴み、吹き飛ぶ力を利用して一緒にその場を離脱する。
「はああぁぁぁぁ!!」
そこに、青い光が流星の様に一直線に突撃して行く。
それは、冷気を纏ったチルノだった。
「パーフェクトフリーズ!!」
チルノは、バスタードチルノソードからスイカソードを取り外すと、桜花に向かって投げつける。
『…ふん』
桜花はあっさりとそれを回避する。しかし、これがチルノの狙いだった。
冷気を纏ったスイカソードは、円を描く様にチルノへと戻る。
「凍れ!」
チルノの掛け声で、スイカソードが飛んだ場所の空気中の水分が凍る。
細かい氷の粒となった水分は桜花を囲む様に集まると、まるで縄の様に彼女の体に巻き付く。
『こんなもの…』
桜花は氷を壊そうとするが、圧縮された氷の縄は頑丈でなかなか壊れない。
「でやぁぁああ!!」
動けない桜花へとチルノは剣を振り抜く。
ザンッ、という音と共に桜花の腹部に赤い筋が入る。
『…うっ』
この戦いが始まって初めて、桜花に傷がついた。
桜花は吹き飛ばされながらも氷を砕いて脱出すると、腹部に手をあてる。傷からは血が流れているが、それほど深い傷ではない。おそらく、チルノが手加減をしたからだ。
『血…私の……血…ワタシノ…チ…』
手の平についた血を見た瞬間、桜花の気配が変わった。
『嗚呼、ワタシノ血ガ流レテ行ク、ワタシノ…血ガ……ハ、ハハハハ!!』
突然笑い出した桜花に全員が驚く。桜花の目から流れる血の量が一気に増えた。
『嗚呼、何故私ヲ拒絶スル?世界ニ拒絶サレ、自ラニ拒絶サレ、我ガ身ニ渦巻クハ絶望ノミ!!私ガ何ヲシタ!?何故私ガ拒絶サレル!?何故何故何故!?』
まるで壊れた人形の様に、棒読みで叫ぶ桜花の姿は正に狂っているとしか言えなかった。
全員が唖然とする中、やはりチルノが前に出る。
「あんた、何をそんなに必死に求めてるんだ?」
チルノの言葉にピタリと桜花の動きが止まる。
『…何ダト?』
チルノは剣を肩に担ぐ様に乗せると、呆れた顔をする。
「あんたは何故拒絶されるんだ、と言ってるけど、自分から手を差し出したの?」
チルノの言葉に桜花が息を呑む。
「桜花は皆に手を差し延べてたよ。だから桜花の周りにはたくさんの人が集まるんだ」
『………』
「あんたは、自分から前に進もうとしてない。拒絶されるのを怖がって、誰かが助けてくれるのを待つだけの臆病者だ!」
チルノの剣幕に桜花は一瞬気圧されたかの様に怯む。
『私ハ…私は…ち、違う…』
「だから、あんたは桜花であって桜花じゃない。ただ名前と姿が同じだけの…別人だ!!」
『違う!私は桜花だ!同じ存在だ!!私だけが消えていいなんて…間違ってる!!』
桜花はチルノに向けて妖力を放つ。まるで巨大なレーザーの様な妖力に、チルノは怯むことなく迎撃しようと剣を構える。
「…どきなさい」
「…え?…うわっ!?」
しかし、チルノは何者かに突然肩を引かれて思わず後退する。
チルノが見たのは、緑色の髪とチェック柄のベストに日傘…。
「ゆ、幽香!?」
チルノの前にいたのは、風見幽香だった。
幽香は迫る妖力波を見ると、日傘を構える。
「──マスタースパーク!!」
日傘から打ち出されたのはマスタースパークだった。妖力同士がぶつかり合い、そして相殺する。
「…ハッ、この程度?」
幽香は鼻で笑いながら、つまらなそうに桜花を見た。
「チルノの言う通りよ。あなたじゃ、桜花の足元にも及ばない」
幽香はチルノを指差すと、桜花を睨む。
「私は桜花に会いに来たの、桜花を出しなさい」
『だから、私が…』
「あなたじゃない。そこで寝てる桜花を出せと言ったのよ」
幽香は真っ直ぐに桜花の胸を指差した。
「そこにいるんでしょ?早く起きなさい!」
桜花の胸の奥で、何かが反応する。焦る桜花を見て、幽香は笑みを浮かべる。
「さぁ、こんな戦いは終わりにするわよ!」
幽香の言葉に全員が頷き、構える。
──幻想郷に夜明けが近づいていた。
次回、戦いの完結と、その後に起こった思わぬ出来事が…。
お楽しみに!